エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

お古と新品 あるいは、裸の王様と子ども

2016-03-22 08:25:07 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
明治以降で最も優れた散文 加藤周一さん評
  昨日取り上げました、加藤周一さん。出典は今手元にないのですが(『日本文学史序説』?)、加藤周一さんが明治以降で最も優れた散文として、何を挙げたと思いますか?...
 


 

 根源的信頼感って、神様を信頼することと同じです。ですから、根源的なんですね。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の、p.115の、最初。

 

 

 

 

 

 年寄りと地元社会

 

 年寄りの愉しみの1つは、孫たちと遠慮会釈のないおしゃべりをすることでしょうね。ブルーベリーをクリストファーと一緒に、お天気の日に岬で摘んでいる時、素晴らしいこのお仕事に、私たち二人は大喜びでした。クリストファーは自分の手が届く低い枝から上手にブルーベリーを摘み取るけれども、私の方は、高い枝からブルーベリーを摘み取りました。ブルーベリーはひとつ残らず摘めますから、籠が一杯になって。しばらくしてから、私は岩に腰かけて、ちょっぴり休憩しなくちゃならなくなりましたが、クリストファーは元気でした。クリストファーは、しばらくブルーベリーを摘みつづけた後、私の目の前に立って、とても大事な話をキッパリと言いましたね、「おばあちゃん、おばあちゃんって、お古いだけど、僕は新品だね」と。議論の余地のない宣言です。

 

 

 

 

 

 このエピソードの様子が、眼に浮かぶようですね。心優しいおばあちゃんと一緒に、大喜びでブルーベリーを摘むクリストファー。お古と新品。孫以外から言われたら、心外に思う人もあるやもしれませんけれども、心優しいジョアンですから、孫から言われたら、「そりゃそうだ」とほほ笑んだことでしょう。

 真実は時として厳しいものですが、孫から指摘されたら、微笑むしかありませんもんね。

 「裸の王様」が「裸だぁ!」と指摘するのは、「円満」が大事な大人ではなくて、「平和」を地で生きる子ども、と、いつの時代でも、相場が決まっていましたね。

 

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「重度の」母親面接を回避している私

2016-03-22 02:43:49 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

波風が立ちます

 
一流の学者は、詩人
  心の中に悦びの泉を。 The Sense of Wonder 『不思議を感じる心』から p101の第2パラグラフから。  ...
 

  今日は、今現在の、被災地の心理的支援が、なぜうまくいかないのか? を考える4日目。

 1日目は、無知な「専門家」が、自分の勉強不足は棚に上げといて、昔からの自分の研究の枠組みにこだわるあまり、発達トラウマの苦しむ多くの子どもたちがゴマンといる現実を無視している、と申しました。

 2日目は、発達トラウマを抱えた愛着障害の子どもが溢れるくらいいるのに、いまのニッポンの学校教育制度は、その子ども等の傷に塩を塗りかねないものだ、と申し上げました。

 3日目は、発達トラウマを抱えた愛着障害の子どもの心理的支援を担当する心理職の配置が少なすぎる、しかも、年次契約がほとんどである、など、心理職の制度が遅れていると、申し上げています。

 今日は、発達トラウマを抱えた愛着障害が重たい子どもほど、その母親も、家族も病んでいる場合が多いということです。今日は、ケースの関わる細かいお話です。

 ブルース・ペリー教授が、ミュンヒハウゼン症候群の母親マーレと、ジェームズのケースを取り上げてましたけれども(そして、ジェームズは、反応性愛着障害ではない、とされましたけれども)、発達トラウマを抱えた愛着障害の子どもは、その状態が重たいほど、母親も家族も病んでいて、その身代わりで、子どもが病んでいる、というケースがよくあることなんです。そうする場合、発達トラウマを抱えた愛着障害の子どもにとって、最も効果的と言われる、母子関係の再生が、うまくいかないことが多いんですね。そういう場合、母親面接が継続できないだけじゃぁなくて、子どもの面接も、断ってくる場合が、けっしてレアケースじゃあないんです。

 しかも、母親面接が継続できる場合でも、その母親の病も、ミュンヒハウゼン症候群と同様に、重たい場合が多いですから、時間と手間が取られます。すると、それでなくても配置が少ないサイコセラピストのエネルギーの相当部分を、その母親面接につぎ込まないことには、面接を継続することもできません不幸なことですが、正直に申し上げれば、母親の状態が重たい場合は、その母親心理面接には、私は消極的、むしろ、回避的になっています。その分のエネルギーを、子どもの心理面接に傾注することにしてんですね。

 極めて残念なことですが、サイコセラピストの配置が少ない中で、心理面接をせざるを得ない現状では、やむを得ないことかもしれない、と考える次第です。

 

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やり取りのある関係を快復するために必要な意識とは

2016-03-22 02:12:12 | ブルース・ペリー教授の『犬』

 

 

 
明治以降で最も優れた散文 加藤周一さん評
  昨日取り上げました、加藤周一さん。出典は今手元にないのですが(『日本文学史序説』?)、加藤周一さんが明治以降で最も優れた散文として、何を挙げたと思いますか?...
 

 

 いつでも、トラウマを負わされた子どもにとって大事なのは、やり取りのある関係です。そして、そのやり取りをするためには、敢えて嵐を起こすことが必要な場合が多いと、私は思います。「円満」ではなく、「平和」が大事だからです。「円満」はたいてい、弱い立場の人が蔑ろにされている場合が圧倒的に多いから(円満と平和 改訂版 ご参照あれ)。私は、円満であってはならない、と考えてる訳ですね。必要なのは「平和」の方です。

 ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog の第11章、「癒しのやり取り」に入りますp.231、後半。

 

 

 

 

 

 トラウマとトラウマに対する私どもの反応は、人間関係を抜きにしては、理解することなどできません。人びとが地震に遭って、生き残った場合でも、あるいは、繰り返し性的虐待されて、生き残った場合でも、一番大事なのは、そういう目に遭った経験がその人の関係、すなわち、大事に思う人との関係、自分自身との関係、世間に対する関係にどのように影響するか、ということです。あらゆる惨事の最もトラウマになる側面って、いろんな人間関係が滅茶苦茶にされることなんですからね。それに、いろんな人間関係が本当に滅茶苦茶にされるのは、子どもたちの場合です。皆さんのことを大事に思ってくれているはずの人から、傷つけられたり、捨てられたり、一対一の二項関係を奪われたりすれば、皆さんは安心も安全も感じられませんし、自分が価値ある存在とも思えませんし、思いやりの気持ちを抱くこともできませんから、こういった経験は人を深く傷つける体験でしょ。人間って、必然的に社会的な存在ですから、私どもに降りかかる最悪の悲劇って、やり取りのある関係を失くすことが必ず含まれますよね。

 

 

 

 

 

 かように、深く傷ついた子どもたちを大事にする関わりは、従って、関わる者が相当に意識的に関わらないかぎり、やり取りのある関係にはなりません。その意識には、そのような深い傷付のある子どもの存在を認めないような、配慮のない関わりには、「役立ちませんよ」と、ハッキリと、パレーシアに指摘することも、当然に含まれる、と私はキッパリと考えますね

 


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言葉にすることの力

2016-03-22 02:04:05 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
上野樹里さんの言う「あんし~ん」はどこから?
  占いやパワースポットめぐりが流行るのも、本物の信頼を知らないから。 Young Man Luther 『青年ルター』のp188の第6パラグラフから。&...
 

 

 

 気持ちを書きだすと、自己理解が深まるらしい。

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第14章 Languare : Miracle and Tyranny「言葉 :奇跡も残虐も(、もたらすもの)」p.242の、第4パラグラフから。

 

 

 

 

 

 その次の研究で、ペネベーカーさんは72人の学生の半分に、「今まで生きてきた中で一番トラウマになった経験をテープレコーダーに吹き込んで」と頼みました。また、残りの半分の学生は、その日の休憩の計画について話し合いました。学生らが話している間、研究者たちはいくつかの身体反応をチャックしました。血圧、心拍数、筋緊張、手の温度を測りました。この研究も同様な結果が出ました。気持ちをきちんと感じられた人たちには、大切な身体の変化が、即座に、しかも、長期的に、ありました。学生たちが告白している間に、血圧、心拍数、他の自律神経系の働きは上昇したけれども、告白が終われば、その上昇した値は、研究が始まった時の値まで下がりました。血圧は、実験が終わって6週間後も、下がったままでした。

 

 

 

 

 かくして、トラウマになった経験を正直に話し言葉にしたり、文字にすることは、トラウマを克服する第一歩と言えそうですね。

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