エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

広島中3年自殺事件は、大川小学校並みの学校の病理の現われデッセ

2016-03-10 08:08:31 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
待ち望みと不思議
  満月の夜も、不思議を感じ、不思議に想いを馳せる時。 The Sense of Wonder 『不思議を感じる心』から p93の第2パラグラフから。&n...
 

 

 広島の中学3年生が、自殺したというニュースが盛んに流れます。「またか」と思います。「自殺がまたか」じゃぁないですからね。「学校の〇〇がまたかぁ」と思う訳ですね。〇〇に何が入ると思いますか? ニュースをあなたも耳にしましたでしょ。まだな方は、次をどうぞ。

 1)http://www.asahi.com/articles/ASJ383R87J38PTIL005.html

 2)http://mainichi.jp/articles/20160309/k00/00m/040/135000c

 2)の毎日新聞の記事は、一歩踏み込んだ記事で、教員の関わり方が、子どもの死を招く「指導死」が繰り返されている事実を伝えています。

 しかし、私は、それだけではない、と考えている訳ですね。大川小学校で70名以上の子ども等が殺された事件がありましたでしょ。この大川小学校事件と、今回の広島の中学3年生自殺事件も、同じ病気が出たな、と感じます。ですから、さっきの「〇〇」は「病気」です。

 今の教員は、とにかく忙しい。いろんな縛りもあります。カリキュラムという縛り、管理職からの眼という縛り、今の子どもの対応の仕方が分からない縛り…です。忙しいので、一番大事にしなければならない筈のユーザーの子どもの気持ちが、どうしても後回しになりがちです。とくに、あまり気持ちを出さない抑制タイプの子どもたち、抑制タイプの愛着障害の子どもたちの気持ちは、ほとんど考慮されないらいです。

 教員と子どもの関係は、従って、「指導」中心です。教科の指導、ルールなどの指導、「指導」中心の関わりになります。この「指導」と言う言葉は、もともとガイダンス 道案内 ガイドから来ていることを忘れてしまってんですね。旅行ガイドを見て、それに強制を感じませんでしょ。本来ガイドには、強制はないわけです。しかし、学校の「指導」には、「上下関係」「強制」が、深く結びついています。なぜなら、その教員らは、「人間を上下2つに分けるウソ」の猛毒にやられてしまっている場合が多いからです。管理職や時の政府から言われていることに対して、「NO」が言えない、無責任体制ができやすい。これが病気です。

 大川小学校に津波が来る前に、「『山に逃げよう』と6年生らが言った」と、数少ない生き残りの5年生が証言しています。しかし、急な山を、子ども等に登らせて怪我をさせるかもしれないことを恐れた誰かが、その意見を否定したはずですね。その否定に対して、子どもの意見を尊重しようとした教員がいなかった…。

 今回の広島の中学3年生自殺事件でも、担任が5回も子どもと話をしていたというのに、子どもの気持ちや子どもが知っている事実を聴きだすことが出来ませんでしたね。それは、「指導」に馴らされた教員と、子どもとの関係が「上下関係」、ワンウェイ・トリップ「一方通行」になっている証拠です。

 いずれにしても、やり取り関係にならずに、「上下関係」が支配的なところ、子どもの心の声を≪聴く耳≫のない教員が多数派・支配層になっていることが、今の学校の病理であり、その根源には、エリクソンが教えてくれているように「人間を上下2つに分けるウソ」が厳然と、無意識裡に働いている、ということです。しかも、これがレアケースかといえば、むしろ、「上下関係」・「一方通行」が多数派だと言うところが、今の学校の病理の深さを示してんですね。

 ついでながら申し上げれば、≪聴く耳≫のある教員が少数ながら、存在しますが、それ人たちは、周囲から、なかなか理解されずに、サイコセラピストに相談するケースが、結構ありますよ。その場合は、私は「あなたがしていることが、子どものポテンシャルを引き出すという意味の本物の教育です」といつも申し上げています。子どもの心の声に≪聴く耳≫のない教育など、決して存在するはずもないからですね。

 

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年寄りの愉しみ 人生の巡り合わせの不思議

2016-03-10 07:01:13 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
待ち望みと不思議
  満月の夜も、不思議を感じ、不思議に想いを馳せる時。 The Sense of Wonder 『不思議を感じる心』から p93の第2パラグラフから。&n...
 

 

 人生の巡り合わせの不思議は、いつでもやり直しが出来る、と言うところにあるみたいですね。そのためには、最深欲求に従うことです。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の、p.111の、第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 9番目の舞台になれば、それまで人様と関わって来たみたいに、頼れなくなるかもしれません。人様にいかにして関わり、交わるかは、出来ないことや頼ることが次第に増えてくることが影を落とすことになるやもしれませんしね。年寄りは、これまで以上に自分から関わりを始めなくちゃならなくなるかもしれませんよ。というのも、他の人は、関わりの「口火を切る」ことに不安を感じたり、不都合と思ったり、不確かに感じたりするかもしれないからです。

 

 

 

 

 

 年寄りは、人に頼ることが増えてきますから、それまでの対人関係を新しい対人関係にしなければなりません。それを煩わしいことだと思えば、人と関わることは面倒なので、みずから孤立を選ばなければならなくなるかもしれませんね。

 しかし、それまで培った信頼と、人や物事を見る眼が、年を取ってきた時こそ生きる、というのも、他面の真理ではないですか。いくつになっても、好奇心を失わず、イキイキしていることは、子どもの頃に、自然や宇宙などにワクワクした気持ちが試されている、と思いませんか。

 

 そうなんですね。人生の巡り合わせの不思議は、人との繋がりに気付く不思議であると同時に、自分の人生の異なる舞台が、深いところで繋がっていることに気付く不思議でもある訳ですね。

 

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最深欲求に続く道  自分の身体に訊いてみて

2016-03-10 03:03:42 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

東京立川市と国立市の境にある、立川パトリック教会の十字架

 

 
神は存在するのか?
  儀式に寄生して自分を確かにしようとする道は、その儀式の形が整い過ぎちゃうと、ダメになりやすい。   Young Man Lut...
 

 

 内省には内省に相応しい言葉があるらしい。

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第14章 Languare : Miracle and Tyranny「言葉 :奇跡も残虐も(、もたらすもの)」p.240の、第2パラグラフ。

 

 

 

 

 

 私どもが口が滑るのを避けるためには、身体が感じている感じをよくよく観察することが必要です。身体が感じる感じは、様々な感覚、声のトーン、身体の緊張を通して、語りかけているものです。内臓の感覚を感じることができるのは、いろんな気持ちに気づく源です。もしも、1人の患者さんが私に「お父さんが家族を捨てたのは、僕が8歳の時だよ」と言ったら、私はおそらく、話しを遮って、「自分の身体に訊いてみてください」と尋ねるはずです。心の中ではどう思っているのでしょうね? その患者さんが、父親と2度と会えない少年のことを話している時の気持ちって。その気持ちは、体のどこかに残ってないのかしらね? 皆さんがご自分の直感を働かせて、ご自分の鼓動に耳を傾けてみたら、すなわち、 あなたの奥底へと続く道に従う時、事態は変化し始めますよ。

 

 

 

 

 

 ヴァン・デ・コーク教授は、人の心の奥底を、よくよくご存知です

 神様は、実に不思議な方ですね。そして、実に嬉しい方です。

 

 

 「主に 自らをお委ねなさいなぁ

  主は あなたの最深欲求をちゃあ~んとかなえてくださるのですからね

 (『旧訳聖書』詩編第37編4節 私訳)

 

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偶像崇拝の恐ろしさ

2016-03-10 00:38:35 | ブルース・ペリー教授の『犬』

 

 

 
今も状況は変わらずですね、残念…。
 柏・連続殺傷事件 その心理を考える。  千葉県柏市で、24才の有為の青年が、絶望的な殺傷事件を起こしました。「臨床犯罪学」など罪を犯す人の心理...
 

 

 発達トラウマを負わされた愛着障害の子どもは、親もウソとゴマカシを故意でやり学校もウソとゴマカシを組織を挙げてやるようでは、救いがありませんでしょ。それが、悲しいかな、いまの日本の危機的状況の1つです。

 ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog より、p.211、始めあたりから。

 

 

 

 

 

 

 マーレは、結局「代理によるミュンヒハウゼン[ウソつき男爵]症候群」の状況だったと分かるでしょう。「ミュンヒハウゼン症候群」という障害名は、18世紀に、ドイツ男爵で、カール・フリードリッヒ・フォン・ミュンヒハウゼンからとられたものです。この男爵は、自分の話を大げさにいうことで知られてたんですね。ミュンヒハウゼン症候群の患者は、女性であることが普通ですが、医療従事者の関心を引き、他者から共感してもらいたくて、故意に病気になるんですね。次から次へとと医者を変えて、不必要な、痛みを伴い、侵襲的な検査や手術を受けんですね。納得できる症状をでっちあげるために、極端に走るケースもあります。たとえば、感染症にかかるために、糞便で汚れた静脈注射をする、などというケースもあります。

 

 

 

 

 

 ミュンヒハウゼン症候群については、ブルース・ペリー教授がここで記している通りです。母親に多い心の病気です。脱抑制タイプの愛着障害のなれの果てでしょう。自分自身が病気をデッチアゲル場合と、子どもを病気に仕立て上げる場合「代理によるミュンヒハウゼン症候群」とがあります。

 もっと知りたい方は、こちらをどうぞ、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%B3%E3%83%92%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%BC%E3%83%B3%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4

 ミュンヒハウゼン症候群は、ウソとゴマカシの塊です。しかし、東電(鎌田慧さんが、市井の人から学んだこと)や大川小学校(大川小学校の「事件」には、今の日本の学校教育の病理が現れています)のウソとゴマカシに比べたら、まだかわいい方だと思います。

 硬直化した組織は、東電でも教育委員会でも、ミュンヒハウゼン症候群とは比べ物にならないほどの、ウソとゴマカシの塊をやる訳ですね。それはいずれも、

組織を、神や無上の存在とする偶像崇拝の恐ろしさ

なんですね。組織の前では、市民や生徒の命も人権も、非常に軽~い扱いなんですからね。

 

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