黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

勝手な夢

2013年04月02日 15時54分41秒 | ファンタジー

 昨晩は、久しぶりに六時間以上、一度も目を覚まさずに熟睡した。そのような気がしただけかもしれないが。起床後、いつものように冷蔵庫の雑草茶を二口三口飲んでいると、目覚めているのに、脳内に不思議なイメージがいつ終わるともなく、次々と沸いてきた。夢を見ている気分とはまったく違う。過去に一度か二度見た夢の残像を、私の脳髄が、持ち主に了解を取らないで勝手に思い起こしている。その映像は、夢につきものの、理屈で説明できないアブストラクトな部分だけを抽出したもののように感じられた。
 ふと、これらのイメージは昨晩見た夢かもしれないと別の脳で疑ってみた。とすれば、睡眠から覚めて、まだうつらうつらしている最中に、後味がいいか悪いかはともかく、見た夢のほんの一部がずっしりとした塊となって脳内に再現されるはずだ。今朝の現象は、それとまったく違っていた。だいぶ前に一度だけ、同じようなことがあったという気もしないわけではない。と思っているうちに、脳内スクリーンの映像は突然途切れた。きっとほんの十数秒の出来事だったのだろう。
 今朝の勝手に再現される夢の切れ端は、あまりにもつかみどころがなく、文章で具体的に表現できる性質のものではないが、苦し紛れに書いてみる。
 どこかの異次元の空間としか言いようのない、何もない宙ぶらりんのぼやぼやの中に、この世のものでないたくさんの映像が渦巻いている。それは、形がありそうでなく、新しそうで古びていて、終わりがありそうでないもの。言葉や音や色がありそうでなく、楽しそうでいて苦しそうでもあるようなもの。その流れる夢を一時停止してじっくり見たいようで見たくないような、自分自身の影がその映像に紛れ込んでいるようでいないようなもの。非常識のようでそうではない、とらえどころのない映像が一定のスピードでどんどん流れていく。
 これは、真っ昼間に見る夢、いわゆる白昼夢(ディドリーム)とも違う。白昼夢とは、普段、心に抱く強い願望がぼんやりした意識を追いやって、夢の形になって現れるものらしいが、この朝の幻覚には、私の願望や意志などまったく反映されていないのだ。
 一方で齢が齢だけに、得体の知れない不安が交錯する。父母は、二人とも、まったく症状は違ったが認知症だった。自身によってコントロールできない意識の世界がどんどん膨らんでいき、ついには意識すべてをその受動的意識にとって代わられるということがあるのだろうか。なんだか心配だが、当の両親が不幸そうには見えなかったのが、一縷の救いだ。(2013.4.2)

 
コメント
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