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エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

悪魔とメンター

2016-03-30 08:06:05 | アイデンティティの根源

 

 

 
セラピーは、全人格的
  The sense of womder『不思議を感じる心』が訳了したので、どうしようかと思います。  今日からは、エリクソン晩年の著作 The ...
 


 

 幼い時分に、自分の弱さや道徳的な敏感さにつけ込まれてきた大人は、「正しいこと」をやってるフリして、口裏合わせてコッソリ悪だくみをやるパターンに陥りがちです。誰かに心底復讐したいんですね。

 今日は、Young Man Luther 『青年ルター』、第Ⅷ章 終章(エピローグ)のp.263の、第2パラグラフ5行目途中から。

 

 

 

 

 

もちろん、宗教家も、悪と戦っている時でさえ、自分はダメだぁという悪の感じに支配されていますから、悪は人間の「本性」の属すものであるばかりか、神様のご計画にも属すものですし、神様が人間に恵まれた恵みでさえある、と考えます。この仮定に対する答えは、子どものしつけのやり方も、根源的不信感、恥、疑い、自分を責める気持ちにつけ込む点で様々なのは、宗教も同様にいろいろなのと同じだ、ということです。困ったことが生じるのは、まず、本能の力が暴走するのは、悪い良心が支配ではない場合だ、という道徳的な恐怖からですし、その次は、人間にとって最高のものは否定的な道徳だとハッキリと主張する試みが、融通の利かない制度によってがんじがらめになって仕舞うことからくるわけです。

 

 

 

 

 

 子どものしつけのやり方が、根源的不信感、恥、疑い、自分を責める気持ちにつけ込むのかどうかは、様々だと言います。付け込むのは悪い良心の大人です。付け込んだりしないで関わろうとするのが、良い良心の大人です。

 子どもにとって、特に、発達トラウマの子どもにとっては、根源的不信感、恥、疑い、自分を責める気持ちにつけ込む、悪い良心の大人は、善人面の仮面をかぶっていても、悪魔でしょう。しかし、根源的不信感、恥、疑い、自分を責める気持ちにつけ込むことを避ける、良い良心の大人は、伴走者であり、メンターです。

 

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高齢者向け住宅は、高根の花 or 無料?

2016-03-30 06:43:46 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
セラピーは、全人格的
  The sense of womder『不思議を感じる心』が訳了したので、どうしようかと思います。  今日からは、エリクソン晩年の著作 The ...
 

 

 

 

 郊外の方が、人間らしい暮らしに向いています。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の、p.117の、5行目途中から。

 

 

 

 

 

高齢者施設には広い土地があてがわれて、注意深く配置され、立てられます。このような開発は、良い環境で行われることが多いし、よく寝られたお楽しみプログラムも、素晴らしいケアやその監督に加えて提供されます。このような施設のために選ばれた場所は、美しい林や池がある場合が多いし、「利用者」向けの魅力的なお散歩コースも作られています。高齢者向け住宅は、あらゆる点で高齢者のニーズに合わせるように計画されていることは明らかですし、それは、議論と批判ができないほどですが、費用が高額で、ほとんどの人にとって、高根の花です

 

 

 

 

 

 アメリカでも、高齢者向け住宅は高額なんですね。でも、日本みたいに、最初の謳い文句が、入ってみると違ってた、ということはなかったのでしょうか?

 高齢者向け住宅は、北欧みたいに、民主主義が徹底すると、ただ(無料)になります。

 

 

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口数が多いのは、隠し事があるから…

2016-03-30 02:29:00 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
唯名論とカトリックの凋落
  唯名論は、キリスト教の世俗化に走った? Young Man Luther 『青年ルター』p190の7行目途中から。  &n...
 

 

 トラウマは、表現しただけでも、癒される場合が結構ありますね。必ずしも、言葉にする必要はありません

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第14章 Languare : Miracle and Tyranny「言葉 :奇跡も残虐も(、もたらすもの)」p.245、ブランクから。

 

 

 

 

 

 言葉の限界

 

 トラウマは、それを語る者だけではなくて、それを聴く者も圧倒します。『現代の記憶の中の大戦』の中で、それは、第一次世界体験に関する研究の傑作ですが、ポール・フッサールは、トラウマが創り出す沈黙の部分について、鮮やかに叙述しています。

 

 戦争のポイントの1つは、いろんな出来事と、戦争を描くのに(適切だと思われる)手にはいる言葉の衝突です…。理屈を言えば、英語の言葉が、戦争…という現実を上手く描写しきれないのではありません。英語が語彙が豊かです。血、恐怖、苦痛、狂気、くそ!、残忍、殺人、裏切り、痛み、デッチアゲのような言葉もありますし、吹き飛ばされた両足、両手に溢れ出したハラワタ、夜中じゅう聴こえてた金切り声、死ぬまで溢れ出るケツからの出血…みたいな言い回しもあります。

 

 

 

 

 

 多弁が、むしろ、語りつくせないこと、隠し事、を浮き彫りにすることがありますね。

 

 

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1人きりでも、独りぼっちじゃぁ、ない! または、自分の闇

2016-03-30 01:12:22 | ブルース・ペリー教授の『犬』

 

 

 
田舎と安倍政権 札束以上の価値
  安倍晋三政権批判のシリーズ、最終回。何を取り上げようと思いました。 ずっとお付き合いのある障害者にしようか、それとも、高齢者にしようか、とも思いました。で...
 

 

 命と命の繋がりは、実に根源的な感じです

 ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog の第11章、「癒しのやり取り」に入りますp.233、下あたりから。

 

 

 

 

 

 科学技術が進歩するにつれて、進歩が形作る環境から、だんだん離れてしまいましたね。私どもが今暮らしている世界は、生きている存在としては褒められたものじゃありませんでしょ。この世界って、一番根源的に人間らしい必要を満たすことを考慮してくれませんから、私どもは、身にも心にも魂までにも良い活動からは引き離され、毒になるようなことに追いやられちゃいます。残念ですが、私の(児童精神医学の)分野は、この世界の方面に関わってきました。

 

 

 

 

 

 命と命の繋がりを心底実感することが出来れば、どんなの素晴らしいことでしょう。どんなの心安らかなことでしょう。それは、時空を超えた感覚だからです。1人きりでも、決して一人ぼっちにはなりません

 ところが、今の世界は、眼に見えないものは、存在しないのも同然としますから、人間にとって最も大事なものを蔑ろにします。たとえば、優しさ、人を大事にする気持ち、人と人の絆、命と命の繋がり、は、眼には見えませんでしょ。そんなものは、なきに等しいものとして、世界を作る…。

 ですから、今の世界に住む人は、眼には見えない、「心」を病んでいる人が、とっても多いし、しかも、まさか「自分が病んでいる」(闇に囚われている)とは、気付いてない人が、ビックリするほど多いのですね。

 

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