新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

古墳に興奮!(その1)

2010-11-24 06:13:06 | 美術館・博物館・アート

きのう、午前中に雨が上がったことから、クルマおでかけしてきました。
でかけた先はこちら。

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埼玉県行田市埼玉(さきたま)と、何ともややこしいというかくどい地名(「神奈川県横浜市神奈川区神奈川」よりはましかも…)の場所にある「さきたま古墳公園」です。
5~6世紀につくられた大型古墳が群れをなしている埼玉(さきたま)古墳群を公園にしたところ。

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これまで、奈良~大阪南部の古墳群を飛行機から眺めたことや、去年の暮れに奈良・西ノ京で垂仁天皇陵(垂仁天皇菅原伏見東凌:すがわらのふしみのひがしのみささぎ)を間近に見たことがありました(記事はこちら)が、今回はハンパなく近くから見る、いやいや、古墳に触ることも、昇ることも、中に入ることだってできました。

埼玉県立さきたま史跡の博物館の展示ともども、楽しむことができましたゾ

ということで、埼玉古墳群さきたま史跡の博物館の訪問記を始めましょう。

瓦塚(かわらづか)古墳

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さきたま史跡の博物館のすぐ手前にある古墳で、6世紀前半のもの(全長73m)だそうな。

きのう最初に見た古墳がこちらで、後円部ぎりぎりまで民家の敷地が迫っていることや、むちゃくちゃ接近できることにビックリでした(これはまだまだ序の口だった…)。

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101124_1_x1手前の「出っぱり」は、前方部と後円部をつなぐくびれの左側に突き出している部分で、「造出し(つくりだし)」と言われるもので、埋葬の儀式を行うための場所という見方があるそうです。これまで私は、前方後円墳といえば、右の図をイメージしていたのですが、左右対称ではないのですねぇ。
勉強になります。

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きれいに色づいた木々の下を通っていきますと登場したのが、

奥の山古墳

6世紀中頃のもの(全長70m)だそうで、現在、発掘調査と堀の復原整備が行われている最中とのこと。

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くびれ」に沿って遊歩道もカーブを描いているのが、なんとも微笑ましい

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ここから後円部の上にあたるを抜けると、

鉄砲山古墳

6世紀後半のもの(全長109m)で、名前の由来は、この古墳の周辺一帯が江戸時代に忍(おし)藩の砲術練習所だったことだそうです。

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自転車に乗った警備員さんが巡回されていきました。
雨が上がってよかったですね、警備員さん

石材屋さんの敷地の横を抜け、県道を渡ると、武蔵国(埼玉&東京のほぼ全域+神奈川東部)で最大の規模を誇る前方後円墳

二子山古墳

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武蔵国最大ということは、当然ながら埼玉古墳群でも最大(全長138m)の前方後円墳です。6世紀初頭前後につくられたものとか。

二重の堀に囲まれていて、現在は水堀になっている内堀は、造営当時には水が張られていなかったと見られているのだそうな。ちなみに外堀は、花菖蒲畑になっているようです(私は稲の切り株かと思った…)。初夏に来れば、ずいぶんと趣が違うことでしょうなぁ。

二子山古墳」の名前の由来は、前方部と後円部がそれぞれ「」に見えたからだとか…。単純です。

私なんぞが心配しても仕方のないことですが、水に浸かったままになっている古墳の周縁部は、崩れたりしないのでしょうか?
よくよく見ると、周縁部が水でえぐられているようなんですけれど…(格好の休み場所にしている鳥には好都合かも…)

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と、ここで私の目に飛び込んできたのは、

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なんだか派手な古墳 縁にプチプチと何かが並んでいます

もしかして「プチプチ」は埴輪か?

と、気分を高めたところで、きょうのところはこれでお終いでございます。
すまんこってす…。m(_ _)m

つづき:2010/11/25 古墳に興奮!(その2)

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