エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

真実の泉 マイノリティに住みよい社会は、人類に住みよい社会

2016-03-23 07:57:44 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
恍惚としても安心できません
  本物の安心は、どうやったら、手に入れることが出来るのでしょうね。 Young Man Luther 『青年ルター』のp189の第2パラグラフから。&n...
 

 年寄りの愉しみって、孫と遠慮会釈のない話をすること。それは真実の泉でしたね

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の、p.115の、第2パラグラフ。

 

 

 

 

 

 私どもの国では、無用のお古は、ゴミ捨て場行でしょ。でもね、私どもは「リサイクル」をご紹介してきましたでしょ。リサイクルとは、お古の賞味期限を先延ばしにして、ゴミ捨て場になった土地に負荷をかけ過ぎないようにすることです。私どもは年寄りの皆さんをゴミ捨て場にやることはしませんけれども、その皆さんのリサイクルを十分に果たしてないことは確かです。

 

 

 

 

 

 アメリカでさえ、40年前は、高齢者にとって住みよい場所ではなかったんですね。でも、その後の身体障碍者たちの自立生活運動のおかげもあって、相当住みやすい社会になっていますね。日本でも、アメリカほどではありませんが、マイノリティにも住みよい社会に少しずつ近づけたいものですね。

 

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「口裏合わせ=ウソとゴマカシ」は止めて、民主主義の基本の「き」の話し合いをやりましょう

2016-03-23 07:15:01 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
小さな存在を肯定する
  一流の学者は、みずみずしい感性をお持ちですから、詩人です。 The Sense of Wonder 『不思議を感じる心』から p101の第3パラグラフから...
 

 

 今日は、今現在の、被災地の心理的支援が、なぜうまくいかないのか? を考える5日目。

 1日目は、無知な「専門家」が、自分の勉強不足は棚に上げといて、昔からの自分の研究の枠組みにこだわるあまり、発達トラウマの苦しむ多くの子どもたちがゴマンといる現実を無視している、と申しました。

 2日目は、発達トラウマを抱えた愛着障害の子どもが溢れるくらいいるのに、いまのニッポンの学校教育制度は、その子ども等の傷に塩を塗りかねないものだ、と申し上げました。

 3日目は、発達トラウマを抱えた愛着障害の子どもの心理的支援を担当する心理職の配置が少なすぎる、しかも、年次契約がほとんどである、など、心理職の制度が遅れていると、申し上げています。

 4日目は、発達トラウマを抱えた愛着障害が重たい子どもほど、その母親も、家族も病んでいる場合が多いけれども、「重度の」母親面接までするゆとりがサイコセラピストにないかもしれない、というお話でしたね。

 今日5日目は、おバカな教育委員会という問題です。これは、大川小学校の教育委員会や中学3年生自殺事件の広島の教育委員会の問題に限ったことではないのですね。教育委員会の問題は何度となく、取り上げてきましたね(大川小学校の「事件」には、今の日本の学校教育の病理が現れています「逃げる母親」と「おバカな教員委員会」ノモンハンと大川小学校の間 ハンナ・アーレント 最終版お役所仕事という狂気 再改訂版ほか)。

 今日は、細かいことは繰り返ししません。今日は一点だけ取り上げます。それは、学校と教育委員会の口裏合わせです。私も、仲の良い校長さんや、信頼できる教育委員会の職員さんもいますので、全部が全部という訳じゃぁないんですね。でも、日本のムラ社会の悪しき伝統に侵されている学校や教育委員会がある、のも事実です。その特色が口裏合わせなんですね。

 この口裏合わせは、だいたいが今までの教員仲間内に都合の良いことを、やり続けるために、真実ではないことでも「まぁ、こういうことにしときましょう」とばかりに、事実をねつ造することです。学校が、教育基本法の中核的理念の「人格」や、教育の核となる「真理」、そして、その組み合わせである「人格的真理から、真逆にぶれるウソとゴマカシです。

 しかし、それだけではありません。口裏合わせは、アンチ民主主義だということです。アメリカの個別教育計画での民主主義的で、オープンな話し合いとは真逆の、民主主義に対して冒涜的で、自分の組織以外にはクローズな、自己中心的なものが、この口裏合わせです。大川小学校の教育委員会や広島の中学3年生自殺事件の教育委員会のやってることを見れば、火を見るよりも明らかです。

 私どもは、学校そのもの、教育委員会そのものを、民主化していくことが是非とも必要です。それは、オープンな話し合いを日常化することです。

 

 


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やっぱり、自分のトラウマを書きだすことは、トラウマの回復に繋がります

2016-03-23 01:31:09 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
私の原点 エクレシア 
  教会に行ったことがある人でも、無教会の集会(エクレシア)ってどんなものなのか?と思う人も少なくないのじゃないのかしらね。 今日は内村鑑三記念キリスト教講演...
 

 

 ペネベーカーさんのもう1つの実験でも、トラウマのなった経験を正直に告白することが、自律神経系の調子を整えるまでの回復に繋がると言いますね。

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第14章 Languare : Miracle and Tyranny「言葉 :奇跡も残虐も(、もたらすもの)」p.242の、第5パラグラフから。

 

 

 

 

 

 ストレスの多いいろんな経験は、それが離婚であろうと、卒業試験であろうと、一人ぼっちであろうと、自律神経の働きに悪い影響があります。しかし、これは、ペネベーカーの研究の時点では、論争の的になっている考え方でした。ペネベーカーの実験に基づいて、オハイオ州立医科大学の研究チームが、自分のトラウマについて書いた学生の集団と、表面的なことを書いた学生の集団とを比較しました。またもや、自分のトラウマについて書き出した学生たちは、学生保健センターに行く人が比較的少なかったし、自律神経の働きが良くなるにつれて、より健康にもなりました。自律神経の働きが良くなっていることは、血中の、Tリンパ球というナチュラル・キラー細胞の働きと他の自律神経のマーカーによって図りました。この効果は実験の直後に最も顕著に現れましたが、実験の6週間後も持続しました。世界各地で行われた、トラウマを書き出す実験は、その研究協力者が、大学院生でも、老人介護施設の利用者でも、医学生でも、凶悪犯罪の囚人でも、関節炎の患者でも、新米ママでも、レイプの被害者でも、気が動転するような出来事について書き出すことが、身体的にも、心理面でも健康度を増すことを、いつでも示してんですよね。

 

 

 

 

 

 ペネベーカーさんのトラウマを書き出しす実験は、世界中で追試され、その効果が証明されてる、という訳ですね。

 ペネベーカーさんの実験については知りませんでしたが、私も結果的に臨床の場で追試をした形になりましたが、ファイルノートにトラウマになることも含めて、年齢ごとに、出来事とその際の気持ちを書く自分史ノートを付けてもらうことは、効果があるという感触をもってますよ。

 

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圧倒的に大事なのは、やり取り関係であって、技法や心理検査じゃぁない!

2016-03-23 00:41:32 | ブルース・ペリー教授の『犬』

 

 

 
小さな存在を肯定する
  一流の学者は、みずみずしい感性をお持ちですから、詩人です。 The Sense of Wonder 『不思議を感じる心』から p101の第3パラグラフから...
 

 いつでも、トラウマを負わされた子どもにとって大事なのは、やり取りのある関係です。なぜなら、トラウマを負わされた子どもは、やり取りのある関係をやってこないことが、心の傷になっているからですね。

 ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog の第11章、「癒しのやり取り」に入りますp.231、最後から。

 

 

 

 

 

 結果として、トラウマやネグレクトからの回復は、やり取りのある関係を快復することになりますね。すなわち、信頼感を立て直し、自信を取り戻し、安心感と安全感を回復し、大事に思う人に対して繋がり直すことです。もちろん、薬のおかげで症状が取れて、セラピストに話をすることが、著効を示す場合もあります。しかし、癒しと回復は、世界一の薬やセラピー使っても、出来る話ではありませんよ。大事なのは、大事にされる関係がいろんな人たちと途切れることなく続くことなんですからね。実際、セラピストともやり取りのある関係こそが肝心なんであって、行く脱セラピーにするために、セラピストが用いる技法やら、知恵ある言葉が一番大事な訳じゃぁありませんからね。セラピーをして、最後的に育った子どもたちは全員、その子どものそばにいて、助けた人間関係の強力なネットワークがあったればこそでしたね。

 

 

 

 

 いつでも肝心のは、関係です。子どものアセスメントをする場合も関係を見ることが大事。子どもの回復をもたらすのにも、やり取りのある関係こそが感じんです。いつでも、何度でも、やり取りのある関係こそが大事になる訳ですね。セラピーの技法や心理検査などは二の次、三の次です。

 

 

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