雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

戦争と平和 18 「青い地球」原稿 「青い地球」編集に復帰して 雨宮智彦

2018年09月12日 21時47分05秒 | 戦争と平和


戦争と平和 18 「青い地球」原稿 「青い地球」編集に復帰して 雨宮智彦

 今年夏、障害があるなかで、浜松市平和委員会理事になり、浜松市平和委員会機関紙「青い地球」編集長として復帰することができました。

 これも則子さんや仲閒の絶大な支援あってのことです。深く感謝いたします。

 9月15日号「青い地球」に載せたボクの原稿どおりで掲載します。もちろん、名前は実名で掲載されています。

 以下、原稿です。

「「青い地球」編集に復帰して  雨宮智彦

 2年4ヶ月前、2016年5月の真夜中に脳出血で緊急入院しました。64才で右半身不随になり、いまも右手・右足はほとんで動きません。外出する時は車椅子です。
残った左手で本を読み、食事をし、パソコンを打っています。妻の則子さんのアシストと介護でなんとか生きながらえています。

 退院した時は「要介護2」でしたが、1年後に「要支援1」に落とされました。介護行政の冷たさを身で味わいました。今年、介護度は「要介護1」になりましたが、身体の症状はほとんど変わりないのに、そんなに毎回介護度の評価がくるくる変わるのは何か決め方に欠陥があるのだと思います。

 頭と口と左手は幸いだいじょうぶだったようなので、今年の総会で「浜松市平和委員会理事」に選出してもらい、任務として「青い地球編集長」を申し出て受けました。

 もちろん取材・編集・印刷と、仲閒のみんなの協力抜きにはできない仕事です。ぜひあなたも原稿を書いてください。お願いします。

 「ニュー戦前」が急ピッチでボクたちの前に姿を表わしています。それも「改革」「平和」の旗じるしのもとに。 それに抵抗したたかうか、屈従しコントロールされ忖度し生きるか、無関心・無関係を装うか、逃げるか。

 私たちは、当たり前のことですが多数派ではありません。多数の人・中間の人・向こうがわの人・無関係の人をどう説得するか、ボクたちの側でよく考えてよく練った戦略・戦術が今求められているのではないでしょうか。

 ボクがあとどれくらい生きて、平和のために力を尽くせるのか誰にもわかりません。でもまだ自分の命あるかぎり則子さんや仲閒とともに、戦争や核兵器に抵抗しあらがい、平和を広げていきたい。」

 

 


戦争と平和 17 戦争と平和の本 4 計見一雄『戦争する脳 破局への病理』平凡社新書、2007年

2018年08月15日 10時56分18秒 | 戦争と平和


戦争と平和 17 戦争と平和の本 4 計見一雄『戦争する脳 破局への病理』平凡社新書、2007年

 238ページ、定価本体760円。

 「戦争と平和の本」は「本と映像の森」とは別系統にして、この「戦争と平和」で紹介していく。

 この本で今日、紹介するのは、「第1章 否認という精神病理現象」だけです。

 「あってはならないこと」が「存在する」のを予想して対応したほうがよい。「あってはならない」不祥事が起きて、謝っている会社や団体の責任者はたくさんいる。

 著者は言う。「リスク・マネージメント」ではなく「ダメージ・コントロール」でいい。

 リスク・マネージメントは経済学の投資の安全性をいかに確保するか、という理論だった。(p29)

 よくあることは「肉体」を否認する、「怒り」を否認する。

 「優しさ」「いやし」の流行は著者は願い下げである。

 著者はそれが「あるぞ」というところからスタートする。「ないほうがいい」ことを「ない」と間違えてはいけない。「ない」からスタートすると「あってはならない」になって現実を否認する「あってはならないことは存在しない」にまでいきつく。

 「航空機事故」は「あること」であって、だからアメリカなどではパイロットは訴追しない。

 戦後日本で最大の否認の対象になったのが自衛隊である、と著者は言う。それはほんとうのことである。では、自衛隊に対していまどういう態度をとればいいのか、は別論で。

 誤解しないで欲しい。自衛隊は軍隊ではないと否認したのは左翼と共産党ではない。自民党政府だ。だからと言って左翼の側に錯誤がなかったのではない。このことはまた述べたい。

 とにかく全体として興味深い本だと思う。

 大日本帝国海軍とからんで、もう1度、この「ダメージ・コントロール」を話題にすることがあると思う。

 


戦争と平和 16 靜岡県平和運動 1 索引・谷中敦『深謝・惜別ー』2007年

2018年08月14日 11時00分20秒 | 戦争と平和


戦争と平和 16 靜岡県平和運動 1 索引・谷中敦『深謝・惜別ー』2007年


索引 谷中敦『深謝・惜別ー』自費出版、2007年、281ページ

 谷中敦さんは、長く静岡県平和委員会のリーダーだった方で、2006年1月12日に亡くなった。

 これは没後1年で出版された谷中さんの主著である。

 谷中敦さんはボクたちの結婚に際して仲人をしていただいた。ボクの「師匠」であるとボクは思っている。

 いま谷中さんの記録をつくるべく、論文・関連記事・動画・写真・音声などを集め始めてている。

 以下、ボクが作った索引をかかげる。

 なぜ1冊の索引に「谷中深謝惜別 p」となっているかは、おいおい説明するつもりである。


 索引 谷中敦『深謝・惜別ー』2007年

   △ 軍事基地
   ◇ 地名
   ◎ 集会・行動


 『赤富士』      谷中深謝惜別 p37~39
 芥川龍之介 谷中深謝惜別 p144~148
 浅羽喜太郎 谷中深謝惜別 p137~142
◎アスパック闘争    谷中深謝惜別 p23~24
◇新居(あらい)    谷中深謝惜別 p73~75
◇池田二〇世紀美術館  谷中深謝惜別 p21、196
◇伊東港        谷中深謝惜別 p19~21
 伊藤博文 谷中深謝惜別 p203~205
△今沢米軍基地     谷中深謝惜別 p47~54
 入会(いりあい) 谷中深謝惜別 p55~60
 遠藤正 谷中深謝惜別 p192
 太田進        谷中深謝惜別 p87~88
 小笠原英三郎     谷中深謝惜別 p22、191~194
◇沖縄         谷中深謝惜別 p108、112~113
 沖縄人民党      谷中深謝惜別 p113
 快晴率        谷中深謝惜別 p72
◇掛塚         谷中深謝惜別 p218
 加藤周一  谷中深謝惜別 p169
 聞間元(ききまはじめ)谷中深謝惜別 p185~186
 陸井三郎       谷中深謝惜別 p98、180~183
 草野信男       谷中深謝惜別 p178~179
 熊倉啓安       谷中深謝惜別 p173~176、178
 久保山すず      谷中深謝惜別 p16~17
 桑山源龍       谷中深謝惜別 p162、163
 「広大な空白」    谷中深謝惜別 p110
 古在由重       谷中深謝惜別 p184~185
 小林徹 谷中深謝惜別 p38、176~177
 ゴヤ         谷中深謝惜別 p206~207
 斉藤玄        谷中深謝惜別 p143
 作風(さくふう)   谷中深謝惜別 p111
 サルトル       谷中深謝惜別 p156、168
◇清水港 谷中深謝惜別 p41~46
 シベリウス 谷中深謝惜別 p102~104
◇下田         谷中深謝惜別 p18~23
 白井健三郎      谷中深謝惜別 p166~172
 進藤剛敏(狂介)   谷中深謝惜別 p96
 杉末廣        谷中深謝惜別 p71
 鈴木正二       谷中深謝惜別 p24~25
◇駿河湾        谷中深謝惜別 p60
 瀬長亀次郎 谷中深謝惜別 p112~113
 専従         谷中深謝惜別 p12~13
◇中国 谷中深謝惜別 p266~278
◇天竜  谷中深謝惜別 p77~79
 ドロレス・イバルリ  谷中深謝惜別 p108~109
 中鳶哲演   谷中深謝惜別 p90~97
 中野重治 谷中深謝惜別 p89~90
 中野好夫       谷中深謝惜別 p179、187~191
 中村元 谷中深謝惜別 p180
 夏目漱石       谷中深謝惜別 p114~134
 梛(なぎ)の木    谷中深謝惜別 p97~98
 波打ち際作戦     谷中深謝惜別 p46~55
 人間魚雷       谷中深謝惜別 p60
◇日本海        谷中深謝惜別 p89~99
 日本山妙法寺     谷中深謝惜別 p14~15
◇浜松 谷中深謝惜別 p72~77
 浜松一中       谷中深謝惜別 p154~163
 林正子 谷中深謝惜別 p143
 ピカソ        谷中深謝惜別 p106、196
 ファン・ボイ・チャウ 谷中深謝惜別 p137~142
 藤井日達 谷中深謝惜別 p187
 冨士アザミ      谷中深謝惜別 p34~35
◎富士山麓総行動 谷中深謝惜別 p29~39
◎平和行進       谷中深謝惜別 p61~71
 ブレヒト 谷中深謝惜別 p105~106
 ベトナム戦争 谷中深謝惜別 p15~16、21~22、45~48
 「ベトナム特需」   谷中深謝惜別 p45
 堀田善衛       谷中深謝惜別 p148~149、197~215
 牧田喜義       谷中深謝惜別 p196
 松風いさ子      谷中深謝惜別 p102、143
 丸山真男       谷中深謝惜別 p26
◇三島         谷中深謝惜別 p25~26
 宮本顕治 谷中深謝惜別 p144
 村田豊治       谷中深謝惜別 p194~195
◇焼津         谷中深謝惜別 p
 谷中ちず(母)    谷中深謝惜別 p218~226
 谷中敏治(父)    谷中深謝惜別 p227~245
 山村茂雄       谷中深謝惜別 p142、282
◇竜洋 谷中深謝惜別 p266 
 魯迅         谷中深謝惜別 p135~137、146~147、206、249、257~259
◇若狭         谷中深謝惜別 p89~99
 渡辺卓郎       谷中深謝惜別 p142

 

 


戦争と平和 15 平和とは

2018年08月06日 18時53分40秒 | 戦争と平和

 

戦争と平和 15 平和とは


  平和とは


 平和とは
笑って遊んでいる
 子どもたちがいること

 佐鳴湖の夕焼けを
 肩寄せて眺めている
 あなたたちがいること

 すばる望遠鏡が映す
 宇宙の果ての銀河の
 テレビを見ている私がいること

 夜の浜松駅前で
 ギターをひいて
 歌っているきみがいること

 太陽の下で
 真っ黄色のひまわりが
 咲いていること

 パソコンのキーを叩いて
 防衛庁のホームページを
 見ているあなたがいること

 寝静まった夜
 庭のどこかのコオロギを聞いている
 私たちがいること

 ピョンヤンで
 金大中さんと金正日さんが
 笑顔で握手するとこと
 
 炎天下の畑に
 水を撒いている
 おじいさんがいること

 馬込川の堤防で
 ベビーカーを押している
 おかあさんがいること

 戦争のニュースのない
 今夜のテレビを
 見ているあなたがいること

 青々とした
 田んぼの上をすべっていく
 赤とんぼがいること

 平和とは
 青く輝く地球の上に
 生命がみちあふれていること


(2000/9/1)
(「第2回浜松平和のための戦争展2001」しおり)


 この「詩的メッセージ」は「第2回浜松平和のための戦争展2001」の前年に生まれたものです。「金大中さんと金正日さん」を歌っているのは、そのためです。

 全面的に改訂増補して「2018年度版」を出したいのですが、時期がまだ来ないようです。

 また今,読み返してみて本来は、この「平和とは」は、もっと深刻な「戦争とは」と一対のものだと思います。近い将来「平和とは」「戦争とは」のようなものを創りたいと思いますが、どうでしょうか。

 


トモダチ作戦は「核戦争想定下の米軍実働演習ではなかったか」 雨宮智彦 20150203

2018年08月05日 11時47分44秒 | 戦争と平和

トモダチ作戦は「核戦争想定下の米軍実働演習ではなかったか」
                  雨宮智彦 20150203

 アメリカ軍は2011年3月11日に発生した東北沖大地震・東日本大震災に最大人員1万6000人、原子力空母ロナルド・レーガンや強襲揚陸艦エセックスなど艦艇15隻、航空機140機を投入する「トモダチ作戦」をおこなったことはマスコミや防衛省も
大宣伝し、そのことはよく知られています。
 しかし、米軍兵士が放射能で被爆したことは、ネットなどで報道されましたが、みんなが知る周知のこととなっていません。
 とくに問題になっているのは原子力空母ロナルド・レーガンで、3月13日から乗員5500人とともに仙台沖・福島沖に展開しました。空母レーガンは80日間、海岸からわずか数km~十数km付近にいてヘリなどで救援作業を続けました。福島第1原発事故の放射能はその8割が海に向かったことはよく知られている通りです。被爆するのが当然の地点に艦艇を派遣したのは米軍司令部の「放射能被爆を想定した」作戦だったと推定できます。原子力空母は、内部に原子炉を抱えてつねに放射能漏れの危険に直面している艦船ですから、放射線測定器は艦内各所に常備していなくてはなりません。
 2012年12月に、トモダチ作戦に従事したレーガン乗組員だった元アメリカ軍兵士8人が東電を被告に放射能障害を訴えて、1億1千万ドルの損害賠償をサンディエゴ連邦地裁に提訴しました。2013年には43人が追加提訴して51人の原告団となり、2014年には原告団は200人を超えました。
 元操舵手モーリス・エニスさんは、作戦終了後、タイへの寄港前に「医学的に健康で疾患なし。政府に訴訟を起こさない」という文書に署名させられました。
 エニスさんは、空母に掲げられていた星条旗を下ろす仕事をしましたが、放射能汚染のうわさが艦内に広がったので気まぐれに同僚と放射能検査を受けた(いつかは不明)ら、同僚はゼロだったがエニスさんの手が放射能汚染されていることがわかりました。何度も手を水で洗い流したそうです。
 ワッサーマンさんは「金属の味のする物質が甲板に雪のように降り積もった」と証言しています。空母が作戦を終え日本を離れる頃になって、ようやく(!)飛行甲板を洗い流す作業をおこなったが、幹部の将校やパイロットにだけヨウ素剤が配布されていたことを原告の兵士は後になって知らされました。
 原子力空母レーガンは、水を海水から塩分を取りのぞいて使っています【飲み水は不明です】。もちろん、レーガンの周囲の海は高濃度の放射能で汚染されていました。
 NRC文書によれば、3月13日、レーガン上空の放射線量(ガンマ線測定値)は、
6μシーベルト/毎時(つまり現在の浜松市内0.03μSv/hの200倍)でした。もちろん、これはガンマ線による外部被曝の数値で内部被曝とα線・β線は含みませんから危険はさらに大きかったわけです。
 原告となった乗員は疾病が多発していますが、国防総省は「全身及び甲状腺に取りこまれた可能性のある汚染物質の最大評価量は、今後の調査をおこなう根拠のあるほど深刻なものではない」とし、乗員はじめ在日アメリカ軍人の連邦政府「医療記録」を中止決定しました。
 アメリカ政府のABCCと日本政府が広島市・長崎市の原爆被爆者の治療をおこなわず、検査だけをしていたのと同じです。
他の米軍艦船や、同海域で活動していた自衛隊員の健康が心配です
  なお、3月17日、福島第1原発上空300フィート(約90m)は87.7mSv/hでした。(『朝雲縮刷版 2011』p99「3月24日」による)

 注1)「アメリカ合衆国連邦政府は4月6日、アメリカ軍が展開中の「トモダチ作戦」の予算が最大8000万ドル(約68億円)であることを、日本政府に伝えた[7]。」
 普通「トモダチ」に「救援費用総額」を送りつけるでしょうか。

 注2)「「トモダチ作戦は恐らく、放射性環境下では最も有名な作戦になるだろう」、また「この経験は戦略的な価値がある」と作戦に参加した第265海兵中型ヘリコプター飛行隊指揮官は述べている[52]。」

 


「戦争と平和」の「本と映像」 4 杉末廣『はばたけ!紀伊半島から』海南タイムズ社、2001年

2018年07月12日 09時45分14秒 | 戦争と平和


「戦争と平和」の「本と映像」 4 杉末廣『はばたけ!紀伊半島から』海南タイムズ社、2001年

 B5版、157ページ,定価1800円

 杉末廣さんは和歌山県海南市民。海南市でミニコミ誌「スポーツ・カイナン」を発行している。

 和歌山県は第五福竜丸の建造の地です。そこにエンジンが沈んでいたのは因縁か。

 東京の夢の島に廃船として捨てられた第五福竜丸。その第五福竜丸から使えるエンジンだけが取り出され「第三千代川丸」に搭載された。

 1968年7月21日、濃霧の熊野灘で第三千代川丸はそのエンジンもろとも沈没した。

 その20数年後の1992年、ひょんなことから、ふるさとの海に第五福竜丸のエンジンが沈んでいるのを杉さんが知り、第五福竜丸のことを調べ始める。

 1996年12月2日、熊野灘に沈んでいた第五福竜丸のエンジンは、この日引き上げられた。

 いまエンジンは東京・夢の島の「第五福竜丸記念館」前で眠っている。

 いろいろ,当時のことやら,建造に関するいろんなことが浮かんできて、ボクにとってはとても楽しい本です。

 p120の「靜岡平和運動家」はいったい誰でしょうか?原水爆禁止運動関係者のような気がするが興味があります。

 


戦争と平和 12 すべての主張は根拠を示すのが大事だ 米国内のオスプレイ

2018年06月06日 21時42分23秒 | 戦争と平和


戦争と平和 12 すべての主張は根拠を示すのが大事だ 米国内のオスプレイ

 すべての主張は、その根拠を示さなければ議論は空論になってしまう、ということはボクが若者の頃、まず第1に教わったことだ。

 自分の主張が正しいということを主張したいならまず証拠を提示しなければならないと、ボクは思う。

 それで、以下の Twitter を見て欲しい、

 「野垣あきこ☆杉並区議会議員補欠選挙・予定候補 @akikocurry

 みなさん、今日も1日お疲れ様でした。野垣あきこ は、オスプレイ反対の日比谷集会に参加。欠陥機のオスプレイは、米国でも5つの州でしか飛ばせないのに、日本全国で飛んでるなんて許せない~」
 「21:18 - 2018年6月5日 ・ Suginami-ku, Tokyo」

 見てのとおり「欠陥機のオスプレイは、米国でも5つの州でしか飛ばせない」と書いてあるが、初耳である。聞いたことのない主張だ。

 たぶん初耳では無くて、野田さんの空耳であると思う。

 ねんのため詳しいサイトを探すと「V-22 (航空機) 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』」があった。

 それによると、2015年現在、オスプレイのアメリカ国内配備基地は次のとおり。

海兵隊
 MAG-26:ノースカロライナ州、ニューリバー
 MAG-16:カリフォルニア州、ミラマー
 MAG-39:カリフォルニア州、キャンプ・ペンドルトン

空軍
 AETC(航空教育訓練コマンド):ニューメキシコ州、カートランド空軍基地
 AFSOC:1SOW/8SOS "Blackbirds"フロリダ州、ハールバートフィルド
 AFSOC:27SOW/20SOS "Green Hornets"ニューメキシコ州、キャノン空軍基地

ノースカロライナ州、カリフォルニア州、ニューメキシコ州、フロリダ州の4州6基地で「5州」にはならない。だが数としては、かなり近い。

 誰かがどこかで誤解したのだろうか。

 ましてや「欠陥機のオスプレイは、米国でも5つの州でしか飛ばせない」とは思えない。どやって拠点基地から移動したらいいのか?

 野垣あきこさん(杉並区議会議員補欠選挙・予定候補)は、その主張の根拠・どこに出ていたかを明らかにすることが責務であると思う。

 なお野田あきこさんの全般的正しさに疑問を呈するような主張ではないので。ただ、この1行は間違っているのではないか、と思っただけです。

 


戦争と平和 11 浜松基地ニュース 6 5月19日(土) 浜松基地にブルーインパルス6機

2018年05月19日 16時45分22秒 | 戦争と平和


戦争と平和 11 浜松基地ニュース 6 5月19日(土) 浜松基地にブルーインパルス6機

 浜松は土日は朝夕のAWACSの飛行定期便以外は、通常なら飛行はありません。

 それが午後何度かエンジン音がしました。

 午後2時ごろ外へ出かけると、ちょうどT4が6機、編隊飛行していました。その後、1機づつ着陸しました。

 明らかに、機体の色からブルーインパルスです。

 ブルーインパルスの日程を調べると、明日「5月20日(日) 静岡県 静浜基地 静浜基地60周年、焼津市・大井川町合併10周年記念航空祭」でした。

 靜浜基地は滑走路が1500mと短く、T4が着陸できないので、浜松に前日「お泊まり」するのだそうです。

 明日まで浜松の空はうるさいです。

 


 戦争と平和の動き 浜松基地ウォッチ ② 4月4日(水) 昨日の深夜の爆音の続き

2018年04月04日 15時55分54秒 | 戦争と平和


 戦争と平和の動き 浜松基地ウォッチ ② 4月4日(水) 昨日の深夜の爆音の続き

 爆音のした日時は4月3日(火)の深夜でした。

 調べた結果、一番、可能性のあるのはブルーインパルスでしょうか。4月8日(日)の「岡山県倉敷市 瀬戸大橋開通30周年記念事業」で今年最初の歩行をおこなう予定です。

 宮城県松島基地から浜松へ遠征してきた部隊の一部かも知れません。

 米軍機だったら、もっと大きな爆音と思う。

 浜松で日常的に飛んでいるT4と基本は同じ機体ですから。特別チューニングしてありますけどね。

 事実は不明。

 以下は防衛庁HPより。

「ブルーインパルス展示飛行予定

日 程 実施場所 行 事 名
 4月 8日(日) 岡山県 倉敷市     瀬戸大橋開通30周年記念事業
 4月21日(土) 青森県 弘前市     弘前観桜会100周年事業
 5月20日(日) 静岡県 静浜基地 静浜基地60周年、焼津市・大井川町合併10周年記念航空祭
 6月 3日(日) 山口県 防府北基地 防府航空祭
 6月22日(金) 宮城県 松島町     日本三景松島観光復興記念行事
 7月16日(月) 新潟県 新潟市     海フェスタにいがた
 7月22日(日) 北海道 千歳基地 平成30年度千歳基地航空祭
 8月25日(土) 宮城県 東松島市 東松島夏まつり
 8月26日(日) 宮城県 松島基地 松島基地航空祭
 9月 2日(日) 和歌山県 白浜町 南紀白浜空港開港50周年記念
 9月 9日(日) 青森県 三沢基地 平成30年度三沢基地航空祭
10月 7日(日) 山口県 山口市  第35回全国都市緑化やまぐちフェア
10月14日(日) 福岡県 芦屋基地 平成30年度芦屋基地航空祭
11月 3日(土) 埼玉県 入間基地 基地創設60周年記念入間航空祭
11月25日(日) 静岡県 浜松基地 エアフェスタ浜松2018
12月 2日(日) 宮崎県 新田原基地 平成30年度新田原基地エアフェスタ2018
12月 9日(日) 沖縄県 那覇基地 美ら島エアーフェスタ2018」

 なお今年の浜松の予定は「11月25日(日) 静岡県浜松基地 エアフェスタ浜松2018」です。

 


戦争と平和の動き 2018年4月3日(火)夜 エンジン音

2018年04月04日 00時03分57秒 | 戦争と平和

戦争と平和の動き 2018年4月3日(火)夜

 午後11時30分ごろ、エンジン音がする。「以前」だったら、すぐ車を走らせるが、今はどうにも動けないのが、くやしい。

 ゆえに浜松基地の動きかは、分からず。

  妻が「私も2回ぐらい聴いた」と言ってます。

     ☆

 4日の午後、和合町の友人に電話したら「時間はわかんないけど、こんな遅くになんだろという音はした」と言ってました。

 ネットを調べて何かでてきたら、ここへアップします。

 

 

 

 

 

 


戦争と平和 10 浜松基地 5 午後9時24分ごろ飛行機の爆音 20180201

2018年02月01日 21時33分49秒 | 戦争と平和


戦争と平和 10 浜松基地 5 午後9時24分ごろ飛行機の爆音 20180201

 天気曇り。2月1日(木)午後9時24分ごろ、上空を通る爆音がしました。離着陸の音でないようですが、不明です。軍用機であろうと思います。1機だろうという感じ。

 むかしのように、こういう時に、すぐにベランダへ出て空を見ることができません。脳出血の発作がおきてからは。

 みなさん、何か気がついたことあったら、お知らせください。

 


戦争と平和 9 浜松基地 4 AWACSの飛行開始時間  20180107

2018年01月07日 21時55分58秒 | 戦争と平和


戦争と平和 9 浜松基地 4 AWACSの飛行開始時間  20180107

 ボクの家は、航空自衛隊浜松基地の東側にあります。浜松基地の空中警戒管制機(AWACS)は、ほぼ毎日、朝7時頃にエンジン音を響かせて飛び立って、西の方へ飛んでいき、午後になって帰ってきます。

 風の向きに寄っては聞こえないこともあるようですが。

 ところが、12月31日は朝6時50分すぎに、元旦1月1日は朝6時頃にエンジン音がしました。

 何によるのかは不明です。


戦争と平和 8 戦争と平和の本 3 白松繁『そのとき、空母はいなかった』文藝春秋企画出版部、2013年

2018年01月02日 11時42分46秒 | 戦争と平和

戦争と平和 8 戦争と平和の本 3 白松繁『そのとき、空母はいなかった』文藝春秋企画出版部、2013年

 白松(しらまつ)繁/著『そのとき、空母はいなかった ー 検証パールハーバー ー』文藝春秋企画出版部、2013年5月15日初版第1刷、597ページ、定価本体1905円

 1941年12月8日(アメリカ・ハワイ時間で12月7日)、日本海軍は、ハワイ・パールハーバー(真珠湾)のアメリカ海軍基地を攻撃した。

 この本は、以下のことを説明している。

 ① この「奇襲」はアメリカ政府が「日本軍に先に撃たせる」戦略に基づいて、日本海軍の奇襲を知っていたアメリカ軍が見て見ぬふりをしたのであること、を当日までのアメリカ軍の動きとアメリカ軍人の言説に基づいて証明したこと。

 ② アメリカの暗号解読を詳しく検証して、確実に日本の軍と政府暗号を解読していたことを証明したこと。

 ③ ハワイのアメリカ軍基地に設置された新鋭レーダーは日本機の飛来を探知していたこと、日本の潜水艇がアメリカ海軍によって攻撃されていたこと、この2つとも警報が正常に出ていれば真珠湾の被害は最小限にとどめることができたこと。

 ④ 日本軍の攻撃を「予測」していたアメリカ軍は、当日、新鋭の「空母」と「重巡洋艦」だけを真珠湾から外洋に出してしまい、真珠湾基地に残っていたのは、古い戦艦などであったこと。

 ⑤ 独ソ戦争で、ナチス・ドイツのソ連攻撃が限界点に達した、同じ12月にどうしても日本に開戦させて、日本を戦争に引きずりこまなければ、ならなかったこと。「ハル・ノート」は、日本の開戦決意をあせるために出された。

 ⑥ 当時のアメリカ国民は多くが戦争反対で、これを変えてアメリカ国民を戦争賛成にするためには日本の「卑怯な一撃」「だまし撃ち」を必要としていたこと。

 以上、①~⑥ は、ほぼ事実であろこを、この本は証明していると思う。

 各論については触れる機会があると思います。

   ☆

 あとの補足。

 検索したら、自分で以前に「本と映像の森」で採り上げてました。以下、再録です。

 「本と映像の森 260 白松繁『そのとき空母はいなかった』文藝春秋
2013年12月08日 18時06分40秒 | 本と映像の森
本と映像の森 260 白松繁さん著『そのとき空母はいなかった ー 検証パールハーバー ー 』文藝春秋、2013年5月15日初版第1刷、399ページ、定価本体1905円+消費税

 今日は2013年12月8日、日米戦争開戦の日です。

 1941年(つまり72年前)のこの日、日本海軍は、アメリカ太平洋艦隊の根拠地であるハワイ・真珠湾を「奇襲攻撃」し、停泊していた戦艦8隻のうち、4隻を撃沈、3隻を大破、1隻を中破しました。

 「壊滅的な打撃」と書いた本もありますが、実は、日本海軍の航空機攻撃で明らかになったように、今後の戦闘に重要な「空母」は、アメリカ海軍の空母8隻のうち太平洋にいた空母3隻は、3隻ともハワイを出港中で、日本軍は「米空母3隻」を「打ち漏らした」ことになります。

 実は空母だけではなく、この本で初めてボクも知ったことですが、残っていた戦艦8隻は、第1次大戦中か1次大戦後数年で建造された艦歴20~30年の旧式戦艦でした。

 アメリカの最新鋭重巡洋艦は8隻は、空母と同じように、外洋にいたのです。

 つまり、アメリカ海軍にとっての虎の子たちは、ちょうど真珠湾奇襲の瞬間に真珠湾にいなかったのです。

 これは何故か、著者は「日本海軍が真珠湾を奇襲できた理由」「アメリカ海軍が空母をその時、真珠湾から出港させていた理由」を事実と証拠を探し、論理的に組み立てていきます。

 第1部 そのとき、空母はいなかった

 第2部 検証・日本海軍無線封止・米海軍無線傍受

 第3部 日本外交及び海軍暗号被解読の検証

 第4部 FDRの勝利戦略と代償

 終章 ワシントンは知っていた

 著者の白松さんの言葉「真珠湾攻撃を敢行した日本が、填められた/騙されたなどの被害者観をベースにしたルーズベルト陰謀論に固執していては、真珠湾の歴史を真に学んだことにならない。真珠湾に至る経過とそこで起きた事実を正面から捉え、彼の強さと我の弱さをしっかりと見据えてこそ、アメリカの戦争戦略の真骨頂が見えてくる」。そのとおりだと思います。

 そして、帯に書かれたロバート・B・スティネットさんの言葉「事実の徹底検証でルーズベルトの陰謀論を越えた本書は、日米の真珠湾論争に終止符を打つものである」これも、その通りと思います。

 ・スティネットさんはルーズベルトが日本に巧妙に攻撃させたという衝撃的な本『真珠湾攻撃 ルーズベルト欺瞞の日々』(日本語訳、文藝春秋)を書いた元米海軍軍人です。

 アメリカによる日本暗号解読の問題、ハワイでの日本人観測者(スパイ)の問題、アメリカ軍の偵察飛行、レーダーの問題、アメリカ政府・アメリカ軍内での当時の命令・指示の問題、

 あまりにも、おもしろいので、いつか詳しい経過と事実は紹介したいと思います。

 なお、太平洋戦争を最初に開始したのは日本海軍ではなく、時間的に、イギリス領マレー半島のコタバルに敵前上陸した日本陸軍です。

   ☆

 2013年12月6日、「不特定秘密保護法案」が参議院本会議で賛成多数で可決、成立しました。これは戦後、「平和と戦争が均衡していた」戦後日本が、決定的に右傾化し「戦争」へ傾いていく瞬間だと思います。

 けっして「戦後平和日本」などと甘い幻想は抱いてはいませんが。

 平和勢力(ボクも平和勢力です)の人たちも、きちんと「戦争になったらどうなるか」、具体的なシミュレーションをしてリアルに発言して欲しいです。

 それで「本と映像の森」でも平和と戦争の本を取り上げていきます。元々「ピース浜松」で取り上げる予定でしたので、ここでは書いてきませんでしたが、これからは、ここで戦争と平和の問題も扱っていきます。」

 

 


戦争と平和 7 戦争と平和の本 2 竹内浩三『日本が見えない』藤原書店、2001年

2017年12月30日 21時28分34秒 | 戦争と平和


戦争と平和 7 戦争と平和の本 2 竹内浩三『日本が見えない』藤原書店、2001年

 竹内 浩三/著、小林 察/編『日本が見えない 竹内浩三全作品集 全1巻』藤原書店、2001年、736ページ、定価8800円

 竹内浩三さんは1921年(大正十年)生まれ。三重県宇治山田中卒、日本大学専門部映画科入學。1945年4月9日、フィリピン・バギオ島にて戦死と公報。

 10代の頃から、文章・マンガの才能を発揮した、

 「日本が見えない」「骨のうたう」は著名となったが、竹内さんの才能と関心はむしろ、映像的創作、とくにマンガに向けられていたように思う。

 詳しくは、この『日本が見えない 竹内浩三全作品集 全1巻』を読んで欲しい。

 以下、2つの詩を掲げる。

「骨のうたう

戦死やあわれ
兵隊の死ぬるやあわれ
とおい他国で ひょんと死ぬるや
だまって だれもいないところで
ひょんと死ぬるや
ふるさとの風や
こいびとの眼や
ひょんと消ゆるや
国のため
大君のため
死んでしまうや
その心や

苔いじらしや あわれや兵隊の死ぬるや
こらえきれないさびしさや
なかず 咆えず ひたすら 銃を持つ
白い箱にて 故国をながめる
音もなく なにもない 骨
帰っては きましたけれど
故国の人のよそよそしさや
自分の事務や 女のみだしなみが大切で
骨を愛する人もなし
骨は骨として 勲章をもらい
高く崇められ ほまれは高し
なれど 骨は骨 骨は聞きたかった
絶大な愛情のひびきを 聞きたかった
それはなかった
がらがらどんどん事務と常識が流れていた
骨は骨として崇められた
骨は チンチン音を立てて粉になった

ああ 戦場やあわれ
故国の風は 骨を吹きとばした
故国は発展にいそがしかった
女は 化粧にいそがしかった
なんにもないところで
骨は なんにもなしになった」


「日本が見えない

この空気
この音
オレは日本に帰ってきた
帰ってきた
オレの日本に帰ってきた
でも
オレには日本が見えない

空気がサクレツしていた
軍靴がテントウしていた
その時
オレの目の前で大地がわれた
まっ黒なオレの眼漿(五Tがんしょう)が空間に
とびちった
オレは光素(エーテル)を失って
テントウした

日本よ
オレの国よ
オレにはお前がみえない
一体オレは本当に日本に帰ってきているのか
なんにもみえない
オレの日本はなくなった
オレの日本がみえない」

 注) 本によって異同がありますので、ご注意をおねがいします。

 


戦争と平和 6 戦争と平和の本 1 『ビキニ水爆被災事件の真相ー第五福竜丸物語ー』かもがわ出版、2014年

2017年12月24日 22時25分15秒 | 戦争と平和

戦争と平和 6 戦争と平和の本 1 『ビキニ水爆被災事件の真相ー第五福竜丸物語ー』かもがわ出版、2014年 

< 再録 >
2014年03月20日 01時59分17秒 | 戦争と平和

 ビキニ水爆被災事件静岡県調査研究会/編集、安斉育郎/監修『ビキニ水爆被災事件の真相 ー 第五福竜丸物語 ー』かもがわ出版、2014年2月1日第1刷発行、79ページ、定価1000円+消費税

 1954年3月1日早朝、アメリカ軍が太平洋マーシャル諸島ビキニ環礁でおこなった水爆実験で静岡県焼津港所属の第五福竜丸をはじめたくさんの漁船・旅客船が放射能被爆、当時は公表されませんでしたが日本やアメリカまで放射能で汚染されました。

 第五福竜丸の乗組員で最高齢者だった無線長の久保山愛吉さんは半年後の9月23日に亡くなりました。この一連の原水爆実験と第五福竜丸の被災は、日本の国民に、広島・長崎の核戦争の記憶をよびさまし、日本で国民的な広く深い原水爆禁止運動がはじまるのろしとなりました。

 あれからちょうど60年、この歴史的事件とその意味を中学生でわかるように、現在の最新のわかった事実も入れて書かれた本です。「もう知ってる」「昔から知ってる」という方も、読めば新しい驚くような事実がわかる、おすすめ本です。

 むずかしい漢字にはすべてルビがふってあって、わかりやすく読めます。

 編集者は、原水爆禁止静岡県協議会(静岡県原水協)を母胎に、毎年、3・1ビキニデーに地道な研究会を開き、調査研究をつみかさねてきた会です。いまでも毎年3月1日に静岡市で研究会をやっています。