きのう、午前中に雨が上がったことから、クルマ
でおでかけしてきました。
でかけた先はこちら。
埼玉県行田市埼玉(さきたま)と、何ともややこしいというかくどい地名(「神奈川県横浜市神奈川区神奈川」よりはましかも…)の場所にある「さきたま古墳公園」です。
5~6世紀につくられた大型古墳が群れをなしている埼玉(さきたま)古墳群を公園にしたところ。
これまで、奈良~大阪南部の古墳群を飛行機から眺めたことや、去年の暮れに奈良・西ノ京で垂仁天皇陵(垂仁天皇菅原伏見東凌:すがわらのふしみのひがしのみささぎ)を間近に見たことがありました(記事はこちら)が、今回はハンパなく近くから見る、いやいや、古墳に触ることも、昇ることも、中に入る
ことだってできました。
埼玉県立さきたま史跡の博物館の展示ともども、楽しむことができましたゾ
ということで、埼玉古墳群とさきたま史跡の博物館の訪問記を始めましょう。
さきたま史跡の博物館のすぐ手前にある古墳で、6世紀前半のもの(全長73m)だそうな。
きのう最初に見た古墳がこちらで、後円部ぎりぎりまで民家の敷地が迫っていることや、むちゃくちゃ接近できることにビックリでした(これはまだまだ序の口だった…)。
手前の「出っぱり」は、前方部と後円部をつなぐくびれの左側に突き出している部分で、「造出し(つくりだし)」と言われるもので、埋葬の儀式を行うための場所という見方があるそうです。これまで私は、前方後円墳といえば、右の図をイメージしていたのですが、左右対称ではないのですねぇ。
勉強になります。
きれいに色づいた木々の下を通っていきますと登場したのが、
6世紀中頃のもの(全長70m)だそうで、現在、発掘調査と堀の復原整備が行われている最中とのこと。
「くびれ」に沿って遊歩道もカーブを描いているのが、なんとも微笑ましい
ここから後円部の上にあたる林を抜けると、
6世紀後半のもの(全長109m)で、名前の由来は、この古墳の周辺一帯が江戸時代に忍(おし)藩の砲術練習所だったことだそうです。
自転車に乗った警備員さんが巡回されていきました。
雨が上がってよかったですね、警備員さん
石材屋さんの敷地の横を抜け、県道を渡ると、武蔵国(埼玉&東京のほぼ全域+神奈川東部)で最大の規模を誇る前方後円墳が
武蔵国最大ということは、当然ながら埼玉古墳群でも最大(全長138m)の前方後円墳です。6世紀初頭前後につくられたものとか。
二重の堀に囲まれていて、現在は水堀になっている内堀は、造営当時には水が張られていなかったと見られているのだそうな。ちなみに外堀は、花菖蒲畑になっているようです(私は稲の切り株かと思った…)。初夏に来れば、ずいぶんと趣が違うことでしょうなぁ。
「二子山古墳」の名前の由来は、前方部と後円部がそれぞれ「山」に見えたからだとか…。単純です。
私なんぞが心配しても仕方のないことですが、水に浸かったままになっている古墳の周縁部は、崩れたりしないのでしょうか?
よくよく見ると、周縁部が水でえぐられているようなんですけれど…(格好の休み場所にしている鳥には好都合かも…)
と、ここで私の目に飛び込んできたのは、
なんだか派手な古墳 縁にプチプチと何かが並んでいます
もしかして「プチプチ」は埴輪か?
と、気分を高めたところで、きょうのところはこれでお終いでございます。
すまんこってす…。m(_ _)m
つづき:2010/11/25 古墳に興奮!(その2)