エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

人生に対するトータルなヴィジョンこそが、大切

2016-03-21 10:29:51 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
加藤周一さんの視点
  「あなたにとっても、最も好きな(フェイヴァリットな)思想家は誰ですか?」と訊かれたら、私は「加藤周一さん」と申し上げます。まだ訊かれたことはないけれどもね。...
 

 

 根源的信頼感って、神様を信頼することと同じです。ですから、根源的なんですね。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の、p.114の、最後。

 

 

 

 

 

 エリックがよくしてきましたように、ひとりびとりの人生の巡り合わせは、その人その人の人生が実を結ぶ文脈を抜きにしては、ちゃんと理解すること等、できませんね。ひとりびとりも社会も、複雑に編み上げられていますし、変わり続ける変化の中で、ダイナミックにやり取りもしています。エリックは次のように記しています、「文化的に見て、年寄りでも実現できる理想がなければ、私どもの文明は、全生涯という概念を現実に想像することもできません」と。それが想像できないことの結果、私どもの社会は、年寄りたちを、社会の大事な模範やシキタリに組み込んだりするやり方も、社会の欠かすことのできない役割をお願いしたりするやり方も、本当に知ったことにはなりません。年寄りも社会の一員として認めることよりも、年寄りひとりびとりが、仲間外にされたり、無視されたり、見過ごされことになりかねません。年寄りはもはや、叡智の持ち主ではなくなり、単なる恥さらしになってしまいます。九番目の舞台の困難の故に、年寄りが社会的に、ますます無視されるようになりますし、またそれと同時に、社会的に無視されることのよって、年寄りの困難がますます悪くなることを考えますと、年寄りと社会の間のやり取りについて、さらに詳細の考えることにしましょうか。

 

 

 

 

 

 社会と年寄りのやり取りがなくなることは、年寄りの不幸を呼ぶだけではなくて、社会の不幸も招くことにもなります。そういう、人生に対するトータルなヴィジョンの大切さを、エリックとジョアンはいつも考えていました。

 

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日本もアメリカに見習った方が良い

2016-03-21 08:06:03 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
心の泉
  何か大事なものを象徴する美を実感する日々でありたいものですね。 The Sense of Wonder 『不思議を感じる心』から p101の1行目途中から...
 


 今日は、今現在の、被災地の心理的支援が、なぜうまくいかないのか? を考える3日目。

 1日目は、無知な「専門家」が、自分の勉強不足は棚に上げといて、昔からの自分の研究の枠組みにこだわるあまり、発達トラウマの苦しむ多くの子どもたちがゴマンといる現実を無視している、と申しました。

 2日目は、発達トラウマを抱えた愛着障害の子どもが溢れるくらいいるのに、いまのニッポンの学校教育制度は、その子ども等の傷に塩を塗りかねないものだ、と申し上げました。

 今日3日目は、発達トラウマを抱えた愛着障害の子どもの心理的支援を担当する心理職の配置が少なすぎる、しかも、年次契約がほとんどである、など、心理職の制度が遅れているということ。

 私自身も、週4~5日で、小学校に1日6時間入っていますけれども、一番頻度が高い学校で週一回。1日5人心理面接するのが精いっぱいです。でも、10人の子どもが跳ねるようなクラスがある中では、とても対応しきれません。心理職の配置が絶対的に足りません。私の感覚から申し上げれば、生徒数が200人規模でしたら、心理職が10人、週5日、常勤で配置されることが必要です。そうすれば、ひとりびとりの子どもに対して、丁寧に心理的支援が可能です。したがって、サイコセラピストも各都道府県、各市町村が正規採用することが必要です。ソーシャルワーカーも同様です。

 その点、アメリカでは、全障害児教育法が1975年に制定され、すべての障害児に個別教育計画を作ることが義務付けされました。全米障害児法制定以降、サイコセラピストの雇用が進んだと、石隈利紀先生が、おっしゃっていました(どの論文か、今すぐには見つけることが出来ませんでしたが)。私も、個別教育計画のレビューの会議に、1992年にミネソタで陪席させてもらったことがありましたが、子どもと保護者はもちろん、医者や教員、サイコセラピストやソーシャルワーカー、看護師など、様々な職種の人が参加してました。そして、その計画には参加者全員がサインするのでした。つまり、参加者全員の≪約束≫として、教育と心理的支援など、子どもの支援が行われていくわけですね。1人の子どもを支援するには、教員だけでは足りない訳です。いろんな専門家が、対等な関係の中で話し合いを重ねて、子どもの教育をするのが、民主主義的に真っ当なやり方です。

 日本も、アメリカのやり方に見習った方が良いでしょう。

 

 

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自分の気持ちと体験を書きだすことの効用

2016-03-21 01:50:50 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
免罪符とオウム真理教 いまこそ本物の信頼を!
  免罪符なんて、ばかばかしいと思う方もあるでしょ? でも、おみくじを大事にしたり、占いを気にする人、居ませんか? その手の人は、免罪符を売り買いした人と同じです...
 

 

 発達トラウマも、意識することが出来れば、気分も態度も健康も良くなるもの。

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第14章 Languare : Miracle and Tyranny「言葉 :奇跡も残虐も(、もたらすもの)」p.242の、第3パラグラフから。

 

 

 

 

 

 学生たちが、この研究について評価するように言われた時、学生たちは自己理解がいかに増したか、ということに話が集中しましたね。「この研究のおかげで、当時私が感じていたことが何かを考えることが出来ました。当時のことがどれだけ私に影響を及ぼしてたのか、今まで分からなかったんです」。「私は過去を考えなくちゃなりませんでしたし、解決しなくちゃなりませんでした。この研究に参加したおかけで、心の平安を感じます。いろんな気持ちやいろんな感じを書きださなきゃならなかったから、私がどのような感じていたのか、なぜ私はそのような感じたのかが、分かりました」。

 

 

 

 

 

 怒りを感じたり、「嫌だなぁ」と感じたり、あるいは、「臭いなぁ」と感じたりした場合、どうして自分はそう感じたのかは、ふつうは問いません。たとえ、問うた場合でも、たいていは「相手が悪いから」と、投影する場合がほとんどでしょう。

 ペネベーカーさんの実験では、気持ちを書きだすことをした訳でしょ。それは自分の気持ちを客観視する手立てですし、書きだせば、同じパターンに自分が反応していることに気付きやすくなります。それで、トラウマになっている経験と、自分の感じや感情の反応が関係することに気付きやすくなるわけです。

 私も、自分の体験と、その時の自分の気持ちを、年齢ごとに、ファイルノートに書きだすことを、大人のセラピーではよく使います

 

 

 

 

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癒しのやり取り  役立たずの無知な「専門家」の授業

2016-03-21 00:00:15 | ブルース・ペリー教授の『犬』

 

 

 
加藤周一さんの視点
  「あなたにとっても、最も好きな(フェイヴァリットな)思想家は誰ですか?」と訊かれたら、私は「加藤周一さん」と申し上げます。まだ訊かれたことはないけれどもね。...
 

 

 ブルース・ペリー教授は、「自分の直感が語ることと、子どもが語ることにいつでも耳を傾ける続けることが正しい、って信じた」、と言いますでしょ。 私なども、あの無知な「専門家」の言うことに、ウソくささを感じましたからね。「くさいなぁ」って。もともと鈍感な私ですが、子どもとのやり取りのおかげで、だいぶ鍛えられてきたみたい。直感が冴えて来たみたいですからね。それで、その無知な「専門家」がやる、授業を見たんですが、下を向いてたり、なんか目がよどんでる子どもがほとんど…。その授業が、子どもに役立ってないのは、その子ども等の瞳がよどんでいることにハッキリ感じましたね。10分で十分でしたよね

 でも、まだ、その無知な「専門家」にすり寄ったほうが「得」だと思い込んだ人がいるみたい。餌(本ダスヨ)に釣られて、クンクンと犬になってんですね。はやく犬は卒業して、「自由な人間」になってほしいところですね。

ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog の第11章、「癒しのやり取り」に入りますp.231。

 

 

 

 

 

  癒しのやり取り

 

 

 私は、この本で皆さんと分かち合って来た、いろんな物語の子どもたちの治療をしてきたことは、本当に名誉なことだったんですね。しかも、私は、その子ども等から、本当にたくさんなことを教えられてきたんです。私はいつも驚かされてきたのは、大人だったら耐えられないような状況に、その子ども等が対処してきた、その勇気、その強さ、その力なんですよ。神経連続的な治療法(訳注:ブルース・ペリー教授が開発した、発達トラウマの治療法。http://lakesideconnect.com/trauma-and-trauma-informed-care/bruce-perry’s-neurosequential-model-of-therapeutics/参照)みたいな緊急の治療法は前途有望だけれども、私の経験から言えば、研究からも言えることですけれども、トラウマを負わされた子どもたちが生活する上で一番大事な癒しの経験は、セラピーそのものからは生じない、ということです。

 

 

 

 

 こう言うと、ブルース・ペリー教授は、セラピーを否定しているように誤解しますけれども、そうじゃあありません。いつでも、トラウマを負わされた子どもにとって大事なのは、やり取り、やり取りのある関係だ、ということです。

 

 


 

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