昨日、そら豆をたくさん食べた。
そら豆は、かなり厚めの重ね着をしている。
外皮のコートなんか、ふかふかでゴワゴワ。
脱いだらすごいんです・・って、皮の山が

そして更に着ている薄皮って、剥く派ですか? 剥かない派ですか?
私はずっと剥いて食べていたけど、いつだったか剥かなくてもいいって
聞いてからは、剥かずに食べている。
そしてふと思った・・

人は、習慣によって動いているってところ多々。
その「習慣」の中にいるのが、自分なんだからって思う部分はあるけれど、
時々、何かを失ったり


そんな風に、変わりたいって思うきっかけは、他動的、受動的
(他に動かされてするさま)だったりするけれど、
自分が変わりたい、変えたいって思わないと、習慣は習性になっていくわけで。
つまり変わる=能動的(自分から他へはたらきかけること)ってこと

だから、たとえば何かを失ったり、痛い思いをしたとき。
同じ場所をぐるぐる後悔するのではなく、失ったり傷ついたことで見つかる
自分を、新しい習慣にできればなぁ・・って、思う

過ぎたことを嘆いているだけでは、習慣は悪習にしかならないから

そら豆を見たら、そういえば・・

まずはひとつ加えてみようと思います。