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エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

人生の酸いも甘いも汲み尽す意味に気付く、人智を超えた恵み

2016-03-14 09:58:06 | アイデンティティの根源

 

 

 
「あなたは特別です」 内村鑑三と教育 part2 さらに改訂してみました
「上州かるた」から  内村は教員としては、失敗者でした。しかし、失敗者は「辺境者」でもありますね。マックス・ウェーバーの辺境変革説は、教育の世界でも当てはまる...
 

 

 良心の呵責って、青年期を過ぎちゃうと、鈍感になるのが普通なの?

 今日は、Young Man Luther 『青年ルター』、第Ⅷ章 終章(エピローグ)のp.261の、長~い引用部分の後、第3パラグラフから。

 

 

 

 

 

 思春期後期の危機も、大人のいろんな危機を見通すだけじゃなくて、最初の危機に戻るものですね。自分が生かさせていることに信頼して生きていいのか? それとも、自分が生かされていることに信頼しきれずに、生きざるを得ないのか? という危機ですね。人生の最初と最後の危機を両方含む、青年期の自分を確かにさせる危機が大きく変化することに集中すれば、何故、宗教的に、芸術的に創造性の高い人が、めったに解決出来ないような精神状態を経験するけれども、その経験こそが、人生の酸いも甘いも汲み尽す意味に気付く、人智を超えた恵みであると分かる、ということにも説明がつきますね。

 

 

 

 

 

 人生は実に不思議にできますでしょ。田中信生先生が「谷が深いほど、峰も高い」ということを説教でよくおっしゃっていたことを思い出しますね。ルターのような創造性の塊のような人は、人がめったに出合わないし、解決するのはもっと難しい課題を経験し、それをたくさんの人の身代わりになって、解決する、ということを、示してくれてる、わけですね。その答えは、文字通り、人生の酸いも甘いも汲み尽す意味に気付く、人智を超えた恵みなんですね。

 

 

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「自分もこれからだ」と思える90歳でありたいね。

2016-03-14 09:22:08 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
いのちの不思議、子どもと分かち合えたら、嬉しゅうございます
  いのちの不思議を、心ふるわせながら感じていたい。 The Sense of Wonder 『不思議を感じる心』から p94の下から4行目途中から。&n...
 

 

 

 年寄りは、社会の悪化の影響をもろに受けやすい。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の、p.112の、ブランクから。

 

 

 

 

 

 最後に「叡智」の定義をした時、「叡智」とは、眼の前にあるものを見る力、将来を見通す力、過去を顧みる力であると同時に、耳にしていることを聞く力であり、心の耳に聴こえてくることを聴く力であり、過去が語ることを聴く力でもある、と申し上げています。まとめる力は、機転(もともとは、「触れる」という意味のラテン語tact)、振り合い(もともとは、「触れ合い」という意味のラテン語con-tact)、触ること(もともとは、「軽くたたく」という意味のラテン語touch)が必要だと、申しあけげてきました。これは、年寄りの感覚にとっては、真面目な要求です。機転が利くようになるには、一生かかるものでしょう。忍耐も技量も必要です。うんざりしたり、ガッカリしたりするのは、容易です。9番目の舞台の年寄りになれば、まだまだ目が見えて、耳も聴こえて、叡智を求めに応じられる人などいないのが普通でしょう。でもね、補聴器を使ったり、白内障の手術をすれば、「自分もこれからだ」と思えて、嬉しいものですよ。

 

 

 

 

 

 ジョアンがいかに信頼と悦びに満ちた人かが、分かりますでしょ。

 私どもも、いくつになっても、信頼と悦びに満ちた人でいたいものですね。

 

 

 

 

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発達トラウマ治療に鍼灸・マッサージ・マインドフルネスは役立つけど、心理教育は役立たず!!

2016-03-14 07:31:03 | ブルース・ペリー教授の『犬』

 
キリスト教と寓話 言葉のイメージの力
  人が何を信頼し、あるいは、何も信頼しないのか、ということは小さなことと思われがちです。しかし、それは、全人格、全人生、世の中全体に深い影響力を持つことなんです...
 

 フリーライティングはも、連想が連想をよびますから、深い内省に通じます。

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第14章 Languare : Miracle and Tyranny「言葉 :奇跡も残虐も(、もたらすもの)」p.241の、ブランク後の、第2ラグラフから。

 

 

 

 

 

 私の患者さんの中には、まだ話をする心構えが出来てない記憶について、文字や絵にした断片をもってくることがよくあります。中身を大きな声で読み上げたら、ギョッとするかもしれないけれども、患者さんたちは、自分が格闘していることを私に知ってもらいたいと思っている訳です。私は、「これまで隠してきた本音に、勇気をもって向き合って、打ち明けてくれて、ありがとう。」と申し上げます。このようなためらいを含む対話のおかげで、治療計画を作ることが出来ます。たとえば「トラウマ身体処理療法」や「ニューロフィードバック療法」やEMDRを、治療に加えるかどうかを、そのためらいを含むやり取りから決める訳ですね。

 

 

 

 

 

 ここから、アメリカの発達トラウマ治療の多様性が分かりますでしょ。日本のトラウマ治療と言ったら、発達トラウマ障害(DTD)のことがよく分からないのに「専門家」気取りの大学教員が誤解に基づいて言ってるみたいに,まだまだ心理教育が大事だというような、時代遅れの迷信・「神話」が力かあるように見える場合も多い。しかし、そんなものは「原発は事故を起こさない」というような無責任な「原発神話」と同じで、全く役に立ちません。心理臨床をまともにやっていれば、「心理教育」が偽物であることは、すぐに分かります。10分で、発達トラウマ治療として「心理教育≒役立たず」と十分に分かります。個別の臨床をしていないから、自分の臨床の枠組みが、臨床の現実から、ずれてる立ち位置に気付いてないみたい。

 ヴァン・デ・コーク教授が別のところで指摘しているように、鍼灸、マッサージ、ヨガ、マインドフルネスの順番で、トラウマ治療に役立つらしい。ヴァン・デ・コーク教授は、研究だけではなくて、キチンと個別の臨床をしているから、本当に役立つセラピーに気付けたわけですね。「トラウマ身体処理療法」と訳したものは、ピーター・リヴァインさん等がやっているものでしょう。EMDRだけが、日本の大学(兵庫教育大の市村教授)でもようやく治療と研究されているのが、日本の発達トラウマ治療と教育の、ひどく遅れた現状です。

 

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ウソとゴマカシだらけのニッポンの、反面教師

2016-03-14 05:40:53 | ブルース・ペリー教授の『犬』

 
「あなたは特別です」 内村鑑三と教育 part2 さらに改訂してみました
「上州かるた」から  内村は教員としては、失敗者でした。しかし、失敗者は「辺境者」でもありますね。マックス・ウェーバーの辺境変革説は、教育の世界でも当てはまる...
 

 

 心の病は、ウソとゴマカシから生じてきます。しかも、は、そのウソとゴマカシに付き合い、そのウソとゴマカシを分かち合う相手が必要です。かくして、ウソとゴマカシは徐々に家族に、会社に、社会に広がっていきます。

 ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog より、p.212、上あたりから。

 

 

 

 

 

 代理によるミュンヒハウゼン症候群の母親達は、非常に危険です。代理によるミュンヒハウゼン症候群の母親達は、何人もの子どもたちをまんまと殺した後に、ようやく逮捕されることになるのは、子殺しをする母親という考え方そのものが、あってはならないからです。子どもを失くした親に対する同情は、また当たり前で、自然に湧き上がってくるものですから、その子ども死は、徹底した取り調べが行われません。子ども達が赤ちゃんの内に殺されてしまう場合、その死は、乳児突然死症候群(SIDS)とされる場合が多いんですね。実際に、SIDSには遺伝的な原因がある、との主張をした元の研究は、5人に子どもが立て続けにSIDSのために亡くした1人の母親のケースに、主として基づいたものでした。その母親が実は、代理によるミュンヒハウゼン症候群であって、その子どもたちを絞め殺していたと分かりました。その母親は、殺しの確信犯だったわけです。

 

 

 

 

 

 「代理によるミュンヒハウゼン症候群の母親って、なんてひどい人なのかしら! 」とどなたでも感じます。「子どもを殺しても、自分が同情や温もりを人から貰いたい」と思っている人だからでしょ。でも、「お客の家が傾いたって、自分と自分の会社が儲かればいいやぁ」(三井不動産レジデンシャル)だとか、「放射能で市民が死んでも、国策に協力した方が得だなぁ」(東京電力)だとか、「子どもが死んでも、組織の暗部はウヤムヤにした方が良い」(大川小学校の教育委員会)は、もっとひどいでしょ。

 ウソとゴマカシだらけのニッポンでは、代理によるミュンヒハウゼン症候群の母親は、私どもの反面教師とすべきでしょう。

 

 

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