神様から選ばれた人は、老人みたいであると同時に、いつでも、子どもみたいでもあるらしい。叡智と、陽気で楽しい感じが同時にある、ということです。
今日は、Young Man Luther 『青年ルター』、第Ⅷ章 終章(エピローグ)のp.262の、第2パラグラフから。
でもね、一流の改革者の危なっかしいこととは、大衆に影響力があるということです。今の時代、この危険を、ガンディーの人生と影響力に見てきましたね。ガンディーも、祈りの力を信頼していました。ガンディーが断食し、祈りをする時、大衆も、イギリスでさえが、かたずを飲んだものです。祈りのおかげで、ガンディーやルターは、高きも低きも聴き入れる言葉を語る力が得られたので、この2人は、言葉の力にある、人を目覚めさせる力ばかりではなく、人を自制させる力を当てにすることが出来ました。
言葉の力には、人を目覚めさせる力と、人を自制させる力があると言います。いまのニッポンが、これだけウソとゴマカシが溢れているのは、目覚めにも自制にも欠けているからだとすれば、それは言葉の力を人々が信じていないからでしょう。当てにしているのは、お金と権力だけ。私どもが、いかにおバカなのかが分かります。「ペンは剣よりも強し」、「戦車は言葉の力を破壊しつくすことなどできない」という歴史的真理を知らないのですから。
言葉の力を信頼できないのは、さっきのジョアンの文書からも申し上げたように、祈りをいまのニッポン人は忘れ去ってしまっているからですね。