エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

他のセラピストが見放した多くの人を見て来た経験から

2016-03-07 07:35:03 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
神聖な意味はいつでも味わえる、いつでも忘れ去られる
  信頼はあらゆる発達に先んじます。信頼のない者の発達は、エリクソンの言葉で言えば「偽りの前進」です。 Young Man Luther 『青年ルター』のp1...
 

 

 本物を目指す者は、自分は何者? をハッキリさせることです。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の、p.110の、第3パラグラフから。

 

 

 

 

 

 この世の中で自分を確かにさせることがあいまいになると、自分が自分でも分からなくなりますし、多くの人、おそらくほとんどの人にとっても、訳が分からなくなりますもんね。年を取るにつれて、身分や役割が怪しくなると感じます。年を取ったら、何て呼ばれたいですか?85にもなった自分は、何者なのか? 盛りだった自分と比べてもね…。

 

 

 

 

 エリクソンにとって、自分を確かにされること、自分が何者なのかをハッキリとさせることが、いかに大事だったかが分かりますでしょ。それはエリクソンその人にとって大事なだけじゃぁなくて、他のセラピストが見放した多くの人を、エリクソン自身が見て来た経験から、その大事さに気付いたからこそ、大事にしているものなんですよね。

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「協調性」=「多数派の暴力」

2016-03-07 07:03:53 | エリクソンの発達臨床心理

 

 
ナチと管理教育はご親戚筋 改訂版
  ナチと言えば、那智の滝。滝そのものが神道のご神体だそうですね。残念ながら、私はまだ一度もこの滝を拝んではいません。ただ、大学1年の時に尾鷲から大台ケ原まで沢登...
 

 

 昨日「こころの時代」で、「森のイスキア」の佐藤初女(さとうはつめ)さんのお話を伺って、感銘を受けました。佐藤初女さんのお話はまた別の機会に。でも、本当に「正しいこと」(=δικαιοσύνηディカイオスーネ 「神の義」≒「組織のご都合を超えて、全人類、宇宙にとって正しいこと」)は、犠牲が伴うものですね。「犠牲を伴わないものは、本物の奉仕(セラピー)ではない」という佐藤初女さんの言葉は、日本のサイコセラピストには必要不可欠なことですね。学校や病院などの「犬 a dog」であってはなりませんからね。「犬」として仕事をしても、大したセラピー(もともとは「奉仕」の意味)は、決してできません。ブルース・ペリー教授が言う通りでしょう。

 ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog より、p.210、真ん中あたりから。

 

 

 

 

 

 ジェームズのケースでは、母親のマーレは「ドクターショッピング」をいつもしてたんですね。つまり、マーレは、ジェームズを「反応性愛着障害」と診てくれ医者を探して、自分のやることや判断に近い問いを問うてくれる医者のところに寄って行ったんですよ。マーレは、自分のやってることに賛成してくれるセラピストやソーシャルワーカーのいろんな意見を、児童福祉当局に伝えることはできましたが、反応性愛着障害とは診断しないセラピストやソーシャルワーカーのいろんな意見は、言いませんでしたね。

 

 

 

 

 こういう親は結構いますよ。でも、マーレとはちょっと違います。愛着障害と言われたら、環境要因が大きいので、母親の不足、不十分を指摘することになりますね。その点、「発達障害」ADHDや自閉症と言われたら、「あぁ、この子がこんなであることも、私のせいじゃぁないんだ」と「安心」しやすい。ですから、愛着障害と言うようなサイコセラピストよりも、ADHDと誤診して薬を出す類の、ヤブ医者が、人気が出がちです。

 しかし、昨日も指摘しましたように、学校も同様なんですね。学校に都合のいい「犬」として立ち居振る舞う「セラピスト」の方が、学校を子どもひとりびとりが生きるように、苦言を呈するようなセラピストよりも好まれますね。日本語ではそれを「協調性がある」と言いますけれども、これは多数派の暴力そのものです。つまり「協調性」=「多数派の暴力」なんですね。

 ナチと管理教育を見れば、それは火を見るよりも明らかです。

 

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まとめる力と生きる指針

2016-03-07 06:47:57 | アイデンティティの根源

 

 

 
神聖な意味はいつでも味わえる、いつでも忘れ去られる
  信頼はあらゆる発達に先んじます。信頼のない者の発達は、エリクソンの言葉で言えば「偽りの前進」です。 Young Man Luther 『青年ルター』のp1...
 

 

 まとめる力があることは、自分の尊厳を守ることの要らしい。

 今日は、Young Man Luther 『青年ルター』、第Ⅷ章 終章(エピローグ)のp.260の、長~い引用部分の最後の行の途中から。

 

 

 

 

 

というのも、その人は、それぞれの人生は、人生の巡り合わせの一かけらと、歴史の一かけらが偶然に一致したものだと知っているからですし、その人にとって、人間すべてをまとめることは、その人がまとめるやり方と完全に一致すると知っているからでもあります。まとめるやり方は、文化や文明によって発展するものですが、「魂の親譲りの遺産」になります。それは、自分自身の道徳的父性の印となります(スペイン語で「名誉は、魂の伝承です」『カルデロン』より)。まとめる力があれば、最終回答を出さずとも、死はそのトゲを失くします。

 

 

 

 

 

 まとめる力は、父親譲りの道徳らしい。それは、まとめる力が、一定のオリエンテーション(方向性)を必要としていることを示すものでしょう。まとめると言っても、無定見では、まとめることなどできないからでしょう。一定の方向性、一定の目的のある生き方、生きる指針があって、初めとまとめることに繋がるものだからでしょうね。

 

 

 

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本音と建て前の一致

2016-03-07 04:42:59 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
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  時々でもいい、夜空の星を見上げていたい。 The Sense of Wonder 『不思議を感じる心』から p92の4行目途中から。 &...
 

 内省は、自分の物語の母親です。 

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第14章 Languare : Miracle and Tyranny「言葉 :奇跡も残虐も(、もたらすもの)」p.239のブランクまでの7行目途中から。

 

 

 

 

 

怖い思いをさせられて、捨てられた少女が、家族から捨てられて、ずっと一人ぼっちで、病気にもなったのは、どんな具合なのか? と話してほしいと頼みました。女性はすすり泣いて、しばらく静かにしてから、言いました。「嫌です」と。 その問いに耐えられなかったのです。女性は支援してもらうべきでした。誰かが女性の面倒を看るべきでした。その後で、女性はまた気分を改めて、誇らしげに自分がしてきたことを語りました。助けられずとも、いかにここまでやってこれたのか、を語りました。本音と建前がようやく一致したのでした。

 

 

 

 

 自分のことを語ることができて良かったですね。

 私どもも、本音と建て前を一致させるような自分を生きたいものですね。

 

 

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