雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

石垣島徒然 4

2022-06-21 00:25:35 | 凄い...パワスポ寺社
以前、
「竹富島徒然」
と言う記事でもサササッ!と記していたと思いますが、
今回は写真などと一緒に、ゆたーりと。はい。(^^)
もう少しだけ続かせていただきます。




上の写真は観光名所の「玉取崎展望台」から
北を望んだものですが。
遠くに見えている半島の先端部分、
小高い丘のような岬が島の最北端となる
「平久保埼(ひらくぼさき、ひらくぼざき、平久保崎)」
個人的には、
石垣島に上陸すると先ず最初に行ってみたくなる場所です。
自然のエナジー的には「島の玄関口」的な場所ともなるでしょうか。
美しい灯台もあります。
こんちくわー♪のごあいさつ。(^^)



特に平久保埼灯台の背後の崖上は最上の場所のひとつ。
ちょっと足元に気をつけないと危険な感じもありますが、
慎重に、丁寧に、ご挨拶。
島を取り囲む極上美麗なサンゴ礁も綺麗に見渡せます。





お水とか。泡盛とか。コーラとか。
ご挨拶後は黒アゲハさん達とか。
ヤギさんとか。
こんちくわー(^^)





コチラは島の天然記念物でもある、
八重山椰子(やえやまやし)の森。
石碑には「米原のヤエヤマヤシ群落」とありますが、
キジムナーさんを中心に精霊さん達が集まっている感じ。
やはり、決して汚すべからずの聖地。





もはや、
言わずと知れた島一番の観光地「川平湾」





川平公園の中にある「川平観音堂」にご挨拶。
近辺には幾つかの御嶽(うたき、おん)もありますが、
ユタさんでもない限りコチラで十分かと。
よそ者でもちゃんと繋がれる聖地。



泡盛をお届け。
滞在中、なにとぞ、なにかと、
よろしくお願いします.......と。



そして、緊張感満点の島の西端
御神崎(うがんざき、おがんざき、おんざき、御神埼)へも。
灯台もありますが、とてーも断崖絶壁。
サスペンスドラマわーるど。
陰の気も強めの場所。
険しい岩場である故に航海の難所でもあり、
海難事故に対する慰霊と、
航海の無事を祈る観世音菩薩さんの碑もあります。
コチラにもお酒やお水や手合わせを......



突端に見える独特の形をした大岩さんは、
ちょっと怖い!?島の民話伝承も伝わる岩。
その伝承から、
大岩の上部にの乗っている小さな岩は
「ブナリヌツブルイシ(姉の頭石)」
と呼ばれているのだそうです。



僕さん。
ここで、宿命の!?
神々から所望されるアマテラス祝詞なぞを......
ネットをひっくり返しても見つからないことだと思いますが、
この地を守る神様の名前は「トモ」さん。
オモトの神の娘さんの旦那さま。
言わば、島の王子的な神様。
番頭さん。
しかし......
強い。
すごいパワー。
武神的な強さ。
というか、南西諸島イチの武神さんでしょうか......
すげー......



「ふむむ。。
おまいさんはかなり生意気そーだな。
この島を巡る資格などあるのか?
ん?
大丈夫なのか?ん?
試してやるからかかってきなさい。
ほれほれ。。」



......と、この時。
綺麗に晴れていた空が、突然、御神崎の一帯だけ曇り出し。
雨まじりの超強烈!な突風タイムに。
一緒にいたお仲間さん達は突然の出来事に驚きつつも、
とにかく立っていることが出来ず。
格好悪く地面に両手をついて四つん這いになり。
岩をつかみながら



「ちょ!?
なに!?コレ!?
ワケわかんないんすけど!」

「飛ばされちゃうやん!
崖に落ちちゃうぅぅ!」

「ちょっとーーーーーーーっ!
どーにかして!」



......的タイム。



「そんなこと言ったって!
アチキだって!
ひっしなんす!なう!
今、なぜか!?
お相撲してるんす!
おしくらまんじゅう力比べ大会。
もうちょっとまって!」



......なんて感じの10分間ほど。
正直、
凄かったっす。
酷かったっす。
富士山の山頂以来じゃね?的強烈な突風。
最初は、
トモさんの巨大なお顔はこんな感じだったんスけど。
改めて下の2枚の写真を見比べてもらえればと。ええ。





コチラはお供えしていた猪口が転がって、
泡盛が全てこぼれちゃった♡の図。



この辺のお話で興味が湧いた奇特な方は?
ねーさんのブログあたりをサラッとググってもらうと、
この時一緒に居てくれた元ウチの会社スタッフさんが
ねーさんに差し上げた冷静なる!?
レポートなどが見つけられるかと。
ええ。
そして、僕さんとしては、
この時のお相撲勝負は生涯忘れない思い出ともなりまして。
ちょー頑張って大地を踏ん張ったおかげで!?
なんとか島巡りを認めてもらえた感じで。
僕さんにはそれが嬉しく。
この後は、石垣島はもちろん、
港から出かけて行った様々な島々でも、とても暖かく、
感動的な旅の助力をいただいて。
「トモの神様」には今も心からの感謝をしているのです。



———————ただ、
本当に驚いたのは、
そんなお相撲大会の直後のことで———————



荒れていた御神崎のあたりは、
また静かに落ち着きを取り戻し、
太陽も戻ってきて。
御神崎の海の上には光の柱のキラメキが。





ホッとした僕さん達ご一行は、
御神崎灯台(御神埼灯台)に背を向けて。
来た道をてくてくと帰っていきました......



その時です。
ふと、
僕さんの足元にモサモサッ!
とした気配が色濃くまとわりついてきて......



「あらら!??
なんだ!?
キツネさん?狛犬?
あ!
シーサー!?
さん?
えええええ!?:(;゙゚'ω゚'):」



この時、
明らかに、
その場にいいた人全員が!
感じられてしまった2柱?頭?のシーサーさんの気配。
姿。
毛並み。
温もり。
存在。
それから、ずっと、島にいる間、
八重山諸島の島々を旅している間、
シーサーさん達はずっと僕らの足元にいてくれて。
何かと護ってくれていました。
島からねーさんに電話をして事情確認をしてみると、
「トモの神様」が僕らを認めてくれた、と。
歓迎の意味も込めて道中の道案内と守護に、と。
シーサーさんをつけてくれたのだそうです。
あんなに強面(コワモテ)だったのに!?
マジで!?
なんという優しい神様.....ツンデレ?......



(T 。T)ぶぇ。



しかし、まぁ、
あまりにリアルなシーサーさんの感触に、
そこからは皆、なぜか?
シーサーさんの置き物が強烈に欲しくなってきて。
その日、予定には無かった買い物をしに、
夜の繁華街へと出かけていったのです、が、
その時もシーサーさんはちゃんとついてきてくれて......



それで......

なぜか?

シーサーさん達に関しては......

僕らと一緒に中に入るお店と、
中には入らないで、入口付近に座って
僕らが出てくるのを待っているお店があることに気づきました。

......どうも、

入らないお店のシーサー置物は気に入らない!?
もののようでして。

一緒に入ってくれるお店のものは
シーサーさん達もお気に入りのようで。

僕さん達は最終的に
シーサーさん達が一番楽しそうにしていた
コノお店の小さいシーサーさんを買ってみました。



「やきもの工房 シーサー館」
こちらは手作りの物しか置いていないようでして。
お値段は他のお店よりちょっとだけお高めですが、
とても味のあるつくりの物ばかり。
シーサー置物に関しては、確かに、
港町の中では一番良い雰囲気のお店でした。
ある意味、コチラも隠れたパワースポット!?でしょうか。
買った後は勿論!の、
シーサーさんの好物の
ケンタッキーフライドチキンをプレゼント。(●´ω`●)



ええ。ええ。
話が馬鹿すぎるのは重々わかっておりやす。
ええ。
しかし、ここわ、ひとつ、
どうか半分ほど目をつむっておいてくださいませ。
なにとぞで。
ええ。ええ。

そんなこんなで、
上にも記したようにちょいと激しめな
御神崎に坐す神様でしたが、
その奥様というのが、どーも、
コチラの方にいらっしゃるようでして。



「マーペー」と呼ばれる独特の形をした山。
於茂登岳(おもとだけ)に次ぐ、
島で2番目に高い山だそうです。

このお話は、もう一回だけ、
徒然なるままに続かせていただきます。

島の伝承民話などとは少し違うことを記していたりもしていますが、
全て、大きな意味などない、
ただのポンチキ徒然話ですので。
そこは、なにとぞのお許しを。m(_ _)m


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石垣島徒然 3

2022-06-17 00:01:02 | 凄い...パワスポ寺社
島の星空を眺めて帰るのが贅沢というものでしょうか。
ええ。ええ。

ようやく、
次回は「パワースポット編」的なものに進めそうで。

今日も1日お疲れさまでございました。
ゆっくりとおやすみくださいませ。
良き明日となりますように☆(^^)








古代大和朝廷の祭祀を司り、
祭具の制作や宮殿の造営をも担った一大有力氏族である
「忌部氏(いんべし、いんべうじ)」
主に3つの流れを持つ氏族で、
斎部氏
とも書き表わされます。
稲作が広まる以前の古代日本において主食となっていた
稗(ひえ)や粟(あわ)といった大切な農作物や、
麻を中心とする織物や薬、
様々な物品の制作技術に至るまで、
人々が豊かな生活をしようとする上で必要となる
沢山のコトゴトを教え、もたらした氏族でもあります。
粟(あわ)をもたらした氏族さんですので、
スピ系の人が好きな!?
「あわのうた(あわの歌、アワノウタ、アワのうた)」
なんてものもそんなものの一つだとも思います。

そんな忌部氏の源流を辿ってみると、
日本列島の太平洋側を北上する海流である
「黒潮」を逆に辿ることともなり。
以前、以下の

8を巡る旅 4
8を巡る旅 5

という記事にも記していましたが、
千葉県の房総半島あたりから東海、紀伊半島を通り、
四国から沖縄本島にまで至ります。
途中、対馬海流に分岐して北上すれば、
そこには出雲もあります。



その「足跡」で特徴的なものの一つには、
様々な祭祀に使う「穴」や岩壁があるとも思われ。
窪んだ岩穴などもそうであり、
それは、沖縄県エリアでは
「御嶽(うたき)」
と呼ばれるものでもあって。
忌部氏に関しては、
個人的にはそんな独自の!?
ネットにもないような理解をしてもいます。

忌部氏の大元の祖先様?神様?を辿るにしても、
やはり列島を南下して、沖縄本島も南下......
そこに、石垣島があります。
勿論「御嶽(うたき)」もあります。
日本人の原点とも言えるような生活様式や文化もあります。
何より、
訪れる日本人の魂が覚えているような!?
懐かしく、温かい、
どこか切なくもある、
そんな郷愁感を感じられたりもします。



それこそが、
僕にとっての石垣島。



古代日本民族の大元となる神様の一柱がおられるところ。



当然、
日本民族の元となる神様は一つの流れだけでは無いと思いますが、
その源流の一つである神様を強く感じられる
貴重なる場所がこちらとなるでしょうか。





沖縄県で一番高い山
「於茂登岳(おもとだけ、宇本嶽)」
島では「ウムトゥダキ」とも呼ばれている山。
その山麓にひっそりとある聖地。
霊場。おん(うたき)。
社の前には山が生み出す清らかな命の水が流れます。
小さな島にとって真水は何より大切なもの。



シーサーさんやキジムナーさんなどの自然精霊さん達
沢山棲まう聖なる森。
この地を守護する龍神さんもおられます。
なにがあっても、
決して汚すべからず。
捧げ物などを持ち込んでも、
基本、全て、しっかり持ち帰るのが礼。
大地に帰らないものなどもってのほか。禁忌。
自然を自然とするべき場所。
ここが死んだら、島も死にます。



この地や山頂を拠とする神様は、
立看板にもある通り
「於茂登御主神(おもとみなぬしのかみ)」
地元ではナルンガーラとも呼ばれているようです。
僕らは「オモトの神」と伺っています。
沖縄本島や宮古の神々より前からおられる神様のようで、
沖縄南西諸島においてはトップの神様。
大自然の摂理に近い、始原の神様。
まさにオオモト。
大本の神。
おおもと故に?偶然なのか?
近くには宇宙と繋がる巨大な電波望遠鏡もあったりします。



載せている写真の時にお持ちしたのは、
地元の貴重な泡盛「於茂登(おもと)」と......





暑かったのでビールなどもいかがかなぁ、と♪(^^)



所望されていた「アマテラス祝詞」を捧げさせてもらい。
その最中には突然の大雨シャワーも浴びさせてもらい。
お酒のおつまみのフライドチキンなども。

「ん!?
フライド?チキン!?」

プリリンねーさんによると、
シーサーさんやキジムナーさんはなぜか!?
ケンタッキーフライドチキンが大好き!とのことで。
ぜひ持っていってあげて欲しい、と。
そう言われまして。
まぁ、摩訶不思議なお話ですが。
でも、島には1つだけ、
確かにケンタッキーさんがありまして。
ねーさんがこの言葉を下ろした時は、
そのことは完全に知らかったのですが......
確か横浜?だったかな......
とにかく、島にお店があることを知らないまま
僕さんにそんなことを言ってきやがりまちて。
なかなかに興味深いお話なのでございます。
この時のオモトさんのところへは
別のお店のフライドチキンを持っていたのですが、
持ち込むなり、

「あたりがなんだか大騒ぎ!!」

となっておりました。
凄かったっす。ええ。
この時に同行してくれたYUさん&ジモティーズさん達が
証明してくれるとは思いますが、確かに、
コチラの精霊の皆さんは本当に好きなんだと思います。
特にシーサーさん!ですけど。ね。
ええ。
個人的なポンチキ感覚のおはなしでちゅ。
あしからずでちゅ。
ええ。ええ。

......と、そんな感じで。
今回は音楽で言うと「アタマサビ」的なお話となってしまいましたが。
次回はこの島の中心的聖地に訪れるまでに辿った
幾つかの場所を記し残しておこうかと思います。
以前、
竹富島徒然
と言う記事でもサササッ!と記していたと思いますが、
今回は写真などと一緒に、ゆたーりと。はい。(^^)
もう少しだけ続かせていただきます。





大物主神(おおものぬしのかみ)を祀る、
奈良県、三輪山の麓にある大神神社(おおみわじんじゃ)。
言わずと知れた!?
日本最古とも言われる超有名神社さん。

「おおものぬしのかみ」
「おもとみなぬしのかみ」

神話にも記される奈良最古の神様は、
忌部氏の祖先さんが祀った、
オモトの神様を元とするのではないかと。
ええ。



どどーーーーーん!
しょっく!?
ナイショよっ!(=゚ω゚)ノ



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御来光守

2022-03-25 23:25:15 | 凄い...パワスポ寺社
相模国一宮(さがみこくいちのみや)の
「寒川神社(さむかわじんじゃ)」さんに関しては、
以前、この

寒川徒然
寒川徒然 2
寒川徒然 3
寒川徒然 4

という記事さん達に色々と記していたと思いますが。
この神社さんで売られているモノで、
個人的にとても特別だと思うものがありまして。
それが「御神鈴(ごしんれい)」という鈴。
僕さんは自宅の神棚の前に立つ時にチロチロリン......
と鳴らす用に使っているのですが、
中域がふくよかで、とても良い音色をしていて、
8個の鈴の並びと造作の雰囲気もとても良い感じなのです。
最近、長いこと使っていたその鈴が所々汚れてきていたので、

「そろそろ変えに行かないとかなぁ......」

などと思っていたのです、が、
ちょうど!
そんなタイミングでプリリンねーさんから

「21日に寒川神社に行こうと思うのだけど、行く?」

というお話が舞い込みまして。

「でわわわ!」

ということで。
僕さん的には新しい鈴をいただくために、
久々に寒川神社さんに登場!とあいなりました。
当日は寒川駅でねーさんと合流。
駅から神社へと向かう途中には、
寒川の神様が大好きな
「水龍」さんの「カツサンド」を差し入れようと、
お店に寄ってみたのですが。
既に30分以上も待つことになる!
とのことだったので。
今回はコンビニのハムカツサンドで許していただくことに致しました。
ええ。ええ。
何卒。気持ちだけでも、でして。ええ。
そして、そんな感じで神社に着くと、
早速、僕さんはこれまで使っていた鈴を返納。
この日の目的であった新しい鈴を改めて購入。





お値段もケッコウな感じなんすけど......(T . T)ぶぇ。
それでもって、またもや!?

神苑のエントリーチケットをもらった!

なんてことをねーさんが言うものでちゅから。
諸々の参拝を済ませた後に、
本殿裏にある、その神苑にもエントリー。







気がつくと、
空にはいつもの!?
日輪のサインが......





なんだか良き日のようでして。
よきかな。よきかな。。(*´ω`*)





そんなこんなのこの日は、
ねーさんによると日本全国「春分の日」とのことでして。

「あーーー、、、
それでお休みなのね!今日(・ω・)キョトン。
今わかったわ、、」

なんていう感じの僕さん。
そんなことを知らずに来ていた
ヘビー級にノンキなおバカさん。
一方で、
ねーさんのこの日の目的は、
春分の日と秋分の日にだけ特別配布されるという
「御来光守(ごらいこうまもり)」
というお守りを授かりたいということのようで。
上にある鈴の写真にも写っていますが、
その御守りの入った袋の裏にはこんな説明書きも......



見ていると、
ねーさんはコヤツを沢山買い込んでいました。
とても貴重なものなので、皆に配るのだそうで。



つられて、
売り切れる前に僕さんも買ってみたのですが......



「ふーーーーーむむむ、、、
ピンク!のお守りなのね。
なるほど。
うむうむ。。」



赤と白があって。
その間の戦いなどがあるとして。
桃色はその中間の色。

桜の色。
冬と夏との間の色。
間......あいだ......
中和。仲裁。の色。か。な。
なかなかに、
良いお守りを頂きましたのです。(*´∀`*)



ちなみに、この日、
寒川神社さんにいる時に、
LINEにピコピコと写真が届いてきて。
見るとKUさんからのもので。
なんと、また、
春分の日に合わせて七面山の方に登っていたらしく。
スゲー野郎でやんすのね。
まったく。ええ。
Ahoya......no......( ̄▽ ̄;)



こちらは、
上の文にも出て来ていた「水龍」さん。
この辺りではとても有名なとんかつ屋さん。
寒川神社からほど近いところにあります。
開店と同時に席が埋まってしまうほどのお店。
カツサンドも美味しくて、
テイクアウトもできます。
何より!



ご飯が大盛り!なのです。ええ。
僕さん仕様。(^^)


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クノッソス徒然 2

2021-10-20 01:49:25 | 凄い...パワスポ寺社
また自分で考えろってか?
カンで!?
マジか?
こんなところで挙動不審で捕まるわけにはいかんしのぉ。
日本に帰られへんやん。
そんなの。
どーしましょうかね......

お話はもう少し続きます。(^ν^)






ゼウス(Zeus)さんから言われていたことは、

「牛の絵のある門が見えるところであれば......」

ということで。
僕はその条件を満たす場所の中で、さり気なく、目立たず、
汚すこともなくパンを置ける所をプラプラと探していました。
の絵のある門......」とは、
おそらく「北入口、見張り台跡」のことで、
しかし、そこはクノッソス神殿跡のシンボル的な場所であり、
一番の観光スポット。
付近は勿論、巡回路上などにも妥当な場所は見当たらず。
警備員さんや多くの観光客さん達の目も切れることがありません。
そして、そんな感じで少々途方に暮れていた僕さんの目に、
あるものが映りました。

「むむ!?あそこ、補修工事やってるな......」

よく見ると、
見張り台からも見える、
宮殿敷地から一歩出た隣の公園で、
ベンチや石畳の補修工事をしている一角が目に留まりました。
しかも、周囲にはオリーブの木が生い茂っていて、
宮殿の観光客さん達からも少し隠れるような場所。
工事作業者の数人は、その場から離れた所に座り込み、
ダラダラと休憩をとっている感じ。
宮殿敷地との境界も曖昧で、サラっと、
なんとか入っていけそう。

「イケるな、、」

僕は巡回路からササっと外れ出て、
その工事現場のベンチへと向かい、
何食わぬ顔でソコに座り込みました。
やはり、北入口の門と牛のレリーフはよく見えます。
工事人さん達も依然お休み談笑中。
コチラに戻ってくる気配も無し。
完璧。
僕はすかさずバッグから持ってきたパンと蜂蜜を取り出し、
その場でパンに蜂蜜をたっぷりとかけ、
包み紙を敷いて、その上に置き。
そして、しばし、北門とパンに手を合わせ、
ゼウスさんに祈りを捧げました。



「約束の蜂蜜パンです。
宮殿のすべての皆様とお召し上がりください。
どぞどぞ。。」

少しの静寂を過ごした後、
僕はパンだけをそのままオリーブの木の根本において。
きっと、動物さんたちが綺麗に食べてくれるだろう......
などと思いながら再び宮殿の敷地へとスルリと戻りました。
戻ると、そこに2羽の孔雀さんが放し飼い?になっていて。
綺麗な羽を広げてくれました。
それがなんだかとても嬉しかったことを覚えています。
写真を撮ろうとしたら閉じちゃったのでちゅけど。
ええ。ええ。



そんなクノッソス宮殿はイラクリオン(Iraklion、Heraklion)という
クレタ島で1番大きな港町のほど近くにあるのですが、街には
「イラクリオン考古学博物館(Heraklion Archaeological Museum)」
というものもあって。
宮殿から発掘された色々なものが所蔵されていました。
見どころ満載で、けっこう長居をしちゃいました。





























前回記事でも少し触れましたが、
英語で「迷宮」を意味する「ラビリンス(Labyrinth)」は、
クノッソス宮殿と関連して出来た言葉とも考えられていますが、
そのクノッソス宮殿の宗教的シンボルがこの両刃の斧(おの)。

「両刃の斧=ラブリュス=labrys」

この斧が神殿の至る所に描かれたり、あったそうです。
カミナリ、雷、イカズチの象徴とされていたとも。



ギリシャ神話では、
ミノス王がミノタウロスを閉じ込めるために、
工匠ダイダロスに命じてつくった迷宮が「ラビュリントス」。
その迷宮発想の元となったのが両刃斧=ラブリュスを戴く
クノッソス宮殿ではないか、と。
そんなことがいわれているそうです。































しかし、しかし、
展示室の特別さも含めて最も印象的!だったのが
「ハデス(ハーデース、Hadesu)」さんと、
「ペルセポネー(Persephone)」さんと、
「ケルベロス(Cerberus)」さんの像.......



ギリシャ神界における冥界の王!と女王!と番犬!
なのですけど。ええ。夫婦神。
強烈で。ええ。
この後の僕に様々な影響を与えてくれる存在ともなりました。



次回は、もう一話だけ、
エーゲ海といえば?
地中海といえば!?
アトランティス!?
......わ大西洋じゃなかったの!?
的なお話を少しだけ記し残しておこうかと思います。
蜂蜜パンを持っていった時に
ゼウスさんから教えてもらったエトセトラ。
読者が離れ散っていってしまうであろう!?エトセトラ。
ポンポンチキチキなのです。(^^)



ちみわ博物館の番犬だろ。な。な? (´・ω・`)


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クノッソス徒然

2021-10-16 00:00:27 | 凄い...パワスポ寺社
秋分の日に七面山に集まったポンチキーズの皆で
北緯35度レイライン
に関してツラツラ.....とお話をしていた時。
都道府県がバラバラである全員の住居が、
全てその35度線上にあるという話ともなり。
見えちゃうから仕方ないのぉ〜ん♡なみゆきちゃん

「家から見える空にある光る線はそれだったんですね!
以前は薄くて細い線が時々見えてたんですけど、
最近はハッキリ光って見えます☆」

などとのたまわり。
KUさんは、

「uzmetさんが行った北緯35度のクレタ島が大きいな......」

などと言っていました。
その時、プリリンねーさんは、
彼女自身が降ろしたポンチキワードのおかげで
僕さんがクレタ島でどんなに大変な思いをしていたのか!?
ということをすっかり忘れていたようでして......

......ふーむむむ。

なんと冷酷無慈悲なポンチキおなご。

つーことわ!

今一度ココで思い起こしてもらおーじゃないのさ!?

おおう!?\(○`ε´○) おらおら!

と。

「クノッソス徒然」でございます。(^^)



クノッソス(Knossos、Knossus、Cnossus、Gnossus)とは、
ギリシャのクレタ島にある青銅器時代最大の遺跡のこと。
クノッソス宮殿。
ギリシャ文明よりさらに先行する、
いわゆる「ミノア文明」の中で最大最高の宮殿であり、
クレタ島は勿論、エジプトも含めた
古代地中海世界の文化、政治、経済の中心地でもあったようです。
宮殿の一辺は160m以上あり、部屋は1200個以上。
部分的には4階建ての建造物もあったようで、
中に入るとまさに迷路の様な建物。
英語で「迷宮」を意味する
「ラビリンス(labyrinth)」
の語源となったとも言われている遺跡。



遺跡からもわかる複雑怪奇な構造。
まさに迷宮。
いろいろな逸話や神話も息づく地ですが、でも、なぜか、
息苦しさなど微塵も感じない、
不思議なチカラに満ちています。

















かの有名な「ミノタウロス神話」の舞台でもあります。



そして、この地は、
ギリシャ神話における全知全能の神であり最高神でもある
「ゼウス(Zeus)」さんの居られる場所であり島ではないか、と、
個人的に思っているトコロなのです。
数年前、そんな宮殿に向かう前に、
プリリンねーさんからこんなラインが届きました。
ゼウスさんからのメッセージなのだと。
そーなのですの!?
ええ。ええ......



===========================
ゼウスだ。
uzmetはギリシャに来ているな。

クレタ島に来てくれるなら、
デレッと蜜が掛かったパンが欲しいな。
蜜の掛かったパンは私の大好物なのだよ。
===========================



ふーーーむむむ。
見知らぬ島でパン屋さんなど知るワケもなし。
ましてや、
「デレっと蜜がかかったもの♡」
など探せる自信など皆無。
だいたい、
ギリシャ語なんて全くわからんポンチ。
字を見ていてもまったく読めへんパンチ。
つーことわ......

考えろ!

考えるのじゃ.......

んんんん......

んん......

......

そーか!

船だ!

今乗っている船のブュッフェ朝食にいつもパンと蜂蜜が!
タップリコと置いてあるではないか!
いつも、やつら沢山食うから。
まったく。
フレンチトーストっぽいやつもあったやん。
そーだ!
それだ!
それをテイクアウトするべし!( ̄∇ ̄*)bイエーイ



ということで、
クレタ島に上陸と同時に持ち出したパンと蜂蜜。
「クノッソス宮殿」にこんなもの持って来るヤツなんざ、
史上初!?ぐらいの勢いやんけ。
バッグに入れるのもケッコウ気をつかうんじゃ。
まったく。もう。
しかし、ヨーロッパ世界でも有名、且つ重要な史跡。
どこもかしこも厳重警備。
秩序満点。綺麗さ満点。

はて?

どーやって......
このパンを......
届けるのだ......?

つーか、
そー言えば、
どこに置いたら?捧げたら?良いのだ!?

んん?

また自分で考えろってか?
カンで!?
マジか?
こんなところで挙動不審で捕まるわけにはいかんしのぉ。
日本に帰られへんやん。
そんなの。
どーしましょうかね......

お話はもう少し続きます。(^ν^)



冒頭の会話を皆でしていた時、
クレタ島で大きな地震があったようなのですが......
先日の関東の大地震のすぐ後で。
みゆきちゃんの言う北緯35度の天空の道と、
日本との繋がりを感じたりもします......





クレタ島に向かう船での一番の楽しみは、
エーゲ海から登る素晴らしき日の出の風景と、
それを見ながらいただくコーヒーと朝食でした。
毎日一生懸命に働いているコニャ(奥ちゃま)
とてもリラックスしていて、
心底楽しそうに、感激していることも見てとれて。
これ以上の時間などあるのだろうか......と、フト、
朝食を食べながら涙が溢れて来たことを思い出します。





以下には、
いつか記していくかもしれない?
ゼウスさんと僕さんと鹿島神宮さんにまつわる
エトセトラを少しだけ置いておきます。
気が向くような風変わり系の方は!?
どうぞ、よしなに。(^^)



===========================
ゼウスだ。
uzmetは、私が子供の時に見つけて刻印を付けた。
○○○○の穴を開けたのだな。
○○○○○の分け御霊だからだ。
uzmetは、穴のせいで、ずいぶん苦しんだと思うぞ。
パワーは、今はあるが、
魂が未熟の時は説明が出来ないからな。
イカヅチは私が立てたのだよ。
鹿島(神宮)ではない。
阿字ヶ浦の白亜紀の地層に立てたのだ。
父と抜いたらいいぞ。因縁が消えるぞ。
行けばわかるはずだ。



ゼウスだ。
uzmetは、私が刻印を付けた子供だからな。
阿字ヶ浦で見かけたのだ。
肩に沢山霊が憑いていた。
左肩が痛いと言っていただろう。
憑かれやすいのだな。

uzmetは回りが思う以上に苦しんできたはずだぞ。
(霊が)わかってしまうからだな。
だから、あら神と会ったのは大きなことだったのだぞ。
空海も目が高いな。

(中略)

私からも礼を言うよ。ありがとう。
私はuzmetがエジプトにいる時から知っている魂だから、
今世も忘れていないと思う。
アワの力で動くのだ。



ゼウスだ。
uzmetは私のことをいつも祈っているな。
私はプレアデスのエラ星から来たが、
慌ただしい神達はタイゲタ星から来た。
私達の言葉がそのまま伝わるから
「星の時代」に入ったと言われただろう。
「星の時代」というのは、忘れていると思うが、
地の資源は無くなってしまうので、
星からエネルギーを取り込むしかないということだ。
三鷹の古墳と言われているところは、
高い波動があるところだ。
変わらない熱い波動になっているのだ。
三鷹は富士王朝の拠点だった。
神代(じんだい)という地名は、
忘れないようにということだ。

(中略)

話はマルだからな。
マルが至らないとサンカクになってしまう。
uzmetは○○○○が強いので耐えられたのだ。
普通は壊れてしまうようなことが何度もあった。
新しい棚になって、六所の神もホッとしていたぞ。
氏神には背負いきれないからな。



ゼウスだ。
クレタ島に生まれたのではなく、
連れて来られたという感じだな。
私はプレアデス(昴)のエラ星にいたが、
地球に来てキリマンジャロのルーツの神のところにいたのだ。
ルーツの神がゼウスと名付けた。
「ジュピター」や「ユピテル」は人が付けた名前だな。
私は子供を作らないといけないと言われたので
沢山の愛人がいたのだ。
イオもだな。
そういうことだから間違えないでくれよ。

確かに女は好きだがな......

私はクレタ島にいるが、
アフロディーテはキュプロス島にいる。
神は島にいるな。
観光客が来るので大丈夫なのだ。

ギリシャのクレタ島にいるぞ。
同時にどこにでもいられる。
全知全能の神だからな。
私は
「つまらないことが大事だ」
と言ったノラタの神の意見に同感だな。
つまらないことに真実がある。
魂は笑っていたいのだ。



ゼウスだ。
タケミカズチは鹿島神宮に帰ったな。
クレタ島にしばらくいて、イランに行っていたよ。
日本が落ち着くらしいな。
私はオリンポス十二神の真ん中だから、
ギリシャにいないといけないのだよ。
阿字ヶ浦は白亜紀に来ていたのだよ。
いいところだよ。
世界中に行っていたよ。
世界は広いようで、狭いのだよ。
===========================


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日御碕徒然

2021-10-12 01:05:35 | 凄い...パワスポ寺社
わんわん!
北緯35度
と、レイラインや構造線に纏わることを記していましたが。
その中で「日御碕神社(ひのみさきじんじゃ)」さんだけ
ちゃんとした過去記事が見当たらなくて。
なので今回は、その「日御碕神社」さんの徒然話を
記し残しておこうかと思います。
何卒。(^^)







麗しき日御碕神社さん。
島根県は島根半島の西の端にあります。
いわゆる「出雲(いずも)」の地の西端。
観光協会さんの写真を拝借しますが、
上から見ると、海と合わせてこんな感じで見えるので......



「竜宮城」「龍宮城」などと表現されている場所でもあります。
「北緯35度レイライン」においては日の沈む場所。
列島における夜の?冥界の?入り口。
太平洋から登り来た太陽が再び海へと、日本海へと、沈む地......
ということにもなるでしょうか。
隠しておきたい歴史や「いわく」もそれなりにある地でしょうが......
となると!
勿論!
スサノオさんの地でもあります。ええ。(^^)
地元では「みさきさん」とも呼ばれている様で、
出雲大社の祖神(おやがみ)さまの社(やしろ)」
としても崇敬を集めています。
境内は「下の宮(下の本社)」と......



高台にある「上の宮(上の本社)」とからなり......



下の宮は「日沉宮(ひしずみのみや)」
上の宮は「神の宮(かんのみや)」
と呼ばれています。
「下の宮」には天照大御神(あまてらすおおみかみ)さんが、
「神の宮」にはスサノオさんが!
アマテラスさんより上の場所に!祀られていたりします。
素戔嗚さんのほうが上の地!?というわけなのです。
そんな境内には忘れてはいけない摂末社さん達も沢山あって。



客人社さんや、稲荷社さんや、五十孟命さんの韓国神社さん。
蛭兒命(ひるこのみこと)を祀る蛭児社(ひるこしゃ)さん。
中でも気に止まるのはこの「荒祭宮」さんとか。



井戸を埋めた跡であろう「御井社」さんとか。



神社から海に向かう道の途中にある
宗像社(むなかたしゃ)さんは特に重要。



麗しき宗像三女神(むなかたさんじょしん)さん達の宮。
アマテラスさんとスサノオさんの娘さんたち。
「日沉宮(ひしずみのみや)」と「神の宮(かんのみや)」の娘さん達。
僕さん、タゴリさんが居られる時の香りが大好きなんす♪
ええ。ええ。(●´ω`●)ゞ
そして、そんな神社さん達の裏手には、
ウミネコさんたちが集まる「経島(ふみしま)」。
貴重な国の天然記念物。
強烈な存在感があります。



上に記したアマテラスさんの「日沉宮(ひしずみのみや)」は、
元はコチラの島の上にあったもの。
写真に鳥居も見えると思いますが、勿論、
今もその元宮はしっかりと鎮座されています。
神社の由緒によると、伊勢神宮が
「日の本の昼を守る」
のに対し、コチラ(日沉宮)は
「日の本の夜を守れ」
との勅命を受けた神社である......と、
そう記されているそうです。
この地に来たら経島さんの遥拝は絶対に外せないのです。ええ。
以前、所用あってポンチキーズの皆でこの島に伺った時には
ウミネコさんが全員集合!状態で。
驚いたのなんのって......





しかも、ウミネコさん達の上の方を見てみると、
出雲半島一帯を守護する
「龍蛇(りゅうじゃ、りゅうだ)」さんも!?がぶり寄り。
ビビったのなんのって......



龍蛇さんは龍神さんと違ってツノとかはありませぬ。
蛇に近い龍神さん。
海蛇さん......でもありますでしょうか。
半島の東端にある「美保神社」さんや
地蔵岬の方にもよくいらっしゃいます。
ちなみに、ウミネコさんは鳴き声が
「ニャー、ニャー。。」
と聞こえるからこの名前になったとか。
この時は冬で海も荒れ荒れで寒そうでしたけど。
龍蛇さんが現れる時は海は荒れるよーなんす。
にゃーにゃー。



もういっちょだけ。
マニアックすぐる!?スポットを一つ。おまけで。
「神蹟 隠ヶ丘(しんせき かくれがおか)」





神が隠れた場所の跡......ということでしょうか。
由緒としてはこんな感じ......



===============================
スサノオノミコトが国造りの後に柏の葉を取り
「吾が魂はこの柏葉の止まる所に住まむ」
と仰って投げられた柏の葉が止まった場所だとされている。
===============================



個人的な感覚では出雲の要となる場所の一つ。
日御碕灯台近くの駐車場から見える場所にあります。
写真は以前コチラへご案内させてもらった
「sugiちゃん」と「YUさん」の写真を拝借。
許諾39♪なのです。(^^)





コチラが「神の宮」の方の元宮でしょうか。
上の写真にも写っている様に、
日御碕神社さんの神門である「三つ柏(みつかしわ)」も、
こちらの地の逸話より出来たものの様です。





ま、こちらはマニアックすぐるスポット。
陰の気も強いので人を選びそうでもあります。ええ。
訪れようという御方はお気をつけてなのです。
ちなみに目前にある「出雲日御碕灯台」さんはこんな感じ。



中の階段をへーこら、ヒーこら、とよじ登り、
上から見る眺めはこんな感じでして。
今回は新旧入り混じるスマホ写真となっていて、
そこはとても申し訳ないのです。
でも、実際に目にすると少々感激しちゃう眺めでわないかと。
ええ。ええ。



最後に、神々からいただいた言葉を少しだけ。
プリリンねーさん監修。
神々の秘密に溢れていて、分かる人にはかなりのお話かも!?
ですが。
ま、テキストリンクの過去記事も含め、
適当に捉えておいてくださいませ。(^^)かしこ。



==============================
龍蛇です。
知られていなかったので、まさか、
わかる人がいるとは思いませんでした。
連携が出来たからですよ。
オスだと思われていましたが、私はメスです。

(中略)

劣悪になっていると言っていました。
シネの神が少なくなっていたからですよ。
シネの神の支えがあって、タマもツカも活きるのです。
フジワラは、それがわからなかったのですね。
上ばかり見ていたからです。
フツヌシが言っていた通りですよ。
フツヌシはスサノオノミコトの父ですからね。

(中略)

日御碕で空に行きましたし、
タケミカズチは稲佐の浜に行きました。
信じているからですよ。神がいることを。。。
信じているところに、神は行きます。
平穏無事にすることが、一番のご利益ですよ。
未来は、民達の心が決めますよ。
心が決めるとわからないと、
スミで塗られてしまった神達は出てこれないのです。
利他の心でお願いします。
==============================



==============================
オオナムチだ。
uzmetのところに行ったよ。
「八千矛(やちほこ)」があったからな。
龍蛇も行ったよ。
日御碕と美保関に封じられていたからな。

(中略)

大変な時だけど、大丈夫だからな、とね。
神達は、私も含めて応援しているよ。
==============================



==============================
ミホツヒメです。
コトシロヌシの妻です。
コトシロヌシは、オオナムチの弟です。
子供ということになっていますが、、、
スセリヒメとは、義理の姉妹になりますね。
私は、最近会いましたが、、、
==============================



==============================
スサノオノミコトだ。
島根の旅は、ありがとう。
須佐神社には、また来てくれよ。

(中略)

知りたいのは古代の歌のことだろう。
「八重垣の歌」は私の封印だったよ。
ウマズメの神が詠んだのだ。

(中略)

ウマズメの神は、歌を詠んだので追放されてしまったよ。
知らない星に飛ばされた。
イラタの神(天之御中主神)が飛ばしたのだよ。
罪なことだな。
罪は、優れた者に対する妬みが一番だからな。
==============================



==============================
イラタ(天之御中主神)だ。
神魂神社(かもすじんじゃ)に行ったのだな。

(中略)

出雲は忌部(いんべ)の土地だったからな。

(中略)

「骨使い」は猿田彦の系譜がわかるということだよ。
「セミ使い」はフトダマの系譜だな。
セアカのことは、あら神でもわかるから、
シネの神のこともわかってくれたからな。

(中略)

龍蛇の頭は日御碕で、
尻尾は地蔵崎に封じられていたからな。

(中略)

神魂神社の雲は8だと回らないということで、
出雲(大社)から送ったのだよ。
8は安定の数字だからな。
7で回ったから、1つは神魂に飛ばしたよ。
神魂は、実は出雲の忌部がいたところだから忌部に任せたのだよ。
フトダマが、まだ、いたからな。
フトダマは元々安房(あわ)にいたのだよ。
三鷹が中心だったから。
フツヌシとタケミカズチも寝てなかったからな。
安房神社の辺りに忌部もいたよ。
知多半島にいたのは、タネだよ。
種氏というのが、いたのだよ。
猿田彦は伊勢の守りだからな。
出雲は、もっと後の話だよ。
国譲りはナシタの神(天照大御神)がしていたからな。
一夜にして社(やしろ)を作っていたので、
コトシロヌシは海から出られなくなったのだよ。
オオナムチは大国(だいこく)と言われているだろう。
コトシロヌシは恵比寿(えびす)と言われているだろう。
陸と海の「幸」ということだよ。
本当は、セミ使いの忌部が知っていたことだが、
隠されてしまったからな。
==============================



==============================
コトシロヌシだ。
美保関の鳥居から見える島には私の眷属(けんぞく)がいたよ。
日御碕神社の空に出た龍蛇だよ。
いわゆるウミヘビだな。
==============================


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グニュグニュ

2021-09-06 00:24:10 | 凄い...パワスポ寺社
いやー、、久しぶりに一晩に2箇所、
ライブをハシゴしてしまいまちた。
先週の金曜日。お仕事だったんすけど。
雨の中走り回って疲れたんすー(*´ω`*)。。
とかなんとかボヤきつつ、
前回、地球温暖化に関する記事を記している時に、
フト、思い出したことがありまちて。ええ。
話は変わっちゃいまつけど。ええ。
僕さん、以前、世界最高気温を記録している場所にふらり......
と迷い込んでしまったことがあるのでちゅ。





デスバレー国立公園(Death Valley National Park)。
アメリカ合衆国、カリフォルニア州にありまする。
この「死の谷」なんて物騒な名前の場所が叩き出した
世界最高気温というのは「56.7度」。
摂氏。せっし。56.7°C。
しかも、つい最近も、全く同じこの場所で、
世界2位となる「54.4度」という記録が出た!
なんていうニュースが巡っていましたが。
とにかく、そんな感じで暑い場所なんす。



僕さんがここを訪れた時は、
クルマに毛布を積んで、アメリカの西海岸や中西部、
メキシコ辺りをグルグルと旅していた時で。
目的地によっては、

「一緒に行きたい!」

なんていうモノズキな友達を連れて回ってみたり、
そんなことをしていた時なのですけど。
その時にプラリと、
好奇心で走り込んでしまったのがこのデスバレーさんで。
季節も、確か9月上旬ぐらいだったでしょうか。
まだまだ残暑的な暑さが満点の時期。
観光では暑すぎて誰も来ない様な時。
そんな時に行ったこの場所のいったい何を!?
記憶しているのか!?って......ええ。
実は、車のタイヤなんす。ええ。ええ。

タイヤ。

溶けちゃったんす。

ここを走ってたら。

ビックリこん。

初体験。

ハンドルから伝わってくる車の挙動が、妙に、少し、
おかしくなって。
その時一緒に乗っていた友達にそのことを話して。
車を止めて。
表に出て。
どこがおかしいのか?
車の周りを一周してチェックしてみたのです。
その時にタイヤのグリップ面が異様にグニュグニュ......
としていて。
砂漠に伸びるアスファルトの上にもうっすらと
黒いゴムの跡がついていて。

「ええ!?まじか!?
タイヤ?溶けてんじゃん。。。 (  ゚ ▽ ゚ ;)エッ!!」

幸運なことに、
その時は車にペットボトルの水を何本か積んでいたので、
そいつを持ち出して、タイヤにかけて。
それから少し走るごとに車を止めて。
水をかけて。
また走って、水をかけて、と。
なんとか死の谷を走り切ったことを強烈に覚えているのです。
気温は、確か、車の室内温度計で外気温45度!壊れてね!?
ぐらいだったと思います。
ええ。
本当なんす。
今となっては印象深い、とても良き?思い出なのですけど。
しかし、その時は、

「まじ、やべーーー、、
オーバーヒートもありえるなぁ......
ここで車ポシャッたら誰も助けに来てくれねーかも、、、
全然人いないし。家なんかないし。
パークセンターも遥かに過ぎちゃったし。
やべー......
水、たりるかなぁ、、
なんとかしなきゃ。やべー、、、」

と。必死でした。
ラスベガス側のデスバレー出口になんとか辿り着いた時には、

「やったーーーーっ!
タイヤもったぁぁーーーっ!
助かったー!」

なんて、友人と一緒にハイタッチで叫んでしまったぐらい。
けっこう大変でちたの。ええ。
そんな貴重な!?体験をした二人の紙焼き!写真。
懐かしすぐる。(*´ω`*)



デスバレーの中心的な場所
「バッドウォーター(Badwater)」
海抜マイナス86メートル。(写真は古いので、以前の看板)
北米大陸における最低地点。最も低い場所。
低い谷底で空気がまったく流れず。
熱気が溜まり、最も暑くなる場所。
干上がった水の塩分だけが荒凉として広がっています。



そんなデスバレーさんの最高気温がこれ以上更新されない様に、
地球さんに優しいことなどを、と。
最近話題のサスティナブルなストローを買ってみたのですけど。

「SUTENAI(ステナイ、捨てない)」

というシリコンストローさん。
色々と探してみたのですが、
このストローは中を開いて洗うことができる!
なんていう代物で。
清潔に保てて使いやすそうだな、と、買ってみまちた。
最近、なんだか、
色んなカフェでテイクアウトカップのストローが
紙化してきてもいるもので。
僕さんは紙だとどーもコーヒーが美味しくなく。
僕さんなりの工夫という感じでしょうか。ええ。

しかし、世の中、
またドンドコと変わってきてますなー。
ストローを持ち歩くなんて......
少し前には想像もしてなかったっす。ええ。

このストローは溶けたタイヤの様にグニュグニュで。
口をつけるとシリコンぽく。
口当たりは柔らかく。
ちょっと......
赤ちゃん気分。(*´ω`*)ポ♡


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黄泉比良坂

2021-04-23 00:23:01 | 凄い...パワスポ寺社
「バスツアーの予定が人数集まらず、
6人のプライベートツアーに。なので、
マニアック向けのおすすめスポットを教えてください♫」



なんていうラインが、
少し前に高校の同級生のkumiちゃん(♀)から届きまして。
聞けば、皆で奈良や琵琶湖辺りにお出かけをする♪
なんていうことになったらしく。
その後、彼女とは、
その旅の道中に都度都度エトセトラなやり取りをしていました。



「行きたいところに行くのがよいかと。
それが一番。
おすすめは皆違うし。
何か疑問が沸いたらその時はいつでも連絡くだされポンポン」



僕さんのようなつまらない人間の答えとしては、
いつもそんな感じなのですが。
一方で、旅の最中での質問には、
何かと精いっぱい答えるのが礼節だとも思っておりまして。



「丹生川上神社下社(にうかわかみじんじゃしもしゃ)。
丹生家。興味が尽きないです」



なんて言葉を彼女から投げかけられたりした時には、
以下のブログ記事リンクやコメントなどを送ってみたり......



「朱」の女神
「朱」の女神 2
「朱」の女神 3



「真偽を見定めないと危ないからねー」



そのまま彼女達は琵琶湖方面へと周遊をしていたようで。
その後には以下のようなラインも......



「白髭さん(琵琶湖畔にある白髭神社)の岩で
〇×△◇※♪$¥......たら振動数が、上がって、
亀、龍が口から文字を吐いてるのが見えた」



僕さんは......



「古代文字だよ。
その辺古いからね。
白髭さんは裏の山がすごいよねー(^^)」

「裏の山!
みんなでここ凄いねー言って
しばらくエネルギー楽しんできたよ」

「そゆこと。
後ろの山々の名前知ってる?」

「(*^ ^*)全然知らない。教えて~(*^o^*)」

「比良山地(ひらさんち)。比良山(ひらやま)。
君らいたパワーあるところ、坂道だったでしょ。
急峻な。山の斜面で。
違う?」

「山の斜面だった」



そのまま、僕さんは続けます......



「記紀神話にはこう書かれているんだよ、、、
黄泉の比良坂(よみのひらさか、よもつひらさか)。
比良坂、、とは、
比良の山の坂。
黄泉の入り口だね。
だから文字を刻んで封印をしてある。
封印の文字。
その主語として白髭さんがいてくれて、
管理者でいてくれている感じかな。

黄泉の封印に龍さんの力と亀、、、とは、山のこと、、
の力を入れてあるんだね。
琵琶湖は守らなければいけない要害地だからね。
四方を強い神社や寺が囲んでる。
この国の起源にも関わる大事な湖だから。
いつか、日本海側と、
四国辺りに行くとまた色々謎が解けていくと思うよ(^^)

黄泉比良坂

よもつひらさか、、

ヨモは四方。

ツは津。
船着場とか入江とか。
そういう場所のこと。

黄泉=よもつ、とは、
四方に開けた津のこと。
日本最大の津でもある湖。
琵琶湖のこと。

よもつにあるひらのさか。

四方に開けた津の近くにある比良山の坂。

藤原氏はひどいね~(^^)」



最後にまた違うリンク記事を送付。



—藤—



そんな、
kumiちゃん達御一行とのある日のやり取り。



旅というのは楽しいものです。
全身で様々なリアルを感じて。
そのリアルと知見、知識、
感覚とを組み合わせて真実を発見する。
それは、きっと、
自分を発見することであって。
それが何よりも大切なこと。
kumiちゃん達の旅も、
そんな旅路となったのでしょうか。(^^)



かなり前の写真になりますが、
琵琶湖の畔(ほとり)に佇む白髭神社さんの名物鳥居。
仕事や遊びで近くに訪れた際に、時々伺っていました。





境内は常に厳か(おごそか)な感じ。







白髭大神(白髭明神)さんと白龍さんが一番いらっしゃる!?
白い大木さん。



拝殿裏にあるヤバーーーーーイ!?御神石。
神話における「桃」!?的なモノ。。
触るべからず。



湖に立つ鳥居は絶景!故に、最近、
SNSに上げようと撮影に躍起になってしまう人達がいて、
すぐ近くを走る国道の通行を乱し、
危ない状況も多々見受けられると聞いています。
とにかく、旅はやわらかで、ゆったりと......と、
願っていたりもします。はい。(^^)



黄泉(よみ)というのはアノ世のことでもあり、
古代においては、止むに止まれず、
病や体の不自由な老人を置いて来たり。
育てられない乳飲み子を置いて来たり。
そんな場所であったのだとも思います。
また、そんな地の多くは人里離れた山奥であったりもするのですが、
それを「アノ世」「黄泉」などとして人を寄せつけないようにしたり。
そんな場所の入口には供養や人除けの為に祠や神社などを置いてみたり。
神話からそんな黄泉の象徴であったイザナミさんを引っ張り出して、
その祠や神社に祀ってみたり......と。
捨て置かれた人々は時に鬼とか鬼婆などと呼ばれたり、
どんな生活を?思いを?して過ごしていたのでしょうか。

黄泉とされる場所の多くがどこか暗く、重々しい場所となっているのも、
そんな事々が影響しているようにも思います。
出雲など、力のあった一大勢力を制圧した為政者から、
そんな「黄泉の国」として充てられてしまったり、
言われてしまったりしていた部分もあるようにも思います。
そんなコトゴトがまた史実を混乱させてしまったり。
記紀神話においてのソレは、
上記もした幾つかの意味や事実を重ねているとも推察されますが、
しかし、基本的には、この琵琶湖の比良山地であると思われるのです。
そして、カンのある方々にとっては!?四国の某地も......
黄泉を意味するのでしょうか。ね。


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志賀高原徒然 2

2021-03-30 22:32:35 | 凄い...パワスポ寺社
「青星」さんから前回記事にコメントをいただきまして。



=================================
志賀ばかり行っていた若い頃、高天ヶ原も良く滑っていました、
当時はまだポンチキしてませんでしたが、
高天ヶ原の名前には何で高天ヶ原かと思ってはいました。
岩菅山がその様な場所で有ったとは超ビックリしました!
大滑降コースにならなくて良かったです!
=================================



僕さんのお返事はこんな感じで。



=================================
記した様に神社の由緒には
「西方の神々が集う場所」
とあるのと、地元の伝承には
「ここで日本の神々とカラの国の神々が戦った。
日本の神が勝利したが、血がくまなく流れて川になったので、
血隈川(千曲川)と呼ばれるようになった」
ともあるので、列島の西(九州)から
朝鮮半島や大陸系の血脈もある氏族が入植してきたのだと思われます。
その際に地元氏族との争いもあったのではないかと。
古事記の記述などに関しても分かっている方々でしたでしょうし。
それと、海人である安曇氏の本拠は北九州の「志賀島」なので、
名前もそこから持ってきて山の名前にしたのかもしれませんね。
志賀はシカ(鹿)かもしれません。
鹿の骨で吉凶や国勢を占っていたことなども関係しているかと感じます。
最奥の奥志賀高原エリアの施設デザインに鹿が使われているのが
とても興味深かったりします。
写真も二枚ほど追加させてもらいましたー(^^)
=================================



この会話にある志賀高原の地に伝承されているお話や、
前回記事にも出てくる安曇氏(あずみし)とか、他にも、
例えば「神武東征」神話における神武天皇さんとか、みな、

「列島の西から東へ有力者が国を広げにやってくる......」

的な神話や逸話がこの国のアチコチに残っています。
それらはどこまで本当なのか?
となると、個人的には、おそらく、
その記紀に記されている「神武東征」神話以前にも、
列島を西から東へと国を造らんと動いた方......神様!?
がいるのではないか?と思っていたりします。



「天照国照彦火明櫛玉饒速日命」

「あまてる くにてる ひこ ほあかり くしたま にぎはやひ の みこと」

別名「饒速日尊(にぎはやひのみこと)」



以前も記していたことですが、
記紀や民族史を語る際、
とかく「天津」「国津」と分けて話されがちな神々や民の系譜。
しかし、ニギハヤヒさんはその両方の名を冠している唯一の神でもあります。
その意味はとても深いと思うのです。
それは天津も国津もなく。
天も地もなく。
原住民も移住民もなく。
支配も被支配もなく。 
鶴と亀で表されるものの統合。
陰陽統合の神。

「初代国祖アマテラス」の可能性。

古代、富士王朝を打ち立てたスサノオ さんは、
その後、原初出雲と九州をも統合し。
今の日本国の原型を作りました。
そのスサノオさんの偉業を共に行なってきた愛息子さん達の一人であると共に、
統治地域をさらに拡大し、
古代大和における最初の王にもなった方ではないかと。

当初は大歳(オオトシ、大年)の名でスサノオさんにから九州の統治を任され。
その後、九州の地を旅立ち。
瀬戸内から大和に入り。
中部、関東、東北、北海道、と。
スサノオさんの意を継ぐように各地を統合し、一つの国としていった方。神。

神武天皇さん以前に「東征」なる偉業を成した神であるということは、
この神の動きこそが、
神武さん以降の全ての東征神話のモデルになっているということです。
時の権力者達によって、神武天皇の偉業というように改竄され、
伏され、隠され、見えなくされてしまった神ということです。

しかし、そんな隠された神の偉業は、
意外にも様々なモノから感じ取れたり、垣間見れたりもします。
一番わかりやすいのは全国に散らばる神社の祭神名や由緒、位置。場所など。
そして、もう一つ、
そんな神社に祀られる神々の名前をよぉーーーく見てみても、
ニギハヤヒさんの偉業の痕跡をそれとなく感じ取れたりもします。



名前に「みこと」「ミコト」「命」「尊」とつく神様。



これらの神々は時代や年代等はぐちゃぐちゃで。
神話を読み込んでみてもその実は霧闇の中であるとは思いますが、
「ミコト」とついている部分の起源としては、おそらく、
ニギハヤヒさんと一緒に動いた神々、
もしくはその神々の末裔や系譜にある神々ではないかと思われます。
記紀にはそれとなく、わかるように書かれてもいるようです。
全国を動いたニギハヤヒさん。
その彼に随行した個性的で、
それぞれ特有の能力を持ったエキスパートな神々。
志賀高原の高天ヶ原神社にまつわる伝承にも、
僕はその匂いを感じミテてしまうわけなのです。









志賀高原のゲレンデで一緒に遊んでいたメンバーが撮ってくれた写真。
終始出ていた日輪に最初は感嘆し、喜々としていたのですが、

「なんか、日輪が動いている気がするんだけど!?おかしくね?」

なんていうことになり。

そう言いながら押さえてくれたのが上にある何枚かの写真。

本当なのか、錯覚なのか。

どう見たらよいのか。

どう捉えて良いのか。

よくわかりませんが。

ただ、すごく綺麗で、

時空の歪みを感じられるくらい、

パワー感のある写真ではありますでしょうか。(^^)





この志賀高原に至るまでのちょっとした小話もあるのですが、
そのお話に関連する写真なども一緒に、少しだけ置いておこうかと。
先ずは、栃木県、那須塩原高原。
日光連山や会津の山々を見渡せるハンターマウンテン。





長野県、諏訪市。
霧ヶ峰(きりがみね)の最高峰、車山(くるまやま)。
八ヶ岳、南アルプス、中央アルプス、北アルプス
浅間山、軽井沢、飯綱、妙高、斑尾、、、
遠く富士山までも見渡せます。(^^)



山頂には諏訪大社の奥宮が。





「北信五岳(ほくしんごがく)」の一つ。
斑尾山(まだらおさん)。山頂。
この雪の下には不思議な伝承のある薬師如来さんの祠が埋まっております。







その薬師如来さんからいただいた!?
椿柄のクッション。
最初はマンダラ(曼陀羅)の描かれた布?
をもらったのかと思っていたのですが、少し!?違っていた様で。
プリリンねーさんのチカラも借りつつ、
感じ見えたイメージと似たものを探して買ってみました。



新潟県、舞子高原。





群馬県、草津温泉の光泉寺(こうせんじ)。
御本尊は......薬師如来。



長野県、八方尾根から見る白馬の山並みと日輪。





山頂の八大竜王さんの石碑と白馬、栂池(つがいけ)のトトロ。





志賀高原の麓、渋温泉(しぶおんせん)の中心にある
薬師如来を祀る渋薬師如庵(しぶやくしあん)と街中のトトロ。





また今度、
これらの写真にまつわるお話も記せればなぁ、と。
思っておりますのです。はい。(^^)


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今宮徒然

2020-12-12 00:34:42 | 凄い...パワスポ寺社
6月19日に記した「大祓(おおはらい)」という記事で、

「大祓(おおはらい)の日というのがコロナ禍の転換点ではないかと」

と記していたと思うのですけど......



上のグラフの様に、
初期状況や重傷者数に関してはその通りではあったのですが、
ソコから「第2波」「第3波」と発生していってしまい......
別の転換点ともなってしまっていて。
その中で「Go Toキャンペーン」なるものまでスタートされ、
只中にある第3波では重傷者も多くなって来ており。

「むむむ......我々同様、
神々の方もまたまた大変な状況か......な......」

と感じてもいました。
そんな時、このタイミングで京都でのお仕事が入ってきたので、
隙をみつけて!
「今宮神社(いまみやじんじゃ)」
という所に参拝することにしました。
この神社さんは古来より
「疫病の神(えきびょうのかみ)」
とされる神様が祀られていて、
「京都三大奇祭」とされる「やすらい祭(夜須礼祭)」でも有名ですし、
古(いにしえ)の昔から
京の都で独特の存在感を持ち続けている神社さんです。





起源は不明。
古いこと請け合い。
元々は「スサノオ(素戔嗚、須佐男)」さんを祀る宮でしたが、
現在の本社(本殿)には
大己貴命(おおなむちのみこと)
事代主命(ことしろぬしのみこと)
奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)
の三柱を祀っておられます。
スサノオさんは本殿横の大きな摂社(せっしゃ)に祀られていて......



船岡山の上から移されたというコチラの疫社(えきしゃ)が、
冒頭のリンク記事にもある通りの「疫病の神」とされています。



社(やしろ)前にある「疫神社敷石」にお酒をお持ちして、
懸命にお祈りしていると、そこに、はらり......と、
モミジの枯れ葉さんが......



(T 。T)ぶぇ。
何卒、今一度!
コロナ収束にお力添えを!
もう、疲れちゃってるんす......なにとぞ......



今宮神社さんが素晴らしいのは、
そんなスサノオ さんのもう1つの顔でもある、
ツクヨミ(ツキヨミ、月読、月夜見)
さんも一緒に祀っているというところでしょうか。
スサノオさんの表裏が祀られているので、
その辺の神社さん!?とはパワー感が違うのです。



この月読社(つきよみしゃ)さんはすごいっす。
このセンテンスに興味が湧いたという方は、コチラの
月と夜と黄泉と読見
という過去記事あたりをチェックして頂けたらと。ええ。何卒。
上記もした様に本殿には奥様のクシナダさんも祀られていますし、
境内には宗像三女神さんを始め沢山の子息神々の社も置かれていて。
スサノオ さんとしては力を発揮しやすい状況が整っております。
それと、よく女子の行列が出来ているのは、
こちらの阿呆賢(あほかし)と呼ばれる石さん......



覆い屋の下にある石を願いを込めて持ち上げるらしく。
沢山の人の願いが籠りすぎていてアチキはチト触れないわけでして。
なので効果の程は良くわかんないっす。ええ。
コチラの「織姫社(おりひめしゃ)」さんには
「栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)」さんも。
神社に程近い、西陣エリアが誇る織物
「西陣織(にしじんおり)」も守護されている様な感じでして。
個人的には、ですが。ええ。(^^)



チジヒメさんに関する諸事は以下の
三ヶ日徒然
ハタオリの女神様
ハタオリの女神様 2
あたりの記事に記しています。
でもって、
個人的に今宮神社さんの何が凄いと思っているかというと、
境内で売られているこの「清め砂」ですの......



しっかりと家の四隅などに撒いちゃったり、
どこかに置いちゃったりすると、
お家が神社となってしまうくらいの力が宿っています。
ちゃんと丁寧な祈祷をされている感じもしますし、
かなりチカラのある砂なのです。
撒き方のに関してのポンチキ・ガイドなんぞをついでにしちゃいますと、
僕が知る限りの術!?では、
お家やお部屋の「入り口」や「玄関」「ドア」に対し、
一番近い隅を「1」として。
そこから左回りに「2」「3」「4」と順番を付けた角に撒いていきます。
ちなみに、よくある「お塩」に関しても同様です。
そうすると、あーーーーら不思議!
素晴らしい清めのパワーがお家やお部屋を包んでくれます。
家であれば土地の「気」もかなり上がります。
特に、この今宮神社さんの砂というのは本当に素晴らしいのです。
私め、超実感ちうでして。ええ。なう。
ええ。ええ。

「コロナたいさーーん!(。-`ω´-)ウリャーーー!」

的な。ええ。ありがたし。
さらにさらに、
この神社さんは女子がお金持ちの旦那さんをゲットしてセレブになる!?
シンデレラ的なコトを表現した
「玉の輿(たまのこし)」
という言葉の元となっている「お玉さん」が再興に尽くされた宮でもありまして。
お玉さんはこの地に生まれ、後に、
大奥を仕切る桂昌院(けいしょういん)さんとなられた御方でございまつ。
ま、俗説とされてもいる様ですが、ここに訪れれば、もしかして!?

お玉さんの力をいただいて!?

タマのこし!

になれるかも!

おれももも!

なにとぞ!

たまのこしにのせておくんなさいましぃぃぃーーーーっ!

フレーズが魅力的ぃぃーーーーっ!(=゚ω゚)ノ





そんなお玉さんが寄進されたという井戸「お玉の井」。
とても甘くて美味しい水なのです。
神社としては飲んではダメとしているとは思いますが......
一口だけ、わずかに......
アチキはこそっと飲んじゃうわけなのです。
まろやかすぎて驚く味。
神社の横には、あの千利休さんが帰依した茶道文化の中枢
「大徳寺」さんがあるのですが、
美味しいお茶の煎れられそうな優れた水が湧く地であったことも
利休さんの判断に影響していたのではないか?と。
僕さんは勝手に想像しております。
大徳寺や利休さんのお話はコチラの過去記事の方にまで。ええ。

喫茶去(きっさこ)2

そして、そんなお水を使って作っているからなのか!?
神社さんに匹敵するほどヤバイのがコチラ。
「あぶり餅」!



ええ。ええ。
サイコーっす。
満面の笑みでたたずんじゃうわけっす。(´ε`●)





道を挟んでお店が二軒あるのですけど。
「元祖」と「本家」でライバルってるのです。
本家が「かざりや」さんで、元祖が「いち和」さん。





大阪、道頓堀の「たこ焼き戦争」の「元祖」と「本家」の争いも、
実はこの今宮の参道にヒントを得ているとか!?なんだとか!?
きっと、どちらも本家であり元祖っす。ええ。
僕さん、この日は「かざりや」さんの方に......
なぜなら!
写真の角度が良いから!(* ̄∇ ̄)ノ
そりだけ!
味はどちらも一緒!?か!?



第三波!とんでけぇぇぇぇーーーーーっ!
うりゃぁぁーーーっ!



最後に、
お見送りしてもらいましたの。
ええ。ええ。(^^)


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美保徒然 4

2020-11-18 00:15:01 | 凄い...パワスポ寺社
「あれ?指輪の形みたいだな。空。なんだろーな、、、」

と空を見てつぶやいてしまった僕さん。
最後にもう1話だけ、この僕さんの呟きを聞いて
mikoちゃんが話してくれた「余談」を記し残しておきます。
美保神社の巫女舞が如何にヤバイものなのか!がわかる?
徒然話はもう1話だけ続きます。(^^)






幾度か足を運ばせてもらっている美保神社のことを思うに、
僕の場合、真っ先に思い浮かぶのが、その「巫女舞」。
幸運なことに、これまで幾度か見させてもらっていますが、
とにかく雰囲気が特別。
何かとあって!?全国隅々、かなり多くの神社さんを回り、
神社毎に少しづつ違う巫女舞もそれなりに見て来てはいましたが、
その中でも美保神社さんの舞というのは、
格別に印象に残っているものなのです。
僕は決して舞に詳しいわけではないのですが、
他とは違う「何か」を宿しているモノのように感じられ。
どこか独特な空気が満ちているのです。

異様。

凄い。

美しい。

コワイ!?

特に巫女さんが手にしている鈴を水平方向にピシッ!と斬る様な?
所作をするところなどは、見ていて背筋が

「ぞわわわわっ!(@。@)」

っとしてしまうのです。はい。
すげーっす。
他にないっす。
好きか嫌いかもわからない感じ。
そして、
そんな巫女舞を偶然目にすることができたポンチキーズでしたが、
その時のmikoちゃんのお話を、彼女の許諾も頂いたので、
彼女のブログからそのまま転載させていただこうかと思います。
文中にある各人の愛称は雲完ブログ名に変換させてもらいました。
何卒。お許しを。



====================================
—————uzmetさんが巫女の舞いが凄いから
見る事ができたらいいなと言ってましたら
そのようになってしまうのですね!

舞いを見ている時、ちょっとクラッとしたのです
手を合わせ二拍手した時
指輪が壊れて落ちました
((((;゜Д゜)))

ねーさんとikuちゃんには見せてました



uzmetさんはその事は知りませんでした

神様ご指定の御社で祝詞を挙げお酒をお供えしました





社の下は海です
太陽がまた出てきた時にuzmetさんが
「なんか指輪の形みたいダナー」と言ったので私は驚きました



それから、
uzmetさんが「mikoちゃんなんか変だぞ」と言っていて

化粧が落ちたからと言ってはいましたが
壊れた指輪のせいだとは思っていました

ねーさんに指輪のエネルギーをみてもらうとマイナス20でしたから
敏感な人はやっぱりなんか変とわかるのですね
ねぇさん達は何も言わなかったけど
uzmetさんは指輪見て頭痛くなるなと言ってました

*次のお食事処で紙にくるんで処分しましたら
少しスッキリしました‼︎
====================================



この時、mikoちゃんの指輪と、
この地の封印の鍵となっていたモノとが、
僕にはリンクして感じられていました。
それは、神様からのメッセージのようでもあって......



......と、そんな感じで。
「美保徒然」のシリーズ記事は
これで仕舞いとさせていただきます。(^^)



今回のシリーズ記事を書いている最中には、
このブログを見ながら出雲旅に出ていたスタッフさん達から
以下にあるような美しい写真がバンバンと送られて来てもいまして。
とても楽しい旅になったとのことでした。
なんだか、よかったっす。(*´ー`)
そして、届いてくるそんな写真さん達を見ていたら、
どこか事代主(コトシロヌシ)さんから元気の便りをいただいている!?
ような気になったりもしまして。
この記事での使用許諾も頂くことにしました。
こんなポンポンチキなお話にお付き合いをいただいた方々も含め、
なにかと、とてもお疲れ様でしたのです。ええ。
とても感謝なのです。































☆シリーズ過去記事はコチラ☆
美保徒然
美保徒然 2
美保徒然 3

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美保徒然 3

2020-11-14 01:10:25 | 凄い...パワスポ寺社
「封印された事代主を出して欲しい」

そなんこともあって、その後すぐ、
僕は秘伝の「天照祝詞」と「フルのコト」とを携え、
ポンチキーズ......プリリンねーさんとmikoちゃんとikuちゃん......
と共に美保神社を訪れたということがありました。

徒然なお話はもう少し続きます......




その時の本殿参拝では見事!偶然!
僕らは貴重な巫女舞神事にバッタリと立ち会うことにもなって。
一同、バッサリと色々なモノが綺麗に切られ。禊がれ。
晴れて神々所望の「アマテラス祝詞」と「布瑠の言(フルノコト)」を
奏じるべく指し示された場所へと移動しました。
移動した場所は最初の記事にも記した「弁天島」。
島にかかる橋を渡ったところにある筑紫社(つくししゃ)と
和田津見社(わだつみしゃ)の前。
ソコこそがこの地のキーとなる場所。
住吉三神と宗方三女神を祀る宮の前には、
その三女神の御霊を宿す三人の女性。
持って行ったお酒は出雲大社の御神酒に使われている「八千矛(やちほこ)
全て万全。バッチリ。
僕は緊張と必死の思いで祝詞と滅多に使わない「フルノコト」を捧げました。
この時に「ぷりりんねーさん」が降ろしていた言葉はこんなものでした......



イラタの神(天御中主之神、アメノミナカヌシノカミ)
——————8は、安定の数字だからな。
7で回ったから、1つは神魂に飛ばしたよ。
神魂は、実は出雲の忌部がいたところだから、忌部に任せたのだよ。
フトダマが、まだ、いたからな—————————————



事代主神(コトシロヌシノカミ)
——————忌部(いんべ)のフトダマが出られたのは大きいのだよ。
私も封印が解けたから、兄(オオナムチ)が一番喜んでくれたよ。
せーーーかーーーいーーーは、回ってくるだろう。
シネの神が増えないと、タマもツカも力が出ないのだよ。
本当のことは隠されてしまったからな。
本当のことは、変わらない愛、だよ。
骨使い」と「セミ使い」の融合が大事なのだよ。
民達が幸せになることが、大事なのだよ。
古来から、悪い言葉がいけないと言われていた。
悪い言葉とは、蔑(さげす)んだり、貶(おとし)めたりする言葉だ。
それが、タネになったり、ガンになったりするのだよ。
固まる心が塊(かたまり)を作るのだ。
利他の心が大事だよ。
宝だな。
本当にありがとう—————————————



素戔嗚命(スサノオノミコト)
——————コトシロヌシの時も、助けは沢山入ったのだよ。
つまらない見栄をはって、自分が犠牲になればいいと言ったのだ。
ナシタの神(天照大御神)のところに行ったら、
「まずは、みそいで来い」
と言われた。
「みそいだら、話してやる」
と言われて、海に入ったまま、出られなくなってしまったのだよ。
青柴垣は、封印だったのに、コトシロヌシはわからなかったから、
フツヌシが教えに行ったのだよ。
フツヌシの言葉は届かなかったな。
残念だったよ。
オオナムチは、怖くなってすぐ「国譲り」してしまった。
社(やしろ)を建てたらいいと言ってしまったのだ。
ナシタの神は、一晩で社を建ててしまった。
オオナムチは、すまながったが、後の祭りだったのだよ。
アワが取れたので、本当によかったよ。
ありがとう—————————————————————



この時、僕は、なんとか、
神々との約束を果たせた様な気がしていました。
勿論、気のせいでしょうけど。ね。ええ。
自己満足。
そして、そんな諸事の後、
弁天島の上の空を見上げると、こんな感じで......



「あれ?指輪の形みたいだな。空。なんだろーな、、、」

と、空を見てつぶやいてしまった僕さん。
最後にもう1話だけ、僕のこの呟きを聞いて
mikoちゃんが話してくれた「余談」を記し残しておきます。
美保神社の巫女舞が如何にヤバイものなのか!がわかる?
徒然話はもう1話だけ続きます。(^^)


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美保徒然 2

2020-11-10 00:05:34 | 凄い...パワスポ寺社
次回は、
ネットを探してもプリリンねーさんのブログぐらいにしか?
書いていないであろう、そんなヨタ話を、
ココにも記しておこうかと思っています。
続きます。






美保神社の起源に関わる話として、
日本最古の書である「古事記」にはこの様なことが記されています。



—————タケミカヅチの神は天鳥船神(アマノトリフネ神)を派遣し、
八重言代主神(ヤエコトシロヌシ神)を探して呼び寄せ、国譲りを迫った。
すると大神(父である大国主神)に向かって語り、話しました。

「かしこまりました。
この国(葦原中国)は天津神の御子に譲りましょう」

事代主神(コトシロヌシノカミ)は、すぐに船を踏んで傾け。
天の逆手(アマノサカテ)を打ち、
船を青柴垣(あおふしがき、あおしばがき)に変え、
そこに隠れた ——————————————————————



この神話を「祭り」という形にして、
数千年にわたり今に受け継いでいるのが「奇祭」とも言われる
「青柴垣神事(あおふしがきしんじ)」
「諸手船神事(もろたぶねしんじ)」
となります。
祭りに関してのアウトラインは前回記事に記した通りですが、
記紀の記述に関しては様々な解釈があります。
これも前回記した様に、
僕はこの祭りを「呪(しゅ)」として捉えているので、
個人的にはこんなふうに思っています......



—————昔、出雲地域の王は、
大国主(オオクニヌシ)である大己貴神(オオナムチ)であったが、
その政治に関しては、
実質的には智者である事代主(コトシロヌシ)が司っていた。
現日本国に比して表現すれば、
天皇陛下が大国主で内閣総理大臣が事代主といった関係。
そんな出雲の地を手にしようとする勢力に従属を迫られた大国主は、
実権者である事代主にも伺いを立てる様、相手国に話したが、
その質疑をされた事代主は、
無駄な争いや犠牲の血を流すことは避けたい......との思いで承諾をした。
しかし同時に、その無念なる思いは皆に伝えつつ、
智者らしい「天の逆手」なる禁忌の怨念呪(おんねんしゅ)をも示したため、
最終的に相手国の知恵者に「封印の呪」をかけられ、船に乗せられ。
青柴垣に包まれ、美保の海に葬られた———————————————



......と、こんな感じでしょうか。
ちなみに柴垣(しばがき、ふしがき)とはこんなモノです。
ネットから拝借。



「青」とつくので、
もっとしなやかで頑強なモノであったのだとも思います。
竹?でしょうか。
事代主さんはそんな青柴垣に包まれ、呪をかけられ、海に沈められた.......
出雲に関わる様々な資料や各地の様々な様相から考えると、
こんなふうに捉えるのが僕には自然に思えています。

そして、天の逆手(あまのさかて)とは、
両手の甲側を合わせてみると、
関節の節々が互いに当たることとなります。
節と節が合わさるので、節合わせ......不幸せ。
事代主は最愛の国を奪わんとする者に出来るだけの抵抗を
「暗に示して」この世を去ったのだと、そうも思えます。
そんな実力者の怨霊的な念を恐れた為政者は、
その怨念を封じるべく「祭り」という形にした封印の呪(しゅ)を、
民衆により毎年毎年、術が永続するようにかけさせ続けた......

大国主とはその地を治める者の呼称であり肩書きであって。
現在で言う「県知事」の様なもの。
全国に一緒に祀られている大国主と三穂津姫とは、きっと、
古(いにしえ)のその地の県知事夫妻。
美保の地においては古書に諸事が入り乱れて残されている故に
混乱をきたしているのだと思いますが、
長年存続してきた美保神社の本殿を見さえすれば一目瞭然。
完璧に等しく、並列に建てられている2つの本殿は、
片方が事代主さんの子供や、親、
関係神様などであるハズがありません。神話に

「大物主神あるいは大国主神の后」

と記されてもいる三穂津姫神(ミホツヒメノカミ)とは、
事代主さんの奥さんであると思われます。
事代主さんは県知事に等しい存在でもありますし、
大国主と言っても間違いではないでしょう。

古代、港として奇跡的な地形を持っていた島根半島一帯の地は、
大陸からのモノも含め多くの船が行き交い。交易が盛んで。
海は勿論、山川の幸にも恵まれ。
木材や鉱物資源も豊富にあって。
古来より「天太玉命(アメノフトダマノミコト)」を祖とする
「忌部氏(いんべし)」が治めていた豊かな地の1つだとも思われます。
それは、過去記事にも記した様に、
神魂神社(かもすじんじゃ)をはじめとする様々な古社の特徴や地名を
つぶさに見てみれば自然とわかってくることでもあって。
その上で、更に神々の秘密を記すとするならば。
そこに新勢力のオオナムチと事代主が入って来て。
忌部氏を抑え、出雲の王として君臨したようであり......
その国を、また新たなる勢力が押さえに来た......
これはプリリンねーさんの降ろした神々の言葉に拠った話でもあるので、
勿論、何処にも書かれていない、
語られてもいない話ともなりますが......
この物語は、またいつか記すであろう???
九州は天草と、五島列島の古代物語へと続いていくものでもあります。



......さて、数年前のお話となりますが。



僕は神様から太玉命(フトダマノミコト)さんに関する諸々の事を頼まれ。
それらの神ゴトを終えたすぐ後に、今度は、二人のポンチキさんから
事代主さんに関わる言葉を受け取ることとなりました。
1つは、いつも体をチェックしてくれている
北陸の凄腕気功師の「Yさん」からで、

「意味はよくわからないのですが......青柴垣が見えます」

もう1つは、
ポンチキ極まりない預言力を持つポンチキーズのプリリンねーさん......

「封印された事代主を出して欲しい」

そなんこともあって、その後すぐ、
僕は秘伝の「天照祝詞」と「布瑠の言(フルのコト)」とを携え、
ポンチキーズ......プリリンねーさんとmikoちゃんとikuちゃん......
と共に美保神社を訪れたということがありました。

徒然なお話はもう少し続きます......



美保神社の拝殿真裏。
水の流れる側溝の中に潜む亀さん。
地元の観光協会さんの写真を拝借。
後ろの山から湧き出でる泉の守護はもちろん、
出雲大社の素鵞社(そがのやしろ)的な意味合いもあるのでしょうか。
背後に置くスサノオさんの守護力、的な意味。
ここも美保神社さんの大事なスポット。
それと、僕さんが松江に行くと必ず寄ってしまう運河沿いのカフェ。
「珈琲館 京店店」



コロナ禍なので営業時間がわかりませんが、
いつもなら深夜までやっていて、
松江の川沿いの夜景を静かに見ながらお茶ができるとても好きなところ。
前回の記事アップをした後、
誤字脱字の修正をしていた時に書き忘れていたことに気づきました。
今、まさに出雲に伺っているであろう、
うちのスタッフさん達の為に追加で記しておきます。(^^)


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美保徒然

2020-11-06 01:16:19 | 凄い...パワスポ寺社
「出雲大社に参拝する前に行くべき場所、
その他パワースポットがあったら
時間あるときにでも教えていただけますと幸いです!」

.......と、先日、
うちのスタッフさん(♀)からラインを頂きまして。
チロチロと様々な返事を返しつつ、その中で、どーも、
美保神社というところにも興味を持っているようでして。
で、このブログを振り返るに、
美保神社さんのことは未だ殆ど記していなかったようで。
ということで、
今回はウチのスタッフさんのガイドともなれば、と。

「美保徒然」

何卒。
悪しからずなのです。



コチラ。
美麗なる美保神社さんの入口。
島根半島の東の端に佇まれております。
西の端にある日御碕神社(ひのみさきじんじゃ)さんと
対になるような神社。
出雲大社から日御碕神社に立ち寄ったりしたならば、
コチラにも一度は伺ってみたいなぁ......という地でしょうか。



歴史はあまりに古く。創建年は不明。
主祭神は「事代主神(ことしろぬしのかみ)」と
「三穂津姫神(みほつひめのかみ)」。
事代主さんはいわゆる「恵比寿様(えびすさま)」でもあり、
この神社が恵比寿様を祭る全国の神社の総本宮ともされています。
そー言えば......
この記事のきっかけとなったスタッフさんが住んでいるのは、
東京、恵比寿の街。
なるほど。
そーいうこともありますのでしょうか、ね......





港から連なる神社周辺の風情は独特。
「青石畳(あおいしだたみ)」と呼ばれる美しき石畳も。



時節にもよると思いますが、
参道沿いにはよくイカさんが干されています。



一休みするお店で頼むのもモチロン!イカさん。
お茶付きっす。(^^)ええ。





鳥居をくぐり、御手洗を済ませ。
祓所(はらえじょ)横の、
このヤバイ神門をくぐったところ......



......にある「御霊石(みたまいし)」
すごい霊力。チカラ。
入っちゃってます......いろいろ。合掌。



社殿は国の重要文化財。
「美保造(みほづくり)」、
または「比翼大社造(ひよくたいしゃつくり)」
といわれる比類なきもの。
この地が特別であるということを強く感じさせられます。





社殿屋根上に突き出ている部材は男女を表しているとも。
尖った「外削ぎ」と、水平になっている「内削ぎ」。
1つの社殿に両方が揃ってあるのはとても珍しい形。



拝殿後ろにある「若宮社」は外せませぬ。



その横にあるヤバイ!?池も。合掌。
昔はとても濁っていたのですが、
最近はとても綺麗になっているように思います。
神気も湛えております。きっと。ええ。



同じく外せない、
神橋を渡った「弁天島」にある摂社「筑紫社」と「和田津見社」。



僕さん、
ここで懸命に祝詞(のりと)を上げさせて頂いたこともありました。
お酒と共に、滅多に使わない「フルノコト」と言われる、
物部氏(ものべし)の強力な祝詞も付け加えて捧げたことも。
その時は、それなりの事情があったもので。ええ。
後ほど記そうと思っておりまする。ええ。ええ。



そんな重要な社(やしろ)の前に広がる入江には、
遥か昔に秘された重々しい歴史が沈んでいるようでも......
あります......



美保神社に触れる際に、決して外すことが出来ないコトが
「青柴垣神事(あおふしがきしんじ)」
「諸手船神事(もろたぶねしんじ)」
と呼ばれる神事。奇祭。
今に伝わる事柄としては、
祭りの起源は出雲の「国譲り神話」に因むものであって。

「諸手船神事」に関しては、
大国主神が国譲りの是非を相談するために、
息子の言代主神に使者を送ったという故事を再現したもの。

「青柴垣神事」の方は、
国譲りを決めた言代主神が船を青柴垣(あおふしがき)に変え。
その中に身を隠し。
再び神として甦る様子を再現している祭りと伝わっています。

この祭事に際しては、
毎年「当屋」と呼ばれる二人の人が選ばれ。
1年間、コトシロヌシさんが嫌いだった鶏肉や鶏卵を避け。
毎日海で身を清め。
祭り前日にも断食し。
青柴垣を飾った2隻の船に乗り港内を一周した後、
美保神社に参拝、奉幣するのだそうです。
とんでもなくストイックな鬼気迫る祭り。



さて。
このブログを見て来てくれている方々は、
もう感づいている!?とは思いますが......
そうです。
こういったことは、ほとんどの場合、アレ......です。



呪(しゅ)



「祭り」という形を使い。
時の為政者が民衆の力を無意識のうちに、
知識も無きうちに利用せん!
として仕掛けた封印の術。
己が朽ち、この世を去った後でも、
大勢の人々の生命力を使い、
仕掛けたその術を時を超えて掛け続けようとする、
そんな呪い(まじない)。
出雲大社そのモノをはじめ、
長野県、諏訪の御柱祭や、
四国、八十八箇所巡り、お遍路、など......この国の得意技!?
でもあります。
そして、出雲は忌部氏(いんべし)の地でもあり。
その呪術的な深さは底知れぬものがあります。

次回は、
ネットを探してもプリリンねーさんのブログぐらいにしか?
書いていないであろう、そんなヨタ話を、
ココにも記しておこうかと思っています。
続きます。



美保神社の付近には沢山の末社が散らばってあるのですが、
個人的に必ず寄りたい場所というのがありまして。
それが美穂神社の更に先、
岬の先端にある美保関灯台のあるところ。
上の写真にある様な灯台を左に見ながら奥に歩いていくと、
こんな鳥居が......



その近くにある石碑
「神蹟 美保之埼(しんせき みほのさき)」





この地こそ島根半島の東の端の要(かなめ)。
霊眼では島根半島は龍蛇(りゅうじゃ)のようでもあり、
この地が「龍蛇」と呼ばれる存在のお尻部分♡ともなるのでしょうか。
頭は?となると、勿論、半島の西の端にある日御碕(ひのみさき)。
経島(ふみじま)や、
日御碕神社の先にある日御碕灯台のあるところ。

そんなこんなのポンチキ・フレーズに興味などがわいた方は!?
以下の過去記事辺りを参照していただければと。
次回記事を読む際に役に立つかもしれませぬ。はい。
何卒(^^)ええ。ええ。


☆関連過去記事はコチラ☆
限りなくグレイ
お・ま・じ・な・い・☆
ツカヘイさんの予告
諏訪徒然
諏訪徒然 2
諏訪徒然 3
8を巡る旅
桜咲く出雲
8を巡る旅 4
8を巡る旅 5


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コメント (2)
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逗子徒然

2020-09-27 00:01:01 | 凄い...パワスポ寺社
四国行脚から帰った後は、
しばらくは落ち着いた時間を過ごしていたのですが。その後、
剣山(つるぎさん)から連なるトアル用事が発生いたしまして。
神奈川県は逗子市にある「森戸神社」さんに
プリリンねーさんと行くこととなりました。

——————その時のお話は、こちらの「答え合わせ
という記事にある通りなのですが———————————

そんな感じで、僕にとっての逗子(ずし)の中心というのは、
以前から森戸神社さんであったりするのです、が、
そのさらに後。つい先日。
今度はフシギーズのSZさんも連れだって、三人で、
再び逗子へと呼ばれることになりまして。
またもや四国から引き続く用事ではあったのですが、
数多くの宇宙人さんとお友達!?であるSZさんを連れてこい!
なんていうことは......ですね、そうです。
ソッチ系、宇宙系カミサマーズからのオーダーということでして。
どうやら、逗子にあるポータルに来いと。
そういうことの様なのです。ええ。



ややっ! (゚ω゚;A)!!
今回わポンチキ話っす。ええ。
ムキキキ!となる方々は、どうか、
ここで離脱してもらえたらと。
申し訳なかとですぅー(T 。T)ぶぇ。



で、そんな「ポータル」とはなんぞよ?というと、
ま、違う次元や宇宙に繋がる回転ドアみたいな場所のコトでして。
そんなものあるわきゃねーべよ、と言いつつも、
この日本にも幾つかあるのでする。ええ。
ココで記しているものでいえばコチラとか、コチラ
コチラコチラ......とかでしょうか。ね。
他にも過去記事にはいくつか出てくるのですが......
まだ書いていない所ももう少しありまして。
探してみてください。(^ν^)
勿論、世界にも幾つかあるようですし、
開いていたり、閉じていたり、と、
時期や時代によって状況は揺れ動いたりもするようで。
古(いにしえ)の日本の神々はこれを

なると

と呼んでいる様なのです。
近頃使われているソチラ系の言葉では

「ポータル・ゲート」

ドラえもん!さんから言わせれば、

「どこでもドア」

とか?

「ワープ!」

とか。そんなイメージ。
そんなところが少し汚れたり、詰まったり、
なにかの事情があって歪んでしまっていたりする様な時に、時折、
僕らの様なポンチキーズがパシらされたりするわけなのです。

勿論!

アルバイト代など何も無し!

あるのは!

神々の秘密をちょっとだけ教えてもらえる♡

ぐらいのことでしょうか。ええ。
今回の逗子のポータルでも、
そんなことを少しだけ教えてもらいました。





今回お呼ばれしたのはコチラ。
「六代御前の墓(ろくだいごぜんのはか)」
と呼ばれるところ。
「六代山不動院(ろくだいさんふどういん)」
というお寺の境内ともなっているのですが、
しかし、しかし、その実、ナルトでございまつ。ええ。
わかる人にはわかっちゃう!?感じでして。

今に伝わる由緒によれば、昔々、源平合戦の果てに、
源氏に抹殺された平氏の最後の棟梁が埋葬されていると伝わる地。
平氏を有力氏族に盛り上げた
「平正盛(たいらのまさもり)」さんを初代として、
そこから六代目となる方のお墓ということで、
それで「六代御前の墓」と呼ばれているようなのです。

六代目の御方の名前は「平高清(たいらのたかきよ)」さん。
幼名は「平六代(たいらのろくだい)」。
平氏の栄華を極めた、
有名な「平清盛(たいらのきよもり)」さんからは三代後となり、
清盛さんの曽孫にあたる方。
そして、源平の戦いに勝利し、鎌倉幕府を開いた源氏の権力者
「源頼朝(みなもとのよりとも)」さんからは

「平氏は有無を言わさず完全抹殺!斬首!」

という強烈オーダーがくだっていたため、
六代さんは住んでいた京都から、処刑のために、
頼朝さんの目もよく届く、
この鎌倉幕府のある地へと送られてきたようなのです。
が、しかし。
高名なお坊さんを始め様々な人々の助力を得て処刑を免れ。
「出家」という形で歴史の表舞台から去ることとなりました。
そんな六代さんのその後に関しては様々な伝承があるようなのですが。
全てに共通することは、頼朝さんの心変わりにより、
やはり打首となった......ということ。

平氏の六代目であった故に非業の生涯を送らねばならなかった人......

そんな認識が一般的でしょうか。
伊豆の重要断層の上に住むSZさんは、
そーとーなポンチキさんですから。
この六代さんのお墓のすぐ近くにも
しばらく住んでいたことがあったのだそうで。
この地は日頃のお散歩コースでもあったとか。
流石でございまつ。
まったくもってアホなのでございまつ。



今回、神様に持って来るように言われたお酒はコチラ。
「豊能梅(とよのうめ)」。四国、高知のお酒。
ねーさんのポンチキセレクト。銘柄指定。





しっかりお捧げして。
三人で、gonyo gonyo gonyo gonyo......
反対側の大木さんにも差し上げて......dozo dozo dozo......



ふーーーーーむ......
ここ。お墓じゃないね。
誰も埋まってないや。
間違いなく。
この国の大事なポータルの一つだ。
コレを守るため?に、誰か?ワカル人が?
そのお役目でもって皆が畏れる伝承なんぞを作り。
畏敬あるお寺さんという形にもして。
そうして長いこと皆に大切に護ってもらうようにして。
それで、ずっと、
長きにわたり残ってきた場所なのではないか......

と、

いうことは。

六代さんのお墓は?

どこ?

他にも伝承地はあるみたいだけど......

もしや、

六代で途絶えた!

と言われる平家棟梁の血や霊統も......

どこかに繋がり残っているのかな。

SZさんとか!?

他にも!?

本人は知っているのだろうか!?

な。

うん。

なるほど。

六代さんは死刑じゃないね。



じゃ、

お茶でもすっぺかね♪

いつもの「なぎさ橋珈琲」

おいちい珈琲(^^)



あ!「徒然シリーズ」の記事ですけん!
せっかくなので!
個人的お気に入りスポットでももも!
この時も行こうとしていた逗子の大好きな定食屋さんとか!



「魚佐」さん(^^)
とれたての新鮮刺身さんの定食がすげーっすの。
内容はいつも日替わり。





質、量ともにヤベーっす。
アジフライとかもヤベーっすの。
ごはんオカワリーーーーっ!(o`∀´)/


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