「古墳に興奮!(その5)」のつづきです。
さきたま古墳公園の駐車場を出て、もしかすると埼玉県内で最も有名かもしれない土産物屋さん「はにわ処 さかもと」の前の横断歩道を渡り、広い通りを進んで行くと、
その先にあるのが、埼玉県立さきたま史跡の博物館です。
どこがどのように、というのはよく判りませんが、なんとなく自治体が運営する宿泊研修施設(「○○市立 青少年の家」みたいな)の雰囲気が漂う建物です。
正面の入口を入って左側が企画展示室で、きのうまで企画展「祈りとまじないの考古学」が開催されていました。
主に埼玉県内で出土した土偶とか、人面が描かれた土器などが展示されていましたが、私としてはイマイチの印象…
まぁ、常設展の観覧料(200円)で観られるのですから、贅沢は言えますまい。
それでも、焼き物製の巨大な耳飾り(細かな細工が施されていました)とか、骨卜(こつぼく:動物の骨に小さな穴を開けて焼き、そこから生じたひび割れで占う)に使われた卜骨(池子遺跡からの出土品)には、ちょっとときめきました。
さきたま史跡の博物館の常設展示室には「国宝展示室」と、なんとも大仰な名前がつけられています。
もちろん、稲荷山古墳から出土した国宝「金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)」が展示されているであろうことは想像に難くありませんでしたが、正直、「鉄剣一本を展示して『国宝展示室』なんて…」とタカをくくっていました。
ところが、、、、、
お見それしておりました。m(_ _)m デス。
さきたま史跡の博物館が管理・展示している国宝は「金錯銘鉄剣」だけではなかったのですよ。
直径15cmほどの銅鏡「画文帯環状乳神獣鏡(がもんたいかんじょうにゅうしんじゅうきょう)」とか、ベルトの豪華な金具「竜門透彫帯金具(りゅうもんすかしぼりおびかなぐ)」とか、馬具の数々とか、国宝があるある…
また、個人的に、工具に萌え上がりました
1500~1600年前からプライヤーやピンセットのような金属製の工具が使われていたんですなぁ。
そして、目玉の国宝「金錯銘鉄剣」は、さすがに目玉らしく特別扱いでした。
窒素ガスが封入されているといわれる特製ケースに収められていて、剣の両面に象限された金文字をくっきりと観ることができました。
東京国立博物館(東博)に所蔵されていて、平常展でも観ることができる江田船山古墳出土の国宝「銀象嵌銘大刀(ぎんぞうがんめいたち)」では、刀の峰の部分(刃と反対側)に文字が小さく象眼されていますが、「金錯銘鉄剣」は「剣」というくらいですから当然「両刃」で、「峰」はありませんから、刀身の真ん中にデカデカと銘文が象眼されています。
1500年も前に書かれた文字が、全部とまでは言えないにしても、特別な教育を受けたわけでも私にも読み取れるなんて、文明がつながっていることを感じます。
さてさて、国宝「金錯銘鉄剣」のことですが、埋蔵されていた稲荷山古墳を発掘したこと自体が、「壊れかかっているし…」という理由だったことは、「その3」で書きました。
1968年に発掘された鉄剣はサビサビで、剣を収めていた鞘がこびりついて散々な状態だったようです。
それでも、5~6世紀の遺跡から出土した鉄剣ですから、大事に保存されていたらしいのですが、発掘から10年も経つと、かなりやばくなってきて、、、、、ここからはさきたま史跡の博物館のガイドブック(お値段は300円。お薦めデス
)を引用します。
奈良にある研究所で鉄錆を落とす作業中、たまたま金色に光る部分があるのを発見。そこでX線にかけてみたところ、文字があることが判明したのです。現在では、出土した錆びた鉄製品をX線にかけることは常識となっていますが、当時としては初めての試みでした。
115文字が輝く金錯銘鉄剣を、今こうして見ることができるのは、さまざまな偶然が重なり合った結果だったのです。
この「奈良にある研究所」というのは、元興寺文化財研究所のこと。
研究所の沿革にも1978年のところに、
埼玉県稲荷山古墳出土鉄剣に「辛亥年」等の金象嵌115文字の銘文を発見
と誇らしく書かれています。
ここで、「あれっ? もしかして…」と思われる方もいらっしゃるでしょう。
そうです。元興寺文化財研究所は、今年、またもや大発見を成し遂げました
先月末、1907~8年に東大寺の大仏さまの膝元から発見されて、長く東大寺金堂(=大仏殿)鎮壇具だと考えられていた「金銀荘大刀二振」が、実は、正倉院から運び出されたまま行方不明になっていた「陽寶劔」「陰寶劔」と判明したニュース(リンクが切れていたらご容赦を)がありました。
東大寺からの依頼を受けて大刀の保存修理を行っていた研究所がX線撮影したところ、サビサビの中から象眼された銘文が見つかり、その結果、1250年間も行方不明だった正倉院宝物の大刀だったこことが判明したというのです。
歴史は書き換えられるものだということを痛感したニュースでした。
ちなみに、東博で開催中の「東大寺大仏-天平の至宝-」(訪問記はこちら)には「陽寶劔」「陰寶劔」の現物展示はなく(まだ保存修理中なのでしょう)、映像で紹介されています。
「金錯銘鉄剣」の銘文にしても、「通説」だけでなく「異論」もあるようです。
またまた歴史が書き換えられることがあるのでしょうか?
結構楽しみであったりもします。