雨宮日記 9月16日(月) 久しぶりの「さくらさくらんぼ保育」批判文書が出て来て懐かしい
毎日、古い文書・雑誌・新聞切り抜きを読み、必要な文書を打ったり・写真に撮ったり・残したりし、段ボール1箱くらいの捨てる紙を出しています。則子さんは大喜びです。
1993年何月何日付けの雨宮則子文書が出て来ました。当時、たんぽぽ保育園園長だった雨宮則子さんが、同僚職員に配った(かどうか記憶にないがたぶん配った)A4、8ページの文書ですが今読んでも、かなり的確な批判文書です。
則子さんとぼく、2人の合作文書です。何度書き直した(いや則子さんに書き直された)ことか。
批判は「さくらさくらんぼの模倣宗教」批判で、保育はどんなによく見える保育でもそれを批判的に吸収しないと宗教になってしうということを、さくらさくらんぼ・とねっこの具体的現象に即して具体的に批判した、たんぽぽ保育園職員内限定文書でした。ですから当時のたんぽぽの親はいっさい見ていないと思います。
重要なことは「さくらさくらんぼ・とねっこ」が正しくないとは言っていないことです。つまり正しいことであっても、無批判に追随すれば、それは主体も条件も環境も違うわけだから、形だけ模倣してもそれは間違った道に踏み込んでしまうということを詳述しています。
今から21年前の文書ですが、1984年の事件から9年目でこういう文書を書いたということは、21年前にこういう問題について一定の結論に2人が達していたわけで、自分で言うのも何ですが悪くないですね。
だからこそ、それから何年だったかな「平和運動の師匠」からの「破門事件」にも2人とも笑って即座に対応ができるくらい自立していたわけです。このことは自伝「青い地球とオレンジの花」で資料付きで詳述する予定。
さて、「さくらさくらんぼ・とねっこ」が20年経ってどうなっているか、ネットで探索したら、いくつか明快な批判がありました。1年で子どもをさくらさくらんぼから撤退した親のものがありました。20年前よりひどくなっているようです。何しろ宗教ですから、一度汚染すると、そこから目が覚めるのはかなり難しいですね。
20年絶って読み返すと、今の水準でいろいろ言い足りないことがありましたが、今さら書き足すのも不要な、歴史的文書です。読みたい方には提供します。