27.07.15 「父さんをかえせ!」 NO.856
私が6歳のころ、町内のみんなが振る日の丸の旗とバンザイの声で送られた父ですが、戦争が終
わって帰ってきたときは小さな箱に入っていました。
享年38歳。 33歳だった母は、生きるために近所の花街で小さな日用雑貨店を開きましたが、とても
生活の足しにはならず、伯母が米軍の購買所から手に入れた外国たばこの密売に手を出しました。
すぐに露見し警察に捕った母は叫んだそうです。
「わてがなんでこんなことせんとアカンのかわかってるんか。」 「父さんを返せ!」「わてをブタ箱に入
れたら4人の子供は餓死や。」 「なんの罪もない子供は死刑か。」 「入れるんやったら家族全員ぶち
込みなはれ。」 結果は処分保留で釈放。 母は強しです。
貧困は続きました。 父はお国のために命を捧げたのに私たちは片親ということで差別や偏見にさら
され、子育てに苦労しながら母は75歳で死去しました。
日本という国って、国民って一体なんなんやという思いがいまでも残っています。
戦争をしないと誓った国が今、戦争ができる国になろうと突き進んでいます。 なんでやねん!
*この原稿は、朝日新聞 平成27年7月12日号 オピニオン欄に掲載されました。