27.10.12 あ と 講 釈 NO.946
「講談師(講釈士)見てきたようなウソを言い」という言葉があります。 いまどき講談とか浪曲などと
言う芸能は流行りませんが、それでも脈々と続いています。
彼らは源平の壇ノ浦の合戦とか・清水次郎長伝など、口先一つで語って聞かせ、なんの映像も音響
効果もなくても聴取者の想像のスクリーンに巧みに描き、あたかも見た来たようにリアリテイーに表現
して、テレビや映画よりも効果的に表現するから、今もって根強いファンを魅了しいるのでしょう。
さて、「あと講釈」ですが野球の解説者や相撲の解説者が良くやっています。あの時はバントじゃなくて
ヒット・エンドランを狙うべきじゃかなかったかとか、あの引きが悪かったあそこはもう少し踏んばらない
とだめだ、とか、自分が出来ないようなことをのうのうとのたまう。 大体、野球や相撲は見てれば解る
のだから、解説なんかいらない。 人間社会反省は必要ですが、あと講釈・後知恵だけでは何の役に
も立ちません。 橋下維新みたいに「都構想」「都構想」って空念仏みたいなことを言っているのもな
んの役にも立ちませんが・・・。