2006/8月中旬 吾妻連峰・中津川
夏の情景
照りつける太陽、見上げる蒼空に入道雲の凹凸が手に届きそうなほど鮮明だ。
しかしとてつもなく天高く舞上がるそれにただ呆然とするばかり。視線を下げれば焼けたアスファルトに 逃げ水を見る。たまらず木陰で一休み。
暑苦しい蝉時雨とどこからか聞こえるラジオの高校野球。 「ホンモノの夏がきた」子供ながらにそう思ったものである。
中津川は吾妻連峰を東西に分けるがごとく最深部に分け入る大渓谷である。
下流部には白滑八丁、黒滑八丁の両雄。上流にこの谷の屋台骨となる大滝が流れ落ち、 天上の草原で大団円を迎える、まさにゴ-ルデンル-ト。
一年ぶり36度目の夏はそうして始まるのである。
黒滑八丁
中津川レストハウスから河原へはホンの5分ほど。 折角だからとシバラク下流へ下り黒滑八丁を遡行する。 沢登において、ほとんどは割愛される黒滑ではあるが中々どうして流れに洗われた奇石は一見の価値がある。
白滑八丁
中津川下流部の白眉、白滑八丁は明るく滑らかなU字峡谷が八丁ほども続く。
ときにヒタヒタと、ときに流れに没しても笑いが止まらない。
などと呑気にしていると急激に黒雲が青空を被いはじめる。雨だ。誰もがそれを予感していた。
白滑最後の釜はロ-プで引っ張り上げてもらう。この夏、最初の泳ぎとなる。
幕場
雨足が次第に強くなり、一旦右岸大地に避難する。
シバラクは何をするでもなく呆けていたが、段々寒くなってきたので最悪の事態を考えて幕場の整地を始める。
ヤブの刈り込み、整地、薪集め。作業が白熱しスッカリ完成された幕場の準備が出来上がり、 あとは幕を張り、薪に火を灯せばと言うところで天候は回復。
折角作り上げた上等な幕場を放棄するという、これはこれで最悪の事態となった。
魚止め滝
轟音とともに落ちるチョックスト-ン滝は明らかに水量が多かった。
左右の流れは押し合い、圧し合いそしてトルネ-ドしながら釜へと注ぐ。
スッカリ威圧されてしまったのはさかぼうばかりではあるまい。 左岸から巻き、大きな瀞をひと泳ぎしたら取水口に出た。
銚子口
低く滑らかすぎる落ち口に大きな釜を持つ銚子口。見え隠れするその奥の険谷も相まってかその静かな落ち口に 一種の不気味さを感じる。
呆けた笑みをたたえる無機な瞳の奥に見る不気味さとでも言うべきか。
今日はここで終了とし、いくらか下流の砂地で幕とした。
夜は夜で豪勢な焚火に獺祭の吟醸。夜が夜なら何時にも況して杯は進み、酩酊するがよし。
最深部
観音滝
明けて空模様は高曇り。
昨夜から気がかりだった天気予報と空模様の葛藤にリ-ダ-の決断が下る。
観音滝は左岸を巻くとヤブに埋もれた登山道がある。 適当に下れそうなところから沢床に戻れば特に問題はない。
神楽滝
鉛直に落つる由緒正しき40mの直瀑、神楽滝はここから始まる巨大な滝滝の幕開けを彩るに相応しい。
シバラク戻った左岸を巻くことになるのだが、巻き道にツエルトと靴が放棄されてある。
なんとも考えさせられることであるが、あまり悲劇的な結末ではなかったことを望みつつ思考を巡らす事になる。
川床に戻ると夫婦滝。水流左を行く。 さらに静滝。水流左の貴重な登攀。
熊落滝
判然としない高巻きは2時間を超えた。
途中で腹が減って仕方がなくなったのだが、何とか我慢できたのはヤブの急登で全身を酷使したからかもしれない。 そんな時役立つのがクライミング・ム-ブである。
ヤブホ-ルドにアウトサイドステップ、カウンタ-バランスで潅木ホ-ルドをとり、巨木の根にヒ-ルフック。 体をジンワリと上げたら最後はマントリング。って、ホンマカイナ。
白滑八丁を中津川の白眉とするならば熊落滝は最深部であろう。
屈曲し下から見ることのできない真の姿は難攻不落の要塞である。
高度は50mもあろうか。これを観ずして中津川の何を語ると言うのか。
叶うことなら下から見上げてみたい。おそらくは絶壁に囲まれたその風景に言い知れぬ絶望感を抱くに違いない。
象徴
朱滝
たとえるならば朱滝は中津川の象徴であろう。
落差は最大の60m。とはいえ女性的な繊細さを感じさせるのがこの滝の魅力でもある。
少し手前の砂地で本日は幕とする。
天気も憂慮されたがここまでくれば遡行も何とかなりそうである。
今日は今日で豪勢な焚火に今宵も獺祭。語るも良し、黙るも良し。
闇の底から見上げれば無造作に切り裂かれた星空の世界が広がる。
聞こえるせせらぎ、大渓谷の涼しきことよ。
印象
最終日
明けて旅の最終日。薄明の雲がオレンジ色に染まる。谷にまだ陽は届かない。
朱滝の巻き道は何とか判別ができる。時折微かに残るペンキ跡などを見つつ滝上に出る。
それでもまだまだ腰まで浸かる釜を渡ったり、微妙なバランスでへつったりしていくと右岸に見えるヤケノママ。
そこはかとなく硫黄臭が漂う。それから何てことない河原が続くが、穏やかな流れに柔らかな陽光は決して簡単な偶然ではない。
すこぶる気分は良好だ。
ところどころに草原を見る頃になると流れは蛇行し始めヤブに埋もれていく。
いい加減嫌になった頃、流れを放棄し草原をつないでいけば大凹に突き当たる。
涼しげな風に乗って、さわやかな人々が草原の木道を軽快に散策する。まるで別世界に紛れ込んでしまったかのよう。
仕上げに西吾妻を踏んで百名山ゲット。すまいる、すまいる。36度目の夏を制覇した気分であった。
幾度すごしたこの季節。
不思議と夏の印象は濃いようで淡い。
想い出は錯綜し断片的になっていくとしても、やはり見えるのはあの頃とちっとも変わらない夏空なのである。
sak