「科博は楽しい♪ でも、やかましい(その1)」のつづきです。
国立科学博物館(科博)で開催中の「飛べ! 100年の夢 空と宇宙展」は、1910年12月に日本初の動力飛行が行われてから今年が100周年、ということで、「100年以上にわたって空や宇宙へと挑む日本人の姿や科学技術の夢と力、そして未来への展望を示す」もの。
「日本初の動力飛行」とは、何とも言い訳めいた表現ですが、要は、1910年12月以前は、気球で空に昇るしかなくて、搭載したエンジンでプロペラを廻して空を飛ぶ、いわゆる飛行機が初めて日本の空を舞ったのが1910年12月だったということです。
1910年12月14日に日野熊蔵大尉のハンス グラーデ機が、同19日に日野大尉のハンス グラーデ機と徳川好敏大尉のアンリ フォルマン機が代々木練兵場から飛び立ったのだそうな。
下の写真は、所沢航空発祥記念館(記事はこちら)で観た「飛行場(所沢飛行場)での日本初飛行のジオラマ」(飛行機はアンリ フォルマン機)。
よくできてます
ここで不思議なことがあります。「日本初飛行」の名誉が、どうして日野大尉だけではなく徳川大尉にも与えられているのかということです。
実は、1910年12月14日の日野大尉の「初飛行」は、地上滑走試験の最中についつい飛んでしまった
のだそうな。この瞬間、代々木練兵場に集まっていた関係者は固まってしまった
ことでしょうねぇ。機上の日野大尉の気持ちやいかに…
右の写真は、「日本初の動力飛行」を成功させた両機のプロペラです。左がハンス グラーデ機、右がアンリ フォルマン機のもの。
どちらも、カヌーのパドルみたい…。
ここで一気に時代は30年ほど進んで、この図面にほげぇ~
レイアウトの都合上、小さな写真ですみません。クリックすると大きなサイズで見られます。
それはともかく、この図面は空冷2列星形18気筒(水泳の飛び込み競技を連想する響き…)エンジン「中島 ハ-45 誉(ほまれ)」のもの。
あんまりステキなので、同じエンジンの別の図面を大きくして載せてしまいましょう。
上にリンクを貼ったWikipediaの記述によれば、このエンジン、高品質の資材と高度な加工精度、そして高品質の燃料使用を前提とした設計で、太平洋戦争末期の日本の事情からすれば、完全にオーバークオリティだったようです。
ちなみに、「中島 ハ-45 誉」の設計主任だった中島飛行機の中川良一さんは、終戦後、富士精密工業⇒プリンス自動車工業⇒日産自動車と、転職していないのに所属企業(名)が変わりながら、自動車工業の発展に尽くされたのでありました。
この「中島 ハ-45 誉」の図面の隣には、ゼロ戦(零式艦上戦闘機)などに使われた同じく中島製「栄21型・ハ-115型エンジン」が展示されていました(右の写真です)。
このエンジンは初期型の「栄12型・ハ-25型」エンジンを、中川さんが改良設計してパワーアップしたものだそうで、これが「中島 ハ-45 誉」につながっていきます。
それにしても、保存状態が良くて、とても60年以上も前に造られたものとは思えません。
う~ん、、、、うちに1基欲しいゾ
飛行機の展示は、スペースと現物の大きさとの関係から、ほとんどが模型でした(科博の常設展示にはゼロ戦の現物があります)。
でも、模型でも楽しいんだな、これが…
戦前の軍用機とか(右手前がゼロ戦と栄エンジン)、
YS-11とか…。
ところで、科博はYS-11(量産1号機)を動体保存(飛べるような状態で保存)しています。
そのYS-11が11月20~21日の両日、羽田空港で一般公開されるそうな。
両日で4回、合計180名限定だそうで、今、希望者を募集しています。興味のある方は、こちらをご参照の上、応募されたらいかがでしょうか?
どうやらこの公開、今年春の「事業仕分け第2弾」での「もっと一般公開して保管価値を高めるなどの努力をどうしてしないのか(蓮舫参議院議員)」といった指摘を受けてのもののようです。
「飛べ! 100年の夢 空と宇宙展」の「飛行機編」はまだつづきますが、きょうはこの辺で…。
つづき:2010/11/03 科博は楽しい♪ でも、やかましい(その3)