北海道の山野でとことん遊ぶ!!
I am Amigo!
2016.12.31 3,000回登山達成!
時間があれば登る、チャンスがあれば登る、とにかく登る、登る、登る!
私は難しいことをしてきたわけではない。
体力に任せてガンガン歩くのが好きだった。
無積雪期は登山道のある山に登り、積雪期には主に低山で独自のルートを開拓して楽しんできた。
大学1年生の時に独学で始めた山登り。
学生時代にちょろちょろと登り、卒業後長いブランクがあった。
そして1992年、下の子が小学校3年生のとき、『神居尻山』に登ってみた。
すると私より元気で、先に登られてしまった。
それから年に20回ほど登っていたが、あることをきっかけに、回数にこだわるようになった。
それは当時我が子が夢中になっていたミニバスケットボールの父母会懇親会でのことだつた。
当時山登りをしていた私より5年先輩の父親が、「ボクなんか、年に30回も登ったことあるんだから」と自慢話しを始めた。
それを耳にした私は、正直「年に30回なんてたいしたことない」と感じ、
「じゃあ私も来年30回登ってみますよ」と言うと、
「Aちゃん(私の愛称)、絶対無理だから!」。
この一言が私を発奮させ、今日まで回数にこだわることとなった。
翌年私は年間36回の山登りをし、その後54回、73回と年を追うごとに回数を伸ばした。
そしてそういうことをしているうちに、「これは年間100回は登れるんじゃあないだろうか」と思うようになり、
2000年、年間「100回登山」に挑戦した。
しかし、終わってみれば94回で悔しい思いをした。
ただ、それが良い経験となり、2001年に103回を達成。
それで心に誓った、
「時間があれば登る、チャンスがあれば登る、とにかく登る、登る、登る!」と。
このことは同時に「山登りの最良のトレーニングは、やはり山登り」という私の持論の原点となった。
その後ここまで16年連続で、年間100回以上の山登りを続けてきた。
その中で年間の最多回数は一昨年の273回。
今年は環境が変わったため167回で終えた。
今『ミニ山の会』の中で、Hiromiが私の影響を強く受け、毎年登山回数の目標を設定して取り組んでいる。
そんなHiromiは知り合った3年半前と比べると、考えられないほど変わった。
強く速くなったのだ。
人間努力すれば必ず変われるということの見本みたいなもの。
しかし、60歳を過ぎた私は、色々とセーブするようになった。
いや、セーブする努力をしている。
私の主治医(高校時代の同級生で整形外科医)が言う、
「人間の体は機械と同じで、使えば使うほど寿命が短くなる」と。
特に膝だ。
私の膝の軟骨はかなり減ってきている。
それがいつまでもつのかはわからないが、やめるわけにはいかない山登り。
何もしないで延命するより、やれるだけやり通して終息するときを受け入れることを選ぶ。
従って今後も回数を刻み続けることになる。
私は身体や足を水に濡らして登ることや、藪漕ぎを性格的に好まない。
だから沢登りは必要に迫られた時しかやらないし、ロープを出さなければならないような、危険なところには登らない。
それが着実に回数を重ねていくための条件だと考えている。
難しいが気に入らない山に登るより、同じ時間を何度でも登ったことのある気に入った山に使う方がいい。
そんな気に入った山々には3桁の単位で登ってきた。
すなわち、「好きな(気に入った)山に好きなだけ登る」、
これが私流。
2016.12.31 笑顔の一年
昨日の昼過ぎ、息子一家がやってきた。
息子はアパレル業界に身を置いているため、大晦日も元旦も仕事だ。
いつも思う。
休める人間はとことん休み、休めない人間はいつまでたっても休めない。
しかし、そんな不公平を是正する側の人間が、
とことん休める側の人間である以上、
変えられるはずもなく・・・
我が家は笑顔の絶えない一年だった。
乃々はいつも大声で笑い、
8月に生まれた弟の虎も、目が合うとニッコニコ!
めんこいねえ。
そして抱っこすると、いつしか腕の中で眠ってしまう。
全く警戒心のないあどけなさには心が洗われる思いだ。
そんなかわいい孫たちの笑顔を見てこられた一年に感謝!