2007/11月上旬 越後・御前ケ遊窟
構図
御前ケ遊窟の話を聞いたのは、たしか4年前。
奇岩、幽、窟、石橋に目のないさかぼうには是非行ってみたい場所の一つになった。
このテの山のシュチュエ-ションは重要だ。
まず季節は秋。あわよくば錦秋のなんとやらだと最高なんだけどね。
ル-トはスラブ(シジミ谷)。これも気分を出すためには譲れない。
そして一番重要なのが、最終目的地を御前ケ遊窟とすること。
ついでだからと言って、その先の井戸小屋山まで足を踏み入れないコトだ。
なぜかって、この場合、間違いなく奇石・遊窟の感動が平凡な三角点で薄められてしまからだ。
そうして山頂になんとなく行ったという事実だけが後世記憶に残ってしまい、 そもそも「御前ケ遊窟」が目的で行ったにも関わらず、 山頂に行く途中に「御前ケ遊窟」を見たという構図になりかねないからである。
幽玄
生憎の霧雨模様。
躊躇はしたが、この程度ならGOサイン。
登山道は途中何度か渡渉を要する。
足元も良くはないし、葉についた露でどうせ靴などびしょ濡れになるであろうと沢靴で行くことにした。
シジミ谷までは対岸のとても立派なスラブを仰ぎ見ながら。
盛りは過ぎてしまったが、紅葉のイロ付きもまだまだ楽しめた。
シジミ谷からは沢登り。
ナメを快適に行けばスラブとなって視界が開ける。
錦秋の御前ケ遊窟。生憎のガス模様が玉に瑕だが、それはそれで幽玄な雰囲気が漂う。
伝説
スラブの右目にル-トをとればいつしか踏み跡に吸収されていく。
あとは奇石を眺めながらの快適な登高。
ソ-ケエ新道との分岐に出会えば一つ目の遊窟。これは落盤がひどく、中に入るのは少々ためらわれる。
そこからほんの僅かで御前ケ遊窟。中の扱いからすぐそれとわかる。
そもそも、御前ケ遊窟という名にいたる悲しくも優雅な伝説はココから始まった。
その真贋はさておき、浪漫と戯曲は自然の造形美に驚嘆するに釣合う逸話としてあるべきだった。否、なくてはならなかったと言っても良い。
独り遊窟に立ち、ホンの一時。伝説の人物になってみる。
この窓から、一体何を見たのだろうか。そして山は何色に見えたのだろうか
営み
下山はソ-ケエ新道。
この道の開拓者の口癖が「そ-けぇ、そ-けぇ」だったことが由来だそうだ。
素朴な会越の山々らしい素朴なエピソ-ド。
そんな素朴な人々に、この山々はいままで守られてきた。
脈々と引き継がれる営みに、決してそれだけではない信念がここにある。
流れ流されするものにとって、とてつもない壁である。
生きていくための変化も必要だが、生きていく信念もまた必要。
これもまた、伝説であろうか。
そうして、静かな山行を終えた。
sak