点が線となり、
線が面となり、
面が立体となり......
人との出会いというのは「点」とでも言えるのでしょうか。
そんな点が繋がっていくと......
出会いを繋げていくと......
「線」となり。
人と人とが繋がったそんな線というのは「綱=つな」とも言えて。
「絆=きずな」とも言えます。
そして、そんな「絆=綱=線」一本一本を集め、合わせ、
縒り(より)束ねていくと「縄=なわ」になります。
縄は面ともなり、
立体ともなって何かを生み出していくような感じもします。
「んんんっ!?最後がなわ?
綱と縄は逆じゃねーか!?
最後はつな!だろ。綱!」
と、ココで引っかかった方......結構多くいるかもしれません。
一般的には「太さ」や「丈夫さ」を基準として
「糸、紐<縄<綱」
というようなイメージで理解されている方が多いかと思います。
実はこの部分、
「青き炎」や「通貨戦争」などで記したコトと同じでもあるのですが、
一般に広まっている物事の中でも、
明確な根拠や理由等を把握しないまま、
周りの環境や雰囲気からナントナク刷り込まれてしまったような形で
理解している事柄というものも結構多くあったりするのだと思います。
それは、
実はとても恐ろしいことだと思うのですが......
「綱=つな」というのは、
もともと「繋がる=つながる」から来ていて。
文字通り「繋がって線となっていく様」を表しているものです。
そして「縄=なわ」は「綯う=なう」から来ていて。
「縄を綯う」
とか
「糸や紐を綯う(紡ぐ)」
などの使われ方が語源となります。
ここから見い出せる縄という言葉の持つ本来の意味は
「縒り(より)合わせる」
「紡ぎ合わせる」
というニュアンスになります。
「綱」の「繋がる=繋げる」とは微妙に意味が違います。
戻りますが、
綱という「点を繋げた線」をさらに何本も集め、
ヨリ合わせ、太く束ねていく。
その「線=綱」を大きく綯った(なった)ものが「縄=なわ」となります。
「縄」というのは「綱=絆」を沢山紡いだモノとでも言えるのでしょうか。
縄とは太く、強く、大きく、
面となる様なものでもあるのです。
実は「糸、紐<綱<縄」なのです。
歴史に名を残すフランスの哲学者「パスカル」は、
人を表して
「人間は考える葦である」
と言いましたが、
人をそんな「葦=あし」とするならば、
この稲穂の国ではソレは「稲」や「稲わら」とも言えて。
そんな「藁=わら」は葦同様に一本だけではか弱く、
すぐに折れてしまいそうになりますが、
それらを一本一本紡ぎ、繋げていくと、
そこで「綱=つな」となります。
そんな人と人との繋がりである「綱」を更に沢山合わせ、
編んでいけば「縄=なわ」となります。
それは「藁の縄」
しめ縄。
神社などで見かける「しめ縄」とはそんな意味も含まれています。
多くの人の心を紡ぎ纏(まと)めなさい。
多くの絆を束ね、纏めなさい。
大きく太い絆にしなさい。
そんな意味。
だから偉大なる神々を祀る神社には「しめ縄」がかけられるのです。
「魔除けの結界」という意味だけではないのです。
というより、こちらの方が元来の意味だと思います。
神とは実は、人々の絆によって守られ、機能する。
ご利益をもたらすことが出来る。
そんな「しめ縄」の意味。
そんな「縄」の構造は、
いつか記した様に「螺旋=らせん」の形をとります。
量子(宇宙最小の物質、素粒子)も雷も、
波も竜巻も、
蛇さんも龍さんも。
そして......
生命の根源であるDNAも。
縄とはそんなエネルギーを表している形象でもあり、
生命の設計図でもあると思います。
それは時に「命そのもの」を表わすモノなのかもしれません。
縄とはそういうものです。
DNAの形。
縄とは命そのものを表すのかもしれません。
一人一人......
一本一本の「藁」を繋げ、「綱」とし。
その綱を更に足して、
編み込み、
太くして「縄」とする。
それは「大きな命」の誕生。
点が人。縁。出会い。
線が綱。絆。
面が縄。命。
立体は縄がさらに太く大きくなったもの......
星?か......
......最近、
この時に記しましたが......とても嬉しい出会いがありました。
久々に!?インパクトのある出会いで、
幸運な出会いでもありました。
そんな出会いも、
先ずは必要な時間を必要なだけかけて、しっかりと綱にして。
他の多くの綱々もヨリ集め、太く、
大きな縄を編んでいければいいなぁ......と。
そんな風に思っていたりもします。
そんな出会いに躍動する命を吹き込んでいけたらいいなぁ、と。
そんな風にも思っています。
全てが自分次第。
シメテかからねばっ!(`_´)ゞ
新たな出会いに際し、
そんなコトをまた強く思っている次第なのです。(^_^)
そんな素敵で心地良かった幾人かの人々との出会いの後、
程なくして訪れることとなったハワイ島。
その中の一人の方の「ある想い」と共に「トアル聖地」を探して
広大な大地を走り抜けるレンタカーさん。
正面に見える山は標高4169メートル。
富士山より400メートルも高く、
世界で最も「体積」が大きい山、マウナ・ロア。
その聖地を探す旅はちょっと不思議で面白い話でもあるので......
各所!?とも確認と相談をしつつ!?
またココで記せればいいなぁ。。と、思っています。
しばしっ!(=゜Д゜=)ノ
線が面となり、
面が立体となり......
人との出会いというのは「点」とでも言えるのでしょうか。
そんな点が繋がっていくと......
出会いを繋げていくと......
「線」となり。
人と人とが繋がったそんな線というのは「綱=つな」とも言えて。
「絆=きずな」とも言えます。
そして、そんな「絆=綱=線」一本一本を集め、合わせ、
縒り(より)束ねていくと「縄=なわ」になります。
縄は面ともなり、
立体ともなって何かを生み出していくような感じもします。
「んんんっ!?最後がなわ?
綱と縄は逆じゃねーか!?
最後はつな!だろ。綱!」
と、ココで引っかかった方......結構多くいるかもしれません。
一般的には「太さ」や「丈夫さ」を基準として
「糸、紐<縄<綱」
というようなイメージで理解されている方が多いかと思います。
実はこの部分、
「青き炎」や「通貨戦争」などで記したコトと同じでもあるのですが、
一般に広まっている物事の中でも、
明確な根拠や理由等を把握しないまま、
周りの環境や雰囲気からナントナク刷り込まれてしまったような形で
理解している事柄というものも結構多くあったりするのだと思います。
それは、
実はとても恐ろしいことだと思うのですが......
「綱=つな」というのは、
もともと「繋がる=つながる」から来ていて。
文字通り「繋がって線となっていく様」を表しているものです。
そして「縄=なわ」は「綯う=なう」から来ていて。
「縄を綯う」
とか
「糸や紐を綯う(紡ぐ)」
などの使われ方が語源となります。
ここから見い出せる縄という言葉の持つ本来の意味は
「縒り(より)合わせる」
「紡ぎ合わせる」
というニュアンスになります。
「綱」の「繋がる=繋げる」とは微妙に意味が違います。
戻りますが、
綱という「点を繋げた線」をさらに何本も集め、
ヨリ合わせ、太く束ねていく。
その「線=綱」を大きく綯った(なった)ものが「縄=なわ」となります。
「縄」というのは「綱=絆」を沢山紡いだモノとでも言えるのでしょうか。
縄とは太く、強く、大きく、
面となる様なものでもあるのです。
実は「糸、紐<綱<縄」なのです。
歴史に名を残すフランスの哲学者「パスカル」は、
人を表して
「人間は考える葦である」
と言いましたが、
人をそんな「葦=あし」とするならば、
この稲穂の国ではソレは「稲」や「稲わら」とも言えて。
そんな「藁=わら」は葦同様に一本だけではか弱く、
すぐに折れてしまいそうになりますが、
それらを一本一本紡ぎ、繋げていくと、
そこで「綱=つな」となります。
そんな人と人との繋がりである「綱」を更に沢山合わせ、
編んでいけば「縄=なわ」となります。
それは「藁の縄」
しめ縄。
神社などで見かける「しめ縄」とはそんな意味も含まれています。
多くの人の心を紡ぎ纏(まと)めなさい。
多くの絆を束ね、纏めなさい。
大きく太い絆にしなさい。
そんな意味。
だから偉大なる神々を祀る神社には「しめ縄」がかけられるのです。
「魔除けの結界」という意味だけではないのです。
というより、こちらの方が元来の意味だと思います。
神とは実は、人々の絆によって守られ、機能する。
ご利益をもたらすことが出来る。
そんな「しめ縄」の意味。
そんな「縄」の構造は、
いつか記した様に「螺旋=らせん」の形をとります。
量子(宇宙最小の物質、素粒子)も雷も、
波も竜巻も、
蛇さんも龍さんも。
そして......
生命の根源であるDNAも。
縄とはそんなエネルギーを表している形象でもあり、
生命の設計図でもあると思います。
それは時に「命そのもの」を表わすモノなのかもしれません。
縄とはそういうものです。
DNAの形。
縄とは命そのものを表すのかもしれません。
一人一人......
一本一本の「藁」を繋げ、「綱」とし。
その綱を更に足して、
編み込み、
太くして「縄」とする。
それは「大きな命」の誕生。
点が人。縁。出会い。
線が綱。絆。
面が縄。命。
立体は縄がさらに太く大きくなったもの......
星?か......
......最近、
この時に記しましたが......とても嬉しい出会いがありました。
久々に!?インパクトのある出会いで、
幸運な出会いでもありました。
そんな出会いも、
先ずは必要な時間を必要なだけかけて、しっかりと綱にして。
他の多くの綱々もヨリ集め、太く、
大きな縄を編んでいければいいなぁ......と。
そんな風に思っていたりもします。
そんな出会いに躍動する命を吹き込んでいけたらいいなぁ、と。
そんな風にも思っています。
全てが自分次第。
シメテかからねばっ!(`_´)ゞ
新たな出会いに際し、
そんなコトをまた強く思っている次第なのです。(^_^)
そんな素敵で心地良かった幾人かの人々との出会いの後、
程なくして訪れることとなったハワイ島。
その中の一人の方の「ある想い」と共に「トアル聖地」を探して
広大な大地を走り抜けるレンタカーさん。
正面に見える山は標高4169メートル。
富士山より400メートルも高く、
世界で最も「体積」が大きい山、マウナ・ロア。
その聖地を探す旅はちょっと不思議で面白い話でもあるので......
各所!?とも確認と相談をしつつ!?
またココで記せればいいなぁ。。と、思っています。
しばしっ!(=゜Д゜=)ノ
とても勉強になりました!!
まだブログはじめたばかりなのですが良かったら見に来てください☆
ブログお伺いさせていただきます。
ありがとうございます(^_^)
かつブロからきました。
以前マルオとマルコの名前でもコメントを入れたものですm(._.)m
そういえば、かつブロの縄の神様が以前のお話しでそれぞれの神様の名前が書いてあるガラガラの縄が無くなってしまって探していると言っていたなと思い出しました(^^)
そういうことか!のお話をいつもありがとうございます。
プリリンねーさまとIさんのブログをあわせて
いつも楽しみに読んでいます(^^)ノシ
ありがとうございます。