......2013年の終わりに、「8」を巡る不思議な旅は......
もう少し続きます。。
一旦、「出雲=いずも」を巡るドープな!?
「8」の話しからは離れて、
今度はアラビア数字で 0、1、2、3、4、5、6、7、8、9、、、と、
日常よく使われる表記で全ての数を書き出してみます。
ココからは個人的なイメージの話しになっていきますが、冗談半分!
に読んで頂ければと思いつつ......
こんなふうに数字を全て書き出したりする時に僕が一つ感じることは、
これらの数字の中で入口と出口がハッキリしていない数字というのが2つあって。
ソレが「0=ゼロ」と「8=ハチ」になります。
無限のループで線を幾度もナゾって書くことの出来る数......
と言ったら良いのでしょうか。
無限のループは無限の力......
繰り返し溜め込むことが出来る大きなエネルギー......
の、イメージとして捉えたりもするのですが、
そう考えると「0」と「8」はなにやらとても強大な力を「内包」している数字。
これも聖数「8」の秘密......理由の一つ?かもしれません。
面白いことに「無限大」を表す記号「∞」は、
実際「8」を横に寝かした形でもあります。
「0」のイメージにしても
「ココから全てが始まる......」
といった数のようでもあり、
「全ての数に含まれている数......」
とも考えられる不思議な数の様にも思えます。
さらには「陽」を生んでいく為の「陰」が極まった状態......
「有を含んだ無」
といったようなイメージもあります。
万物を生み出す前の
「フラットに停滞しているエネルギー」
とでも言いうのでしょうか。
そんなコトが僕にとっての「0=ゼロ」。
それは「8」と同じく、
大きなエネルギーを持つ「似た数字同士」というイメージでもあって。
そして気付くのは、
「8」は「0を捻った形」をしている......ということ。
それはちょうど「メビウスの輪」のように。
ちょうど出雲大社の「しめ縄」の様に......
「8」は大きなエネルギーであるのに、
ソレを大きく放出することが出来ず、
「捻れている状態」というイメージでも捉えられます。
しかも、そのエネルギーがずっと「内的にループ」している......といった感じ。
それはまるで、出雲大社に封じられている?強大な力を持つ神々の様に。
出雲の神々に冠されている数字が「8」だということが、
ここでも僕にはとても興味深く響いて来ます。
かなり皮肉というか......
体良く閉じられているというか......
とても深い呪(しゅ)を感じ受けたりもします。
もし、2013年を象徴することの一つを、
ココでも幾度か記して来た伊勢神宮と出雲大社の「同時遷宮」とするならば、
今年は何かが新しく生まれ変る
「直前と直後の両方を含んだ年」
と言える様な気がします。
新しくなるためにジッ......として動かなかった状態から
新たに動き出した直後だとしても、
未だそれほど早く、大きく動き出す様なことが出来るわけでもなく......
その状態は、言わば、動く直前と直後。
今後大きく動いていくためのエネルギーを、
ヨチヨチと動き出しながらも、まだまだ内側に
「ジッ......」
と蓄えているような、そんな年だったような気がしています。
それは「8」や「0」の様に。
そして、ジッとしている中で見えていた世界というのは、
様々な理不尽なる?
理解しがたい?
「捻れ」が沢山ある世界の様にも思えていて。
そんな捻れが今迄よりも鮮明に、くっきりと見えて来てもいて。
でもそんな「捻れ」をわかっていても、どうにか出来るわけでもなく、
タダ眺めていたというだけ......
という様な、なんだかとてもじれったい状態が続いたような年。
そんな感じは「0」というより「8」の年だったと言えるような気がしていて......
進んでいるのか進んでいないのか?
決して後退はしていないのに進んだとも言えない。
まるで一カ所で「足踏み」をしているかの様な、
留まっているわけではないのに進んでもいない感じ。
捻れた「8」の中を強いエネルギーを持ちながら歩いているかの様な感じ。
今年はそんな人が多かったのではないのだろうか!?
......なんていう気もしていたりして。
自分自身にもなんとなくそんな状況があったような感じもしていて。
そんなふうに思っていた年。
この国の「陰陽」を司る二大神社で、史上希なる「同年」遷宮が無事に完了した後。
最初に記した奇跡のシルシ!?
が立った場所というのが「陽」の象徴でもある伊勢にではなく、
「陰」と「8」の象徴である出雲大社の方に立ったということは......
「やはり今年は8の年だったのかもしれないな、、、」
と、改めて思わされたりもして。
同時に、そんな
「8の捻れが取れました!」
「8の解放!」
「いよいよ出雲の力が解放されまちたっ!」
「陰陽統合!」
......というシルシの様にも僕には感じられたりして。
「やっと!ですか。。。(o-´ω`-)=3 プヒー」
「8」の捻れが取れると「0」になります。
「0」は新たなものが生まれ出る前のエネルギー充足状態。
それが奇跡の印が出た10月辺りから年末イッパイ迄の数ヶ月か......な。
来年には「0」の輪にハサミが入って、
「0」の線が切れて、開いて、ほどけて......「1」になります。
ええ。きっと。タブン。
そこからは今年止まっていた、
上手く進んでいなかった色々なものが進み出すようにも思えます。
2014年はきっと多くの人にとってそんな年になるのではないのかな?
などと思えたりします。
出雲大社の上に出たサイン?奇跡?神?タダの偶然なる気象現象?
......からは、僕はそんなことを感じていたりしちゃいます。
そうです......カナーリのアホ!
かもしれません。。。( ̄ー ̄;ボクチン..
もうすぐやって来る2014年。
個人的にはそんなこんなでなんとなく、
今迄「陰」「裏」だったものが表になり。
表だったものが裏になりという年に......それは「捻れ」が取れるからでもあって。
準備出来ていた人は圧倒的に走り出し、
自分の為、人の為にと頑張って来た人でも、
自己保身の為、人を抜かんが為にと頑張って来たような人でも、
それぞれちゃんと捻れが取れるからその反動はその方向性通り、
それなりに、捻れなく。
キチンと正され、糺(ただ)されて......
出雲の神々に代表される所謂「国津神」と呼ばれる神々。
それは地球や大自然を支えるトテモ大きな神々。
人々や文明の足下で踏まれ、
存在を意識されない様な中でも多くの物事を粛々と支え続けて来たようなチカラ。
時に遠き宇宙の彼方へとも繋がるような力。
そんな大きな神々が再び大きく動き出す時代と「価値観」の幕開け。
当たり前の様になった様々な物事をもう一度刷新。
また新たに「創造」していく時代の幕開け。
誰かに、何かに創造されたシステムや組織、
舞台の上で要領よく貪るように歩いてきた人々には、その
「創造という力そのもの」
の反動によって厳しいコトも多く起きて来るのかもしれません。
もう自らの力を誤魔化す様な、
無い物を有る様に見せるような、
そんなことは出来なくなるかもしれません。
全て、良いも悪いも無く。
ただそんな方向に向かうのではないか、というサイン。
それが「8を巡る旅」のスタート記事に載せた写真から見えて来る神々のサイン。
そんな出雲のサイン。
「8」の年の最後に出された、
「8」を冠された強大なる神々の降りる地に立った不思議なサイン。
それは停滞からの脱出。
裏側だったモノ、コト、ヒトが表に向かって大きく動き出すかもしれない......
というシルシ。
そのサインはまた、
月と太陽が地球の神様の頭上の空で一緒に表われているようにも見えるのです。
日本神話における「三貴神」が揃い踏み!
しているようにも見えるのです。
「揃い踏みした三貴神」
そんなコトの深奥にチラリと見える「神の真意」
裏が表に出るけれど、それは以前の様な形でもなく。
今度ばかりは裏も表も、陰陽も、男女も民族もなく。
政治も経済もなく。
分離も隔ても無いという「1=イチ」なるものへの気付き。
回帰。統合。
三回続けて記して来た「8を巡る不思議な旅」というのは、
そんな来るべき新たな年、時代の話しへと辿り着くのでございます。
2013年の終わりに、勇気を出して!?(@.@)
ちょっと記しておきたかったのでございます。
明日はクリスマス。
モノゴトが大きく動き出す直前?
かもしれない年末年始のちょっとした「始動猶予期間」を、
美味しいお気に入りのケーキさん達と一緒にヌクヌクのコタツさんでゆた~り♪
と楽しく過ごせれば十分幸せなのさっ( ̄∇ ̄*)!......と、
そんなコトをマジ狙い!しながら過ごしている本日なのでございます。
出雲。
有名な「国譲り神話」の舞台となった美しき「稲佐の浜=いなさのはま」
僕の大好きな場所。
それは、ワケも分からず涙があふれてくるくらい......
10月17日以来、
2014年の初詣は恒例の伊勢参りに行く前に、今年は久々に出雲に行ってこようかな......
と、そう思っています。
雪が溶け始める3月頃に、少々遅い初詣になりますが、
ちょっと行ってみようかと思っています。
なんだかとても楽しみ!です。(^^)
☆シリーズ過去記事はコチラ☆
「8を巡る旅」
「8を巡る旅 2」
☆「8を巡る旅 4」以降はこちら。
もう少し続きます。。
一旦、「出雲=いずも」を巡るドープな!?
「8」の話しからは離れて、
今度はアラビア数字で 0、1、2、3、4、5、6、7、8、9、、、と、
日常よく使われる表記で全ての数を書き出してみます。
ココからは個人的なイメージの話しになっていきますが、冗談半分!
に読んで頂ければと思いつつ......
こんなふうに数字を全て書き出したりする時に僕が一つ感じることは、
これらの数字の中で入口と出口がハッキリしていない数字というのが2つあって。
ソレが「0=ゼロ」と「8=ハチ」になります。
無限のループで線を幾度もナゾって書くことの出来る数......
と言ったら良いのでしょうか。
無限のループは無限の力......
繰り返し溜め込むことが出来る大きなエネルギー......
の、イメージとして捉えたりもするのですが、
そう考えると「0」と「8」はなにやらとても強大な力を「内包」している数字。
これも聖数「8」の秘密......理由の一つ?かもしれません。
面白いことに「無限大」を表す記号「∞」は、
実際「8」を横に寝かした形でもあります。
「0」のイメージにしても
「ココから全てが始まる......」
といった数のようでもあり、
「全ての数に含まれている数......」
とも考えられる不思議な数の様にも思えます。
さらには「陽」を生んでいく為の「陰」が極まった状態......
「有を含んだ無」
といったようなイメージもあります。
万物を生み出す前の
「フラットに停滞しているエネルギー」
とでも言いうのでしょうか。
そんなコトが僕にとっての「0=ゼロ」。
それは「8」と同じく、
大きなエネルギーを持つ「似た数字同士」というイメージでもあって。
そして気付くのは、
「8」は「0を捻った形」をしている......ということ。
それはちょうど「メビウスの輪」のように。
ちょうど出雲大社の「しめ縄」の様に......
「8」は大きなエネルギーであるのに、
ソレを大きく放出することが出来ず、
「捻れている状態」というイメージでも捉えられます。
しかも、そのエネルギーがずっと「内的にループ」している......といった感じ。
それはまるで、出雲大社に封じられている?強大な力を持つ神々の様に。
出雲の神々に冠されている数字が「8」だということが、
ここでも僕にはとても興味深く響いて来ます。
かなり皮肉というか......
体良く閉じられているというか......
とても深い呪(しゅ)を感じ受けたりもします。
もし、2013年を象徴することの一つを、
ココでも幾度か記して来た伊勢神宮と出雲大社の「同時遷宮」とするならば、
今年は何かが新しく生まれ変る
「直前と直後の両方を含んだ年」
と言える様な気がします。
新しくなるためにジッ......として動かなかった状態から
新たに動き出した直後だとしても、
未だそれほど早く、大きく動き出す様なことが出来るわけでもなく......
その状態は、言わば、動く直前と直後。
今後大きく動いていくためのエネルギーを、
ヨチヨチと動き出しながらも、まだまだ内側に
「ジッ......」
と蓄えているような、そんな年だったような気がしています。
それは「8」や「0」の様に。
そして、ジッとしている中で見えていた世界というのは、
様々な理不尽なる?
理解しがたい?
「捻れ」が沢山ある世界の様にも思えていて。
そんな捻れが今迄よりも鮮明に、くっきりと見えて来てもいて。
でもそんな「捻れ」をわかっていても、どうにか出来るわけでもなく、
タダ眺めていたというだけ......
という様な、なんだかとてもじれったい状態が続いたような年。
そんな感じは「0」というより「8」の年だったと言えるような気がしていて......
進んでいるのか進んでいないのか?
決して後退はしていないのに進んだとも言えない。
まるで一カ所で「足踏み」をしているかの様な、
留まっているわけではないのに進んでもいない感じ。
捻れた「8」の中を強いエネルギーを持ちながら歩いているかの様な感じ。
今年はそんな人が多かったのではないのだろうか!?
......なんていう気もしていたりして。
自分自身にもなんとなくそんな状況があったような感じもしていて。
そんなふうに思っていた年。
この国の「陰陽」を司る二大神社で、史上希なる「同年」遷宮が無事に完了した後。
最初に記した奇跡のシルシ!?
が立った場所というのが「陽」の象徴でもある伊勢にではなく、
「陰」と「8」の象徴である出雲大社の方に立ったということは......
「やはり今年は8の年だったのかもしれないな、、、」
と、改めて思わされたりもして。
同時に、そんな
「8の捻れが取れました!」
「8の解放!」
「いよいよ出雲の力が解放されまちたっ!」
「陰陽統合!」
......というシルシの様にも僕には感じられたりして。
「やっと!ですか。。。(o-´ω`-)=3 プヒー」
「8」の捻れが取れると「0」になります。
「0」は新たなものが生まれ出る前のエネルギー充足状態。
それが奇跡の印が出た10月辺りから年末イッパイ迄の数ヶ月か......な。
来年には「0」の輪にハサミが入って、
「0」の線が切れて、開いて、ほどけて......「1」になります。
ええ。きっと。タブン。
そこからは今年止まっていた、
上手く進んでいなかった色々なものが進み出すようにも思えます。
2014年はきっと多くの人にとってそんな年になるのではないのかな?
などと思えたりします。
出雲大社の上に出たサイン?奇跡?神?タダの偶然なる気象現象?
......からは、僕はそんなことを感じていたりしちゃいます。
そうです......カナーリのアホ!
かもしれません。。。( ̄ー ̄;ボクチン..
もうすぐやって来る2014年。
個人的にはそんなこんなでなんとなく、
今迄「陰」「裏」だったものが表になり。
表だったものが裏になりという年に......それは「捻れ」が取れるからでもあって。
準備出来ていた人は圧倒的に走り出し、
自分の為、人の為にと頑張って来た人でも、
自己保身の為、人を抜かんが為にと頑張って来たような人でも、
それぞれちゃんと捻れが取れるからその反動はその方向性通り、
それなりに、捻れなく。
キチンと正され、糺(ただ)されて......
出雲の神々に代表される所謂「国津神」と呼ばれる神々。
それは地球や大自然を支えるトテモ大きな神々。
人々や文明の足下で踏まれ、
存在を意識されない様な中でも多くの物事を粛々と支え続けて来たようなチカラ。
時に遠き宇宙の彼方へとも繋がるような力。
そんな大きな神々が再び大きく動き出す時代と「価値観」の幕開け。
当たり前の様になった様々な物事をもう一度刷新。
また新たに「創造」していく時代の幕開け。
誰かに、何かに創造されたシステムや組織、
舞台の上で要領よく貪るように歩いてきた人々には、その
「創造という力そのもの」
の反動によって厳しいコトも多く起きて来るのかもしれません。
もう自らの力を誤魔化す様な、
無い物を有る様に見せるような、
そんなことは出来なくなるかもしれません。
全て、良いも悪いも無く。
ただそんな方向に向かうのではないか、というサイン。
それが「8を巡る旅」のスタート記事に載せた写真から見えて来る神々のサイン。
そんな出雲のサイン。
「8」の年の最後に出された、
「8」を冠された強大なる神々の降りる地に立った不思議なサイン。
それは停滞からの脱出。
裏側だったモノ、コト、ヒトが表に向かって大きく動き出すかもしれない......
というシルシ。
そのサインはまた、
月と太陽が地球の神様の頭上の空で一緒に表われているようにも見えるのです。
日本神話における「三貴神」が揃い踏み!
しているようにも見えるのです。
「揃い踏みした三貴神」
そんなコトの深奥にチラリと見える「神の真意」
裏が表に出るけれど、それは以前の様な形でもなく。
今度ばかりは裏も表も、陰陽も、男女も民族もなく。
政治も経済もなく。
分離も隔ても無いという「1=イチ」なるものへの気付き。
回帰。統合。
三回続けて記して来た「8を巡る不思議な旅」というのは、
そんな来るべき新たな年、時代の話しへと辿り着くのでございます。
2013年の終わりに、勇気を出して!?(@.@)
ちょっと記しておきたかったのでございます。
明日はクリスマス。
モノゴトが大きく動き出す直前?
かもしれない年末年始のちょっとした「始動猶予期間」を、
美味しいお気に入りのケーキさん達と一緒にヌクヌクのコタツさんでゆた~り♪
と楽しく過ごせれば十分幸せなのさっ( ̄∇ ̄*)!......と、
そんなコトをマジ狙い!しながら過ごしている本日なのでございます。
出雲。
有名な「国譲り神話」の舞台となった美しき「稲佐の浜=いなさのはま」
僕の大好きな場所。
それは、ワケも分からず涙があふれてくるくらい......
10月17日以来、
2014年の初詣は恒例の伊勢参りに行く前に、今年は久々に出雲に行ってこようかな......
と、そう思っています。
雪が溶け始める3月頃に、少々遅い初詣になりますが、
ちょっと行ってみようかと思っています。
なんだかとても楽しみ!です。(^^)
☆シリーズ過去記事はコチラ☆
「8を巡る旅」
「8を巡る旅 2」
☆「8を巡る旅 4」以降はこちら。
PC表示だととても読みやすくなっていると思います。
本当にありがとうございます。感謝です。(^^)
お返事ありがとうございます。
何度も読み返している記事がたくさんあります。
ページを行ったり来たりし過ぎて、もう既にくたくたボロボロの愛読書みたいな…感じで^^
コチラこそ、本当にありがとうございます。
なにものも分け隔てることの無い心が愛なのではないかと。そう思います。(^^)
はじめまして。
古い記事にコメントをしてもよいのでしょうか…と思いつつ
この記事を読ませていただいた感謝を込めて、書かせて頂いております。
1年ほど前 朝5時頃にふと目がさめた時
「機は熟した」「陰陽極まりて…---」という言葉?声?が頭に残り、、
陰陽極まりて…???
最後の部分がわからなかったので頭を巡らせると
『陰陽極まりて…愛となす』という言葉が浮かびあがってきました。
(普段使わない『愛』という言葉がぽろりと出てきたことに、自分でも驚きましたが)
「陰陽極まりて 愛となす」この文言が頭から離れず、
実際にこのような言い回しがあるのかしら と検索してみたり、調べてみたり、、
“陰極まりて陽となす”という、一般的に認知されている文言ばかりが目に入るなか、
amenouzumetさんのブログのこの記事を読んで、すーっと、腑に落ちた感覚になりました。
裏も表も、陰陽も、男女も民族もなく…
分離も隔ても無い、、、
amenouzumetさんのブログに出会えたことに感謝しております。ありがとうございます。