北海道の山野でとことん遊ぶ!!
I am Amigo!
2014.10.12 『ピパイロ岳』(1,917m)~『1967m峰』 《回顧録より》
この週末も山に出かけられるのは今日だけだったが、今朝浦臼町で目覚めると、外はごっそりと雪が積もっていた。
それを計ってみると、ちょうど30cmだった。
そうなると、スノーシューは使えずスキーになるが、Hiromiはスキーが苦手で、樹木が混んだところは滑らせられない。
今仕事上で大きな行事を抱えており、絶対に休むことができないのだ。
そんなことを考えているととてもおっくうになり、とうとう完全休養することになってしまった。
まあ、そんな日もあるさぁ・・・
それで今週は私の回顧録の中から、過去に実施した山行の一つを紹介することにする。
Hiromiにとって記念すべき一座である。
尚、文章は当時『ミニ山の会』メンバーに送っていた「山行報告」をそのまま使うことにした。
この三連休は私もHiromiも土曜の午前中が仕事だったので、その午後出かけて移動日とした。
当初は別の山域に出かける予定でいた。
ところが土壇場になって、天候を見越した私の長い経験から引き出された勘が北日高へと誘った。
そして日の短い土曜の夕方、もう暗くなってから上美生の『伏美岳』登山口に入った。
日曜の早朝4時45分スタートで『伏美岳』(1,791m)~『ピパイロ岳』(1,917m)~『1967m峰』を縦走した。
ひじょうに激しく深いアップダウンと、長い歩行距離を歩き通して登山口に戻ったが16時35分。
全行程11時間50分に及ぶ長い山旅であった。
Hiromiは大量の発汗があることから、山中での着替えを2回分用意し、飲料水は3リットルを背負った。
『伏美岳』を越えたところで最初の着替えをし、
ぐっしょりと汗を吸って重い衣類と飲料水1リットルはハイマツの根元にデポして先に進んだ。
『伏美岳』~『ピパイロ岳』間の最低標高まで下ったあとは、『ピパイロ岳』頂上に向かって長い急登の連続だ。
このあたりから解け切らぬ積雪が、ツルツルの登山道を更に危ういものにし、なかなか前に進めない。
おまけに笹やハイマツの上に積もった雪が登山道を覆い、下半身をベチャベチャにしてくれる。
四苦八苦しながらも4時間半で『ピパイロ岳』頂上に立った。
登山道の条件が良ければ、もう15分ほどは縮まっただろう。
『ピパイロ岳』頂上に立ったが、普通の健脚者ならここで来し方に広がる『伏美岳』への復路を見て、容易に想像がつく帰路の辛さを噛み締めて引き返すところだが、私の登山は違う。
HIromiの体調を十分確認した上で、更に先へと歩を進める。
『ピパイロ岳』がもつ長い頂稜の北西側のピークである『1911mP』を経て、更にその先の『1967m峰』まで行ってくるのだ。
苦労してようやく登りきった『ピパイロ岳』頂上から見るその距離はあまりにも長い。
しかし、天候はあくまでも「先に進め」と言うがごとく素晴らしく、Hiromiに『1967m峰』に立たせてこその勲章だ。
それでも『1911mP』に立ち、『1967m峰』を眼前にして再度体調を確認。
大丈夫、はっきり言って私より元気だ。
GO!
『1911P』からはハイマツが少し濃くなる。
そのハイマツにまたもこびりついた雪が邪魔をし、なかなか速くは歩けない。
このハイマツ漕ぎで私下半身のあちこちに傷を負った。
それは裕美も同じで、下山後の入浴で複数のあざに気付いたそうだ。
『1967m峰』も最後は長い急登で、きついきつい。
そして登山口をスタートして6時間10分後、岳人あこがれの『1967m峰』の頂上に立った。
この『1967m峰』だが、日高山脈第三の高峰でありながら、経験豊富な登山愛好家以外あまり人に知られていない。
それは日帰り登山の対象となっていないため、ガイドブックで紹介されることがないからにほかならない。
しかし素晴らしい山で、特に『ルベシベ山』や『チロロ岳』から見る姿が鋭角でカッコいい。
『1967m峰』で軽食を口にしたあと、速やかに復路の行程に入った。
復路も往路の深くきついアップダウンを、同じだけ繰り返していかなければならないため、6時間をみなければならない。
素晴らしい大パノラマを目にしながら淡々と歩を進めるが、往路で疲れきった下半身は一歩一歩が重ダルく辛い。
スピードはがた落ちだ。
特に最後の登りである『伏美岳』への登り返しがきつくてきつくて、辛くて辛くて・・・
私はHiromiと知り合ってから、常にスピード登山を心がけるように指導してきた。
それは今回のような行程を想定してのことだった。
日帰り装備でどこまで行ってこられるか?
人が山中一泊ないし二泊でなければ行ってこられない山に日帰りで登ってくる。
これが私のやってきたことであり、裕美にもそれを会得させたかった。
これで裕美は5月の増毛山地『奥徳富岳』~『群別岳』~『幌天狗』に続き、“女性健脚者”としての称号をモノにしたことになる。
人間目標を定めて努力すれば、必ず報われるということを証明してくれたようなもの。
裕美、よく頑張った!
2016.1.24 『分監山』(460m)
この週末は、今日だけの山行だ。
昨日の時点で天気予報がパッとしないので、車を走らせ40分ほどで行ける月形の『分監山』に登ることと決めていた。
それで昨夜はToshiと二人、「サイゼリヤ新札幌店」でワインをたらふく飲みながら、秘密の話しに興じた。
「サイゼリヤ」ではマグナム(1.5ℓ イタリアワイン)の白を2本飲んだのだが、お利口さんなToshiは抑えながら飲めるのに対し、
バカな私はそれができず、飲みすぎて二日酔いだ。
マグナムは一人で一本飲むのがちょうど良い量で、翌日もほとんど残らない。
『分監山』とは、樺戸山地最南端に位置する低山。
江別方面から走っていくと、わりと遠くからでも山容が確認できる。
そしてその標高からもお察しいただけるように、短時間で登れるため、天候が悪いか時間がないときにしか登ってこなかった。
今日もそんな期待薄の中の登行を予測し、「曇りでもいいから雪さえふらなきゃな」程度の思いで向かったものだ。
ところが車を走らせるほどに天候が良くなり、それがまた登るほどに良くなっていくではないか。
先週に続き、今週も天気予報が大外れだ
ホント、天気予報の当たる確率って、いったい何パーセントだぁ!?
9時5分、田園地帯の中の駐車地をスタート。
驚いたことにトレースが刻まれていた。
それも結構な人数で歩いたトレースだ。
これは二日酔いの体にはラッキーだった。
大変楽をさせていただくことになった。
昨日この山に登られた方々に感謝!
前述のような理由から、あまり天候が良くない時にしか登らなかったこの山の魅力を、今日は余すことなく見せつけられた。
「天気がいいとこんなに美しいのかい!?」と、山に語りかけたくなるような・・・
登るほどに見渡せる田園地帯の風景がまた美しい。
北海道らしい広さを感じさせてくれる。
頂上付近の風景も荒々しくていい。
更にその奥に見える樺戸山地の山々が、これまた「美」!
10時20分、頂上着。
このくらいの運動量では、朝食に食べたどんぶり一杯山盛りのご飯を消費すことができず、何も口にしないで、とにかく景色を楽しみながら下山を開始した。
薄い新雪の下には多少固い層があり、傾斜がきついところはスノーシューを滑らせてくれる。
Hiromiも快調に下ったが、動きがぎこちなくロボットのよう。
そして鼻には今日も二本の鼻水が、しっかりと流れ落ちていた。
11時10分、駐車地着。
短い行程ではあったが、心に深く刻まれる素晴らしい山行であった。
また、あらためて思うが、どんな山でも一度晴れた日に登ってみなくてはダメだ。
その山の魅力を測ることができない。
山は晴れりゃあ100倍楽しい!
2016.1.16 『鬼首山』(644m)
この週末は土曜日だけの山行だ。
「山は晴れりゃあ100倍楽しい!」
それを今日も体験した。
昨日の帰宅後Hiromiを拾って夕張へ。
天気予報によると、どこもここもパッとしない予報なので、久しぶりに近場の『鬼首山』に登ることにした。
20時近くに夕張市沼ノ沢地区の夕張川に沿う農道隅に到着。
空は満天の星。
ひどく冷えており、本州仕様のディーゼル車はエンジンをかけっぱなしでもだんだん水温計の針が下がっていく。
そう、寝るまでエンジンはかけっぱなし。
軽油は85円/ℓまで下がってくれた。
そして今朝起きると車内の4ℓボトルに入れた水道水が凍っていた。
標高そのものが高い夕張は、-20度くらいまで下がっていたと思われる。
早朝かけたエンジンが重かった。
7時20分、スノーシューでスタート。
スタート地点の雪が少ないので先行きを案じたが、樹林帯に入ってもスムーズに歩を進めることができた。
ここは笹の背丈が低い上に密度も低い。
麓から眺めると、頂上はすぐ目の前に見えるのだが、いざ登ってみるとなかなかその奥行が深く、山の懐の深さを感ずる。
9時、頂上に続く稜線への最後の急登にかかった。
私はシカの踏み跡をたどって難なく稜線に上がったのだが、Hiromiがここで苦戦を強いられた。
一度稜線近くまで登って、「ああ~っ!」という声とともに、ザザーッと滑り落ちる。
気温が低いので、雪はサラサラだ。
確かに当初からこの最後の登りを気にかけてはいた。
そして二度目の挑戦。
「あっ!」 → ザザーッ!
「もう登れない!」、「何を言っとるの?」
三度目。
「ああ、あーっ!」 → ザザーッ!!
「もーっ! いやだーっ!! テェッ!!」
「スノーシューを外してツボで登れ」。
それでスノーシューを外したものの、それを片手に持って登り始めた。
とーぜん登れるわけがない。
「お前よ、両手ストックで登れなかったものが、片手ストックでどうや
って登るのよ!?」
それでようやくスノーシューをザックにくくりつけて登行。
すると難なく登れる。
どうもHromiは手間をかけることを面倒くさがる。
そしてその悪い癖がなかなか抜けない。
「学習しろ!」
稜線に上がってからは快適な歩行を楽しめる。
ただ、この辺りはエゾシカの楽園でフンも多いため、それには注意を払う。
9時40分、頂上着。
素晴らしい天気、眺め。
天気予報では「雪時々曇り」。
ところが夕張はほぼ快晴だ。
いつも不思議でならないのだが、この時代気象衛星なるものを莫大な費用をかけて宇宙空間に打ち上げ、いつも上空から雲の動きを観察し続けているのに、どうしてこうも予報の精度が悪いのか?
今回は良い方に外れてくれたから良いが、逆のことも多々有り、その度に苦虫を噛む。
11時、駐車地着。
いやあ、思いがけなく期待をはるかに超える楽しい山行となった。
山は晴れりゃあ100倍楽しい!
2016.1.11 『0の山』(743m)
三連休最終日は午前4時半起床予定だった。
ところが、化粧だ、コンタクトレンズだと時間がかかるHiromiが、珍しく気を遣って二階から降りてきた。
時計を見ると4時。
ログハウス内の階段を降りる音で目が覚め、「いっそ起きちゃおうかなあ」と思い、ベッドの掛け布団をよけた途端、Toshiが飛び起きた!
「起きますか!」
ふだんから早朝に目が覚めると眠れなくなるToshiは、私に遠慮して起き出したい気持ちをこらえていたんだろう。
けばこの夜は1時半に目が覚めてから眠れなかったそうだ。
歳をとると体力が減退して長く眠れないと言うが、Toshiも歳かねえ・・・(ダジャレではないよ~)
聞
準備でき次第スタートということにしており、それはあくまでもHiromiのペースに合わせてのことだった。
ところがこの朝足を引っ張ったのは私。
デジカメが見つからない。
慌てて探すもどこにもない!
前夜レストランから戻って写真を撮っているのだから、コテージの、しかもリビングルームにあることは間違いない。
しかし、イライラして探すも見つからず。
「Toshi、先に行ってくれ。夜明けに間に合わなかったら困る」。
「わっかりましたぁ。じゃあHiromiちゃん行くかい」。
二人がスタートした後も探す、探す、探す・・・
そして気付いた。
前夜、翌早朝デジカメを忘れては大変と、ザックのカメラケースに入れておいたのだ。
いやあ、几帳面すぎるのも困ったもんだ~
そして慌てて二人を追いかけたものだから、ヘッドランプを忘れた。
コテージの前は街灯の明かりで明るかったのだ。
暗いところまで歩いて気がついたものだから、もう引き返している暇はなく・・・
真っ暗!
正に森林の中は漆黒の闇だ。
二人のトレースに沿って歩くのだが、そのトレースさえ全く見えず、深雪につまずいて速く歩けない。
トレースを失する場面もあり、文字通り四苦八苦。
頂上に到着すると、二人が寒さに耐えながら夜明けを待っていた。
今回の目的は『0の山』から見る朝日に染まった『夕張岳』を撮ること。
このブログ内写真の『夕張岳』は、2年前の2月に私が撮ったもの。
これを見てからToshiが、自分の一眼レフで撮ってみたいと思い続けてきたものだ。
しかし残念!
頂上から見る『夕張岳』方向は雲の中に有り、とても晴れそうにない。
そして二人の寒さが厳しくなったところで、夜明けを待たずして下山開始。
途中で完全に夜が明けた。
山登りをしてからの朝飯はうまい!
前夜と同じレストランでの朝食。
私は覚えていなかったが、ご飯を茶碗で5杯食べたようだ。
Toshiが3杯でHiromiが1杯半だった。
二人合わせても61歳の私より食べないんだからなあ・・・
うまかった~
Hiromiは眠くて、居眠りしながら・・・
9時、満足感いっぱいで「ラーチ」をあとにした。
来年の1月三連休のコテージ予約を忘れずに・・・
2016.1.10 『新年会』
『ミニ山の会』の「新年会」だ。
金山湖のホテル「ラーチ」は我々のお気に入り。
昨年もここで一泊して「新年会」を楽しんだ。
まあ、「新年会」とは言っても、たった3人だけだから身軽だし、気楽なもんだ。
そして今回はホテル棟ではなく、コテージを借りた。
このコテージがまた立派で、豪華なログハウスに広いリビングルームとダイニングキッチン。
その他寝室が1階と2階に3室。
それらに合計8台のベッドが設置されている。
いつも私と二人、狭い車内空間で車中泊を続けながら山登りを続けるHiromiも、この日は大喜びで一人2階の部屋を占領した。
私とToshiが1階で同室だ。
そんな豪華なコテージに宿泊して、夕食はホテルのレストランでフランス料理。
これで料金が8,640円/一人也。
安い!
実はこのコテージ、昨年も宿泊しようと申し込んだのだが、既に空いていなかった。
それで一年前に宿泊したときに、今年の予約を入れておいたのだ。
コテージに着いてまずは入浴。
「ラーチ」には入浴施設がないため、車ですぐ近くの「金山湖保養施設」へ湯を求めに行く。
それが少々おっくうではある。
体が温まったあとは、夕食まで少々時間があったので、素晴らしいコテージで、
「かんぱーいっ!!」
缶ビールは外の雪に放り出しておいたので、ギンギンに冷えている。
そしてToshiと二缶ずつ飲んだところで、ちょうど時間となり、ホテルのレストランへ。
そこで再び、いや、正式に「かんぱ~いっ!」
思えば一昨年の「新年会」ではToshiが酔いつぶれて寝てしまい、昨年は私が寝てしまった。
だからセーブして、美味しいフランス料理をいただきながら、Toshiと二人でワイン2本だけ空けてコテージに戻って二次会だ。
バカッ話しをしたり、『ミニ山の会』のアルバムを二人に見せているうちに皆眠気がきて、10時には就寝だ。
翌朝は早い。
2016.1.10 『954mピーク』(狩勝峠)
今回の三連休は初日の土曜日が出勤日だったので、中日の10日(日)の朝8時、ToshiとHiromiを乗せて狩勝峠へ向かった。
昨年の同時期同様、金山湖のホテル「ラーチ」で一泊し、「新年会」をすることにしていた。
天気予報によると、日曜日はどこもぱっとせず、いつも晴天予報の確率が高い十勝でさえせいぜい曇程度で、太陽は拝めそうにない予報だった。
ところがトマムから国道38号線に出る辺りで青空が見え出し、気分を高揚させる。
狩勝峠を車で走っていると、北側に国道とほぼ並行して連なる山並みが見える。
その姿は美しく、大いに登行意欲をかきたてられるものだ。
私自身、そんな思いから数年前この山域に足を踏み入れた。
10時45分、国道脇の駐車スペースから北の稜線に向かって入山した。
この駐車スペースからは南側の『狩勝山』(985m)も近い。
スタートしてすぐ、ペイユルシエペ川の渡渉となる。
もっと積雪が多い時期だとスノーブリッジが架かり、それを利用して渡渉できるのだが、今回は水に足を入れなければならなかった。
但し水量は少なく、浅瀬もあるので靴中を濡らすことはない。
渡渉が終わるとすぐに稜線への急な登行が始まる。
今回はギリギリセーフだったが、この稜
線までの登りは笹の海であり、もっと少ない積雪の時にスキーが笹の中に潜って登れなかったことがある。
カラ松林を抜けると、背中に『狩勝山』の鋭角で美しい姿が見えてくる。
その後はほとんど常に『狩勝山』を背にして歩くことになる。
11時45分、稜線上に出た。
稜線上に出ると進路を東に向ける。
美しい稜線は新雪を蓄えて、スノーシュー歩行のスピードを鈍らせる。
ラッセルを交代しながら徐々に高度を上げていく。
私は『954mP』の長い登りで振り返る景色が大好きだ。
アップダウンがはっきり見て取れる稜線は美しく、西から北へと向きを変えて続いて行く。
そして今度は西に向かって歩いてみようという思いが湧き上がる。
13時5分、『954mP』着。
ただその前に、すぐ先の『948mP』まで行って折り返した。
この『948mP』を越えて小ピークを過ぎて行くと、大きなアップダウンを越えて『桜山』(949m)に至る。
『桜山』は、夏道で狩勝峠頂上から『佐幌岳』を往復したことがある方ならお分かりいただけると思う。
過去の登行ではこの『桜山』まで行き、そこから直接西側の平地に下って、駐車地を起点にちょうど一周するトレースを刻んだのだが、今回は積雪状態を見て、『954mP』折り返しとした。
『954mP』で昼食を摂り、登ってきた稜線をトボトボと下る。
登りで刻んできたトレースは、強風に吹き寄せられた雪が殆どを埋め尽くして消えていた。
最後にまたスノーシューを外して渡渉をし、
14時20分、駐車地着。
たいして良くない天気予報の中、上々の山行ができたことに感謝し、金山湖へと向かった。
2016.1.3 『風不死岳・北尾根』(1,103m)
正月休み最終日の3日は、『風不死岳』登山口で目覚めた。
そして急きょこの朝Toshiと合流することにしていた。
Toshiは毎年恒例の実家巡りを終えて、この日が登り初めだ。
予定の8時を少し過ぎたあたりで現れたのだが、車で右往左往しているのが少し高い位置にある登山口から見て取れた。
駐車スペースが見つからないのだ。
私のハイエースは問題なく登山口まで入ることができたのだが、Toshiの新車「Levorg」は車高が低いため、腹がつかえて入れないという。
登山口から少し離れた駐車スペースもダメ。
昨日はそこに乗用車が3台止まっていたのにだ。
車を駐車できないならどうしようもない。
私が『紋別岳』に行くよう勧めると、Toshiもそう思っていたようで、パッと切り替えて去っていった。
支笏湖一帯も雪が少ない。
ハイエースで『風不死岳』の登山口に入ることができること自体不思議だ。
「山は晴れると100倍楽しい!」
今日はそれを証明できるような、素晴らしい山行となった。
正直、正月休みの最後に好天に恵まれ、「ホッ・・・」
8時20分、スノーシューでスタート。
前日数名が登ったと思われるトレースが夏道に沿って付けられており、これには助けられた。
雪が少ないため、周りは背の高い笹がむき出しだ。
夏道がなければとても登れる状態ではない。
しかしその夏道に沿ったトレースがしっかりと締まり、6合目付近まではツボ足でも十分歩ける状態だった。
その後は吹き溜まりが続き、さらさらとした雪がスノーシューを滑らせて、なかなか前に進めない。
6合目からの急登は随分時間を費やした。
そして8合目にさしかかり、更にルートが傾斜を増し、細尾根になった頃、突然Hiromiが「手が痛い!」と言い出した。
手の指先が冷えて凍えているのだ。
Hiromiは普段から手が冷たく、私と知り合って冬山に足を踏み入れるようになってから、随分手袋のことで試行錯誤を繰り返してきた。
それでしばらくは何事もなかったのだが、久しぶりに冬山らしい山行で勝手が違ったようだ。
放っておいては凍傷になりかねないので、下山を決意した。
しかし、すぐ先の頂上付近は青空が広がっている。
悔しいが仕方がない。
と、下山を開始しようとしたところ、「もう少し登ってみる」と言い出した。
その言葉にのせられて登行を再開。
Hiromiの様子を伺いながら、一歩一歩歩を進める。
尾根は狭く、固く締まった雪面は滑る。
決して気を抜けない緊迫した場面が続く。
ところが、そんな緊迫感が良かったのか、Hiromiの手に熱が戻ってきたよう。
9合目で確認しても「大丈夫」。
なんだかんだと言いながら、結局頂上へ。
10時30分、頂上着。
そこには素晴らしい世界が広がっていた。
眼下に見下ろすサファイアブルーの支笏湖はどこまでも美しく、南の『樽前山』は実に雄大だ。
そんな絶景を目にし、Hiromiはもう痛んだ手のことなんか忘れている。
それにどういうわけか、頂上に着いた途端、それまで吹き荒れていた強風が治まった。
Hiromiが頑張ったご褒美かな? と思えなくもない出来事だった。
「山は晴れると100倍楽しい!」。
この三日間でそのことをあらためて感ぜずにはいられない。
下山はツボ足やスノーシューでただ淡々と下り、
12時ちょうど、登山口着。
いやあ、連休の最後に晴天はいい。
終わりよければ全て良し。
二人して大満足感を胸に、『風不死岳・北尾根』登山口をあとにした。
2016.1.2 『有珠山』(737m)
元旦の夜は、『有珠山』登山口近くで車中泊とした。
2日の明け方、雨が車の屋根をたたく音で目が覚めた。
「こりゃダメだぁ」と思い、再び寝入って、目が覚めると、既に8時を過ぎていた。
ゆっくり起きることは予定通りであったが、その時刻まで寝込んだ自分に驚いた。
そしてHiromiは何事もなかったように、いつまでも眠り続ける。
9時50分、登山口をスタート。
雪がわずかしか積もっていないので、スノーシューを背負い、ツボ足で登った。
11時ちょうど、火口源展望台着。
心配していた展望がまだきいて、北側の外輪山が見えている。
すぐに火口原に降り立ち、スノーシューをデポ。
ツボ足のまま火口原を縦断して北の外輪山に取り付くことにした。
ところが、スノーシューをデポして歩き出した途端、雪が降り出し、風が強くなった。
更に強風に運ばれて入り込んだ濃いガスに辺りの視界が一気に閉ざされてしまった。
湿った雪の吹雪はみるみるアウターやザックを濡らす。
「Hiromi、やめるべや」、「ハイっ」。
撤退だ。
天気予報に従い、雲が多いから低山を目指しているのだが、願いは届かなかった。
山は晴れてりゃ100倍楽しいが、天候が悪けりゃ100分の1だ。
南の外輪山に戻り、高い気温に緩み、ツルツル滑る雪を踏みしめてゆっくり下山した。
上部では湿った雪だったが、駐車地に戻ると雨に変わった。
まあ、こんな日もあるさあ・・・
2016.1.1 『伊達紋別岳』(715m)
あけましておめでとうございます。
『ミニ山の会』より、謹んで新年のご挨拶を申し上げます。
元旦の朝8時に孫のNonoが帰った後、10時にHiromiを迎えに行き、伊達に向かって車を走らせた。
途中支笏湖にて短時間で登れる『モーラップ山』に寄ることにしていた。
ところが雪が少ない。
先月訪れた時と、積雪量が何も変わっていない。
あきらめて『伊達紋別岳』に向かった。
伊達は更に雪が少ない。
「太陽の里」登山口からツボ足だ。
多少の積雪量の中、登山者が多いので、ツボ足が可能と読んで、荷物なしの登行としたが、正解であった。
ただ、時間切れで『前紋別岳』までとし、即下山。
伊達市内一帯の除雪状況がわからなかったので、この日の車中泊場所を、明るいうちに決めたかった。
『有珠山』の麓を目指す途中で「伊達温泉」に寄ったが、私はここが好きではない。
脱衣場が狭いし、全体的に汚い。
そしていつも混んでいる。
いつも「もう来ないぞ」と思うのだが、寄らざるを得ない時がある。
しかし、また思う。
もう二度と行きたくないと。
2016.1.1 乃々と過ごす年越し
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
昨日31日の朝、乃々を迎えに行った。
乃々の両親(息子夫婦)は揃ってアパレル関係の仕事に就いているため、大晦日も元旦も仕事だ。
それで乃々を預かり、夜我が家で合流することにしていた。
我が家に連れてきた乃々は、早速ババが一生懸命作ったリカちゃん人形の着せ替え洋服を手に、あれこれ楽しんだ。
そんな様子を見ているだけで眠くなる私。
とにかく乃々といるだけで、生気を吸い取られるように眠くなる。
そんな中、入院ごっこをして私が自分のベッドに寝て、眠り込んでしまった隙に顔中にバンソウコウを貼られてしまい、起きて唖然・・・
夕方近くになって乃々を外へ連れ出し、ソリ遊びをした。
大きくなって心配なく乗せられるようになったと思いきや、急斜面でジャンプして転倒。
右脚のひざ下辺りを痛めてしまい、あえなく帰宅。
それからがまた長い。
娘、Reiの到着を、今か今かと首を長くして待つ乃々。
「Reiちゃんおそいねえ・・・」。
そんな娘は8時を過ぎてようやく到着。
乃々の喜びが頂点に達した。
そして9時近くになって、仕事を終えた息子夫婦がやって来た。
これでようやく全員揃い、「かんぱ~いっ!!」。
しかしながら、翌元旦も仕事の息子は、そうそう遅くまで起きているわけにも行かず、11時半前には就寝した。
今朝は恒例の雑煮で2016年のスタートを切った。
我が家の雑煮は6年前に他界した私の母のものを、そのまま我が女房が引き継いでくれた。
餅を食べるより、具沢山で、それを楽しむ方だ。
そんな朝食を終え、8時を回った頃、息子家族が帰っていった。
さて、私も本来の行動に移るかな・・・