自伝のための断片 5 「子ども・人間の発達と教育 第1章 「反復説」への疑問」
むかし書いて発表しなかったものはたくさんある。これはそのうちのひとつ。まるっきり無価値でもないと思う。
子どもが保育園にいたころ、つまり30年くらいい前前後に書いたものがパソコンのハードディスクのなかに残っていた。
「子ども・人間の発達と教育 第1章 「反復説」への疑問
【本文】
1 「反復説」への疑問
「個体発生は系統発生を圧縮した形でくりかえす」という生物学の「反復説」は、どの程度正しく、どの程度適用できるのでしょうか。
斎藤公子さんは「私は1976年に、ポルトマンの「個体発生は系統発生を反復するなんてナンセンスだ」という説に疑問を持ちました。学問的にではなく、子供を観察している立場から、どうもおかしいと思ったわけです。先天異常児に、先祖帰りのような様相が現われることがあるのです。」(『斎藤公子の保育論』築地書館.1985年.P37)と言っています。
そして、保育での「両生類のハイハイ」の有効性の証明に、この反復説が使われたりします。
しかし、その1976年に出版された斎藤公子文『あすを拓く子ら』(あゆみ出版、1976年)では、「サルから人間への発達から学び、手の発達を重視しての0歳児保育…腕の力をつけるため、ハイハイを促すリズム遊びや」(P81)となっていて、労働による説明で、生物学的な反復説の影も形もありません。
これはなぜでしょうか。反復説による説明より、この労働による元の説明の方がむしろ納得しやすいのではないでしょうか。
井尻正二さんも別の著書で、「赤ちゃんの発育の順序は、…反復説の比喩(たとえ話)としては説得力もあるし、ひじょうにうまい比喩なのですが、反復説の例証にあげるのはまずい…なぜかというと、…妊娠7ヵ月ぐらいで、個体発生的にはサルの段階は終わってしまいます。…脳の大きさからいっても、生まれて3ヵ月ぐらいで類人猿の段階が終わってしまっている」(『こどもの発達とヒトの進化』築地書館.1980年.P52)と言っています。
さらに、ヘーゲル『大論理学』について「第2巻本質論では、対立と矛盾を混同し、矛盾を対立にひきさげ、矛盾を発展につながらない円環運動(円循環)の契機におとしいれている。第3巻概念論では、発展(進化、系統発生)を展開(発達・個体発生)にひきずりおろして、…つまり、ヘーゲルは(不可逆の)歴史を、(反復する)論理に解消して安心立命しているのである」(井尻正二『銀の滴金の滴』築地書館.1981年.P191)
ただし、井尻さんは「文化や芸術については、私の専門外のことでよくわからないのですが、文化や芸術を生みだす能力とか、感覚といったものには、やはり系統発生と個体発生の関係が成立するだろう」(『こどもの発達とヒトの進化』P52)
現状で、わたしの結論は以下の通り。
① 幼児の段階で「両生類のハイハイから…」というのは誤りであり、その有効性はむしろ、東洋医学的な、体を柔らかくすることで説明される。誰も「両生類のハイハイ」の前に「魚類の泳ぎ」があるとは思わない。だから「両生類のハイハイ」は歩行前の乳児だけでなく、どの年令の子どもにも大人にも、体を調整するのに有効であると思われる。このことはまだ証明はされていないが。
② 井尻さんが言うように、すでに、胎児は受精から誕生までの個体発生で「生命の発生から哺乳類まで」の系統発生を繰り返す。誕生前に反復してしまったことをもう一度また繰り返すことはできない。人間の胎児は誕生の瞬間、それまでの地球史と生命史の最先端に立って、脳の過塑性という新しい原理を生みだすんではないか。それ以降は、社会史の分析が必要になる。
③ そういう意味では、井尻さんの指摘で、人間の幼児は人類の歴史の系統発生を繰り返すというのが、もしかしたら妥当する可能性はある。
④ その場合、文字の習得がなぜ今、6歳なのか、説明しなければならない。文字の習得は、歴史的に見ても、せいぜい数千年前のことにすぎない。人類史の100万年以上の100分の1以下の時間で起こったことが、なぜ6歳で習得されるのか。
【第1章の引用文献】
斎藤公子文・川島浩写真『あすを拓く子ら』あゆみ出版、1976年.216P.¥3500.
井尻正二『こどもの発達とヒトの進化』築地書館.1980年.171P.¥980.
井尻正二『銀の滴金の滴』築地書館.1981年.213P.¥1200.
斎藤公子・井尻正二『斎藤公子の保育論』築地書館.1985年.147P.¥1236.
全体の予定したものは以下のようなものです。
【目次】
第1章 「反復説」への疑問
第2章 生命
第3章 自然とはなにか
第4章 認識
第5章 学力
第6章 受験戦争
第 章 教育とはなにか
発達とはなにか。「からだの発達」は「こころの発達」の土台であるが、両者は相対的に自立している。自立しながら、相互に影響し合っている。
「からだ」と「こころ」を統一する全体が「人格」「人間性」である。人間の発達とは、たんに「からだ」で何ができる、「こころ」で何ができる、という「能力」の発達だけではない、その能力をどのように、何のために、誰と使うか、という「人格」「人間性」の発達である。
思春期や、発達の「転換期」は、この「人格」「人間性」が激しく揺れ動く「危機」でもある。」