エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

7つの舞台の果実 : 揺ぎ無い確信

2016-03-04 07:56:14 | アイデンティティの根源

 

 

 
反抗的人間 Noとハッキリ言う≪市民的勇気≫
  先日このブログでご紹介しました、岡田尊司さんの『子どもが自立できる教育』の一節。「ヨーロッパの教育でとても重視されるもので、日本では軽んじられているものとして...
 

 

 まとめる力≪狭き門≫より入って初めて、手に入れられるものでしょうね

 今日は、Young Man Luther 『青年ルター』、第Ⅷ章 終章(エピローグ)のp.260の、長~い引用部分から。

 

 

 

 

 

 あれこれと物事や人々の世話を焼いて来た人で、いろんな人々を生み育て、いろんな物事や思想を作り出しすことに必ず伴う、酸いも甘いも味わい尽くした人だけが、7つの舞台の果実を手に入れることができるものなんですよ。それは「自我をまとめること」と言う以上の言葉を知りません。明確に定義することなどできませんが、そういう心構えについて少しふれましょうね。1つは「世の中の事にはすべて、秩序と意味があるもんだ」ということに対する揺ぎない確信をいただける、ということです。

 

 

 

 

 ジョアンとエリクソン、完全にシンクロしてんですね。だって、ライフサイクルの理論は、お2人の合作、ですからね。

 ですから、「なんて無力なんでしょう」という事態を受け入れざるを得ない場面に出くわすことになったって、「世の中の事にはすべて、秩序と意味があるもんだ」ということに対する確信は揺るがない、ということです。

 

 

 

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何があっても 「大丈夫!」

2016-03-04 07:19:59 | アイデンティティの根源

 

 

 
おとぎ話の鈴鳴らし
  自然の力や神の意思を感じていたい。 The Sense of Wonder 『不思議を感じる心』から p91の第2パラグラフから。 &n...
 

 

 「弱くなるのは、幸いなるかな」、と言える人物でありたいものですね。そうすれば、「何があっても大丈夫」ということ請け合いです。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の、p.109の、ブランクまでの4行です。

 

 

 

 

 

しかしながら、厳しい現実を押し付けられた時は、なんて無力なんでしょう」という事態を受け入れざるを得なません。年を取ったために、competence コンピーテンス、「人とやり取りする力があると同時に、物事に対処できる力がある感じ」でもなくなることは、見くびられた感じでしょ。私どもは、いい年をして、恵まれない幼子みたいになりますね。

 

 

 

 

 年を取ったり、親しい人から裏切られたり、権力の犬ども(小役人)からイジメられたりして、「なんて無力なんでしょう」という事態を受け入れざるを得ない場面に出くわすことになるのは、日常茶飯事じゃぁないにしても、創造的な人ほど、巡り合いがちですね。「なんて無力なんでしょう」という事態は、恥さらし、と人も嘲り、自分でも自己嫌悪に陥る場合もあります。

 この時に、生きてくるのが≪本当の自分≫であり、「自分自身の感じ」です。最初の舞台の時に手にしたデッカイ希望が、スゥーと立ちあられて、「大丈夫」であると腹から実感できることを、皆さんにも実感していただけたら、と願ってやみませんよ。

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発達トラウマと自己評価

2016-03-04 02:24:56 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
絶好のチャンス到来の巻
トマス・アクィナス  トマス・アクィナスは、理性に自由を確保して、合理的に自分を確かにする道をひらいたと言われます。 Young Man Luther 『青年...
 

 

 

 幸か不幸か、≪本当の自分≫には、≪狭き門≫しかありません。

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第14章 Languare : Miracle and Tyranny「言葉 :奇跡も残虐も(、もたらすもの)」p.238の、第5パラグラフから。

 

 

 

 

 

 ごく最近、私が関わっている病院で、精神科の研修医たちと私が、一過性のてんかん発作の若い女性の面接をしました。その女性は自殺企図があると評価されてしました。研修医らは、症状に関する標準的な質問を女性にしました。すなわち、どんな薬を飲んでいますか? 診断されたときは何歳でしたか? どうして自殺したくなったんですか? 女性は、平常心で、淡々と応えてくれました。女性は5才に時に、診断されました。女性は職を失い、仕事をしているフリをしていることも知っていましたし、自分はガラクタだと感じていたんですね。ある訳があって、1人の研修医が、「性的虐待を受けたことがありますか?」と訊きました。その問いに私はビックリしてしまいました。その女性は、親しみのある関係や性生活で問題があることを示したためしがありませんでしたからね。その研修医は、私的な問題に首を突っ込んだんじゃないかなぁと、私は感じましたね。

 

 

 

 

 

 難しいですね。てんかんがあり、自己評価が低く、失業している女性。≪本当の自分≫を失っている可能性が濃厚にありますね。自己評価が低いからです。発達トラウマが関わると考えても、そう的外れではありません。その一つが性的虐待でしょうね。

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偉大な子ども

2016-03-04 01:22:32 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
反抗的人間 Noとハッキリ言う≪市民的勇気≫
  先日このブログでご紹介しました、岡田尊司さんの『子どもが自立できる教育』の一節。「ヨーロッパの教育でとても重視されるもので、日本では軽んじられているものとして...
 

 

 ジェームズとその兄弟の命の危険に対して、ブルース・ペリー教授らの対応は、断固としていると同時に、迅速でしたね。

 ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog より、p.209、真ん中あたりから。

 

 

 

 

 

 

 ジェームズのケースのおかげで、児童精神医学のおける重要な葛藤の1つの核心に私は正面から向き合うことが出来ました。その重要な葛藤の1つの核心とは、患者がその子どもであっても、その子どもは自分自身のケアや治療についての一番大事な決定をする立場ではないし、そのケースについての最初の情報提供者ですらない場合も多い、ということです。母親のマーレによれば、ジェームズは病気だと私どもは言われていました。だけれども、ジェームズが病気なのは、マーレがジェームズを病気になるように仕向けていたからです。ジェームズのケースは、「問題行動」のある「処遇困難な」子どものケースだと、分類されてきました。しかし、ジェームズは、現実には、勇敢で、不屈の精神があり、倫理的な子どもでしたね。しかも、ジェームズは普通は考えられないようなひどい状況におかれていたんですね。そのひどい状況とは、ジェームズが自分自身と兄弟とを救い出そうとするあらゆる試みが、「いけない行動」の証拠として分類されていた、そういう状況でした

 

 

 

 

 実に救いがたい地獄のような状況です。しかし、ジェームズは諦めませんでしたね。ブルース・ペリー教授が指摘するように、やっぱり、ジェームズは、現実には、勇敢で、不屈の精神があり、倫理的な子どもだったんですね。立派です。天晴でしょ。

 私はここまでひどいケースは経験してませんけれども、親のせいで、あるいは、家族の病理の故に、心の病になっている子どもには、かなりのケースで出くわしています。児童精神医学の葛藤の核心は、そのまま、子どもの心理臨床の葛藤の核心でもありますね。

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