仏教からでたことわざで、まったく使い道のないこと、持っていても何の役にも
たたないことの意。(髪のないお坊さんは簪をつけることができないことから)
花簪とは、造花で飾ったかんざしのこと。
生きているということは、無駄なものを何かと纏っているもの。
劣等感、いわれなき罪悪感、人を羨んだり比べたり、見栄を張ってみたり、
嫌われないようにと自分の気持ちとは違うことを選んだり。
相手を束縛することで逆に自分の心の自由を無くし、相手に依存することで、
時に慌てたり失望したり。
けれど、そう簡単には「無駄」を捨てられない。
煩悩を捨てよと言われても、日々時間に追われ流され生活していると、
捨てるどころか溜まる一方なんて時もある。
「無駄」を捨てるのにも、今どきは手引書の類の情報が多すぎる。
本屋に行くと、この情報の多さが悩める時代の原因の一つなのではと感じる。
それぞれに自分にあった方法やことばを頼りに、心の解放を探しているわけ
だけど、私はこんなことばで、ふっと楽になることがある。
坊主の花簪。私なりに解釈すると・・。
無駄なことを無駄と知って、ご機嫌に花簪で遊ぶのと、無駄と認めずに、
何とかして花簪を使おうとするのとでは、生き方も違ってくるような気がする。
なかなか「無駄」は捨てられないのだから、無駄を「絶対」と思わず楽しめたら、
きっと何かが変わってくるってことかな。
苦しい時は、お坊さんがきれいな造花の花簪と遊ぶ姿を思い出してみて下さいね。