雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

自伝のための断片 5 「子ども・人間の発達と教育   第1章 「反復説」への疑問」

2018年12月01日 17時10分10秒 | 青い銀河とオレンジの花


自伝のための断片 5 「子ども・人間の発達と教育   第1章 「反復説」への疑問」 

 むかし書いて発表しなかったものはたくさんある。これはそのうちのひとつ。まるっきり無価値でもないと思う。

 子どもが保育園にいたころ、つまり30年くらいい前前後に書いたものがパソコンのハードディスクのなかに残っていた。

 

「子ども・人間の発達と教育   第1章 「反復説」への疑問


【本文】

1 「反復説」への疑問

 「個体発生は系統発生を圧縮した形でくりかえす」という生物学の「反復説」は、どの程度正しく、どの程度適用できるのでしょうか。
 斎藤公子さんは「私は1976年に、ポルトマンの「個体発生は系統発生を反復するなんてナンセンスだ」という説に疑問を持ちました。学問的にではなく、子供を観察している立場から、どうもおかしいと思ったわけです。先天異常児に、先祖帰りのような様相が現われることがあるのです。」(『斎藤公子の保育論』築地書館.1985年.P37)と言っています。

 そして、保育での「両生類のハイハイ」の有効性の証明に、この反復説が使われたりします。

 しかし、その1976年に出版された斎藤公子文『あすを拓く子ら』(あゆみ出版、1976年)では、「サルから人間への発達から学び、手の発達を重視しての0歳児保育…腕の力をつけるため、ハイハイを促すリズム遊びや」(P81)となっていて、労働による説明で、生物学的な反復説の影も形もありません。

 これはなぜでしょうか。反復説による説明より、この労働による元の説明の方がむしろ納得しやすいのではないでしょうか。

 井尻正二さんも別の著書で、「赤ちゃんの発育の順序は、…反復説の比喩(たとえ話)としては説得力もあるし、ひじょうにうまい比喩なのですが、反復説の例証にあげるのはまずい…なぜかというと、…妊娠7ヵ月ぐらいで、個体発生的にはサルの段階は終わってしまいます。…脳の大きさからいっても、生まれて3ヵ月ぐらいで類人猿の段階が終わってしまっている」(『こどもの発達とヒトの進化』築地書館.1980年.P52)と言っています。
 
 さらに、ヘーゲル『大論理学』について「第2巻本質論では、対立と矛盾を混同し、矛盾を対立にひきさげ、矛盾を発展につながらない円環運動(円循環)の契機におとしいれている。第3巻概念論では、発展(進化、系統発生)を展開(発達・個体発生)にひきずりおろして、…つまり、ヘーゲルは(不可逆の)歴史を、(反復する)論理に解消して安心立命しているのである」(井尻正二『銀の滴金の滴』築地書館.1981年.P191)

 ただし、井尻さんは「文化や芸術については、私の専門外のことでよくわからないのですが、文化や芸術を生みだす能力とか、感覚といったものには、やはり系統発生と個体発生の関係が成立するだろう」(『こどもの発達とヒトの進化』P52)

 現状で、わたしの結論は以下の通り。

 ① 幼児の段階で「両生類のハイハイから…」というのは誤りであり、その有効性はむしろ、東洋医学的な、体を柔らかくすることで説明される。誰も「両生類のハイハイ」の前に「魚類の泳ぎ」があるとは思わない。だから「両生類のハイハイ」は歩行前の乳児だけでなく、どの年令の子どもにも大人にも、体を調整するのに有効であると思われる。このことはまだ証明はされていないが。

 ② 井尻さんが言うように、すでに、胎児は受精から誕生までの個体発生で「生命の発生から哺乳類まで」の系統発生を繰り返す。誕生前に反復してしまったことをもう一度また繰り返すことはできない。人間の胎児は誕生の瞬間、それまでの地球史と生命史の最先端に立って、脳の過塑性という新しい原理を生みだすんではないか。それ以降は、社会史の分析が必要になる。

 ③ そういう意味では、井尻さんの指摘で、人間の幼児は人類の歴史の系統発生を繰り返すというのが、もしかしたら妥当する可能性はある。

 ④ その場合、文字の習得がなぜ今、6歳なのか、説明しなければならない。文字の習得は、歴史的に見ても、せいぜい数千年前のことにすぎない。人類史の100万年以上の100分の1以下の時間で起こったことが、なぜ6歳で習得されるのか。


【第1章の引用文献】

斎藤公子文・川島浩写真『あすを拓く子ら』あゆみ出版、1976年.216P.¥3500.
井尻正二『こどもの発達とヒトの進化』築地書館.1980年.171P.¥980.
井尻正二『銀の滴金の滴』築地書館.1981年.213P.¥1200.
斎藤公子・井尻正二『斎藤公子の保育論』築地書館.1985年.147P.¥1236.


 全体の予定したものは以下のようなものです。

【目次】
第1章 「反復説」への疑問
第2章 生命
第3章 自然とはなにか
第4章 認識
第5章 学力
第6章 受験戦争


第 章 教育とはなにか

 発達とはなにか。「からだの発達」は「こころの発達」の土台であるが、両者は相対的に自立している。自立しながら、相互に影響し合っている。
 「からだ」と「こころ」を統一する全体が「人格」「人間性」である。人間の発達とは、たんに「からだ」で何ができる、「こころ」で何ができる、という「能力」の発達だけではない、その能力をどのように、何のために、誰と使うか、という「人格」「人間性」の発達である。
 思春期や、発達の「転換期」は、この「人格」「人間性」が激しく揺れ動く「危機」でもある。」

 

 


青い地球とオレンジの花  断片 ① 「青い地球」

2018年07月09日 20時09分10秒 | 青い銀河とオレンジの花


青い地球とオレンジの花  断片 ① 「青い地球」

 ボクが10才のころ、世界最初の宇宙飛行士が誕生した。1961年にソ連のユーリー・ガガーリンが初めて地球を1周した。

 ガガーリンの言葉「地球は青かった」は小学校4年生のボクの心にも深く刻まれた。小学校のころ「将来の志望は?」と聞かれたら「宇宙飛行士」と答えたし、高校ではクラ部活動に「地学部天文班」を選んだ。

 しかし中学の時にか高校に行ってからか、たぶん1年の幾何でひどい点だった。自分は数学が苦手であることを痛感して、志望を理系から文系に変えた。

 でも、小学生のころの影響はずっと残っている。平和委員会活動に加わってから、1980年に浜松市平和委員会の機関紙をボクが創刊した時に、自分で命名したのが「青い地球を」である。まさかその後、「青い地球」として300数十号も続くことになるとは思いもしなかった。

 

 


自伝のための断片 ③ ビデオカメラ「VXー1000」で撮影していた頃

2018年06月30日 07時31分50秒 | 青い銀河とオレンジの花


 自伝のための断片 ③ ビデオカメラ「VXー1000」で撮影していた頃

 来年2019年は「結婚40年」(?「結婚40周年」?)をミカエル、じゃない迎える。で、それを記念して自伝史を掲載しようと思っている。

 そのための準備作業「自伝のための断片」を載せていきます。

 写真は部屋の古い資料を片付けていたら出てきた新聞記事。こんなものを切り抜いておいたのを自分でも完全に忘れていた。これはほんとうに記憶にありませんでした。モリカケ疑惑とは違います。

 1998年5月28日付け、たぶん「しんぶん赤旗」。AWACSが浜松基地に配備された2ヶ月後の試験飛行開始の日の翌日の記事だと思います。

 記事に「ビデオカメラを手にAWACSの離陸を注視する市民ら=27日午前9時すぎ、浜松市泉で」と書かれています。

 このカメラで撮影したビデオ動画が「ピース浜松 市民の平和ブログ サイトB」にアップした「浜松基地 AWACS配備のころの飛行映像 1998年(平成10年)」です。
  https://www.youtube.com/watch?v=bqdRTXIRec0&feature=youtu.be

 この中の昼閒の離着陸映像が、たぶんこの時撮影したものです。

 (07時31分50秒投稿、20時40分訂正)

 


「自伝 青い地球とオレンジの花」への断章 ① ワープロ・パソコン人生の始まり

2017年08月03日 10時26分59秒 | 青い銀河とオレンジの花
 「自伝 青い地球とオレンジの花」への断章 ① ワープロ・パソコン人生の始まり

  「自伝 青い地球とオレンジの花」を少しづつ書いていくことにする。「断章」として、記憶のあるところから書き綴ることにする。 

 30数年前、1980年代の半ば、時点は今となっては特定できないが、精神的に苦渋の日々、うつうつとした日々を過ごしていたぼくを見かねたのか、則子さんが「何か気晴らしをしたら?」という。それで「気晴らしを兼ねて、「青い地球」<注>を作るのに、ワープロで遊びたいな」と言ってみた。

 則子さんが「いいよ。いくらくらい?」と言うので、当時、まだ発売初めの頃で、記憶装置は別になく、打っている画面上のROMだけという「キャノン・ワードボーイPW-10」という機種を、今はもうない連尺の伊勢屋という文具屋で買ってきた。
 領収証が残っていて「昭和60年(1985年)5月23日 本体78000円、アダプター5000円、合計8万3000円」と書いてある。
 「ワープロ」=「ワードプロセッサー」というのは今のパソコンにプリンターが合体していて、便利といえば便利だったと思う。
 それが「ワープロ人生」の始まりである。その「キャノン・ワードボーイPW-10」は、いまでも「記念に」奧の部屋の本棚の一つに収まっている。
 
 いまウインドウズで使っているワープロ「一太郎」を使い始めたのは、たぶん80年代の終わり頃だと思う。そのころに学習協の会議に参加し始めてパソコンオタクのYさんに出会った頃から、ボクはNEC9801を使い始めてワープロも「一太郎」に切り替えた。以来、30年の一太郎ユーザーである。あの使いにくいワードを何が好きで使わにゃならんのかボクには理解できない。ちらしも使い慣れた一太郎で創っていた。
 当時はデータベースに一太郎グループの「桐 きり」を使っていたが、これはさすがに「エクセル」に切り替えた。

 たぶん最初は、5インチの大きさのぺらぺらのフロッピーデスクを使ったと思う。その後、もう少し小さな3.5インチのフロッピーデスクの時代が続いた。
 30年経ってみると、パソコンの記憶装置は100ギガを越えてしまい、普通に文章を保存するには十分となった。移動用のUSBメモリーも数十ギガとなった。

 ただしボクたちのようにビデオ編集をしていると。それでも足りない。1日の撮影料が100ギガを越えることもあるから、因果な仕事である。
 
 2017年で30年以上、ワープロを扱っていることになる。今は右手はマヒしていいるので、左手だけで文書を打っている。まだまだ文書ワークは続く。


  <注> 「青い地球」 当時ボクが担当者で作っていた浜松市平和委員会の機関紙。1980年創刊。



青い地球とオレンジの花への序章 1つの事件だけを追うのではなく、連続する事件現場を

2014年07月26日 16時17分53秒 | 青い銀河とオレンジの花

青い地球とオレンジの花への序章 1つの事件だけを追うのではなく、連続する事件現場を

 「現場百編」ともいいますけど、それも1つだけではなく、連続する事件だとするといくつかの現場を詳細に億っていくと犯人の意図・手口が浮かび上がってきます。いま、それを体験しました。いつか書きたいと思います。

 補足

 1984年の日本原水協事件と1983年の民主文学同盟事件と1972年の新日和見主義事件の3つを、原因・内容・経過・結果について細かく分析しながら研究してみてください。自分で研究すれば、ぼくの結果を待つ必要は無いですね。

 もちろん、1963年の原水禁運動・世界大会の分裂事件も。

 では、あなたの健闘を祈ります。