師走18日、大学の同じクラスだったOの訃報を聞いたときはあまりのことに茫然自失した。12月1日のクラス会でO本人からの手紙の紹介があったので、リタイア後、大学院で子供より年少の学生たちとともに勇んで研究に励んでいるとばかり思っていた。
私は、大学に1年目だけはまともに通ったものの、その後の3年間、流れ者のように暮らし5年目に復学した。なので、同じ専攻の者らとほとんど交流がなかった。わずかに大学とのつながりを保てたのは、KそしてOのお陰。
年が明けて、在学中のOが語ったことのひとつを思い出した。それは、マルクスを超える学問体系を打ち立てたい、といった内容だった。当時はまだマルクス主義の勢いが盛んなころだったので、とてつもないことを言うヤツだと驚いた反面、彼の志の大きさにちょっと心を打たれたことがありありとよみがえった。
奥様から送られてきたOの最近の論文「太郎冠者」を読んだ。まさしく歴史学を学んだ者の論考だった。Oが取り上げた益田太郎からもそしてO自身からも、誰人もその時代のしがらみから抜け出せないのは重々承知の上だが、できることなら大空に羽ばたいてみたい、破天荒な立ち回りをやってみたいといった願望が、気のせいかもしれないが感じらてならない。
君と30数年ぶりで会った平成20年京都、そして27年熊本のクラス会は何ものにも代えがたい思い出だ。
最後まで毅然として逝った君と出会えたことは誇らしい。ほんとうにありがとう。(2019.1.11)
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