アメリカ大統領選挙ではトランプさんが勝ちましたが。
そのまんま、
8年前にヒラリーさんに勝利した時に書いた記事が
思い浮かぶわけでして。
以下にテキストリンクなぞを。
ええ。ええ。
「衝撃!?」
そんなこんなのこのブログさんでは、
少し前までシリーズで記していた「飛騨高山徒然」の、
その「10」に、
「こもりくさん」や「satokoさん」からコメントを頂きまして。
ポソポソと返答をしているうちに、ふと、
「この話は......
飛騨高山徒然の12のような感じだな......」
などと思いまして。
「11」の記事から間も無いタイミングではありますが、
その時の会話をそのままココにも置いておこうかと。
ええ。ええ。
なにとぞのご容赦を!なのです。(^^)
===========================
【こもりく】
飛騨のおはなしに
稗田阿礼が出てくるとは思わず驚きました。
大和郡山に
めた(めだ かな?!)神社という
ご祭神は稗田阿礼さんの神社があります。
そこには猿田彦さんとアメノウズメさんも
お祀りされています。
いろいろなところと繋がっているんですねぇ。
【amenouzmet】
おおおーー!こもりくさん。
さすが!奈良在住!(^^)
まさにその通り!
奈良と飛騨は強い繋がりがあるわけです。
記事から省いた部分の話をすれば、
山林豊富な木曽の山中にある飛騨には
優れた木工職人さんが多勢住まわれていました。
所謂「飛騨の匠」と言われる方々です。
記事中に出てくる櫻山八幡宮の中には、
そんな飛騨の匠さん達の軌跡がよくわかる博物館もあります。
当然ですが、
昔も今も彼等はとても貴重な方々で、
時の為政者が何か建物を、公共事業を、、、
なんて考えた時には、
その原材料も含め必ず彼等の力を借りないと
作れなかったわけです。
勿論、都を作ろう、、、なんて時は尚更で、
かなりの人数も必要となるわけです。
そんな木工や土木建築のプロでもある飛騨の匠さん達を
都に呼んで住まわせたであろう地が、
今も奈良には以下の様な地名で残っていると思います。
どれも職人さん達が故郷、
飛騨の地名を付けた地なのですね。
橿原市 飛騨町
橿原市 古川町
北葛城郡 河合町
奈良市 月ヶ瀬
古代王都であった橿原神宮や藤原京、
平城京の位置関係からみると、
これらの地がどれだけの一等地にあるか!
天皇の住居近くにあるか!
わかるかと思いますよー。
月ヶ瀬だけは明らかに木材の切り出し点でしょうか。
実は、東大寺のある場所も一部、飛騨の匠の土地で、
「飛騨坂所」と呼ばれる地なのだそうです。
お近くでしょうから、ぜひ散策などしてみて下さい(^^)
【こもりく】
そうそう、そうです。
橿原市古川町も飛騨町も藤原京のすぐ近くです。
ほんまやわぁ^_^
毎週、藤原京の横を通って実家へ行きます。
いまはコスモスがきれいです。
あの広い広い藤原京の場所にたつと
なぜか、とても懐かしい気持ちになります。
そこにいたんでしょうか^_^
亡くなって6年経つ、父は山育ち、
建築の仕事に携わっていました。
そのせいか、神社もお寺も大好きで
ここの作りは…とか思いながらおまいりしてます^_^
教えてくださってありがとうございます!
【amenouzmet】
お父様は飛騨の縁が
深い方だったのかもしれませんねー(^^)
【satoko】
(前略)
飛騨の阿礼さんのこと、私もそう思っています。
阿礼さんという苗字の方も飛騨に残っている(た?)そうです。
uzmetさんがコメントで書かれているように、
奈良には飛騨と関係する地名がたくさんあります。
天皇のお付きの人たちが飛騨の人たちだったので、
天皇について回っており、
それで天皇のお住まいの近くに飛騨の地名が多いそうです。
(後に蔑まれた地になったのは何か理由があると思います)
また、各地の飛騨 日田 稗田 と名のつくところは
飛騨の地から行った人々が住み着いた場所ともいわれます。
あんな山奥で全然開発されない地域ですが、
高山祭を御覧になって感じたかもしれませんが、
本当に小京都な感じです。
古川にも高山祭と同じようなお祭りがありますが、
私はもしかしたらこちらのほうが古いのかもと思っています。
万葉集に
「白真弓斐太の細江の菅鳥の妹に恋ふれか眠を寝かねつる」
という歌があります。
飛騨古川の細江というところの歌塚(古川町杉崎)に
碑が残っていますが、
ただの山奥の田舎ではなく、
貴族たちとの交わりが深い場所だったと思われます。
その近くに大歳神社というただの小さな神社があるのですが、
ここがニギハヤヒ様と関係があるのではないかと
何か分からないかしら……と思っているところです。
(後略)
===========================
飛騨の匠さん達が作り上げた本物の祭り屋台が展示されている
「高山祭屋台会館(たかやままつりやたいかいかん)」
櫻山八幡宮(さくらやまはちまんぐう)の境内にあります。
江戸時代の徳川家に至っても
飛騨の匠さん達との繋がりは深いようで。
「桜山日光館(さくらやまにっこうかん)」という館の方には
飛騨の匠さん達が手がけてきた日光東照宮の模型もあります。
模型は実物の1/10のスケールで、
陽明門をはじめ、本殿、拝殿、五重塔など、
二十八の建物と鳥居などの附属物も全て完全再現しているとのこと。
構造はもちろん、装飾や彫刻、絵画に至るまで
実物と同じように忠実に再現されていて、
その部品点数は五十万個以上もあるそうです。
究極の模型。
ヤバすぎる精緻さ......
言葉になりませぬ......
歴史的にも有名な伝説的彫刻職人
「左甚五郎(ひだりじんごろう)」さんも
伝承では飛騨の匠であったようです。(^^)
☆シリーズ過去記事はコチラ☆
「飛騨高山徒然」
「飛騨高山徒然 2」
「飛騨高山徒然 3」
「飛騨高山徒然 4」
「飛騨高山徒然 5」
「飛騨高山徒然 6」
「飛騨高山徒然 7」
「飛騨高山徒然 8」
「飛騨高山徒然 9」
「飛騨高山徒然 10」
「飛騨高山徒然 11」
そのまんま、
8年前にヒラリーさんに勝利した時に書いた記事が
思い浮かぶわけでして。
以下にテキストリンクなぞを。
ええ。ええ。
「衝撃!?」
そんなこんなのこのブログさんでは、
少し前までシリーズで記していた「飛騨高山徒然」の、
その「10」に、
「こもりくさん」や「satokoさん」からコメントを頂きまして。
ポソポソと返答をしているうちに、ふと、
「この話は......
飛騨高山徒然の12のような感じだな......」
などと思いまして。
「11」の記事から間も無いタイミングではありますが、
その時の会話をそのままココにも置いておこうかと。
ええ。ええ。
なにとぞのご容赦を!なのです。(^^)
===========================
【こもりく】
飛騨のおはなしに
稗田阿礼が出てくるとは思わず驚きました。
大和郡山に
めた(めだ かな?!)神社という
ご祭神は稗田阿礼さんの神社があります。
そこには猿田彦さんとアメノウズメさんも
お祀りされています。
いろいろなところと繋がっているんですねぇ。
【amenouzmet】
おおおーー!こもりくさん。
さすが!奈良在住!(^^)
まさにその通り!
奈良と飛騨は強い繋がりがあるわけです。
記事から省いた部分の話をすれば、
山林豊富な木曽の山中にある飛騨には
優れた木工職人さんが多勢住まわれていました。
所謂「飛騨の匠」と言われる方々です。
記事中に出てくる櫻山八幡宮の中には、
そんな飛騨の匠さん達の軌跡がよくわかる博物館もあります。
当然ですが、
昔も今も彼等はとても貴重な方々で、
時の為政者が何か建物を、公共事業を、、、
なんて考えた時には、
その原材料も含め必ず彼等の力を借りないと
作れなかったわけです。
勿論、都を作ろう、、、なんて時は尚更で、
かなりの人数も必要となるわけです。
そんな木工や土木建築のプロでもある飛騨の匠さん達を
都に呼んで住まわせたであろう地が、
今も奈良には以下の様な地名で残っていると思います。
どれも職人さん達が故郷、
飛騨の地名を付けた地なのですね。
橿原市 飛騨町
橿原市 古川町
北葛城郡 河合町
奈良市 月ヶ瀬
古代王都であった橿原神宮や藤原京、
平城京の位置関係からみると、
これらの地がどれだけの一等地にあるか!
天皇の住居近くにあるか!
わかるかと思いますよー。
月ヶ瀬だけは明らかに木材の切り出し点でしょうか。
実は、東大寺のある場所も一部、飛騨の匠の土地で、
「飛騨坂所」と呼ばれる地なのだそうです。
お近くでしょうから、ぜひ散策などしてみて下さい(^^)
【こもりく】
そうそう、そうです。
橿原市古川町も飛騨町も藤原京のすぐ近くです。
ほんまやわぁ^_^
毎週、藤原京の横を通って実家へ行きます。
いまはコスモスがきれいです。
あの広い広い藤原京の場所にたつと
なぜか、とても懐かしい気持ちになります。
そこにいたんでしょうか^_^
亡くなって6年経つ、父は山育ち、
建築の仕事に携わっていました。
そのせいか、神社もお寺も大好きで
ここの作りは…とか思いながらおまいりしてます^_^
教えてくださってありがとうございます!
【amenouzmet】
お父様は飛騨の縁が
深い方だったのかもしれませんねー(^^)
【satoko】
(前略)
飛騨の阿礼さんのこと、私もそう思っています。
阿礼さんという苗字の方も飛騨に残っている(た?)そうです。
uzmetさんがコメントで書かれているように、
奈良には飛騨と関係する地名がたくさんあります。
天皇のお付きの人たちが飛騨の人たちだったので、
天皇について回っており、
それで天皇のお住まいの近くに飛騨の地名が多いそうです。
(後に蔑まれた地になったのは何か理由があると思います)
また、各地の飛騨 日田 稗田 と名のつくところは
飛騨の地から行った人々が住み着いた場所ともいわれます。
あんな山奥で全然開発されない地域ですが、
高山祭を御覧になって感じたかもしれませんが、
本当に小京都な感じです。
古川にも高山祭と同じようなお祭りがありますが、
私はもしかしたらこちらのほうが古いのかもと思っています。
万葉集に
「白真弓斐太の細江の菅鳥の妹に恋ふれか眠を寝かねつる」
という歌があります。
飛騨古川の細江というところの歌塚(古川町杉崎)に
碑が残っていますが、
ただの山奥の田舎ではなく、
貴族たちとの交わりが深い場所だったと思われます。
その近くに大歳神社というただの小さな神社があるのですが、
ここがニギハヤヒ様と関係があるのではないかと
何か分からないかしら……と思っているところです。
(後略)
===========================
飛騨の匠さん達が作り上げた本物の祭り屋台が展示されている
「高山祭屋台会館(たかやままつりやたいかいかん)」
櫻山八幡宮(さくらやまはちまんぐう)の境内にあります。
江戸時代の徳川家に至っても
飛騨の匠さん達との繋がりは深いようで。
「桜山日光館(さくらやまにっこうかん)」という館の方には
飛騨の匠さん達が手がけてきた日光東照宮の模型もあります。
模型は実物の1/10のスケールで、
陽明門をはじめ、本殿、拝殿、五重塔など、
二十八の建物と鳥居などの附属物も全て完全再現しているとのこと。
構造はもちろん、装飾や彫刻、絵画に至るまで
実物と同じように忠実に再現されていて、
その部品点数は五十万個以上もあるそうです。
究極の模型。
ヤバすぎる精緻さ......
言葉になりませぬ......
歴史的にも有名な伝説的彫刻職人
「左甚五郎(ひだりじんごろう)」さんも
伝承では飛騨の匠であったようです。(^^)
☆シリーズ過去記事はコチラ☆
「飛騨高山徒然」
「飛騨高山徒然 2」
「飛騨高山徒然 3」
「飛騨高山徒然 4」
「飛騨高山徒然 5」
「飛騨高山徒然 6」
「飛騨高山徒然 7」
「飛騨高山徒然 8」
「飛騨高山徒然 9」
「飛騨高山徒然 10」
「飛騨高山徒然 11」
こんなにも早く飛騨高山徒然12が読めるとは!とてもうれしいです。ありがとうございます。そして、私の拙いコメントまで注目していただいて大変恐縮です。ありがとうございます。
目の前にいらしたら、いろいろとお話ししたいこと、お聞きしたいことがたくさんなのですが、私も月ヶ瀬に最近注目していまして、というのは聖徳太子、蘇我氏、鞍作鳥の関係が気になって。ただの興味本位に過ぎないのですが(;^_^A 日本書記の乙巳の変の部分で「蘇我臣蝦夷、更の名を鞍作」と書かれている部分があり、とても興味を惹かれているのです。聖徳太子といえば政治家のイメージですが、指金を手に持ち「大工の神」とも言われていますし、飛騨で大工をしていた祖父に生きている時に何か言い伝えなど知っていることを聞いておきたかったなと今になって思っているところです。無口で怖くてほとんど話したことがなかったですけど。
日光東照宮まで飛騨の匠だとは存じませんでした。
各地に派遣されていたことは聞いていますが、おーーという驚きです。
お忙しい中、記事を書いてくださって感謝です。いつか、いつか飛騨古川の古社(有名ではないですが、コメントに入れた大歳神社、太江にある高田神社など)も巡っていただいたら、感じたことを教えていただきたいなーなんて図々しいお願いをして終わります。(気が向いたらで構いません^^)長々とコメント失礼いたしました~
ネット時代、最早そこかしこで語られているかと思いますが。
ええ。ええ。
時々、私のコメントが
そのまま、記事になって
びっくりします…^_^
でも確かに
こんなに詳しい返信
まるで、「飛騨高山徒然12」
やねぇと思っていたのは
確かです。
決して怒ったりしてる
わけではありませんー^_^