今晩は、「笑い」について、考えます。
日本で笑いと言ったら、吉本興業や松竹新喜劇の藤山寛美さんの笑いを思い出す人が多いかもしれませんね。テレビでは、その手の笑いが多いのかもしれません。でも、本屋さんに行って、「漫画」や「雑誌」や、あるいは、「人文科学」、「小説」、「新書」、「新刊」などのコーナーや本棚はあるでしょうけれども、「笑い」というコーナーや本棚を日本の本屋で見つけることは少ないのではないでしょうか?
その点、欧米では、ユーモア Humor(Humour)というコーナーを本屋さんで見かけることが多いですね。はじめは気付きませんでしたけれども、宮田光雄先生の『キリスト教と笑い』(岩波新書 新赤版219)を読んで、そのように教えられましたね。確かに、欧米豪(オーストラリア)で、いろんな本屋さんに行きましたけれども、ユーモアのコーナーが実際によく目につきますね。
何故なんでしょうか? 日本では、これだけお笑い番組がテレビでは多いのに、本となれば、そのコーナーが出来るほどではないけれども、欧米豪では、お笑い番組が日本ほど多い感じもないのに、本の分類としては、ユーモアが確立している。文化比較的にその違いが生じるのは、何故なんでしょうか?
その答えは、私には分かりません。比較文化論を専門にされている方に伺いたいくらいですね。ですから、そこにはあまり深くは、入れません。しかし、私が、宮田光雄先生の教えに従って、日ごろから考え、実践していることを、ご一緒に考えることができればと思います。
笑いについての本の中で、あるいは、宮田光雄先生が引用されている笑いの本の中で、一番気に入っている本があります。何度読んでも、ますます惹きつけられる本なんですね。それは、リチャード・コート著 木鎌安雄訳の『笑いの神学』(聖母文庫)です。もともとの本は、Cote, Richard G. Holy Mirth: A Theoty of Laughter, The Alpine Press, 1986です。リチャード・コートも、木鎌安雄先生も神父さんですから、カトリックの人たちですね。これは印象の域を出ませんが、欧米の笑いの本の著者は、カトリックの人が多い感じです。ですから、信頼が深い人ほど、ユーモアがあるのかもしれません。
このコートさんは、a laughing God「笑っている神」というシンボルを掲げています。これはとっても大事なものだと私はかねがね感じています。神と言ったら、『青年ルター』の話に出てくるような、エンマ様のような「怒りの神」であることも少なくないんじゃないかしらね。でも、コートさんは、「神様は笑ってんですよ」と教えてくれています。なんで神様は笑ってんのかな? この笑いは、嘲りとは真逆の笑いです。 人を貶めるような嘲りではない。宮田光雄先生の言葉で申し上げれば「解放としての笑い」です。何から解放してくれるんでしょうか?
それはね、コートさんの言葉をご紹介して、今晩の笑い考を閉じようと思います。
「” 神様は笑っておられる ”というシンボルを想像したらね、思い煩う必要などない心配を、無用なものにしてくれますし、” 自分がいかに立派な人物かをいつだって証明しなきゃ “という空しい努力から、私どもを解放して下さいます。それから、私どもが受け身になるんじゃなくて、心からリラックスすることも出来ますし、陽気で楽しくなりますから、本物のクリスチャンになれますもんね」(p.56,邦訳p.97)。