キョロッキョロッ・クルックルッと、かわいらしい鳥の声が頭上から降ってきた。その辺りの小枝には、さっき、カラスが止まっていたはずだ。
見上げると、やはりカラスだった。別の鳥の鳴き声をまねしているらしい。
ハトの声かも。今どきのカラスはハトにあこがれている?
寝ぼけ眼のヒトが、ハトの餌をまくかもしれず、あるいは無邪気なハトが夏の虫のように寄ってくるのを期待して?
いや、野生のカラスの鳴き真似は、彼らが進化の階段を一段上った証拠なのでは?
ところで、ヒトはカラス以上に声音を使う。たいがい自己保身のために。始末が悪いのは、影響力のある立場にいながら、歴史観やヒトを見る眼の倒錯したヒトの言動だ。そのような、思い込みの激しい、頼まれもしないのに臆面もなく舞台に立つヒトを、一説には天然ものと言うらしい。この傾向は、最近の政財界や諸外国でも顕著になっている。ただ、破産したり、選挙で負ければ割れた風船みたいにしぼむ。彼らは誇大舌を隠し持っているだけ。
今、話題の「教育勅語」がらみの問題も、おおぼら吹きの戯言。
親を大切に、家族仲よく、危急の場合は皇室救済にはせ参じなさい、などという道徳的、皇室賛美的な訓示のどこがすばらしいのか。儒教的、家父長的な規範なんて、はるか昔の時代に、大陸や半島からやって来た古臭いものだ。この勅語を通じて、王権が微に入り細に入りヒトの生活に干渉し、自由意志を統制しようとしたのは歴史的事実だ。
でも、教育勅語の時代も、一応、帝国憲法下の立憲君主制だったのだから、そんなに目くじら立てなくてもいいんじゃないの?
明治期の立憲君主制とは、本来の意味で立憲と言えるのかどうか。神道を骨格とした国体なので、神道制君主主義というところか。これが明治期の為政者たちの意図したことかどうかわからないが、結果的に、軍部政府は勅語や神道の権威と神聖性を振りかざして、ヒトビトをやすやすと戦争遂行の道具に使った。だからこそ、戦後、これらは、軍国主義を助長した元凶だと徹底批判を浴びせられ、廃棄処分に処せられた。
ところで、ヒト国の現閣僚のほとんどが、この勅語を暗唱してるって知ってた?
えっ! 彼らは、現憲法の根幹、国民主権を認めていないということ!
今、ヒト国で起きている歴史の隠蔽・修正、後戻りは、高見順の「いやな感じ」を超え、気味が悪くてたまらない。ヒトは事実の検証を怠り、個人的な嗜好や感情によって勝手な歴史解釈をする。ヒトの意識とは、この程度の反理性的で脆弱なものだ。
ヒトに個別の意識が芽生えたのは、たかだか三千年前のことだと主張する学者がいる。
つまり、ヒト族が発生してからすでに数百万年にもなるが、それに比べ、ヒトの意識は巣立って間もない幼鳥と同じ。プレシャーがかかるとたちまち錯乱に飲みこまれるのは、未分化の意識のせいだ。その程度なのだから、進化するカラスと遊んでいる方がいい。そのうち歴史主義という夢見の悪い長い夜から、脱出口が見つけられるかもしれない。(2017.3.15)