心の免疫力~書とことばから

もっと暮らしに書やARTを~
雲のように水のように あっけらかんと自在に生きるヒントを
求めて~ by 沙於里

ゲイジュツは波動を起こす行為

2008-05-25 | つれづれ
                  般若心経一節 (割り箸ではがきに)




心無罜礙      心にこだわりなし
無罜礙故      こだわりがない故に
無有恐怖      恐れることがない
遠離一切顚倒夢想  一切の顛倒(錯覚)を夢のように思い描くことを遠ざけて


生きていれば何に出くわすかわからないわけで。
もちろん楽しいことも、残念ながら辛い悲しいことも。

運がいいとか悪いとか、それさえ考えても納得できないこともある。
誰にだって、多かれ少なかれ、人には言えない悩みや心配事や、
どうにもならない現実をひとつふたつは抱えている・・と思う。
もちろんわたしも 

ところで。
ゲイジュツってことばはどこか偉そうで、特別な才能を持った人を
ゲイジュツ家と呼び、遠い高いところにあるものと思われてる気がする。

前にも書いたけど、私はそうは思わない。。
ゲイジュツは、人間一人一人の中にある求めてやまない生きる力を思い出す
きっかけとなる波動を、一人一人が起こす行為だと思う。

ゲイジュツは、形を残すものではなく、またそこに留まるものでもなく。
(形あるものは、「文化遺産」と思っている)
受動的ではなく自発的なものであり、常に現在進行形であり。

かつてアフリカで奴隷制度の中で暮らした人々だって、隠れて歌い踊ることで、
生きる力を失わずにいられたという。

かつてイギリスの占領下だったアイルランドの伝統文化 アイリッシュダンス は、
文化活動が一切禁止された統制の下、窓の外から練習をしている姿が
わからないように、上半身は動かさず足を踏み鳴らすことで親から子へと
受け継がれてきたという。

ちょうど今、そのアイリッシュダンスのグループ リバーダンス が来日中。
(東京は6/15まで公演があるようです)

どんなのか見てみたい方は クリック→ リバーダンス 動画  

そう考えるとゲイジュツは、人間のアイデンティティーを守るための
行為なのかなと思えてくる。

ゲイジュツは、人が心底生きる力を失いかけたとき、より単純で明快で、
ことばや文化や宗教の違いを超えて、心身に浸透していくような
生き物であって欲しいなぁって思う。

ゲイジュツは、平和な時よりも、そうでない時の方がよりパワーを持ち、
役割を果たすような気がする。

やっぱり音楽にはかなわないなぁって思うけど、道具もお金もいらない
人の「思い」というものもゲイジュツになり得るんじゃないかなって思ったりもする。

・・・とツラツラと書きながら、おいおい なんでそんなにゲイジュツに
こだわるんだ?って笑ってる自分もいるけど 

日々迷ってばかりのトホホな私は、もしかしたら、神ではない心の拠り所を
探しているのかもしれないなって、ふと・・。ひとつの気づきをもらいました。

先日、いつもまっすぐな気持ちを届けて下さるラモンさんのコメントから
きっかけを頂いて、今の私なりの拙いひとつの思いです。
ラモンさん。ありがとうございます  !


コメント (2)
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