‘94二人展の時の作品(K様所蔵)
猫になるための修行をする猫はいない。
鳥になりたがるカエルもいない。
でも人間は、自分以外のものになりたがる。
私もこの作品を書いていた頃は、自分の存在する意味を探してばかりいた。
自分で選んで歩いていきたいと思う反面、不安で自信がなくて、どこかで
自分を否定してたのかもしれない。
でも勇気を出してこの二人展をしたことで、自分は自分のままでいいのかなと
少しだけ思えたような気がする。
大事なことは、誰かが私をどう見るかではなくて、私が私とどう向き合うか。
作品にして気持ちを代弁してもらったことで、ちょっとだけそんな風に思えた。
どんなに美しい花が咲いていても、その花を見ようとしない自分からは
きっと何も生まれないんですよね。。。
自分を見ようとしない自分からは、何の進歩も感激も得られないっていうか・・。
人はなぜか、誰かの評価の中で自分の価値を確認してしまうところがある。
私も実は結構、人の何気ないことばを気にしたり、動揺したり。。
作品を創る(自分を生きる)ということは、自分をさらけ出すことでありたいです。
たとえそれが好きじゃない自分の一面であっても、知らなかった自分であっても。
嫌われたっていいって、胸を張って言える作品を創っていけたらなぁ・・・。
猫になるための修行をする猫はいない。
鳥になりたがるカエルもいない。
でも人間は、自分以外のものになりたがる。
私もこの作品を書いていた頃は、自分の存在する意味を探してばかりいた。
自分で選んで歩いていきたいと思う反面、不安で自信がなくて、どこかで
自分を否定してたのかもしれない。
でも勇気を出してこの二人展をしたことで、自分は自分のままでいいのかなと
少しだけ思えたような気がする。
大事なことは、誰かが私をどう見るかではなくて、私が私とどう向き合うか。
作品にして気持ちを代弁してもらったことで、ちょっとだけそんな風に思えた。
どんなに美しい花が咲いていても、その花を見ようとしない自分からは
きっと何も生まれないんですよね。。。
自分を見ようとしない自分からは、何の進歩も感激も得られないっていうか・・。
人はなぜか、誰かの評価の中で自分の価値を確認してしまうところがある。
私も実は結構、人の何気ないことばを気にしたり、動揺したり。。
作品を創る(自分を生きる)ということは、自分をさらけ出すことでありたいです。
たとえそれが好きじゃない自分の一面であっても、知らなかった自分であっても。
嫌われたっていいって、胸を張って言える作品を創っていけたらなぁ・・・。