雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

本と映像の森(第3) 26 田中芳樹『銀河英雄伝説 (全10巻) ー 書き下し長編スペース・オペラ ー』<TOKUMA NOVELS>、徳間書店、1982~1987年 20210711

2021年07月11日 08時08分55秒 | 本と映像の森
本と映像の森(第3) 26 田中芳樹『銀河英雄伝説 (全10巻) ー 書き下し長編スペース・オペラ ー』<TOKUMA NOVELS>、徳間書店、1982~1987年 20210711


 浜松市立城北図書館で借りて、10冊目をいまやっと読み終わりました。


 「原稿用紙5300枚…212万字」(第10巻、p239「あとがき」より)


 戦闘シーンは現在の陸上戦闘で1人の兵士が、「銀英伝」では1隻の宇宙船と思えばいいと思う。未来の戦闘の姿に叙述があってはいないと思う。


 長い物語なのとても1回では語れない。いわゆる「スペース・オペラ」と称していて、実際「スペース・オペラ」なのだけれど、ぼくの関心は、やはり戦闘などではなく、戦争戦略・戦争戦術にあります。


 それと個人がいかに組織に結合・結晶するか、ということ。


 そして、おそらく一方の主人公たちの拠点イズアローンはアシモフの『銀河帝国シリーズ』の「ファウンデーション」的な未開の惑星的役割をもっている。


 帝国・自由惑星同盟・フェザーン経済圏・地球教の3つどもえ・4つどっもえもアシモフの『銀河帝国シリーズ』を思わせるところがおもしろい。


そしてラブロマンス。


 ぼくがいちばん好きなのは、もちろん男性ではヤン・ウェンリーとユリアン・ミンツ、女性ではフレデリカ・グリーンヒルとカーテローゼ(カリン)・フォン・クロイツェルだ。


 残念なのはユリアンとカリンの熱烈なラブシーンが、ついになしに終わってしまったこと。第11巻か第12巻があればいいな。ぼくの妄想では、ヤンの後をつぎたがらず逃げまくるユリアンをひっぱたいて覚醒させる役割はカリンでなければならないのですが。


 あとは「外伝」を読むこと、そしてまた「本編全10巻」をよみかえす時間があれば、「銀河英雄伝説 未来年表」を作ることになると思います。



本と映像の森(第3) 25 吉村仁『素数ゼミの秘密に迫る! ー 17年と13年だけ大発生 ー』サイエンス・アイ新書、2008年

2021年06月01日 16時37分04秒 | 本と映像の森
本と映像の森(第3) 25 吉村仁『素数ゼミの秘密に迫る! ー 17年と13年だけ大発生 ー』サイエンス・アイ新書、2008年


 ソフトバンク・クリエイテブ、126ページ、定価本体952円。


 アメリカ合衆国で素数ゼミが発生したというニュースがあった。素数ゼミとは17年と13年間地中にいて、それが素数になる。


 たしか素数ゼミの本があったなあと思い、探してみたらあった。


 アメリカでは素数ゼミが7種類いる。それぞれ狭い地域で発生する。そのため、毎年どこかで発生するが、全国的に発生はしないようだ。


 「17年ゼミ」とか「13年ゼミ」というっと、16年間あるいは12年間まったく発生せずに17年目あるいは13年目に突然大発生するというイメージだがそうではない。


 著者は素数ゼミの発生に立ち会い、その狂騒ぶりを記者のように克明にレポートしている。


 そして素数ゼミの歴史的起源について考察し、その起源が北アメリカの氷河時代にさかのぼることを明らかにしている。


 科学的にも、ルポルタージュ的にもおもしろい本です。



 本と映像の森(第3) 24 中塚明『司馬遼太郎の歴史観 ー その「朝鮮觀」と「明治栄光論」を問う ー』髙文研、2009年 20210522

2021年05月22日 10時37分30秒 | 本と映像の森
 本と映像の森(第3) 24 中塚明『司馬遼太郎の歴史観 ー その「朝鮮觀」と「明治栄光論」を問う ー』髙文研、2009年 20210522


 222ページ、定価本体1700円。


 著者は日本近代史専攻の歴史学者。これはボクがたぶん10年前くらいに買って放置してあった本。


 いま初めて読んで、すごく重要な本だとわかった。どうしてもっと早く読まなかったんだろう。


 テーマは司馬遼太郎さんの小説『坂の上の雲』だが、ほんとうのテーマは朝鮮論と明治維新論で、その2つが1枚の紙の表と裏のようにダブルになっている。


 朝鮮は日本に比べて遅れた儒教社会で、それに比べて近代日本は明治維新で変革をなしとげ、日露戦争までは正常な道を歩んでいた。


 それに比べて遅れた社会であった朝鮮を植民地にしたのもしかたない。ただ大正・昭和の戦前日本はまちがった道を歩んだという戦前2分説。


 だが中塚さんは日清戦争~日露戦争~朝鮮植民地化の道そのものを、具体的な資料にしたがって描き出す。


 核心は、日本軍と朝鮮人民蜂起の虐殺、そして日本軍の朝鮮王宮の占領とコントロールにありそうです。


 戦前から戦後の歴史を、広くまた細かく、勉強し直さなくてはいけないな。


 それはもちろん、韓国の意見に従うことや、日本の「有識者〔この言葉、意味不明〕」に従うことでもなく、自分の意見を作るということだと思う。


 もっと勉強します。


本と映像の森(第3) 23 宮崎伊織/原作:水野英多/作画『裏世界ピクニック 01』<ガンガンコミックス>、スクウェア・エニックス

2021年05月19日 19時32分42秒 | 本と映像の森
本と映像の森(第3) 23 宮崎伊織/原作:水野英多/作画『裏世界ピクニック 01』<ガンガンコミックス>、スクウェア・エニックス


 2018年8月25日、定価本体600円。


 マンガですが初めて見たのはテレビアニメ。もうひとつ小説もあります。アニメ・マンガ・小説どれも、おもしろいです。


 マンガ第1巻は、主人公が空魚(そらを)・鳥子・小桜の若い女性3人。3人が「裏世界」という異世界に入り込んでしまう「怪奇探検サバイバル」。


 「きさらぎ駅」や「くねくね」「八尺さま」「神隠し」などネットで怪談として知られている存在が出没する危険な裏世界。


 この世界にどこか適応していない主人公たちと裏世界のかかわりと、裏世界の謎が解けるのか。


 いまマンガは6冊、小説は5冊でていますが、小説ではなんとか研究所やら、より設定がSF的になっている。


 「きさらぎ駅(二月駅)」での在沖縄アメリカ海兵隊のエピソードもおもしろい。軍人のかなりは発狂する。


 この「裏世界」は人間を発狂させるのが目的・目標なのか?


 マンガ第1巻で、空魚(そらを)は右目が青くなり、鳥子は左手指が透明化してしまい、「第4種接近遭遇」とされる。


 それが彼女たちを生き延びさせるのか?


 あきらかに、それは「聖痕」だ。「ロンギヌスの槍」がキリストの処刑の血で血塗られているように。「祝福」と「呪い」は紙一重で、プラスとマイナスが違うだけで絶対値は同じ。


 あとはマンガの続刊と小説しだいで、続きは書くかもしれません。


 「ピクニック」というお気楽なタイトルは、主人公たちのうち語り手である空魚(そらを)にとっては「サバイバル探検」なのですが、危険を意識の上ですこしは減らしたいからでしょうか。



本と映像の森(第3) 22 安富歩『原発危機と東大話法 ー 傍観者の論理・欺瞞の言語 ー』明石書店、2012年

2021年05月05日 17時33分11秒 | 本と映像の森
本と映像の森(第3) 22  安富歩『原発危機と東大話法 ー 傍観者の論理・欺瞞の言語 ー』明石書店、2012年


 270ページ、定価本体1600円。


 「げんぱつきき」とキーをひらがなで打つと、パソコンは漢字に変換してくれます。普通は第1順位で「原発機器」に。でもここでは、第何順位かの「原発危機」なんです。


 安富歩さんはボクの愛読書『ハラスメントは連鎖する ー 「しつけ」「教育」という連鎖 ー』(光文社新書、2007年)の共著者です。これは万人の必読書です。


 この本『原発危機と東大話法』の主内容は「東大話法規則一覧」を見ればわかる。ひとつ1つの解説は省略します。


 規則① 自分の信念ではなく、自分の立場に合わせた思考を採用する。


 規則② 自分の立場の都合のよいように相手の話を解釈する。 


 規則③ 都合の悪いことは無視し、都合のよいことだけ返事をする。


 規則④ 都合のよいことがない場合には、関係のない話をしてお茶を濁す。


 規則⑤ どんなにいい加減でつじつまの合わないことでも自信満々話す。


 規則⑥ 自分の問題を隠すために、同種の問題を持つ人を、力いっぱい批判する。


 規則⑦ その場で自分が立派な人だと思われることを言う。


 規則⑧ 自分を傍観者と見なし、発言者を分類してレッテル貼りし、実体化して属性を勝手に設定し、解説する。


 規則⑨ 「誤解を恐れずに言えば」と言って、嘘をつく。


 規則⑩ スケープゴートを侮蔑することで、読者・聞き手を恫喝し、迎合的な態度を取らせる。


 規則⑪ 相手の知識が自分より低いと見たら、


 規則⑫ 自分の議論を「公平」だと無根拠に断言する。


 規則⑬ 自分の立場に沿って都合のよい話を進める。


 規則⑭ 羊頭狗肉


 規則⑮ わけのわからない見せかけの自己批判によって、誠実さを演出する。


 規則⑯ わけのわからない理屈を使って相手をケムに巻き、自分の主張を正当化する。


 規則⑰ ああでもない、こうでもない、と自分がいろいろ知っていることを並べて、賢いところを見せる。


 規則⑱ ああでもない、こうでもない、と引っ張っておいて、自分のいいたいところに突然落とす。


 規則⑲ 全体のバランスを常に考えて発言せよ


 規則⑳ 「もし○○○であるとしたら、お詫びします」と言って、謝罪したフリで切り抜ける。


 これは、いわば『ハラスメントは連鎖する ー 「しつけ」「教育」という連鎖 ー』の支配層版です。


「規則①~⑳」はともかく、著者の「東大=ショッカー仮説」や「立場」「役」「職」についての分析はすごく面白いし、的を射ている。。


 この本が人に役に立つかは、人によってすごく違うと思う。





本と映像の森(第3) 21 福岡伸一『ルリボシカミキリの青』文春文庫、文藝春秋社、2012年

2021年05月01日 21時00分11秒 | 本と映像の森
本と映像の森(第3) 21 福岡伸一『ルリボシカミキリの青』文春文庫、文藝春秋社、2012年

 「雨宮智彦のブログ 福岡伸一」で検索するとボクの「本と映像の森」が2件ヒットしました。


 「本と映像の森 210 福岡伸一さん著『動的平衡 2 ー生命は自由になれるのかー 』木楽舎、2011年 2012年06月05日 05時29分40秒」


 「本と映像の森 247 福岡伸一さん著『フェルメール 光の王国』木楽舎、2011年 2013年04月06日 11時06分06秒」


 
 福岡伸一『ルリボシカミキリの青』がヒットしないので、おかしいな、書き忘れているのかと、「雨宮智彦のブログ 福岡伸一『ルリボシカミキリの青」でグーグル検索しました。


 下の2014年「雨宮日記 7月29日(火)」だけがヒットしました。


「雨宮日記 7月29日(火)の1 佐世保の女子高校生クラスメート解体殺人で思い出すこと 2014年07月29日 17時17分34秒 | 雨宮日誌


 佐世保の女子高校生がクラスメートの女子高校生を自ら手をかけて殺した上、準備した刃物・工具で同級生の遺体を解体したという事件。


 なにか記憶にあるので、家の中を探索してみると、ありました。


 生物学者の福岡伸一さんの著書『ルリボシカミキリの青』文春文庫、2012年9月発行。


 この本の「第4章 理科的生活」に「神隠し殺人事件の1考察」というのが載っていて、実際に起きたと思われる、2008年4月にマンション9階の部屋から帰宅したOLが失踪した事件で2つ隣の部屋の男性が「彼女を殺してバラバラに切断して下水に流した」と供述していると、書いてある。


 死体がなければ事件は成立しない。そんなことが実際に可能だろうか。


 そして福岡センセイは、フィクションから2つ実例(?)を上げる。1つは「芹沢家殺人事件」。ホテルの1室に男女が入っていく。5時間後、出て来たのは男性1人。警察が部屋へ踏み込むと、女性は影も形もない。いかなる証拠も血の跡もない。警察は、男性が5時間のあいだに異常な集中力で女性を切り刻みトイレに流したと推定し‥


 男性の本名は誰も知らないが、通称名は「ゴルゴ13」と言います。


 もう一つの作品は松本清張さんの『影の地帯』では科学的処理で遺体を切り刻みやすい固体にして・・・詳しくは本書参照。


 加害少女の生育歴はまた別途考察したいと思いますが、もしこの少女が『ルリボシカミキリの青』もしくは『ゴルゴ13 芹沢家殺人事件』あるいは松本清張『影の地帯』が自宅か学校の図書館にあって読んでいたとすると‥。


 今日は忙しくてなかなか時間がとれないけど、気の置けない友だちと則子さんとぼく、3人で飲みにいきます。うれしいな。」


 ボクの愛読書なのですが、どうも「本と映像の森」には書いてないようですので書きます。


 生物学者福岡伸一さんの本で、ボクが一番大好きな本。福岡さんんは緻密に1点を探究・構築した科学性と広く周りを見渡せる広視野をあわせもつ人だと思います。なかなか、両方を持てる人は少ない。ボクもそうありたいと思う。


 ボクの好きな話題が載っているところは以下の場所。おもしろいと思います。


 ウイルス(p16~17)
 ミールワーム(p19~20)
 男(p21~24、27)
 GP2(p39~43)
 PCR(p93~94)
 フタバスズキリュウ(p95~97)
 狂牛病(p118~120)
 「なぜ私たちは太るのか」、カロリー(p127~129)
 一流と呼ばれる人の1万時間(p133)
 校正者の視点の深度(p173)
 トポロジ-、人間はちくわである(p185~187)
 コラーゲン(p191~193)
 なつかしさ、ノスタルジー(p200~205)
 「花粉症から見える自己」、アイデンティティ(p217~219)
 トンボのデザイン(p241~242)
「ルリボシカミキリの青はなぜ美しいのか」(p245~246)


 まだまだ書きたいところがありそうだけど、今日はこれまで。



本と映像の森(第3) 20 蘇暁康・羅時叙・陳政『廬山会議 ー 中国の運命を定めた日 ー』毎日新聞社、1992年 20210424

2021年04月24日 10時14分34秒 | 本と映像の森


本と映像の森(第3) 20 蘇暁康・羅時叙・陳政『廬山会議 ー 中国の運命を定めた日 ー』毎日新聞社、1992年 20210424


 監修:辻誠吾、495ページ、定価2500円。中国語原題「ユートピア祭」


 習近平の現代中国を「理解」しようとするなら毛沢東の過去中国を「理解」しなければならないと思う。


 この本は1959年の7月から8月まで中国・江西省廬山で開かれた中国共産党中央委員会の諸会議を扱っている。時間空間で言うと局時局部の現象である。


 だが、ある意味で戦後中国の歴史の転換点となった。なぜなら政策をめぐる意見の相違がついに「反党分派」とされたから。


 彭徳懐・張聞天・黄克誠・周小舟らが「右傾」とされ失職した。ある意味、この事件は1950年代の路線闘争を総括し、1960年代の2000万人以上が餓死した悲惨な「大躍進」と1966年以後の悲惨な「文革」への転換点となっったと感じる。

 著者たちは細かく日と時間とひとり1人の個人を追って、事実を再組み立てしていく。それがどの程度真実に近いかわからないが、現時点ではかなりの確度がありそうだ。別の可能性が出てくるまでは。


 著者たちは、もちろんこの「右傾分子」たちが実際は正しい人々だったという立場に立っている。ボクも1970年代の昔から興味があっていろいろ読んできたけど、ボクもそう思うが、さらに考えていきたい。


 立場は正しいが、戦略・戦術は正しかったのか?


 この本を通読すると、中国共産党中央委員会の正式会議なのだが、その会議の何週間かにもわたる長さにびっくりさせられる。


 さらに彭徳懐が「反党分子」とされ、さらに張聞天・黄克誠・周小舟らも「彭徳懐を頭とする反党集団」とされたのは毛沢東がまず断定しただけだということにビックリする。


 3番目に驚かされるのは「廬山会議」というけれど、ボクたちの考える「会議」の形すらなしていないことです。とくに毛沢東の「判定」が出てからは「廬山つるしあげ」「廬山ハラスメント」の感がある。


 のちに文革で失脚する劉少奇ら幹部も先頭に立ってこの「つるしあげ」「ハラスメント」に生き生きと(それとも、いやいや?)参加している。


 おかしな話は「反党集団」で行政職を失職したのに、1人ほとりの党籍は除名もされたとは書いてない。毛沢東が指示しなかったということか。迫害する対象として残しておいたということか。


   ◇


 最後に、今の中国は局部局部で同じような「つるしあげ」「ハラスメント」の感がある。とくに新疆や香港でひどいが、それが国外へも漏れ出てきたと思う。これは別稿で書くつもりです。



本と映像の森(第3) 19 内藤了『スマイル・ハンター ー 憑依作家雨宮縁(えにし) ー』祥伝社文庫、2020年

2021年04月22日 14時11分16秒 | 本と映像の森
本と映像の森(第3) 19 内藤了『スマイル・ハンター ー 憑依作家雨宮縁(えにし) ー』祥伝社文庫、2020年


 内藤了さんは「新・本と映像の森 92 内藤了『MIX 猟奇犯罪捜査班 藤堂比奈子』角川ホラー文庫 2017年10月25日 14時45分56秒」や「新・本と映像の森96 内藤了『AID 猟奇犯罪捜査班 藤堂比奈子』ホラー文庫、角川書店、2016年、2017年11月12日 13時50分24秒」で取り上げた。


 その内藤さんの新シリーズ第1作。次が期待できる連作。


 語り手は、元出版社のカメラが趣味の装丁マン・蒲田宏和(かまたひろかず)と黄金社の編集者真壁(まかべ)の2人。


 2人が取材し出会う相手は「憑依作家」の雨宮縁(えにし)。蒲田が最初に雨宮縁に会ったとき、雨宮は初老の男性だった。


 ところがあうたびに雨宮は美女や若い青年や女子高校生になりきっている。本当の雨宮縁は何者なのか。


 雨宮は犯罪を暴くために、巧妙な罠をしかける。・・・・・・。


 連作で、雨宮の異常な生い立ちと雨宮が追っている謎がすこしづつ明らかになっていく。



本と映像の森(第3) 18 石森章太郎『少年のためのマンガ家入門』秋田書店、1965年 20210419

2021年04月19日 13時14分07秒 | 本と映像の森
本と映像の森(第3) 18 石森章太郎『少年のためのマンガ家入門』秋田書店、1965年 20210419


 A5版、172ページ、定価320円、NDC724。


 この本に1972年~1973年の新聞切り抜きがはさげてあるので、20代のその頃までには買っている。読んだ記憶もある。


 マンガ家になるつもりなどはぜんぜん無くて、映像・美術の勉強のつもりだったと思う。


 「第1部 入門編」は「第1章 おさらい(道具、書き方、発表)」と「第2章 自己紹介(マンガ家への道)」に別れている。中心は石森さんの半自叙伝と思います。この部分だけでも読む価値はあるでしょうね。


 「第2部 テクニック編」は、この本の中心だと思う。


 モチーフ、テーマ、プロット、コンストラクション、コンテ、シノプシス、プロローグ、タイトル、イントロ、サスペンス・・・・・・こういう用語もこの本で覚えたような気がする。


 とくに「第2部第2章 ストーリーマンガ」で自己の傑作、48ページの作品「龍神沼」を紹介し解説している部分は、すごくリアルで面白い。


 著者が書いているように、「龍神沼」ではかなり最初の話しをそぎ落としている。物語がスッキリして作品が抜群によくなったんじゃないかとボクは思います。


 今年、マンガ家の山本おさむさんが『赤旗日曜版』に連載している「新ペンだこパラダイス」で、この『少年のためのマンガ家入門』がバイブルとして出てくるので、あー、山本おさむさんは同世代なんだなあと思って嬉しくなります。


 いま「活字=左脳」の仕事を主にしながら、「動画=右脳」の仕事もしているので、いま読み返しても自分に役に立っています。


 図書館で借りるか、古書店・アマゾンなどで手に入れてお読みください。










本と映像の森(第3) 17 高杉一郎『征きて還りし兵の記憶』岩波書店、1996年

2021年04月11日 13時54分27秒 | 本と映像の森
本と映像の森(第3) 17 高杉一郎『征きて還りし兵の記憶』岩波書店、1996年


 2月17日発行、307ページ、定価2600円。


 著者高杉一郎さんは編集者・翻訳家、「小説家」と書いてある文献もあるが「体験記」作者であって、フィクションを書いたことはないと思う。


 戦前には編集者でプロレタリア文学者たちとも親交があった。中野重治さんや宮本百合子さんとも。


 徴兵され満州で終戦、シベリアで数年を過ごす。その体験を描いた『極光のかげで』で有名になるが、静岡市の大学で長く教育者として生活を送る。


 戦前からのエスペランティストで、盲目の吟遊詩人エロシェンコの全集を訳したと思う。


 戦前から雑誌編集者だったこと、シベリアへ抑留されたことが機縁でその2つがからまって高杉一郎さんをスターリン批判の位置に立たせることになった。


 高杉さんは満州で自分を徴兵した権力の1945年の崩壊と、自分をシベリアに抑留した権力の1989年の崩壊、2つの崩壊を経験しながら、高杉さんはそのやりたくもない任務を文句も言わず引き受けて、やりぬいた。


 そのため、妻の妹(大森寿恵子さん)の結婚相手である男性からは冷たい態度を取られる。誰かわからない人は、この本を読んでください。


 宮本百合子さんが、その男性とはソ連に対する態度が微妙に違うことは、貴重な証言だと思う。


 高杉さんは言う。


 「この本を書いたのは、誰かを告発するためではない。戦後半世紀のあいだに心の底に沈殿した記憶を解き放って、いけにえたちの集団的記憶としてのあたらしい歴史のために役立てたいと思うからである。」(p305)


 「誰にとっても生きるのがむずかしかった戦争と抑留、憎悪と復讐、集中営と強制労働の時代から抜け出る道が見つかったわけではない。ぬかるみの道は、これからもなお続くだろう。・・・・・・」(p306)


 高杉一郎さんのことは、宮本百合子さんとのことや、静岡市でのことなど、あまりに興味のある話題がありすぎて、またいつか書くつもりです。





本と映像の森(第3) 16 伊藤悠『シュトヘル悪霊』小学館、全14巻

2021年03月17日 13時43分36秒 | 本と映像の森
本と映像の森(第3) 16 伊藤悠『シュトヘル悪霊』小学館、全14巻


 歴史マンガの傑作です。始まりは現代日本。主人公は男子高校生須藤。前に3巻までを紹介した「本と映像の森 259」(2013年7月執筆)をコピーします。


 で、このとき書かなかったことを、そのあとで書くことにします。


「2013年07月30日 23時07分34秒 | 本と映像の森
本と映像の森 259 伊藤悠『シュトヘル』《週刊「ビッグコミックスピリッツ」連載》、小学館、2009年4月初版、210ページ、定価本体590円


 やっぱりコミックはいいですね。文字だけの小説や文学とは「情報量」が格段に多いです。もちろん、映画やアニメと同じで「情報量」がでかいのも善し悪しですけど。


 最初は、現代日本の男子高校生が「見た」、中世の戦場の夢から始まります。夜、カラオケへ集まる友達たち、遅れてくる主人公の「須藤」。


 「須藤君 学校 なんで 来ないの?」
 「なんか すげえ リアルな夢 見るの オレ
  家 燃え放題 人 死に放題で…起きらんねえの」


 そこに居た見知らぬ女子。


 「誰?」
 「先週転校してきたスズキさん。須藤くんの写メール見て急に来るって…」


 そのスズキさんをなぜか「お持ち帰り」するはめになった須藤。


 楽器製作所の自宅(両親は楽器が売れなくて蒸発中)で、最近、自分が作ってしまったおかしな形の楽器をスズキさんが見て「おねがい 楽器 さわらせて」と言う。


 その弦も張っていない楽器から音が聞こえて…


 時空を転換して、雨の降りしきるなか、彼は、なんと若い全裸の女性と化して、縄で首くくられた状態から地上に落ちて息を吹き返す。


 目の前に、女子高生のスズキさんと同じ顔の少年がおかしな服を着て立っていて、
 「また きみに会えて うれしい! おかえり シュトヘル」と言う。
 
 周りの「悪霊がよみがえったぞ!」「殺しなおせ」という兵士たちを殺して、2人は隠れ家に逃げ延びます。


 そこで女子高生スズキさんに似た少年「ユルール」が語る長い物語が始まります。
 
 物語の主人公として、まず、勃興するモンゴル族の下で働くツォグ族の族長の子で長男のハラバルとその弟、ュルールが登場します。


 ハラバルは体格もよく武力にたけ、「西夏国」を攻めるモンゴル族の将軍の下で武功をたてます。


 ところが弟の10才のュルールは武力には興味なく、文字や音楽が大好きです。2人の母は「西夏国からツォグ族の族長に嫁したけど、モンゴルに反抗した罪で母はモンゴルの大ハンに奪われ帰って来てュルールを生んだ、つまりュルールの本当の父はモンゴルの大ハンということになります。





 そして、もう1人の主人公が、西夏国の城壁都市「霊州」防衛戦で戦った、あまり強くない女兵士「スズメ」です。彼女は、戦友たちがモンゴル=ツォグに全員、残虐に殺される中、偶然、生き延びてしまい、壁に戦友たちが死体として血とともに「展示」されたところに,狼たちが来るところに遭遇してしまいます。


 彼女は,戦友たちの肉体が狼たちに食われないように、必死でたたかい、狼たちの族長との必死の戦闘で、自分を変身させます。


 「悪霊 シュトヘル」として。
 



 武力で国と仲閒を滅ぼされ敵を殺して復讐しようとする、西夏国の女、シュトヘル(悪霊)と、文章と音楽で自分たちの生きたことを伝えようとする少年、ユルール,


 どう考えても、気のあうはずもない、合意できるはずもない2人の、めぐりあい、からみあいがテーマの物語です。


 そして、「なぜ、モンゴルの大ハンは、西夏国の文字まですべて滅ぼそうとするのか?」





 13世紀初頭の中国大陸、モンゴル、金国(北宗を滅ぼした)、南宗、西夏などの国と民族と個人が織りなす、生と死の物語です!


 …たぶん、この項目、続きます。文字が好きな(ぼくと同じ「活字中毒」の)ユルールの思いを、次回,語りたいと思います。


 友人から借りた物語ですが、現代日本の高校生「須藤君」は、なかなか登場しないようです。第3巻で出てくるようですので、そこまで行ったら紹介します。」


 このとき書かなかったことのいくつか。

 まずユルールの文字とそれが意味する自分たちが生きていたことへの思い。


 シュトヘルは文字を教えた西夏族の生き残りの長ガジに言う。


 「生きて全部
  覚えておけ、ガジ。」
 「その手段を
  お前は持った。」
 「息の根が止まっても
  生きてもらうぞ、ガジ。」
 「お前らが生きていることに
  わたしとあの人の
  生きて死ぬ意味が全部ある」


 そして、シュトヘル(魂は男の子スドー)がユルールに言う。


 シュトヘル「続きを書いてもいいか。」
 ユルール「続き?」
 シュトヘル「わたしがお前の
       ことを書く。
       わたしがお前に
       出会ったことも書く。」
 ユルール「そこで、何度でも
       出会うんだね。」
 シュトヘル「そこで、俺たちは
       ずっと一緒だ。」
( 『第14巻』p19~20 )


 こういう文句を読んでしまうと泣けてくる。まるでスドーはボクみたいだ。


 14巻全部はとても紹介しきれない。別のときにやれたら他の魅力的な人たちも紹介したい。


 大ハン・テムジンや西から来た白人女性ヴェロニカ・・・・・・。




 2番目に現代とのタイムトラベル的つながり。西夏女シュトヘルが現代の高校生須藤で、現代の女子高生鈴木さんが西夏の少年ユルールなのだが、いわばトランスセクシャルな設定なのに、物語自体にはそういう雰囲気が不思議に何も無い。


 ユルールもシュトヘル(スドー)の男女性別など気にしていない。それでいいのだと思う。それを気にしすぎるのは呪縛だという感じがする。


 物語のひとまずの終わり、現代で、たぶん須藤の述懐モノローグ。


 「記された文字は
それだけでは語らない。

人がふれて
そこにー

出来事と心が
生き返る。何度でも

だから人をー


  いつも静かに
  文字は待っている」







 なお巻末の「居酒屋あの世フォーエバー」はとてもいい。傑作ギャグだと思う。


 一色登希彦/マンガ:小松左京/原作『日本沈没 15』の居酒屋「雑種天国」での出演者打ち上げ飲み会シーンのようなノリで、ボクは共感する。





本と映像の森(第3) 15 柘植文『喫茶アネモネ』東京新聞、2021年 20210218

2021年02月18日 10時13分56秒 | 本と映像の森

本と映像の森(第3) 15 柘植文『喫茶アネモネ』東京新聞、2021年 20210218


 A5版、124ページ、定価本体1000円。マンガ108編を掲載。


 『東京新聞』『中日新聞』連載の新聞マンガ。ボクは『中日新聞』で愛読者です。


 「とある町にある、ちょっとした商店街の、ちょっとした喫茶店」。


 年取ったこの道65年のマスターとアルバイトの女性よっちゃんと常連さんたちと、たまに迷い込む一般人が織りなす物語。


 みんな一癖も二癖もあるけど、どこかいいんだよね。悪人はいないのは、この世界はよっちゃんがまとめている世界で、異質な人間は追い払っちゃうんだと思う。(p17)


 マスターは、すこくいい味出してます。料理がじゃなくて、人間がです。


 こういう喫茶店、ないですかねえ。


 ちなみにボクは、先週に5年ぶりで喫茶店に行けました。5年ぶりで外でコーヒー飲みました。行きつけだった上島の喫茶店、行きたいなあ。


 『喫茶アネモネ』続刊、熱望です。



本と映像の森(第3) 14 細川貂々『ツレがウツになりまして』幻冬舎文庫、2009年 20210209

2021年02月09日 09時42分34秒 | 本と映像の森


本と映像の森(第3) 14 細川貂々『ツレがウツになりまして』幻冬舎文庫、2009年 20210209


 135ページ。マンガ。10年後に第31版に達するベストセラー。


 漢字の「貂」が一太郎ソフトでなかなか出てこなくて、結局、途中で気がついて、ネットの『ツレがウツになりまして』にアクセスして細川「貂々」をコピーしてきました。


 細川貂々(てんてん)さんは主婦でマンガ家で(らしい)です。家族は「ツレ」という夫とイグアナとカメ。


 そのツレがスーパーサラリーマンだったのだけど「うつ病」になり退職、うつと2人でつきあった約2年間のマンガです。


 うつ病というものを知らない人は読みましょう。


 ボクも30年前、軽い「うつ症状」になり、浜松市平和委員会事務局長と浜松市原水協事務局長をダブルでしていたのを2つとも解任してもらったことがあります。だから他人事(ひとごと)ではありません。


 『ツレがウツになりまして』を読んで、同じようにボクも思うこと。


 家族もうつと一緒にすごして生活を楽しめばいいんです。お金のことはありますけど、死んじゃうよりはいいんです。


 でも、うつとの過ごし方って、いまコロナウイルスとの過ごし方と似てるんじゃないかと思います。


 「コロナと戦ってうち勝つ」と言う人がいるんですね。


 うつと戦ったりしてはいけません。


 ついでにうつ病になって何もできない「ツレ」さんは、右半身不随になって何もできないボクときわめて似ている。
 
 「ツレ」さんとボクの違いは、「ツレ」さんのうつ病はいずれ治るが、ボクの右半身不随は死ぬまで治らないってことかな。


 この本の巻末を見ると『その後のツレがウツになりまして』『7年目のツレがウツになりまして』というタイトルの文庫が出ているので、少なくとも2回は再発したらしい。


 うつ病ともコロナともボクの右半身麻痺とも、末永くつきあいなさいってことかな。


 「危機を乗り越えて復活」とか「破局を乗り越えて復興」とかいうことばは、どこかにウソが混じっているのかも知れません。




 


本と映像の森(第3) 13 小野不由美:いなだ詩穗『ゴーストハント 1~12』講談社、~2010年 20210127

2021年01月28日 12時06分44秒 | 本と映像の森
本と映像の森(第3) 13 小野不由美:いなだ詩穗『ゴーストハント 1~12』講談社、~2010年 20210127


 1ヶ月以上、「本と映像の森」を書いていなかったので再開する。


    ☆


 マンガは1998年開始、12年かかったそうです。原作は、いま角川文庫で刊行されてます。


 最初はぼくも、たんなる怪奇霊媒マンガかと思いました。しかし何かが違う。


 学校や邸宅で起きる怪奇事件を寄り集まった何の関係もない面々が解決していくのだけれど。


 物語の語り手は渋谷のSPRの若い所長ナルにアルバイトで雇われた女子高生・谷山麻衣。


 だけど語り手はあきらかに主人公ではない。観察者(オブザーバー)だと思う。主人公は所長ナルですらないと思う。


 主人公は事件を寄ってたかって解決する若き男女たち。日本人の坊さんやキリスト教の聖職者、日本人巫女,中国人など多彩なな青少年少女たちが主人公です。


 事件についていくなかで、麻衣も霊能力があることが次第に明らかになっていきます。


 そのなかで夢の中で優しくアドバイスしてくれるナルに麻衣は惹かれていく。


 怪奇の謎の追求のおもしろさと、もうひとつの物語全体の本題の謎の追求が二重になっていておもしろい。


 ナルがつねに黒服なのは印象的です。


 マンガでは12巻が、すごいショックな解決編です。


 ボクとしては、超然としているポーカーフェイスな所長ナルと麻衣の再会する続編が読みたいけど無理でしょうね。



本と映像の森(第3) 12 川西政明『小説の終焉』岩波新書、2004年 20201213

2020年12月13日 11時51分32秒 | 本と映像の森
本と映像の森(第3) 12 川西政明『小説の終焉』岩波新書、2004年 20201213


 岩波書店、214ページ、定価本体700円。


 タイトルが禍々(まがまが)しいので、ボクは「何を言ってるんだ」と打ち捨てて数年間も読まなかった。


 その後、著者が大部の『昭和文学史(上・中・下)』講談社の著者であることを知って文学の専門家であることを知って、専門家の本なら立場はどううあっても、読む価値はあるだろうと読み出した。


 川西政明さんは二葉亭四迷さんの『浮雲』(1887年~1891年)から敗戦の日までの60年を前半、敗戦から現在(2005年)まで60年を後半として120年を1周樹ととらえる。


 「小説はつねに歴史とともに歩いてきた。・・・・・・これまでの歴史の上に立つ小説はもう書いてはいけない。」(はじめに、pⅳ)


 そういう立場で、著者は一つひとつの「終焉」を叙述する。


 目次は以下のとおり。


  Ⅰ

私の終焉
家の終焉
性の終焉
神の終焉




   志賀直哉の終焉
川端康成の終焉
太宰治の終焉
大江健三郎の終焉
村上春樹の終焉




   戦争の終焉
   革命の終焉
   原爆の終焉
   存在の終焉
   歴史の終焉


 以上です。こういうふうに書くと、まだ終焉してないものがある。早く終焉しろよ。


 新しい小説のサイクル、新しい歴史のサイクルが始まることをボクも望む。


 著者は言う「その非滅亡のかぼそい一線を発見してもらいたい。その非滅亡のかぼそい一線を見つけるために本書が役に立てば幸せである。」(「おわりに」、p213)


 この本は役に立ったけど、そためにはまだ足りないとボクは思う。