9月にリオで行われるパラリンピック車イス卓球の日本代表別所キミエさん68歳、蝶々がトレイドマークで髪飾りや車イスにもデコレイトしていることから、海外の選手からそう呼ばれており、普段は陽気な関西のおばちゃんだ。
別所さんは40歳の時、夫と死別。2年後、2人の子どもを抱え頑張ろうとしていた矢先、骨盤ガンと診断され、2年間合計60時間の手術を受けた。その結果、命は取り留めたものの両足の麻痺、絶望の淵に立たされた。
手術から1年後、車いす人生を受け入れた別所さんは、運命の出会いを体験する。車いすバスケットボールである。片手のない人がバスケットボールをする姿に衝撃を受けた。カッコイイ。しかし、激しいスポーツのために断念。
45歳の時、できるスポーツをと考えた別所さんは、卓球の経験はないものの軽い気持ちで車いす卓球に挑戦した。この車いす卓球は、車イスに座って卓球するというだけで、一般の卓球とルールは変わらない。別所さんは、練習に打ち込んだ。2年後国内大会で優勝。50代にて国際大会で優勝した。
その強さの秘密は、「卓球のためになることならすべてやる」という執念である。たとえば10年以上前から続けている訓練がある。お手玉に数字や文字を書き込み、それを高く投げ上げて頂点に達した時に読み上げるというもので、動体視力を鍛えるためのものだという。最初は読み取れなかったものの一秒ごとに変わるお手玉を正確に読み上げていた。
別所さんは言う「なんでも諦めないことだと」この他、バランスボールの上で飲み物を飲める練習、左手で箸を持つ練習など、自らトレーニング法を編み出し続けて来た。どうやったら上手くなるか、どうやったら勝てるかを考えてきた。すぐに出来る訳ではないが、積み重ねてやってきたから、こんなことができるようになったと気づく。それを信じてやっているのだという。
2016年2月20日オンリーワン卓球選手権大会
現在、この車いすバスケットボールに対しての国や競技団体からの助成はない。コーチもいない。時間単位の契約で練習場も確保、1回の海外遠征でかかる250万円も、年金の他パートを続けて捻出している。別所さんは言う。恵まれない環境だから負けないという強い気持ちを持つ。条件が悪い程、いろいろと考える。金がないから工夫する。今となって思えば、お金がなかったから良かったのだと振り返る。
常に前を向いて、上手くなることを貫いてきた。今度のパラリンピックでは、新しい技に挑戦のため、腰をひねることもあるという、腰は切除して骨盤の代わりに金属板が入っている。負担がかかるがやるしかないと思っているとのこと。これまで取れなかったメダル。いろんなことをしないと、今のままでは終われない。上の選手を絶対やっつけたいという。
最後に限界はないのですかという質問に、限界はないという。 自分が未完成な部分があるから勝てない。未完成なことに挑戦することで技術がプラスされる。今週まで自分にできることはすべてやったという別所さん。逆境を跳ね返す挑戦はこれから。来週30日に日本を出発し、9月8日に試合が行われる予定だ。
9/25追加
(朝日デジタル記事より)
日本選手最高齢、68歳の別所キミエ(兵庫県障害者スポーツ交流館)が、10日の卓球女子シングルス(車いす)の準々決勝でストレート負けした。過去2大会で越えられなかった「壁」に今大会も阻まれた。「自分の中では、力を全部出せました。けど負けちゃったから、気持ちはスッキリの『ス』ぐらいかな」