新しくスタートしたNHKの大河ドラマは「花燃ゆ」というものらしく。
内容的には幕末の賢人
「吉田松陰(よしだしょういん)」の妹さんを描いた物語とのこと。
僕はドラマは殆ど見ないので、
今回もビシッ!と見るようなことはないと思うのですが。
この吉田松陰という名前にはちょっと心惹かれるものがあります。
松陰さんと言えば、
幕末の動乱期に開国と、それによる日本の国際化、
さらには天皇への崇拝回帰と政権移譲を訴えた学士でもあったわけですが。
その思想と、
彼の開いた「松下村塾」で学んだ多くの生徒さんたちは、後に
「尊王攘夷=そんのうじょうい=天皇を崇敬し外国を斥けるぜ!」
と言う運動とも結びついて、
江戸幕府倒壊から明治維新へと流れ出した時代に
トテモ大きな影響を与えたのだと思います。
そして、天皇を尊び開国を促すという彼の思想は、
当時政権を担い鎖国政策を取っていた江戸幕府からすると
アンチ幕府の危険思想家とも思われ、
捕らえられて処刑されてしまいます。
そんな松陰さんのお墓は処刑地だった東京にあって、
彼を慕う人々から神社という形にされて、
今に至るまで厚く崇敬されて来ています。
それが世田谷区にある松陰神社。
こんなところ......

松陰さんの故郷、
山口県萩市にある本家本元の「松下村塾」を模した建物も......

この東京の松陰神社を語る際に、とても興味深く、
度々人々の話題に上るコトというのが一つあって。
それが、
この松陰神社から歩いて十数分のところに隣り合わせのようにしてある、
大きく立派なお寺「豪徳寺=ごうとくじ」のこと。



その豪徳寺さん。
「招き猫の発祥地」とも言われているのですな。。( ゜д゜)


松陰さんを始め反幕府の人々を徹底弾圧し、
処刑した事件を教科書的には
「安政の大獄=あんせいのたいごく」と呼びますが、
これを指揮していた人が当時の江戸幕府を仕切っていた
「井伊直弼(いいなおすけ)」
という大老(たいろう)職だった人。
今の内閣官房長官みたいな役職でしょうか。
しかしこの方も後に「大獄」に反発した尊王攘夷派の人々から、
江戸城の桜田門を出たところで暗殺されてしまいます。
イワユル「桜田門外の変」という事件。
明治維新の始まりとも言える重大事件。
内閣官房長官暗殺!なんて、ソレは大きな事件だったのだと思います。
松陰神社にほど近いこの豪徳寺には、
実は松陰さんを処刑したその井伊直弼さんのお墓があるのです。

処刑され、暗殺された因縁を持つ二人のお墓が
「隣り合わせのようにして」
大きなお寺と神社に置かれているのです。
コレに関しては色々なことが言われたりします。
「何故?隣でなくてもいいじゃん!?」
「お互い嫌がってるだろ!」
「なんかトンデモナイ因縁でもあるんじゃね!?」
「なんかの陰謀じゃね?」
なんて。
内実としては2人それぞれに所縁のある地がタマタマ傍にあったから......
というだけの話ですが、挙句には
「世田谷って呪われてんのか!?」
みたいなことまで言われる様なことも。
ただ、こんな方向の話には一つ欠如していることがあって、
それが大老、井伊直弼さんの真の姿。
井伊大老は地元の彦根藩(滋賀県)では、
藩主として藩の財を貧しい人々に投げ打ってまで
人民の暮らしを支えてきた「名藩主」と呼ばれたホドの人。
その実績と人々の信頼から幕府中枢の大老にまで上り詰めた様な人。
長く続いていた幕府の鎖国政策に関しても、
幕府内で孤立しそうになりながら、しかし、
これからの日本のことを真摯に考え、
開国や貿易促進を積極的に進めていた人でもあります。
そこにある思いと目的は吉田松陰と全く同じ。
ただ少し違っていたのはその「方法論」と「立場」
幕府権力を守りながら開国を進めなければいけない......
という立場。
諸外国との武力、技術、科学、
経済力との「圧倒的」な差を認め、
その上で開国と貿易、国際化を進めていくにはどうすれば良いのか?
どんな順序が良いのか?
松陰さんのように打倒外国!
とするだけでは現実的には進まないだろう......という方法論。
開国と、それに伴う日本の国際化。
更に、
これからの日本の為に必要なことや最善となることを成したい......
そんな目的は松陰さんとまったく同じ!
なのに何故?
反目してしまうのか......
二つの寺社で僕が思うのはただ一点、その部分。
そんなふうに思うのは、
こんなことが普段の生活や仕事の中でもよくあるからです。
それがとても身につまされる......のです。
辿り着こうとする場所や目的は同じなのです。
なのに、立場や方法論の微妙な違いによって、
いつの間にか目的そのもの迄も違っているかのように思えていってしまう......
という様なこと。
相手を、人間を、いつの間にか誤解していってしまう。
登山途中のあれやこれやで道のことばかり見たり考えたりしていて、
そのうちに頂上に行くのだという大目的を忘れてしまう。
同じ頂上を目指す登山仲間ということを、
ソモソモ同志なのだ!......ということを、
忘れてしまう。
そんな「迂闊」なこと......
身につまされるのです。
豪徳寺に居てとても強く感じるのは伊井大老の無念さ。
重い空気。
暗殺という思いもよらない亡くなり方がとても無念だったのでしょうか。
だから僕は、
井伊大老のお墓には案内板が出ていようと何だろうと全く足が進みません。
行けません。
松陰神社の空気はソレとは対照的に「意外にも」軽やかで抜けた空気。
処刑という酷い形であったけれども、井伊大老よりは覚悟と理解、
思いをたくせる塾生や同志達への期待などが
心の何処かに少しあったのかもしれない......
そんな違い。
いつも大目的を見失わないように。
いつも原点を忘れないように。
隣り合わせに佇む二つの寺社を訪れると、
僕はそんなことを思い知らされるのです。
世界で起こり続けている、
悲惨で心痛む様々な宗教対立事件などを見るにつけても、
一つ屋根の下で暮らす家族の諍い事件を見るにつけても、
僕はそんなことを思うのです。

そんな2つの寺と神社を繋ぐようにして走る電車「世田谷線」。
渋谷にほど近いニギヤカな三軒茶屋駅から発車し、
「松陰神社前」や、豪徳寺のある「宮の坂」......と繋いで行きます。
東京都心とは思えないローカルで心地良い雰囲気を持つ路線は、
電車というより路面電車、路線バスといった感じ。
とても優しくて落ち着く雰囲気があります(^_^)
三軒茶屋駅裏には「目青不動堂」なる知る人ぞ知るお堂もあって、
そこから松陰神社、世田谷八幡宮、豪徳寺......と巡る、
世田谷線プチ・トリップも
ナカナカ風情があって休日には楽しいコースなのです。
世田谷線という絆が繋いでいるのか?どうなのか?
井伊大老と松陰さんはあちらの世界?ではご近所同士!?
とても仲良くしているような気がします。
同じ同志!
としてその後の日本の国際化と発展を共に喜んでいるようにも思えます。
隣り合う二つの寺社には、
そんな空気も含まれているようにも......感じられるのです(^ω^)
内容的には幕末の賢人
「吉田松陰(よしだしょういん)」の妹さんを描いた物語とのこと。
僕はドラマは殆ど見ないので、
今回もビシッ!と見るようなことはないと思うのですが。
この吉田松陰という名前にはちょっと心惹かれるものがあります。
松陰さんと言えば、
幕末の動乱期に開国と、それによる日本の国際化、
さらには天皇への崇拝回帰と政権移譲を訴えた学士でもあったわけですが。
その思想と、
彼の開いた「松下村塾」で学んだ多くの生徒さんたちは、後に
「尊王攘夷=そんのうじょうい=天皇を崇敬し外国を斥けるぜ!」
と言う運動とも結びついて、
江戸幕府倒壊から明治維新へと流れ出した時代に
トテモ大きな影響を与えたのだと思います。
そして、天皇を尊び開国を促すという彼の思想は、
当時政権を担い鎖国政策を取っていた江戸幕府からすると
アンチ幕府の危険思想家とも思われ、
捕らえられて処刑されてしまいます。
そんな松陰さんのお墓は処刑地だった東京にあって、
彼を慕う人々から神社という形にされて、
今に至るまで厚く崇敬されて来ています。
それが世田谷区にある松陰神社。
こんなところ......

松陰さんの故郷、
山口県萩市にある本家本元の「松下村塾」を模した建物も......

この東京の松陰神社を語る際に、とても興味深く、
度々人々の話題に上るコトというのが一つあって。
それが、
この松陰神社から歩いて十数分のところに隣り合わせのようにしてある、
大きく立派なお寺「豪徳寺=ごうとくじ」のこと。



その豪徳寺さん。
「招き猫の発祥地」とも言われているのですな。。( ゜д゜)


松陰さんを始め反幕府の人々を徹底弾圧し、
処刑した事件を教科書的には
「安政の大獄=あんせいのたいごく」と呼びますが、
これを指揮していた人が当時の江戸幕府を仕切っていた
「井伊直弼(いいなおすけ)」
という大老(たいろう)職だった人。
今の内閣官房長官みたいな役職でしょうか。
しかしこの方も後に「大獄」に反発した尊王攘夷派の人々から、
江戸城の桜田門を出たところで暗殺されてしまいます。
イワユル「桜田門外の変」という事件。
明治維新の始まりとも言える重大事件。
内閣官房長官暗殺!なんて、ソレは大きな事件だったのだと思います。
松陰神社にほど近いこの豪徳寺には、
実は松陰さんを処刑したその井伊直弼さんのお墓があるのです。

処刑され、暗殺された因縁を持つ二人のお墓が
「隣り合わせのようにして」
大きなお寺と神社に置かれているのです。
コレに関しては色々なことが言われたりします。
「何故?隣でなくてもいいじゃん!?」
「お互い嫌がってるだろ!」
「なんかトンデモナイ因縁でもあるんじゃね!?」
「なんかの陰謀じゃね?」
なんて。
内実としては2人それぞれに所縁のある地がタマタマ傍にあったから......
というだけの話ですが、挙句には
「世田谷って呪われてんのか!?」
みたいなことまで言われる様なことも。
ただ、こんな方向の話には一つ欠如していることがあって、
それが大老、井伊直弼さんの真の姿。
井伊大老は地元の彦根藩(滋賀県)では、
藩主として藩の財を貧しい人々に投げ打ってまで
人民の暮らしを支えてきた「名藩主」と呼ばれたホドの人。
その実績と人々の信頼から幕府中枢の大老にまで上り詰めた様な人。
長く続いていた幕府の鎖国政策に関しても、
幕府内で孤立しそうになりながら、しかし、
これからの日本のことを真摯に考え、
開国や貿易促進を積極的に進めていた人でもあります。
そこにある思いと目的は吉田松陰と全く同じ。
ただ少し違っていたのはその「方法論」と「立場」
幕府権力を守りながら開国を進めなければいけない......
という立場。
諸外国との武力、技術、科学、
経済力との「圧倒的」な差を認め、
その上で開国と貿易、国際化を進めていくにはどうすれば良いのか?
どんな順序が良いのか?
松陰さんのように打倒外国!
とするだけでは現実的には進まないだろう......という方法論。
開国と、それに伴う日本の国際化。
更に、
これからの日本の為に必要なことや最善となることを成したい......
そんな目的は松陰さんとまったく同じ!
なのに何故?
反目してしまうのか......
二つの寺社で僕が思うのはただ一点、その部分。
そんなふうに思うのは、
こんなことが普段の生活や仕事の中でもよくあるからです。
それがとても身につまされる......のです。
辿り着こうとする場所や目的は同じなのです。
なのに、立場や方法論の微妙な違いによって、
いつの間にか目的そのもの迄も違っているかのように思えていってしまう......
という様なこと。
相手を、人間を、いつの間にか誤解していってしまう。
登山途中のあれやこれやで道のことばかり見たり考えたりしていて、
そのうちに頂上に行くのだという大目的を忘れてしまう。
同じ頂上を目指す登山仲間ということを、
ソモソモ同志なのだ!......ということを、
忘れてしまう。
そんな「迂闊」なこと......
身につまされるのです。
豪徳寺に居てとても強く感じるのは伊井大老の無念さ。
重い空気。
暗殺という思いもよらない亡くなり方がとても無念だったのでしょうか。
だから僕は、
井伊大老のお墓には案内板が出ていようと何だろうと全く足が進みません。
行けません。
松陰神社の空気はソレとは対照的に「意外にも」軽やかで抜けた空気。
処刑という酷い形であったけれども、井伊大老よりは覚悟と理解、
思いをたくせる塾生や同志達への期待などが
心の何処かに少しあったのかもしれない......
そんな違い。
いつも大目的を見失わないように。
いつも原点を忘れないように。
隣り合わせに佇む二つの寺社を訪れると、
僕はそんなことを思い知らされるのです。
世界で起こり続けている、
悲惨で心痛む様々な宗教対立事件などを見るにつけても、
一つ屋根の下で暮らす家族の諍い事件を見るにつけても、
僕はそんなことを思うのです。

そんな2つの寺と神社を繋ぐようにして走る電車「世田谷線」。
渋谷にほど近いニギヤカな三軒茶屋駅から発車し、
「松陰神社前」や、豪徳寺のある「宮の坂」......と繋いで行きます。
東京都心とは思えないローカルで心地良い雰囲気を持つ路線は、
電車というより路面電車、路線バスといった感じ。
とても優しくて落ち着く雰囲気があります(^_^)
三軒茶屋駅裏には「目青不動堂」なる知る人ぞ知るお堂もあって、
そこから松陰神社、世田谷八幡宮、豪徳寺......と巡る、
世田谷線プチ・トリップも
ナカナカ風情があって休日には楽しいコースなのです。
世田谷線という絆が繋いでいるのか?どうなのか?
井伊大老と松陰さんはあちらの世界?ではご近所同士!?
とても仲良くしているような気がします。
同じ同志!
としてその後の日本の国際化と発展を共に喜んでいるようにも思えます。
隣り合う二つの寺社には、
そんな空気も含まれているようにも......感じられるのです(^ω^)