エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

心の病は、ウソとゴマカシから 改訂版

2016-03-12 15:17:20 | ブルース・ペリー教授の『犬』

 

 

 
プレイフルな関わり 改訂版
  楽しい時間、と言ってもピンとこない人もいるんでしょうか? 子どもと毎日接していて、「楽しい時間」程肯定的なことはありません。最近の子どもは、「愛着障害」だ...
 


 代理によるミュンヒハウゼン症候群(MBPS)も、実に恐ろしい心の病ですね。心の病と、ウソとゴマカシが親戚であることも、分かりますでしょ。心の病は、あらゆる種類のウソとゴマカシから生じてきます。いまのニッポンが、ウソとゴマカシだらけなのも、ニッポン社会全体が、心の病に陥っているだけではなくて、そのメンバーが、狂っている証拠です。

 ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog より、p.211、下あたりから。

 

 

 

 

 

代理によるミュンヒハウゼン症候群の患者さんたちは、連れ合いを攻撃するわけですね。その相手は、とっても受け身ですし、その相手が抱く、いろいろと世話をして貰いたいし、いろいろとおしえてもらいたい、というニーズが、人を支配したいし、人を利用したくてたまらない望みとピッタリと合う訳ですね。マーレの亭主は、その線にピッタシカンカンの人でした。

 

 

 

 

 このようにして、代理によるミュンヒハウゼン症候群もウソとゴマカシから生まれます。そして、それは、ウソとゴマカシを、お互いにやり合う相手が、少なくとも1人、必要です。かくして、心の病は、ウソとゴマカシをやり合う人々の間に、広がっていくのです。そういう人が多数派になれば、ブラック企業、東電のような搾取と支配の企業、大川小学校のような腐った学校が出来ます。

 そのナレノ果てこそが、究極のウソとゴマカシである、戦争 warなのですね。

 

 

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#突き抜けた悦び 

2016-03-12 12:11:11 | アイデンティティの根源

 

 

 
プレイフルな関わり 改訂版
  楽しい時間、と言ってもピンとこない人もいるんでしょうか? 子どもと毎日接していて、「楽しい時間」程肯定的なことはありません。最近の子どもは、「愛着障害」だ...
 

 

 問いをもって生きるって大事。

 今日は、Young Man Luther 『青年ルター』、第Ⅷ章 終章(エピローグ)のp.261の、長~い引用部分の後、7行目途中から。

 

 

 

 

 

 というのも、宗教的人間は、若い時分に、最後の課題に対する突き抜けた悦びを体験しますから、殉教者になったり、若死にして自分の使信を封印するか、あるいは、あの世を夢見ながら、1人豊かな時間を楽しむ方が、マシかもしれませんね。ナザレのイエスという若者については、あまり知られていませんけれども、あの人は中年には思えない、ということだけは確かでしょうね。

 

 

 

 

 

 「突き抜けた悦び」と訳したのは、breakthrough ブレークスルーという言葉です。突破口、飛躍と言っても、甚だ不十分です。そこには、計り知れない苦しみがあるとと同時に、それに見合った、計り知れない悦びが、必ずあるからです。突破口、飛躍と言ったら、その2つの感情体験があることを見失ってしまいやすい。

 突き抜けた悦びは、もう、言葉にすることなどできないものかもしれません。どうせ伝えることが出来ないのなら、その使信のために死んでしまうか、1人を決め込むか、後世の人の為に、少数の弟子か書物に、その使信を封印する方がマシ と考える人がいても、不思議ではありません。

 しかし、その道を選ばなかった人が、少なくとも一人いたわけですね。それがナザレのイエス、という名の若者です。

 

 

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深い悦び

2016-03-12 11:03:48 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
ルターは悪魔が大好き
  中世の神学のお話ですから、疲れちゃうかもしれませんね。今しばらくのご辛抱。でも、エリクソンも大学教育を受けてない、専門学校出。エリクソンそのものが不思議です。...
 

 

 年寄りは、社会の悪化の影響をもろに受けやすい。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の、p.111の、ブランクから。

 

 

 

 

 

 stagnation スタグネイション 《異性や次世代や立場が違う人や物事と対話が出来ず、支配したり、ホッタラカシにしたりすること》 対 generativity ジェネラティヴィティ《異性や次世代や立場の違う人や物事と、対話とやり取りをしながら、育むこと》 :care ケア「弱い立場の人を、自分が損をしても、大事にする力」

 

 異性や次世代や立場の違う人や物事と、対話とやり取りをしながら、育む舞台は、人生の巡り合わせの一覧表の中で、時期的に一番長いところです。 30年以上もの間、仕事に献身したり、おそらく新しい家族を始めることにもなり、時間と精力を、新しい家族が健康でいることや、物を作り出す生活を増進することに使います。この時期、仕事上の人間関係や家族の人間関係からは、世話を焼く義務が伴う関係や、広範な義務と責任、利害関係、お祝い事が生まれます。この関係がかみ合って来れば、全てはうまく生きますし、繁盛します。それは、イキイキ、ピチピチした時間ですし、大事にもし、大事にもされて、一番近しいし、一番親しみも感じる人たちに囲まれた至福の時です。それは遣り甲斐のあるものですが、一番うまくいけば、ワクワクします。もちろん、その関係が、堅苦しくて、きつければ、煩わしいこともありますよ。また、地元や地元のいろんな活動に関わることになるかもしれませんが、そういった関わりは、忙しいものになるかもしれませんが、ぼんやりしている暇はありません。

 

 

 

 

 

 この時期にあっても、一番大切なのが、やり取りでしょ。やり取りのある関係が広がり、深まるほど、責任ある仕事でもって、弱い立場の人が、ご本人の願いを実現することのお手伝いが出来ますからね。それは、人間として、最も深い悦びです

 あなたも、やり取りのある関係をエンジョイしてくださいね。

 

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物を書くのも「無」の境地?

2016-03-12 04:16:56 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
叡智の源
  闇から闇へと渡る渡を見たら、どんなに感動することでしょう。 The Sense of Wonder 『不思議を感じる心』から p93の下から3行目途中から...
 

 

 自分の気持ちや思いを文字にする、たとえば、日記や夢日記をつける、ということは、自己発見の最も確かな道だと、私は考えますね。

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第14章 Languare : Miracle and Tyranny「言葉 :奇跡も残虐も(、もたらすもの)」p.240の、ブランク後の、第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 社会の一員として、日々のやり取りで「かっこいい」と思われていますから、自分の気持ちを、眼の前の仕事に隠します。私どもは、自分に心を許していないような人に話をする時には、私どもの人間観察眼が警戒警報を出しますから、ガードを固めますよね。手紙を書くのは違います。もしも、担当編集者に「ちょっと、1人にして貰えませんか」と尋ねれば、「あぁ、まだアイデアがないんだな」と分かりますでしょ。皆さんも自由に一種のトランス状態になれますから、その時には、ペンかキーボードが、内から湧き上がるものなら何にでも繋がった感じになりますよね。皆さんも、このような自己観察と、皆さんの物語の脳とを、感じたものが何なのか、なんて心配せずに、結びつけることが出来ますね。

 

 

 

 

 

 仏教的に言えば、あるいは、老荘思想で言えば、「無」の境地こそ、トランス状態なんでしょうね。その時には、自分の内側、≪本当の自分≫を一番感じることが出来ますでしょうね。内省の最も深いものです。瞑想、座禅、お祈り、接心…いろんなやり方があるのでしょうけれども、物を書く、日記を付けるのも、内省法の一種です。

 

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