エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

「成功」の絶頂でこそ、落ち込む 本物の創造性

2016-03-01 07:21:57 | アイデンティティの根源

 

 相手の気持ちにピッタリ寄り添う言葉を語ることが出来たら、相手の人の瞳は輝きだすでしょうね。

 今日は、Young Man Luther 『青年ルター』、第Ⅷ章 終章(エピローグ)のp.260の、4行目から。

 

 

 

 

 

 ルターは、自分を確かにさせるのが遅かったし、おまけに、性的に親しみのある関係を育むのも遅かったから、親しみのある関係と次世代を育むことが、ルターの人生においては、一緒になっちゃいました。ルターが次世代を育むことが危機に陥った時に、すなわち、ルターが父親であると同時に、幅広い人たちのリーダーになった短い時期のことをお話してきましたね。その人たちは、欲張りで、反抗的で、神秘的な向きに、ルターの教えを広めました。ルターはこの段になって、この舞台の危険を嫌というほど味わうことになりましたね。それはすなわち、逆説的なことですが、創造的な人が、他の人よりも味わわなくちゃならない、stagnation スタグネイション 《異性や異世代と対話が出来ず、支配したり、ホッタラカシにしたりすること》」です。それを、ルターは、躁うつ病(双極性障害)として味わいました。

 

 

 

 

 「成功」の絶頂でこそ、落ち込む。皮肉な話でしょ。創造的な人ほどそうだと、エリクソンは言いますね。ユングのところに相談に来る人も、現世的には成功した人が多かったと言いますでしょ。その人ならではの生き方は、現世的な、現ナマ的な、評価とは、異なる物差しがあるらしいですね。むしろ、現世の物差しとは真逆な物差しである場合も少なくないのが真実でしょう。

 本物の創造性は、エバーグリーンですね。

 

 

 

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あなたならではを生かしてみたい

2016-03-01 06:50:49 | エリクソンの発達臨床心理

 

 自分の感じも、過ぎたるは猶及ばざるが如し?

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の、p.109の、3行目途中からです。

 

 

 

 

 

あなたが得意なことは何ですか? あなたが向いていることって何かしら? という問いは、仲間の一人から問われる最初の問いでしょうね。私どもの学校は、そのような問いを私どもに与えて、私どもの人生が始まりますから、自分ならではの創造性を育む陽気で楽しい振る舞いを快復することはめったにありませんね。私どもは皆、人とやり取りする力があると同時に、物事に対処できる力がある感じで格付けされていますからね。

 

 

 

 

 現代社会は、独創性よりも、人とやり取りする力があると同時に、物事に対処できる力がある感じを優先するものらしい。

 でも、それでは≪本当の自分≫は死んじゃうんじゃないかしらね。あなたならでは、自分らしさを生かしてこその、≪本当の自分≫ですからね。人とやり取りする力があると同時に、物事に対処できる力がある感じ≪本当の自分≫は、結びつけることが出来ないのかしらね?

 

 

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言葉でできている≪私≫

2016-03-01 06:17:45 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 ≪本当の自分≫は、知るよりも感じるものらしい。

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第14章 Languare : Miracle and Tyranny「言葉 :奇跡も残虐も(、もたらすもの)」p.238の、第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 それから、神経科学の研究によれば、私どもには、2つの異なる、自分に対する気付きの形があるらしい。1つは、時間を超えて自分を捉えるやり方で、もう1つが、現在の自分を表現するやり方です。1つ目のやり方は、私どもの自伝的な自分ですが、いろんな体験を結びつけて、一貫した物語にまとめ上げることです。この自伝的自分は、言葉に根差しています私どもの物語は、話をするたびに変わりますけれども、それは私どもの見通しが変わったり、新しい入力を組み込んでいくのと同じです。

 

 

 

 

 自伝的自分は、自分の物語であり、いろんな経験を1つの物語にまとめ上げる時の自分らしい。それはいつでも現在進行形で、常に変化しているものでもあるらしい。するといつでも、自伝的な自分は揺れてしまいませんかね? 自分の物語と、自分を確かにさせることとは、どうやったら統一できるのでしょうか?

 

 

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命が危ない!

2016-03-01 05:44:35 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 

 勘(鍛え抜かれた直感)にも、目的があるらしい。

 ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog より、p.208、真ん中あたりから。勘の話の続きです。

 

 

 

 

 

 私にとってハッキリしていたのは、ジェームズが家出をするのは、母親がジェームズを傷つけるからであって、ジェームズが反抗的な問題行動をとったからではない、という事です。家出は、いくら虐待を受けてても、ジェームズの年を考えたら、尋常な事じゃぁありません。たとえ、一番ヒドク打たれ、ネグレクトされた小学生たちが、唯一無二の両親を見失うのが怖がるよりも、変化や奇妙なことを怖がる傾向にあるとしても、家出は尋常ではありません。この年齢の子どもたちは、見通しのないことの苦しみよりも、ハッキリとした苦しみの方を好むものですからね。その子どもが幼ければ幼いほど、馴染の人たちや馴染んだ状況が、それだけ大事なのが普通です。このような子どもたちは、暴力的で危険な両親のもとに返してほしい、と私に頼んでくることがよくありますね。しかし、ジェームズは、違いました。ジェームズの行動は助けを求めている人たちの行動であって、愛着や関係を育むのが難しい人たちの行動じゃぁなかったんですね。

 

 

 

 

 子どもは、ひどい親でも、親元に帰りかだるのが普通です。子どもは、他の親、他の選択肢を知らないのが普通ですから、暴力的な親が当たり前と勘違いをしやすいからです。しかし、ジェームズは親元から家出をした訳ですね。命の危険を感じていたからでしょう。だから、普通はやらない家出という緊急脱出に至ったに違いありませんね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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