島谷晃・・・・早大・・・・伊豆美・・・・政治的弾圧ー1
島谷晃という人がいます。FBの会員かどうかを知りません。早稲田大学の出身で、鵠沼の住人で、画家であり・・・・・文化庁の在外研修制度の同窓会の役員を長らくしていた人です。今もそれを継続しているかもしれません。彼は、2012年現在では、自信満々の強気の人である模様ですが、2004年ごろまでは、わりと謙虚な態度を私に対して見せる人でした。それは、足が悪い。そういうハンデも影響をしていたと思います。それで、自己を強化させるために、いわゆるボランティア活動の、秘書役を頼まれていました。彼は同窓会の事務局長をしていたのです。
で、一年に一回、五月ごろ同窓会が、開かれますが、そのときに、家来として、島谷さんを、形式的にですが、ささえる役です。別に書類を用意したりする必要はありません。ただ、お飾りで、島谷さんを立派に見せる役目です。
これは、横浜のサッカー場の天井画を描いた渡辺豊重さんが、必ず、取る社交上のテクニックでもあります。渡辺豊重さんは、美術界の社交的な催しがあるときには、必ず女性の画家同伴で現れます。誘われる人は、そこまでの行き帰りで、情報交換できるし、豊重さんのコリーグ(仲間)として振舞えることは、それなりに御自分の他者から、大切にされることだから、喜んで付き合うみたいで、常連となっている人が、居ます。その上、豊重さん自身は、誰かから、絶対に攻撃をされないという利便性があります。こういう世界もいろいろあって、良いしごとを次から次へと頼まれる豊重さんは、それなりに、他人の嫉妬の視線を浴びていることを感じることも多いでしょうから。
今日は、私への政治的な弾圧に、こういう人が如何に利用をされているか? そして、そういう動きを示唆し、命令しているのは誰であるかを語りたいのです。今までは、主に、パソコンへの破壊という現象について語ってきています。が、そろそろ、人間を利用した攻撃がどういう風に行われているかという部分にも取り組みましょう。
というのは、これらは、古い話で、私は、この二人に、会う必要がすでになくなっているからです。で、一種の記録として残しておきたいのです。私の文章は、すべていわゆるゴッホの手紙として、後世のひとが資料として利用してくれたらいいと考えていますし・・・・・2へ
島谷晃・・・・早大・・・・伊豆美・・・・政治的弾圧ー2
ところで、本論に入る前に、今現在の瞬間的に行われるパソコン技術的な弾圧・・・・特に、フェイスブック上でのそれを語りましょう。私がこの論考の1をアップしたトタンにそれが消えました。これはしょっちゅう起きることなので、『あれ又、削除をされたかな?」と思いましたが、画面をスクロールして下へ向かうと、下の方にあることはありました。が、私の後に、私より前に揚げられたより古い情報が、六本も入れこめられているのです。このように、FBにアップした文章が、目立たなくなるように、目立たなくなるように工夫をされています。特に驚いたことは、月曜日の14時に揚げられたものが、突然にここに現れたことです。今はすでに木曜日です。間に、いったい何時間がたっていますか?
もちろん、それを、やっているのは、その情報をあげた御本人ではありません。いわゆるエージェントとして、雇われている人です。大体、わかっていますが、その人物を特定するかしないかは、いつも迷います。というのも、この様に他人の情報を自由自在に来ることができるとは、相当に恐ろしいことですよね。しかも「私の情報が削除されてしまっているわ。どうしてかしら」と嘆いている人へ、あなたの嘆きは、○○◇◇氏がやっていますと、次げたらどうなりますか? 大騒ぎになるでしょう。だから、この人がやっていると断言をすると、その人の社会的な立場を相当、低劣化させるでしょう。となると、個人的な恨みを買う恐れがあります。だから名前を特定できません。
だけど、これから、書く島谷さんのなさったことは、同じ悪でも、そうとうに、人間的であり、むしろ、こっけいにちかい部分があるので、読み物として、よりのんびりしている話題ですから、おちついて書き進めます。・・・・3へ
島谷晃・・・・早大・・・・伊豆美・・・・政治的弾圧ー3
一時期、町おこしに美術が使われたことがあります。伊豆は、東京から行きやすい行楽地とみなされており、池田21世紀美術館などがあり、伊豆美というコンクールを催していました。今では、母から、遺産が入ったので、お金に困ることがなくなりましたが、勤務先のない身で、出版社として、次から次へと、自分の本(だいたい600~800部)を出版していたら、金欠病になるのは当たり前で、私はお金を稼ぐために、こういうコンクールへ応募することにいたしました。
そして、審査委員長は、島谷晃氏でした。私は女流展も、国展も、事前運動を何もせずとも連続入選しています。コンクールとしては、長らく大権威を誇っていた毎日新聞主催のそれに入選していますし、上野の森大賞展にも入選しています。そして、現代アートの方では、そうとうに権威があるとされる、神奈川県展にも、入選しています。
だから、一等賞は取れないまでも、50人は選ばれる、一般入選にも、選ばれないということは、夢にも想像しておりませんでした。それなのに、その一般入選にも入らず、単なる落選作として、絵が戻ってきたときは、ひどく驚いて、どうしてなのだろうと、遠くから引いて、その絵を確認したりしました。
本当に信じられませんでした。何か、不審な感じがあって、裏へひっくり返してびっくり仰天、そこには悪意の証拠が明瞭に残っていました。ぞっとするような悪意が、証拠として残っておりました。
島谷晃・・・・早大・・・・伊豆美・・・・政治的弾圧ー4
そのコンクールは大きさとして、上限が30号であり、それは、キャンバスとしては軽いものです。私は、そこに円形の上部を持つ窓型を描き入れており、抽象画ですが、明瞭に上下関係があります。しかし、裏の応募票の貼り付け方は、上下がさかさまでした。いったい誰がこんないたずらを。
私という存在を知っていて、その作品を落選させたいと、願い工作したのは、審査員の中では、島谷氏しかいませんでした。島谷氏が張りなおした? その可能性は捨て切れませんでした。それは、早稲田大学の出身だからです。
早稲田大学は大相撲の壊滅作戦のときに、奥島孝康氏が動いたように、(しかも、奥島氏は、山内ゆり子サンと言う友達の女流画家にお見合いを世話をして、その結果、ゆり子さんを、私から引っ剥がしたように、ほとんど、総力を挙げてというほど、躍起になって弾圧を仕掛けてきているのです。その理由は、元革○の委員長である、成岡庸司君が私の友達であり、しかもかれが日本のエージェントの総帥を担っているからだと思うのですが)・・・・・
本当に、総力を挙げて、私を苛め抜いています。 ・・・・5へ
島谷晃・・・・早大・・・・伊豆美・・・・政治的弾圧ー5
このFBの世界でも、私の大勢の友達の中には早稲田大学出身の人が大勢居ます。そのうちで、個人的な交流を開いていない人は、影響を受けていませんが、ある時期、こちらが相手のウォールへ、コメントを入れたり、いいねボタンを入れた人は、どうしてか縁が切れるのです。それは、自然なことだとはとても思えません。こういうことを言えば、自分が損をするのですが、本当に身命を賭して書いていますから、損得を別として、発言をします。すべて、真実を優先となります。
で、この伊豆美コンクールで、応募表をさかさまに張りなおして、絵を一気にまともなまじめなものから、こっけいなものへと突き落としたのは、島谷さんに違いないと確信をしました。
そのときに、身体的なハンデを持っている人の、心の闇の深さというものを感じました。劣等感を、ばねとして、大輪の花をさかせる人もいますが、暗くずるい行動様式を平気で、実践してしまう人間もいるのです。その最大のものは麻原ショウコウですが・・・・・
さて、その直後だったと思いますが、池田21世紀美術館で、島谷晃展が開かれるというポスターが銀座で、出回りました。なるほど、『私を苛め抜いて、・・・・・つまり、ノイローゼにさせるという大目的へ、貢献したので、ご褒美をもらいましたね』と思いました。
島谷晃・・・・早大・・・・伊豆美・・・・政治的弾圧ー6
島谷さんに、ここで、申し上げたいのですが、「私、川崎千恵子の眼力と、頭脳レベルを小ばかになさってはいけませんよ。あなたはあの時点では、まだ、それほど、大きな活動をなさっておられませんでしたね。私はこの20年間銀座で、あなたの個展を一回も見たことはないし、グループ展でも見たことはないし、・・・・」と。つまり、あなたがびっこの足を引きずって歩くので、ハンデのある人をいじめたらダメだと感じる相手の、一瞬のひるみにすぐ乗じて、どんな場所からも、どんな相手からもチャンスを拾い出し、それを利用しきってきましたね」と。
さて、伊豆美の審査時に信じがたいほどの暗い心から発した意地悪をした件から、ここで、少し離れます。時も過ぎますし。
ところで、文化庁の在外研修生で、派遣をされた人たちの同窓会展が開かれます。ところで、それに私は一度も招かれていません。もちろん、そんなことを声高に述べたって、ひがんでいるとみなされるだけですから、いままで一度もそれを述べたことはありません。だが、本日は島谷晃さんという人物の悪人振りを書いていますので、ついでに、申し上げるとあの制度も国家からのお金を利用するくせに、相当に私物化されている、ところがある・・・・・と言うことです。審査の段階で、それがあるなどと明言してしまうと大変なことになりますので、それには触れませんが、行って帰ってからが問題です。こういう同窓会展でも、得をする人と、損をする人は、私に限らず大勢いることでしょう。
特にある年に、六本木の新国立で、開かれたそれは、派遣直後展でも無く、大義名分が不明なものでした。しいて言えば、活躍している画家を集めたということになるのかな?
しかし、その活躍をしているという意味が客観的なスケールで、表示できるものではありません。
島谷さんのように、右顧左眄して、御自分の存在感を増すという事を指すわけかもしれないですから、作品のレベルにおいて、それほど、魅力のあるものは少ないのでした。つまり、御仲間内、救済、お手盛り中のお手盛り展だったのです。
島谷晃・・・・早大・・・・伊豆美・・・・政治的弾圧ー7
ところで、その展覧会で、私は、その入り口に詰めている黒いスーツ姿のお嬢さんを一人捕まえて、「島谷さん、来ていらっしゃいますか」と聞いてみました。すると「はい」とのこと。内心で『当然でしょうね。展覧会の費用は国費、なら、重要な自分に役立つお客が來たら、お茶を一緒にして、さらに、人的コネをより強固なものにしていくつもりでしょうから』と思ったものです。で、高いコーフィー代を負担したって惜しくは無いでしょう。でも、彼のことだから、自分のためのデートでも、お茶代は相手に出させたりして(笑)
などということを考えながら待っていました。すると、戻ってきたお嬢さんは、大変困った顔をしながら「いらっしゃると思っておりましたが、すでにお帰りになったとのことでした』といいました。私は一瞬、虚をつかれたような顔をしたと思います。
どうしてかというと、大の男性、しかも、私より年上であり、池田21世紀美術館で、個展をしたほどの作家が、あまりにも幼稚な嘘をつくからです。
でも、大切な事実として残ったのは、ともかく、彼は逃げたということです。ということは伊豆美のコンクールに出した私の作品の裏の応募票を、上下さかさまに貼り付けた人物は彼に他ならないということです。・・・・・島谷晃という人間はそういう男だったのです。恐ろしいわね。・・・・・・お子さんあるのかしら? もしお子さんがあったとして、それらから、彼は、父親として尊敬されているのかしら?
私はカラマーゾフの兄弟のスメルジャコフを、強烈に思い出させられていました。
島谷晃氏を分析し終えて今思うこと。
私は相当厳しい話し方で、本日、島谷晃氏を分析いたしました。常に神様が頭の中におろしてくださることを文章に書くというルールを自分に課している私には、本日はこれが、頭の中に降りてきたわけです。昨日のうちにこれを書こうとか、朝のうちに、これを、書こうとか、計画をしていたわけではありません。ただ、書いているうちに、腹が立つというか、あほらしいというか、人間のおろかさぶりに、あきれ果てているところです。または、人間とはかくも低劣になれるものかという点に、驚いているのです。
で、あの大相撲壊滅作戦の際に、大活躍をした二人の早大教授(奥島孝康氏と伊藤滋氏)に伺いたいのですが、こういう人物が早稲田卒ですと名乗っていて、恥ずかしくお感じになりませんか?
又、最近交流が無いけれど、中学の同級生の宮島洋君にも聞きたいのです。『あなたは、早めに東大教授を辞めて早稲田の教授になりましたね。だから、今、70歳でも、まだ、教授をなさっているでしょう。こういう人が卒業生であることを恥ずかしくお思いになりません?そして、同じく友達である飯田隆(元週刊朝日の編集長)君にも聞きたいのです。あなたはどうおって。まあ、飯田君の答えだけは、想像ができます。あなたは、『いえねえ。なにぶんにも人数が多いものですから・・・・・は、は、は」っておっしゃるでしょう。で、それを聞いて、私も、あ、は、はと、笑っておくことしか、できませんけれどね・・・・・
なお、いま念のために、美術家連盟の名簿で確認をしましたが、島谷晃氏って、1943年生まれで、私より一切年下でした。年上に見えましたが・・・・・
2012年2月8日に書き、9日に整理する。雨宮舜(川崎 千恵子)
島谷晃という人がいます。FBの会員かどうかを知りません。早稲田大学の出身で、鵠沼の住人で、画家であり・・・・・文化庁の在外研修制度の同窓会の役員を長らくしていた人です。今もそれを継続しているかもしれません。彼は、2012年現在では、自信満々の強気の人である模様ですが、2004年ごろまでは、わりと謙虚な態度を私に対して見せる人でした。それは、足が悪い。そういうハンデも影響をしていたと思います。それで、自己を強化させるために、いわゆるボランティア活動の、秘書役を頼まれていました。彼は同窓会の事務局長をしていたのです。
で、一年に一回、五月ごろ同窓会が、開かれますが、そのときに、家来として、島谷さんを、形式的にですが、ささえる役です。別に書類を用意したりする必要はありません。ただ、お飾りで、島谷さんを立派に見せる役目です。
これは、横浜のサッカー場の天井画を描いた渡辺豊重さんが、必ず、取る社交上のテクニックでもあります。渡辺豊重さんは、美術界の社交的な催しがあるときには、必ず女性の画家同伴で現れます。誘われる人は、そこまでの行き帰りで、情報交換できるし、豊重さんのコリーグ(仲間)として振舞えることは、それなりに御自分の他者から、大切にされることだから、喜んで付き合うみたいで、常連となっている人が、居ます。その上、豊重さん自身は、誰かから、絶対に攻撃をされないという利便性があります。こういう世界もいろいろあって、良いしごとを次から次へと頼まれる豊重さんは、それなりに、他人の嫉妬の視線を浴びていることを感じることも多いでしょうから。
今日は、私への政治的な弾圧に、こういう人が如何に利用をされているか? そして、そういう動きを示唆し、命令しているのは誰であるかを語りたいのです。今までは、主に、パソコンへの破壊という現象について語ってきています。が、そろそろ、人間を利用した攻撃がどういう風に行われているかという部分にも取り組みましょう。
というのは、これらは、古い話で、私は、この二人に、会う必要がすでになくなっているからです。で、一種の記録として残しておきたいのです。私の文章は、すべていわゆるゴッホの手紙として、後世のひとが資料として利用してくれたらいいと考えていますし・・・・・2へ
島谷晃・・・・早大・・・・伊豆美・・・・政治的弾圧ー2
ところで、本論に入る前に、今現在の瞬間的に行われるパソコン技術的な弾圧・・・・特に、フェイスブック上でのそれを語りましょう。私がこの論考の1をアップしたトタンにそれが消えました。これはしょっちゅう起きることなので、『あれ又、削除をされたかな?」と思いましたが、画面をスクロールして下へ向かうと、下の方にあることはありました。が、私の後に、私より前に揚げられたより古い情報が、六本も入れこめられているのです。このように、FBにアップした文章が、目立たなくなるように、目立たなくなるように工夫をされています。特に驚いたことは、月曜日の14時に揚げられたものが、突然にここに現れたことです。今はすでに木曜日です。間に、いったい何時間がたっていますか?
もちろん、それを、やっているのは、その情報をあげた御本人ではありません。いわゆるエージェントとして、雇われている人です。大体、わかっていますが、その人物を特定するかしないかは、いつも迷います。というのも、この様に他人の情報を自由自在に来ることができるとは、相当に恐ろしいことですよね。しかも「私の情報が削除されてしまっているわ。どうしてかしら」と嘆いている人へ、あなたの嘆きは、○○◇◇氏がやっていますと、次げたらどうなりますか? 大騒ぎになるでしょう。だから、この人がやっていると断言をすると、その人の社会的な立場を相当、低劣化させるでしょう。となると、個人的な恨みを買う恐れがあります。だから名前を特定できません。
だけど、これから、書く島谷さんのなさったことは、同じ悪でも、そうとうに、人間的であり、むしろ、こっけいにちかい部分があるので、読み物として、よりのんびりしている話題ですから、おちついて書き進めます。・・・・3へ
島谷晃・・・・早大・・・・伊豆美・・・・政治的弾圧ー3
一時期、町おこしに美術が使われたことがあります。伊豆は、東京から行きやすい行楽地とみなされており、池田21世紀美術館などがあり、伊豆美というコンクールを催していました。今では、母から、遺産が入ったので、お金に困ることがなくなりましたが、勤務先のない身で、出版社として、次から次へと、自分の本(だいたい600~800部)を出版していたら、金欠病になるのは当たり前で、私はお金を稼ぐために、こういうコンクールへ応募することにいたしました。
そして、審査委員長は、島谷晃氏でした。私は女流展も、国展も、事前運動を何もせずとも連続入選しています。コンクールとしては、長らく大権威を誇っていた毎日新聞主催のそれに入選していますし、上野の森大賞展にも入選しています。そして、現代アートの方では、そうとうに権威があるとされる、神奈川県展にも、入選しています。
だから、一等賞は取れないまでも、50人は選ばれる、一般入選にも、選ばれないということは、夢にも想像しておりませんでした。それなのに、その一般入選にも入らず、単なる落選作として、絵が戻ってきたときは、ひどく驚いて、どうしてなのだろうと、遠くから引いて、その絵を確認したりしました。
本当に信じられませんでした。何か、不審な感じがあって、裏へひっくり返してびっくり仰天、そこには悪意の証拠が明瞭に残っていました。ぞっとするような悪意が、証拠として残っておりました。
島谷晃・・・・早大・・・・伊豆美・・・・政治的弾圧ー4
そのコンクールは大きさとして、上限が30号であり、それは、キャンバスとしては軽いものです。私は、そこに円形の上部を持つ窓型を描き入れており、抽象画ですが、明瞭に上下関係があります。しかし、裏の応募票の貼り付け方は、上下がさかさまでした。いったい誰がこんないたずらを。
私という存在を知っていて、その作品を落選させたいと、願い工作したのは、審査員の中では、島谷氏しかいませんでした。島谷氏が張りなおした? その可能性は捨て切れませんでした。それは、早稲田大学の出身だからです。
早稲田大学は大相撲の壊滅作戦のときに、奥島孝康氏が動いたように、(しかも、奥島氏は、山内ゆり子サンと言う友達の女流画家にお見合いを世話をして、その結果、ゆり子さんを、私から引っ剥がしたように、ほとんど、総力を挙げてというほど、躍起になって弾圧を仕掛けてきているのです。その理由は、元革○の委員長である、成岡庸司君が私の友達であり、しかもかれが日本のエージェントの総帥を担っているからだと思うのですが)・・・・・
本当に、総力を挙げて、私を苛め抜いています。 ・・・・5へ
島谷晃・・・・早大・・・・伊豆美・・・・政治的弾圧ー5
このFBの世界でも、私の大勢の友達の中には早稲田大学出身の人が大勢居ます。そのうちで、個人的な交流を開いていない人は、影響を受けていませんが、ある時期、こちらが相手のウォールへ、コメントを入れたり、いいねボタンを入れた人は、どうしてか縁が切れるのです。それは、自然なことだとはとても思えません。こういうことを言えば、自分が損をするのですが、本当に身命を賭して書いていますから、損得を別として、発言をします。すべて、真実を優先となります。
で、この伊豆美コンクールで、応募表をさかさまに張りなおして、絵を一気にまともなまじめなものから、こっけいなものへと突き落としたのは、島谷さんに違いないと確信をしました。
そのときに、身体的なハンデを持っている人の、心の闇の深さというものを感じました。劣等感を、ばねとして、大輪の花をさかせる人もいますが、暗くずるい行動様式を平気で、実践してしまう人間もいるのです。その最大のものは麻原ショウコウですが・・・・・
さて、その直後だったと思いますが、池田21世紀美術館で、島谷晃展が開かれるというポスターが銀座で、出回りました。なるほど、『私を苛め抜いて、・・・・・つまり、ノイローゼにさせるという大目的へ、貢献したので、ご褒美をもらいましたね』と思いました。
島谷晃・・・・早大・・・・伊豆美・・・・政治的弾圧ー6
島谷さんに、ここで、申し上げたいのですが、「私、川崎千恵子の眼力と、頭脳レベルを小ばかになさってはいけませんよ。あなたはあの時点では、まだ、それほど、大きな活動をなさっておられませんでしたね。私はこの20年間銀座で、あなたの個展を一回も見たことはないし、グループ展でも見たことはないし、・・・・」と。つまり、あなたがびっこの足を引きずって歩くので、ハンデのある人をいじめたらダメだと感じる相手の、一瞬のひるみにすぐ乗じて、どんな場所からも、どんな相手からもチャンスを拾い出し、それを利用しきってきましたね」と。
さて、伊豆美の審査時に信じがたいほどの暗い心から発した意地悪をした件から、ここで、少し離れます。時も過ぎますし。
ところで、文化庁の在外研修生で、派遣をされた人たちの同窓会展が開かれます。ところで、それに私は一度も招かれていません。もちろん、そんなことを声高に述べたって、ひがんでいるとみなされるだけですから、いままで一度もそれを述べたことはありません。だが、本日は島谷晃さんという人物の悪人振りを書いていますので、ついでに、申し上げるとあの制度も国家からのお金を利用するくせに、相当に私物化されている、ところがある・・・・・と言うことです。審査の段階で、それがあるなどと明言してしまうと大変なことになりますので、それには触れませんが、行って帰ってからが問題です。こういう同窓会展でも、得をする人と、損をする人は、私に限らず大勢いることでしょう。
特にある年に、六本木の新国立で、開かれたそれは、派遣直後展でも無く、大義名分が不明なものでした。しいて言えば、活躍している画家を集めたということになるのかな?
しかし、その活躍をしているという意味が客観的なスケールで、表示できるものではありません。
島谷さんのように、右顧左眄して、御自分の存在感を増すという事を指すわけかもしれないですから、作品のレベルにおいて、それほど、魅力のあるものは少ないのでした。つまり、御仲間内、救済、お手盛り中のお手盛り展だったのです。
島谷晃・・・・早大・・・・伊豆美・・・・政治的弾圧ー7
ところで、その展覧会で、私は、その入り口に詰めている黒いスーツ姿のお嬢さんを一人捕まえて、「島谷さん、来ていらっしゃいますか」と聞いてみました。すると「はい」とのこと。内心で『当然でしょうね。展覧会の費用は国費、なら、重要な自分に役立つお客が來たら、お茶を一緒にして、さらに、人的コネをより強固なものにしていくつもりでしょうから』と思ったものです。で、高いコーフィー代を負担したって惜しくは無いでしょう。でも、彼のことだから、自分のためのデートでも、お茶代は相手に出させたりして(笑)
などということを考えながら待っていました。すると、戻ってきたお嬢さんは、大変困った顔をしながら「いらっしゃると思っておりましたが、すでにお帰りになったとのことでした』といいました。私は一瞬、虚をつかれたような顔をしたと思います。
どうしてかというと、大の男性、しかも、私より年上であり、池田21世紀美術館で、個展をしたほどの作家が、あまりにも幼稚な嘘をつくからです。
でも、大切な事実として残ったのは、ともかく、彼は逃げたということです。ということは伊豆美のコンクールに出した私の作品の裏の応募票を、上下さかさまに貼り付けた人物は彼に他ならないということです。・・・・・島谷晃という人間はそういう男だったのです。恐ろしいわね。・・・・・・お子さんあるのかしら? もしお子さんがあったとして、それらから、彼は、父親として尊敬されているのかしら?
私はカラマーゾフの兄弟のスメルジャコフを、強烈に思い出させられていました。
島谷晃氏を分析し終えて今思うこと。
私は相当厳しい話し方で、本日、島谷晃氏を分析いたしました。常に神様が頭の中におろしてくださることを文章に書くというルールを自分に課している私には、本日はこれが、頭の中に降りてきたわけです。昨日のうちにこれを書こうとか、朝のうちに、これを、書こうとか、計画をしていたわけではありません。ただ、書いているうちに、腹が立つというか、あほらしいというか、人間のおろかさぶりに、あきれ果てているところです。または、人間とはかくも低劣になれるものかという点に、驚いているのです。
で、あの大相撲壊滅作戦の際に、大活躍をした二人の早大教授(奥島孝康氏と伊藤滋氏)に伺いたいのですが、こういう人物が早稲田卒ですと名乗っていて、恥ずかしくお感じになりませんか?
又、最近交流が無いけれど、中学の同級生の宮島洋君にも聞きたいのです。『あなたは、早めに東大教授を辞めて早稲田の教授になりましたね。だから、今、70歳でも、まだ、教授をなさっているでしょう。こういう人が卒業生であることを恥ずかしくお思いになりません?そして、同じく友達である飯田隆(元週刊朝日の編集長)君にも聞きたいのです。あなたはどうおって。まあ、飯田君の答えだけは、想像ができます。あなたは、『いえねえ。なにぶんにも人数が多いものですから・・・・・は、は、は」っておっしゃるでしょう。で、それを聞いて、私も、あ、は、はと、笑っておくことしか、できませんけれどね・・・・・
なお、いま念のために、美術家連盟の名簿で確認をしましたが、島谷晃氏って、1943年生まれで、私より一切年下でした。年上に見えましたが・・・・・
2012年2月8日に書き、9日に整理する。雨宮舜(川崎 千恵子)