先週、日本画家の東山魁夷の絵画展に行ってきた。メジャーな画家という評判を耳にしているだけで、作品といえば、ぼんやり青みがかったタッチの「道」の絵しか知らない。好きとか嫌いとかの先入観もまったくない。そんな状態で彼の絵を連続して見ていくと、日本の自然景観を主題として究めようとした画家だけあって、思い入れが痛いほど伝わってくる。五感で捉えた対象物から、ここまで無駄を省いて単純化した絵がさまになるというのは、なかなかあるようでない。まるで俳句のような絵だ。
ところが、西欧の景観を描いた絵はまったく違った。主観を抑えて見えるがままに写した、いわゆる写真のようなのだ。そこには、日本を題材にした数々の絵にこめられた自己の魂というものがない。でも私はこちらの方が、肩のこらない安らかな気持ちで鑑賞できた。日本から離れてほっとした気分の東山氏の顔が浮かんだ。
きっと芸術家が道を究めようとするとき、その対象とするテーマに徹底してのめりこむものなのだ。ときには、そこにないものまで見てしまう。そして壁に突き当たり、行きすぎたことを反省してまた戻る。こんな行きつ戻りつを東山氏も繰り返したのかもしれない。
それにしても、今の世に残された様々な芸術作品に触れるのは楽しいものだ。なぜかと考えれば、それらは、自分の思想や感性では到底創造できない、未知の世界へ誘ってくれるからだ。たとえ日本古来から伝わる、能や文楽がわからないからといって、それを無駄だというのは乱暴に過ぎる。そんな権利は誰にもない。(H24.7.31)
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