賤機山=しずはたやま。
賤の丘=しずのおか。
静の丘。
で、静岡。
で、先回の記事の続き。。
で、静岡で「タクシードライバーが選ぶラーメンナンバーワン!」となったのがこれ。
ウマソぉーーーーっすぅぅぅ!(≧∇≦)
麺はお店の手打ちぃぃーーー( ´ ▽ ` )ノ
うまいっすーーーーーーぅぅぅぅ!(ToT)/~~~
なんだか佐野ラーメンの美味しさにも似てるっすぅーーっ!
お店の名前は......
イタリア軒!?(O_O)
な、なぜにぃぃーーーっ!?イタリア?軒?
......そんな「ややミステリアス」な静岡の街。
静岡とは、
元々は「駿河国=するがこく」と呼ばれた国の
「国府」が置かれていた地であり、
「駿府=すんぷ」と呼ばれていました。
前回の記事でも記していた様に、
徳川家ゆかりの地でもあり。
徳川幕府が政権を新政府に移譲した「明治維新」の際には、
新政府に恭順する意思を明確に示すため、
駿府という名前も半ば強引に変更することとなり。
市内中心部にある駿府城の近くに佇む
「賤機山=しずはたやま」に因んで「静岡」と改名。
その名前が今に続いているようです。
賎機山は、徳川家康は元より、
それ以前の遥か古代よりこの地域に住まう人々から
霊山として信仰されてきた山であって。
その麓には今も地元の方々から厚い崇敬を受ける
「静岡浅間神社=しずおかせんげんじんじゃ」
がドシン!と構えています。
これがその神社さん。
楼閣造りの大拝でーーん!
重要文化ざーい!ヾ(´∀`*)ノ
この神社に関してとても面白く思うのは、
実はここに祀られている神々の名前。
拝殿の奥にある本殿に祀られているのは、
2100年の昔に、コノ地とコノ神社を開いたとされる
大貴己神(おおなむちのかみ)さんが祀られており、
富士山の神様でもある
「此花咲夜姫(このはなさくやひめ)さんも祀られています。
他にも、境内に点在する社(やしろ)には......
八千矛(ヤチホコ)さーん。
少彦名(スクナヒコナ)さーん。
神大市姫(カミオオイチヒメ)さーん。
山頂にはなんとーっ!
大山祇(オオヤマズミ)さんもー!
こ、古墳までぇぇーーっ!
静岡の方々はこの神々のコトを知っているのでしょうか......
少し聞いてみたりしたくもなりますが......
コレはもう......
「出雲」オールスター!!(◎_◎;) でございます......はい。。
後の世に、
徳川家康が「東照大権現(とうしょうだいごんげん)」
という神様として東照宮に祀られたように。
明治天皇と皇后を祀った明治神宮があるように。
世間に大きな印象を残した特異なる人物や統治者、
為政者、偉人、奇人!?の方々というのは、
時に、人々に「神」として祀られたりします。
それが遥か古代の、
人々の記憶も記録も薄くなっている時代に活躍した人々に関しては、
語り継がれて来た時間の長さの分だけミステリアスさも増し。
神様としての格も香りも崇高なる領域へと高まり、
変化もしていくものなのだとも思います。
この静岡浅間大社さんに佇んでいる中でトテモ良くわかることは、
静岡......賎機山周辺......には、
先住の人々が沢山いたであろう、ということと。
後の時代には、その先住民達の地に、
この神社の由緒にある神様......
「大貴己神(オオナムチノカミ)=出雲国の一族」
が移り住んで来て、
統治と国作りとを始めた......ということ。
更に、数々の歴史記録をつぶさに見れば、
その後は奈良県、大和の地から
「大和朝廷」を支えていた有力氏族である
「秦氏=はたし」が移り住んできたようで。
ソレ以前の時代と同じ様に、
浅間神社とその神々を崇拝し、守り。
家康さんがこの地に住われたのは、
そのさらに後世の話しであって......といった歴史となります。
「賤機山(しずはたやま」の「ハタ」は、
秦氏とも関係している呼称なのかも知れません。
この神社で分かることをまとめると、
大和朝廷を支えた氏族である秦氏がここに来た時には、既に、
それ以前からコノ地を統治していた出雲の民の神々が祀られていた......
ということで。
秦氏はソレ以前に祀られていたそんな神々をそのまま受け継ぎ、
崇拝していた......ということです。
静岡の歴史は、
先住民 → 出雲族 → 秦氏(大和朝廷)→
戦国時代諸々 → 徳川氏 → なう (^^)b
......となるということがわかります。
古事記や日本書紀、日本史の教科書などでは、
この日本国の最初の統治政府は、
初代天皇「神武」さんの「大和朝廷」としていますが、
果たして!?それは本当に正しいのでしょうか?
2100年以上?の昔。
コノ東海、静岡の地には既に「出雲」から来た
種族や国が治めていたという痕跡がちゃんとあって。
このブログでもタマタマ書いていた範囲で言えば、
埼玉県の山奥の秩父という地に至ってまで、同じ出雲の痕跡があって。
未だココには記していない!?
僕が日本を回って知り得てきた事実と重ね合わせてみても、
そんな痕跡は九州各地や瀬戸内、上越、長野、
東北の入り口に至るまで様々な所に沢山あって。
また、そんな事実達というのは、もしかしたら、
大和朝廷以前に既にこの日本という国土の多くを
「出雲」という国や種族が治めていたのではないのか......
そんな歴史を認めざるをえない......なんていうことを、
僕に強く語りかけて来たりもしちゃうわけなのです。
ああ、
やや、ミステリアス。
ああ、イタリア軒。
静岡にいても、
静岡浅間神社に佇んでいても、
「教科書というのは常に書き直さないといけないのだなぁ、、」
なんて、僕には思えていますのです。(^^)
賤の丘=しずのおか。
静の丘。
で、静岡。
で、先回の記事の続き。。
で、静岡で「タクシードライバーが選ぶラーメンナンバーワン!」となったのがこれ。
ウマソぉーーーーっすぅぅぅ!(≧∇≦)
麺はお店の手打ちぃぃーーー( ´ ▽ ` )ノ
うまいっすーーーーーーぅぅぅぅ!(ToT)/~~~
なんだか佐野ラーメンの美味しさにも似てるっすぅーーっ!
お店の名前は......
イタリア軒!?(O_O)
な、なぜにぃぃーーーっ!?イタリア?軒?
......そんな「ややミステリアス」な静岡の街。
静岡とは、
元々は「駿河国=するがこく」と呼ばれた国の
「国府」が置かれていた地であり、
「駿府=すんぷ」と呼ばれていました。
前回の記事でも記していた様に、
徳川家ゆかりの地でもあり。
徳川幕府が政権を新政府に移譲した「明治維新」の際には、
新政府に恭順する意思を明確に示すため、
駿府という名前も半ば強引に変更することとなり。
市内中心部にある駿府城の近くに佇む
「賤機山=しずはたやま」に因んで「静岡」と改名。
その名前が今に続いているようです。
賎機山は、徳川家康は元より、
それ以前の遥か古代よりこの地域に住まう人々から
霊山として信仰されてきた山であって。
その麓には今も地元の方々から厚い崇敬を受ける
「静岡浅間神社=しずおかせんげんじんじゃ」
がドシン!と構えています。
これがその神社さん。
楼閣造りの大拝でーーん!
重要文化ざーい!ヾ(´∀`*)ノ
この神社に関してとても面白く思うのは、
実はここに祀られている神々の名前。
拝殿の奥にある本殿に祀られているのは、
2100年の昔に、コノ地とコノ神社を開いたとされる
大貴己神(おおなむちのかみ)さんが祀られており、
富士山の神様でもある
「此花咲夜姫(このはなさくやひめ)さんも祀られています。
他にも、境内に点在する社(やしろ)には......
八千矛(ヤチホコ)さーん。
少彦名(スクナヒコナ)さーん。
神大市姫(カミオオイチヒメ)さーん。
山頂にはなんとーっ!
大山祇(オオヤマズミ)さんもー!
こ、古墳までぇぇーーっ!
静岡の方々はこの神々のコトを知っているのでしょうか......
少し聞いてみたりしたくもなりますが......
コレはもう......
「出雲」オールスター!!(◎_◎;) でございます......はい。。
後の世に、
徳川家康が「東照大権現(とうしょうだいごんげん)」
という神様として東照宮に祀られたように。
明治天皇と皇后を祀った明治神宮があるように。
世間に大きな印象を残した特異なる人物や統治者、
為政者、偉人、奇人!?の方々というのは、
時に、人々に「神」として祀られたりします。
それが遥か古代の、
人々の記憶も記録も薄くなっている時代に活躍した人々に関しては、
語り継がれて来た時間の長さの分だけミステリアスさも増し。
神様としての格も香りも崇高なる領域へと高まり、
変化もしていくものなのだとも思います。
この静岡浅間大社さんに佇んでいる中でトテモ良くわかることは、
静岡......賎機山周辺......には、
先住の人々が沢山いたであろう、ということと。
後の時代には、その先住民達の地に、
この神社の由緒にある神様......
「大貴己神(オオナムチノカミ)=出雲国の一族」
が移り住んで来て、
統治と国作りとを始めた......ということ。
更に、数々の歴史記録をつぶさに見れば、
その後は奈良県、大和の地から
「大和朝廷」を支えていた有力氏族である
「秦氏=はたし」が移り住んできたようで。
ソレ以前の時代と同じ様に、
浅間神社とその神々を崇拝し、守り。
家康さんがこの地に住われたのは、
そのさらに後世の話しであって......といった歴史となります。
「賤機山(しずはたやま」の「ハタ」は、
秦氏とも関係している呼称なのかも知れません。
この神社で分かることをまとめると、
大和朝廷を支えた氏族である秦氏がここに来た時には、既に、
それ以前からコノ地を統治していた出雲の民の神々が祀られていた......
ということで。
秦氏はソレ以前に祀られていたそんな神々をそのまま受け継ぎ、
崇拝していた......ということです。
静岡の歴史は、
先住民 → 出雲族 → 秦氏(大和朝廷)→
戦国時代諸々 → 徳川氏 → なう (^^)b
......となるということがわかります。
古事記や日本書紀、日本史の教科書などでは、
この日本国の最初の統治政府は、
初代天皇「神武」さんの「大和朝廷」としていますが、
果たして!?それは本当に正しいのでしょうか?
2100年以上?の昔。
コノ東海、静岡の地には既に「出雲」から来た
種族や国が治めていたという痕跡がちゃんとあって。
このブログでもタマタマ書いていた範囲で言えば、
埼玉県の山奥の秩父という地に至ってまで、同じ出雲の痕跡があって。
未だココには記していない!?
僕が日本を回って知り得てきた事実と重ね合わせてみても、
そんな痕跡は九州各地や瀬戸内、上越、長野、
東北の入り口に至るまで様々な所に沢山あって。
また、そんな事実達というのは、もしかしたら、
大和朝廷以前に既にこの日本という国土の多くを
「出雲」という国や種族が治めていたのではないのか......
そんな歴史を認めざるをえない......なんていうことを、
僕に強く語りかけて来たりもしちゃうわけなのです。
ああ、
やや、ミステリアス。
ああ、イタリア軒。
静岡にいても、
静岡浅間神社に佇んでいても、
「教科書というのは常に書き直さないといけないのだなぁ、、」
なんて、僕には思えていますのです。(^^)