祈りの人でいたい。
今日は、Young Man Luther 『青年ルター』、第Ⅷ章 終章(エピローグ)のp.262の、第2パラグラフ、8行目途中から。
このような希望において、偉大な宗教的人間が支持されるのは、「騙されるだけだ」という人もいるけれども、1つの事実があるからです。それは、すべての人は、生きていることに不安を感じるものだという共通の根っこがありますから、堂々巡りの間をおいて、危機の度に、信頼を繰り返し新鮮にしなくっちゃならない、という強い必要性を感じるものだ、という事実です。信頼を新鮮にするとはじめて、意思や良心や理性や自分を確かにさせるものには、限界もあり、曲がってしまう場合もありつつ、働かせていることにも、新鮮な意味があると分かります。しかし、ゲッセマネでは、最良の宗教的人間は、眠っているでしょうし、最悪の宗教的人間は、新たな神様に対する信頼を、政治的な悪知恵を無秩序にぶち壊しにすることを正当化するだけのものと見なすでしょう。
かくして、私どもは、根源的信頼感をいつでも新鮮にしていること、リフレッシュさせることが大事になりますね。そうでないと、さっきのジョアンの文書からも分かりますように、立てているようでぶち壊しにし、助けているようで、弄んでいるだけ…ということになりかねませんからね。