2001/4中旬 筑波連山縦走の道
探検隊が再び立ち上がった。
全国的にも有数の低山県、故郷・茨城の山々の実力を世に知らしめるべく、 結成された本隊。
このたびのタ-ゲットはズバリ「筑波山」である。
筑波山と言えば、西の富士とならび称される名山。
いまさら筑波でもなかろうに・・・。と、お思いのあなた!
今宵は意外と知られていない「裏筑波縦走路」のお話など如何でございましょう。
道は筑波山の北方、JR水戸線・岩瀬駅からはじまった。
はじめに目指すは御嶽山。
150,160,170・・・・。
ゆったりと登って行く道の傍ら、10メ-トル間隔で標高が記されていた。
御嶽山をすぎ、さあ快適な縦走路と行きたい所であるが、ここは一旦下降を余儀なくされる。
採石場が山肌を削り取っているからだ。
山好きとして嘆かわしい現状は筑波を取り巻く山々の現実を物語る。
暗い植樹林帯を登りきると雨引山に到着。
彼方に筑波山の勇姿がようやく見えてきた。
ここから先は本格的稜線歩きとなる。
青い空、木々の芽吹きとあたたい風。
こんなに快適なハイキング道がスポットライトを浴びないのは実にもったいない。
雨引山から燕山、加波山と経て一本杉峠へ到る縦走路は筑波連山が、 いや、故郷・茨城が世に誇れる道に思えた。
一本杉峠は林道が5本集まる山中の交差点である。
大きな杉が一本・・・いや、二本ある。
これは御愛敬。
想像以上の快適度に満ち足りた感動を覚えつつ次なる頂へと向かう。
ここから先は舗装の林道が登山道と入り交じりながら稜線を走っている。
足尾山は草履の神様が奉られている。
はじめは何故草履が沢山あるのか分からなかった。
よく見ると靴はもちろん松葉杖やギプスまである。
そこに見え隠れする幾つもの物語。
嬉しい事、辛い事、悲しい事・・・。
ここにあるのは靴という形の人々の想いである。
独り言葉も無く、手を合わせた。
アスファルトの林道歩き。ただ黙々と歩を進める。
足尾山を越えた後、廃屋の建つ”きのこ山”から上曽峠、湯袋峠を経て 裏筑波野営場への山道に入る。
何てことない登りなのだが息が切れ、足が上がらない。
デコボコの無い舗装路は息も切れず快調に進んだように思えたが、 かなりの労力を費やしていたようであった。
ようやく野営場に着いた時には息も絶え絶え。
ひっくり返りながら食料を腹に収めたら途端に元気になった。
花よりダンゴ。
すぐ傍にカタクリの花が咲いていたのに気付いたのは すっかり満腹になってからだった。
ユ-スホステル跡からの登山道はカタクリの群生が見事であった。
この季節、ゆったりと花を愛でながらのそれは筑波の中で最も華やかな道である。
程なく御幸が原へと到着する。
土産物屋が立ち並ぶいつもの光景だ。
既に日は傾き加減、最後の一軒が店じまいする所であった。
ソワソワしながら帰り支度を急ぐ店員さんを見ていると なんとなくこちらまで焦ってしまう。
わき目もふらず、女体山山頂へと急いだ。
山頂は誰一人いなかった。
歩いてきた道を眺めながら大の字に寝転んだ。
筑波山神社は夕方にも関わらず観光客の往来が激しかった。
「ここは筑波山への登山口にもなっていますので登山ルックの方も歩いています」
ツア-ガイドさんが私をみてお客さんに解説している。
今なら動物園の動物達と分かり合えるような気がした。
筑波駅跡からバスで岩瀬駅まで帰り着いた時には辺りは真っ暗になっていた。
岩瀬駅前の肉屋で買ったハムカツを歩きながらほおばった。
山よりダンゴ。
山行後の食べ物はいつにない感動を与えてくれる。
新聞紙に包まれたあったかいハムカツは若き日の青春の味がした。
sak