雨宮日記 9月26日(月) 「だいじょうぶだよ」でもやはり喪失の哀しみ
このごろ、則子さんがやけに親切で「すこし寝た方がいいよ」「これは、私が行ってくるから」とか、夜、ぼくが仕事に出かける時に、玄関まで見送ってくれたり…。
見かけは、気を張って、元気にやっているつもりですが、たぶん、則子さんにはわかるんでしょうね。
理性的には、理論的には納得しているつもりですが、感覚の方は…。
則子さん「だいじょうぶ?」
ぼく「だいじょうぶだよ」
則子さんに「だいじょうぶ?」って言ってもらえるだけで、すごく楽になるんだから。
中原中也さんは「汚れちまった悲しみに」ですが。
ぼくは「失っちまった哀しみに」です。
今のところ、毎日、編集・印刷したり、放射能測定したり、いっぱいやることがあるので、哀しみを行動でまぎらわしていますが…。
気がついたのは、あれ以来、浅い眠りの時に見る夢が変わってきて、変にリアルになってきたことです。
これって、自分の心がすごく硬くなった危険な状態でしょうか。
このごろ、則子さんがやけに親切で「すこし寝た方がいいよ」「これは、私が行ってくるから」とか、夜、ぼくが仕事に出かける時に、玄関まで見送ってくれたり…。
見かけは、気を張って、元気にやっているつもりですが、たぶん、則子さんにはわかるんでしょうね。
理性的には、理論的には納得しているつもりですが、感覚の方は…。
則子さん「だいじょうぶ?」
ぼく「だいじょうぶだよ」
則子さんに「だいじょうぶ?」って言ってもらえるだけで、すごく楽になるんだから。
中原中也さんは「汚れちまった悲しみに」ですが。
ぼくは「失っちまった哀しみに」です。
今のところ、毎日、編集・印刷したり、放射能測定したり、いっぱいやることがあるので、哀しみを行動でまぎらわしていますが…。
気がついたのは、あれ以来、浅い眠りの時に見る夢が変わってきて、変にリアルになってきたことです。
これって、自分の心がすごく硬くなった危険な状態でしょうか。