その時期になると、「えっ、もう1年たったの!」と、時の流れ早さに驚く。昨年の京都のクラス会から過ぎ去りし月々日々が、どんな形をしていたか思い出そうとするのだが、時間の流れが妙に薄っぺらく感じられ、これといったことは浮かばない。思考や行動が弱々しくなったため、それらにまつわる記憶が海馬に届く前に消滅してしまうのだろうか。それともほんとうに何も起きなかったのか。
今回の東京会場はやはり東京らしい高層階にセッティングされた。宴会場の背丈より大きな窓から見える夕暮れの彼方に、均整がとれた富士山のシルエットがそびえる。15名がそろったころには窓外は真っ暗で、東京の街並みは際限なく広くつかみどころがない。ここしばらく会の幹事を仰せつかってきたが、今回からはお役御免。ただ飲んで食って騒ぐだけなので気持ちが軽い。
幹事の開会のあいさつに引き続き、出席者の数分間のスピーチ。私の席順はほぼ最後の方。指名を受けるとおもむろに立ち上がり、この日のために用意した「黒猫との」のソフトカバー本を全員に贈呈した上で、少々お時間を拝借するがご容赦、などと軽口を言いながら、作品紹介のためずいぶん時間をかけた。
N先生からいただいたコメントは次のとおり。
「拾い猫ってのは泣かせるね。こういう小説仕立てができるんだね。ボクは随筆程度は書きたいと思っているが、長年の生業で、史料がない文章は書けないんだよ」
帰りの品川駅は、北海道人みんなが乗り込んでもこんなにならないだろうというくらいの人だかりだった。
クラス会の翌日は、卒寿を迎えた父方の叔母と久しぶりに会った。叔母は末っ子だったからか、祖母から色々な昔話を聞いていた。祖母が駆け落ちして北海道にやってきたと言ったのも、私はこの叔母だと思っていた。しかし、この日、それが聞き違いだったことが判明。エッセイに書いて投稿してしまったのにどうしようと青くなった。叔母が言うには、祖母は祖父と結婚する前、ある人の家に入ったとのこと。いわゆる入籍するところだった? うら若すぎた祖母はその家にいるのが嫌で逃げ帰ったという。
その後、私が今年、タイムマシンなどを使って、江戸時代までさかのぼって調べた家系図をにらみながら、昨日のことのように語る叔母と向かい合い、様々な推理を闘わせた。気がついたら5時間近く経過。
そのときから数日しか過ぎていないのに、食い散らかし飲み呆けたクラス会のことばかりか、叔母と会ったこと、「黒猫との」を連れて本屋巡りしたこと、東山魁夷展、出光美術館「江戸絵画の文雅」に行ったことも、すでに遠いあいまいな世界に漂っている。記憶にとどまらないような行動をしても意味ないじゃん、という指摘は年寄りには酷な話だ。それすらもやらなければ、立ちどころに老いさらばえる。(2018.12.7)
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