goo blog サービス終了のお知らせ 

エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

自分を確かにできないニッポン人

2016-03-06 20:42:09 | アイデンティティの根源

 

 

 
見通す力=信頼する力
  三浦雄一郎さん。昨年の5月に80才でエベレスト登頂に成功して、話題になりましたね。当ブログ目標・指針・目的、そして、ヴィジョンでも、「三浦雄一郎さんのことを研...
 


 

 まとめる力があると、自分の人生は唯一無二、と分かるものらしい。

 今日は、Young Man Luther 『青年ルター』、第Ⅷ章 終章(エピローグ)のp.260の、長~い引用部分の11行目途中から。

 

 

 

 

 

自分の人生を唯一無二として受け入れることは、両親を新たに別の形で大事にすることです。自分の人生を唯一無二として受け入れることは、離れた時間、別々の目的をまとめるのも同然です。人間の努力に意味を授ける、様々な生き方は相対的であることは知っているけれども、まとめる力があることは、「殺すぞ」と脅かされたり、「首だ」とおどかされたりしても、自分自身の生き方の尊厳を守る心構えをすることです。

 

 

 

 

 

 ニッポン人が大勢順応主義で、自分の「上」の子分に進んでなるのは、自分の人生を唯一無二と感じていないからですし、まとめる力を持ち合わせていないからでしょ。ということは、自分を確かにさせること出来てないのが、ニッポン人、ということのなりますもんね。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何者? は超越に結びつく

2016-03-06 19:51:50 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
アイヒマン裁判の性質
  アイヒマンの裁判の冒頭場面です。 『エルサレムのアイヒマン』Eichmann in Jerusalem の3ページの6行目途中から。 &...
 

 

 自分の仲間が、「ムラ」内(八王子の家具屋さんではありません)だけなのか? それとも全人類なのか? ニッポンでは、とうの昔に村はなくなったのに、村の生き方は、職場や町内会や学校など、様々な組織に姿を変えて、生き続けている、と指摘したのは、加藤周一さんです。「ムラ」人である限り、人権や人間らしい暮らしとは、真逆の、無責任とイジメの組織となることに相場は決まっています。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の、p.110の、第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 もちろん、私ともはいろんな役割を果たしますし、実際にやってみたいと願っている役割を試します。特に思春期においては、そうですね。身なりや化粧が役立つ場合もあるかもしれません。でもね、長い目で見たら、私達は何者なのかという、ウソもゴマカシもない感じを心にとどめていることによってのみ、私どもは地に足を付けることもできますし、私どもはどこにいて、私どもは何者で、私どもは何を守ろうとするのか、がハッキリと分かる高みに、意識を高めることもできるでしょう。

 

 

 

 

 

 自分は何者?ということをハッキリとつかむことは極めて大事です。なぜなら、それなしに、自分を確かにさせる、なんてありえませんでしょ。自分が何者か? が分かると、地に足がつくのですから、人の役に立ちますね。また、自分が何者か? が分かると、意識が高くなるのですから、仲間の範囲は、自分の所属集団を超越することも可能になるはずですね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

物語と癒し

2016-03-06 02:24:50 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 

 
星を、そして、心を見上げてごらん
   精霊の澄んだ音色、素敵でしょうね。 The Sense of Wonder 『不思議を感じる心』から p91の第3パラグラフから。 &...
 

 

 自分の辛い過去も、物語にして話すと、不思議に折り合いのつくものになるものらしい。この女性の場合も、そうなんでしょうね。 

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第14章 Languare : Miracle and Tyranny「言葉 :奇跡も残虐も(、もたらすもの)」p.239の第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 次に私がその女性に訊いたことは、幼い少女が、自分にずっとついて回る、てんかんと初めて診断されたことはどんな気持ちがするものか? ということでした。女性は、「私寂しいの」と言って泣いたり、「誰も助けちゃくれないの」って怒ったりはしないで、「あの女(訳注:私)はバカで、愚痴っぽくて、甘えん坊だったのよ。自分で事をかたずけて、愚痴など言わずにいたらよかったのよ」と激しく言いました。その情熱は明らかに、自分の辛い過去に勇敢にも折り合いをつけようとしてきたことから来ていましたし、それは、この女性が生き延びてくるのに役立った、と私は思いました。

 

 

 

 

 内省したので、自分の物語を語れるようになってきましたし、その分、自分がまとまって来たのでしょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「逃げる母親」と「おバカな教員委員会」

2016-03-06 01:23:27 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
見通す力=信頼する力
  三浦雄一郎さん。昨年の5月に80才でエベレスト登頂に成功して、話題になりましたね。当ブログ目標・指針・目的、そして、ヴィジョンでも、「三浦雄一郎さんのことを研...
 

 

 女性の生い立ちも、なかなか困難に満ちた感じです。

 ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog より、p.210、始めの方から。

 

 

 

 

 

 ほとんどの親にとって、自分の子どもが最大の関心事ですけれども、情緒的に課題のある子どもたちには、子どものいろんな課題の直接の原因かもしれない、情緒的に課題のある親がいる場合がよくありますその情緒的に課題のある親と関わりながら、その情緒的に課題のある子どものセラピーを続けるけれども、その親がその子を傷つけ続けている行動に賛成している訳じゃぁありませんからね、とするのは、至難の業なんですね。その子がセラピーが続けられないのは、その親が、自分の子どもの傷に塩を塗り続ける行動パターンを、変えることに消極的であるからか、その行動パターンをそもそも変えられないから、ということが、実に多いんですよ。この手の親に限って、その子どもには非難すべき課題はないとするセラピーをすぐに疑うもんですね。

 

 

 

 

 

 ブルース・ペリー教授が一流の臨床医であることがハッキリと分かります。児童精神科臨床の機微に触れるところですね。サイコセラピストである私と同じ課題にぶつかっていることが分かって、なんか嬉しい感じがしますからね。

 子どもの課題が、親の課題の肩代わりであること、母子関係を背景としていることは実の大きい。その母親が自分の母子関係が貧しい関係である場合もあり、また、閉塞感溢れるニッポン社会の歪を、その母親がもろに喰らっている場合も多いので、母親だけが「悪者」でない場合も多い。それでも、かなり母親が悪い場合も、かなりある訳ですね。その手の母親は逃げる母親です。自分の課題から「逃げている」からです。多くの場合は仕事や研究に逃げています。その手の母親は、自分の心理面接には消極的、拒否的です。あるいは、子どもの心理面接を断ってくる場合が少なくありません

 ニッポンでもう1つ課題になるのが、大川小学校事件に代表されるような「おバカな教育委員会」です。学校は教員の「縄張り」だとヤクザみたいに考えて、アメリカや北欧のように、多職種が対等なやり取りのある関係を大事にするチームになって、課題に取り組むことが出来ません。その邪魔をするのが「おバカな教育委員会」なんですね。ナチスと同じ「人類に対する犯罪」をしている自覚は、髪の毛一本程もありませんから、子どもの人命や人権よりも、「組織のご都合」「縄張り」を優先するわけですね。その場合、「おバカな教育委員会」は、「逃げる母親」同様に、セラピーの邪魔を、税金を使って、平気の平左でしてきます

 日本のサイコセラピストは、このように、アメリカでよりも、多くの困難の中で、仕事をしている訳ですね。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする