銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

瓜南直子を中心として、銀座、鎌倉、そして、フェイスブックを使った弾圧の実例集

2012-02-18 14:10:07 | Weblog
 今2012年の2月19日午後5時です。推敲しながらさらに文章を付け加えていきます。
 この文中では、副題3まで、岩手在住の高橋真樹女史が、弾圧用核弾頭として、使用をされた傍証用の原稿を揚げたのですが、それ以降の8700字はさらに後回しにして、今日は副題4以降を初稿として上げます。そちらの方が最先端の攻撃に触れています。し、本日の私の頭の中に浮かんだことだからです。高橋真樹女史の汚さを分析するためには、予定どおり、その引っ込めた9千字を、先にあげるべきだとも思いますが、神様が、いま、この頭におろしてくださる文章を、常に優先すると言う私は、本日は、副題4以降をライブとして、書き進めます。そして、19日になって、副題8以降を付け加えます。

 ところで、私は、文章を書くときに、相当に時間が経って、終わってしまってから、書きたいほうです。特にグーブログにおいては、ほとんどの話題が、数年前に終わったことを書いています。が、フェイスブックを利用した攻撃は、時間の推移とともに、あっという間に、そちらの情報が秘匿をされて、読めなくなることがあるので、ほぼライブ(同時中継として)で、書かないとダメだから、今日の副題4以下は、現在も現在の、フェイスブックに現れている現象を書いています。

副題1、『横浜国立大学付属中の住所録が2冊も盗まれている-1』
副題2、『横浜国大付属中の住所録が2冊も盗まれている-2』
副題3、『横浜国大付属中の住所録が2冊も盗まれているー3』
副題4、『瓜南直子女史が、敵として使役されてくる
  ・・・・・映画のプログラムの件で語る・・・・・・』
副題5、『執事、金田裕子と、お嬢様、瓜南直子の名コンビ』
副題6、『泉涌寺と、西部進と、瓜南直子・・・VS・・・馬越陽子』
副題7、『11月になり、柴田悦子画廊へ、顔を出してみる』
副題8、『お風呂にさえ、安心しては、入れない』
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副題1、『横浜国立大学付属中の住所録が2冊も盗まれている』

  2月10日はさすがに、書くことをいとわず得意にしている私も、疲労困憊しました。小さいころから、50年を超えて、付き合っている有力な友達時田史郎君に疑念をぶつける文章ですから、書くほうも、必死なのです(笑)・・・・・そうですね。それは、時間にしては、あしかけ4日と、連続していましたし。しかも、あと4,5人付属中学時代の友達だけで、『この人の動きはおかしい。やはり、裏から鎌倉エージェント==核燃料を売りつけている側の家来)に、動かされていますね』と言うことを問題にしていかないといけないのです。オー、しんどいよ。しんどいよ。です。また、歴史秘話ヒストリアの司会をしている渡辺あゆみさんが、今、どうなっているかも、問題にしないといけません。一時期、いい関係でしたけれど、今、現在彼女が私をどう思っているかも・・・・・彼女とは教育実習を一緒にした仲です。年齢は違いますがね。同じ中学の卒業生なので。

 ともかく、これらの人物たちについては、「お前、書けないだろう。そこまで書いたらお前もおしまいだ』と、そこまで、狙って、あの二人====元福音館社長の時田史郎君と、そのほかの友達===が、攻撃用弾丸として利用をされたことも、見え見えなのです。ですからいつかは書くと、おなかの中で決意しておりました。だが、それが、いつであるかは、常に、自分の意思ではなく、天にお任せしております。
 実は、すさまじくも、深いレベルで、私は自分が天から慈しみを受けているのにも気がついているのですよ。苦難は果てしないほど、この身に降りてきますが、ときどき、すかっというほど見事に天が、あだ討ちをしてくださるのです。しかし、それが、何を指すかは申し上げません。私は自分の幸福やら、幸運を誇る気はありませんので・・・・・

 ただ、それは、奥の奥、決して語られない深奥で、そのことが言えるだけの話で、表面に現れているところは、私の悲劇は計り知れないと言ってよいと思います。わがこころの温床であった、同窓会を私は捨てたわけですからね。心理的には裸一貫に、なって、荒野にすっくと立つという心境です。・・・   2月11日 10:44
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副題2、『横浜国大付属中の住所録が2冊も盗まれている』

  夕刊フジに出身高校別で、現代日本社会の人脈を明かしている記事があり、時々紙の単行本になるみたいです。これは、いい企画です。学閥というのは努力すれば入り込める出世の手段です。ヨーロッパみたいにまだ、身分の固定化している社会(1998年ごろの観察によれば、思いがけず、そうなのですよ。日本の方がずっと自由化されています)に比較すれば、そこに自由裁量の余地が残っているのです。日比谷高校に入学したければ、賃貸マンションでもいいから、千代田区に住所を補遺すればいいのです。住んでいることにするだけですからワンルームマンションでもかまわないわけで、お金の力で、そうしておいて、中学時から郊外から通学するようにしておいて、学校の成績を良くしておけば、伝統があり、優秀な先輩の多い日比谷高校に、自動的に入学できるでしょう。
  ただし、経験豊かな母親の一人として言えば、その学閥で成功しようとして、教育ママになり、両親そろって、子供を型にはめて、とんでもない失敗に陥るケースも多いので、学閥にこだわるのも、人生の選択肢が、100%あるとして、ほんの5%程度にとどめておいた方がいいとは、言っておきたいものでもあります。価値は多様です。
  今、引きこもりが、何十万と言われています。または、引きこもりにはなっていなくても、有名大学を出て、一流企業に勤めたのに、ちっとも役に立たない人間が大勢居ることもいわれていますよね。
  また、学校社会でも、先生にノイローゼになる人が多発しています。それは、小学校時代や、中学時代に、なんらかの無理がかかっていて、背伸びをして、一流大学を出たものの、人間の根幹に当たる部分に未発達なところがあり、バランスを欠いているケースが表面化したといえるでしょう。
  良い学校に入れようとした無理が、人生の半ばに現れていると言えます。2月11日 11:15
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副題3、『横浜国大付属中の住所録が2冊も盗まれているー#3』

  で、心理学や教育学の分野から、政治の分野に戻れば、出身高校の形成する閥は大きいと言えましょう。これは、東京を中心とする日本社会全体にも当てはまりますが、各県別に、旧制一中と言うのがあって、それが、自動的に、県立名門校へと発展していますので、その出身者をフォローすれば,その県固有の政界、財界は、ほとんど、その人脈を分析できるはずです。土建的な企画の談合など、その手のネットワークが大活躍をしているはずです。
  で、その県立高校の定員が、300人として、そのまた、一割の30人程度は、各県庁所在地に一校は、ある、付属中学から入学して來ているのです。
  これは、東京や横浜と言うほど、人口が多いところではさして目立ちませんが、茨城、福島、宮城県・ほかでは、相当に、大きな力を発揮しているはずです。

  さて、現在の私は特殊な人になってしまっていて、一種の仙人と化してしまっています(笑)、欲望を捨て去っています。だから、最近書いているようなものが書けるわけですが、そこに到達してしまったのは、弾圧を受けているからでして、それに気が付かない以前は、普通の人であり、人生の発展を信じて、努力をおさおさ怠らない人でした(笑)。

  私が初個展をしたのは、1994年で、銀座一丁目のGセンターポイントと言うところでした。松坂屋から、合計53万円のケータリングを取って、華やかに展開しました。銀座雀として有名な、近藤実さんだったか、渡辺豊重さんだったかのどちらかが「最近、これほど、にぎやかなオープニングをやった人いませんよ」というほど、大勢の人が集まってくださったのです。国画会の人だけは固い、硬いヒエラーキーがあるので、まだ、新人の私が大個展をするのは生意気だとみなされていたのでしょう。オープニングには来ないで、みんな別の日に来ましたけれどね。あまりにもお客が多かったのではっきり覚えていませんが、例の時田君さえ來てくれていたのかもしれません。

  作品だって、オーナーの新田さんが「川崎さんの作品って、川崎さんの作品だけを集めるときれいなんですね」と驚いてくれたように、色を殺した、グレーを多用していたので、上野の都立美術館で、となりに別の色の作品がぴったりと、張り付いて展示をされていると目立たないのですが、画廊で、100号正方形だけを、11枚程度並べると、きれいなのです。中間色が多用されていると、そうなるのです。

  そういうわけで、私は自らを画家として、どんどん出世させるつもりですから、住所録を集めはじめました。横浜国大の付属中学のそれなど、青いラシャ紙の表紙のそれと、黄色のそれの二冊ほど持っているぐらいでした。
  それをぺらぺらっとめくると、いろいろなことがわかるのです。横浜と言う特殊な地域性から、神奈川県内だけではなく、東京にでしゃばって出世をしている人は多いのでした。
  NHKアナウンサーのうち、A,B,Cと枚挙にいとまが無いほど、出身者が多いとか、種々さまざまなことがわかってきているのです。

  しかし、です。ごく最近、気がついたのですが、その住所録が二冊とも盗まれているのです。仕事をする方向で、妨害してやろうというのは、ここにきわまれりと言うほど、次から次へとアイデアをひねり出す彼らなのでした。2月11日 12:01
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副題4、『瓜南直子女史が、敵として使役されてくる
  ・・・・・映画のプログラムの件で語る・・・・・・』

  写真も盗まれているし、映画の目録などの資料も盗まれているし・・・・・そして、私にフェイスブック上の友達関係を、何のお断りも無くきってきた瓜南直子さんは、わざと、映画の目録について、文書をフェイスブックで公開するし・・・・・ですから、これは、当然のごとく、例の鎌倉エージェントもかかわった泥棒の仕業でしょう。いえね、別の組織がかかわっているとしても、それらが、より効果を挙げるために、鎌倉在住の彼らが「瓜南直子の方が、芸大出身だし、格が上ですよ』とみなしている、瓜南直子女史にいじめ役を指南し頼んだと言うことは大いに考えられます。

  で、私が2010年に用意した単行本『消された映画』は、いまだISBN番号もバーコードもつけておらず、オンデマンド方式で、6冊ぐらい試行的に出版しただけで抑えているのですが、この瓜南さんの部分も加えて、編集しなおす必要が出てきました。
  瓜南さんは、そのほかにも全日本アスファが連(これは、小町通りの、繰り返し行われるばかげた道路工事を正当化するおちょくり運動)とか、柴田悦子画廊と親しいとか、夢松洞と親しいとか、種々さまざまないじめ運動の先頭に立っていることがわかっています。
  それらは、後で、また別項目を立ててお話をしないといけません。
        この部分は、2012-2-17の午後2時に書く。
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副題5、『執事、金田裕子と、お嬢様、瓜南直子の名コンビ』

  特に、金田裕子さんという、私の初期フェイスブック友達を使った攻撃の忌々しさは、優に一冊の本と化すぐらいのエピソードに満ちています。今日は30%ぐらいそこへ言及します。100%はいたしません。そこまですると、私の疲労度が、最高潮に達するでしょうから・・・・・
  金田裕子さんは、2010年の11月初めから明瞭に敵のスパイとして、または、攻撃用弾頭として使役をされ始めたのですが、私は2月のはじめまで、友達関係をキープしておきました。が、今、彼女のデータが、一切私の目から見えない形となっています。これこそ、敵の攻撃用弾頭として使役をされたことの有力な証拠です。前報に述べた高橋真樹をはじめとして、
  実際に使役をされた人材たちは、その人たちに対して、私が言及をすることを恐れて、ブロックと言う手段を使って、私の目の前から姿を消すのです。

  でも、金田さんがいまだに、元気でフェイスブック内で活躍していることは、瓜南さんの頁を見れば一目瞭然なのです。

  瓜南さんの投稿は人気があります。私はそこにファンが集って、たくさんのコメントが入る人たちを一種の星雲になぞらえていますが、瓜南さんは、その一人で、金田裕子さんは、私が引き上げてあげたおかげで、瓜南さんと交友関係ができたと思いますが、すぐさま、瓜南さんのファンになったのでしょう。
  それから、金田さんが、使役をされ始めたか、それとも、私に恩義がある人間だからこそ、使役をされ始めたかは、鶏がさきか、卵が先かの論になってしまうのですが、
  ともかくにして、金田裕子と、瓜南直子は、大親友となります。

  お互いのやり取りを、公開しているのがスレッドと言って、コメントのやり取りですが、必ず、執事金田裕子が、お嬢様瓜南直子を、褒めちぎりもてはやす文言を交わして二人で、踊りくるっています。
  これは、例の鎌倉エージェントたちの脚色にも、支援されているとは思います。たとえば、上京した金田裕子さんが、『恋のうぐいす』というラベルのお酒を見つけて、「それを、私がファンである、銀座のうぐいすさんへあげたい」と書いた大きな頁がなんども、フェイスブック紙上の私の目の前に現れるとか、
  瓜南さんが、広島の金田さんへプレゼントをしたらしい、鎌倉銘菓の源平巻が、何度もフェイスブック紙上で、話題とナリ、それが、私がフェイスブックを開けると、とたんに、目に入るように設定をされているとか、

  こういうのは、2007年以来、繰り返し行われてきた作法なのです。特殊な攻撃用手法なのです。『お前、神経が痛むだろう。悔しいだろう。金田裕子はお前を裏切って、お前の敵として、突然、友達関係を切ってきた、瓜南直子とかくも親しいのだぜ』と、言われているわけですね。

  で、私は常に、彼らの狙いは、わかりますから、すぐ、反対方向へ向かうわけです。はっきりと、瓜南直子と、金田裕子が敵であることを自覚をして、常に、敵がどう動くかと言う点検のために、彼女たちがフェイスブックに上げる情報を、確認をしているわけです。この部分は2012年2月17日の午後三時に書く。
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副題6、『泉涌寺と、西部進と、瓜南直子・・・VS・・・馬越陽子』

 『瓜南直子さんが、全国区としてもお前よりえらいんだ。お前の前に立ちはだかって、お前をつぶしてやる』という道具として利用をされているのは、2011年の夏に、京都・泉涌寺で、開かれたグループ展に彼女が出品をしたこと、および、ほぼ同時期に、西部進さんが開いた討論会(MTV)に出演したことなどで、ピーんと来るわけです。

  瓜南さんの2011年8月は、本当に充実していました。京都の泉涌寺で、彼女を中心としたグループ展が開かれ、東京テレビで、西部ススム氏を司会者とした番組の出演しています。
  ところで、私はそれらをわきから見ていながら、『ふむ、ふむ。私がフェイスブックで、友達であるからこそ、ライバルとして、彼女が出世させられるのね。特に鎌倉在住らしいし、芸大出身だから、絶対に私より上だということで、ライバルとして当てられている』とは感じていました。でも、そんなことは今までも数多く経験をしていることです。馬越陽子さんが、京橋の画廊で待ち構えていて、「北京で個展ができて、その凱旋個展を三越で、するのよ」と自慢たらたらで、いじめ役を果たしたときにも『なんてかわいい人なんだろう』と、私より10センチ以上は背の低い馬越さんを上から見下ろしていたこともあるくらいですからね。と言うのも馬越さんは敵である(?)私に向かって、自分が命令されている役目の馬鹿らしさを愚痴るものですから、スパイとしても中途半端で、笑っちゃうぐらいなものですから。
  つまり、彼女は逆らえないほどの相手から頼まれて、夕方からずっと京橋で、車の中か、美々卯などで、待っていたのでしょうが、その時間の無駄に耐えられなくて、「ああ、疲れたわ。疲れたわ」とつぶやいたので、かわいくてならないほどです。それは、5年ほど前のことでしたが、
  瓜南さんのやっていることもそっくりです。

  ただ、瓜南さんの方が馬越さんより、人間として練れているかな。よりわがまま度が少ないかな? それは、パートナーの伴さんという芸術家と、今もペアを組んでいることに現れていますね。馬越さんは相手が自殺をしてしまっています。相手に自殺をさせるぐらいなら、離婚でもなんでも、ある種の風穴を開ける必要があったわけですが、まっとうな処理ができないほど、馬越さんは、子供です。

  比較して瓜南さんの性格がいいことは、彼女の投稿を見ていればわかります。サービス精神があります。それって、ともかくのこととして、他人を大切にしないと、生まれない発想です。
  で、2011年の夏には別に瓜南さんへの敵対心などもっておりませんでしたよ。『彼女はしし座らしいので、夏が主役ね。だからこういう風にいいことが集中するんでしょう』と言うのが、私の考え方です。

  西部さんが使われたのは、小沢一郎を嫌いであると言うことを、私が見咎めて(?)どこかに書いたので、使われたのだと感じます。絶対に連帯したがっているぞ。本でも献呈して贈るつもりだろう。だから、『西部ススムは、こちら側の人間だ』と、宣言しておくのは意味がある。・・・・・と、考えられてここで、使われたと、考えていました。
  今、半年以上を経て、グーグルで検索をすると、西部進氏は表現者と言う雑誌を発刊していて、その表紙を瓜南さんが担当しているそうです。だから、昔からの知り合いでもあるわけでした。
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副題7、『11月になり、柴田悦子画廊へ、顔を出してみる』

  しかし、11月になり、広島の建材会社に勤めている、金田裕子さんから、東京出張を利用して、「あいたい。デートをしたい」と申し出でがありました。瞬間的に、『うわ、スパイとして、彼女が使われたんだわ』とひどくいやな気分になりました。このときは瓜南さんの役割にはまだ気が付かず、でも、金田さんの方には気がついて、2日ほど、はいはい、と、フェイスブック内で答えておいて、3日目に『やはり、お目にはかかれない』と断っておきました。こういう策略に、一応、特に表向きは親友と目されている人間を使ってくるのは、すでに、自分の方では分析済みで、昔の2003年ごろのデートでさえ、そうであったと気がついているぐらいです。だけど、どれほど、心理学的に言って汚いことか、あなたさま、ご理解できますか?
  そして、ばれた後では、「やっちゃれ、やっちゃれ」と、二人がかりでいじめてくる執事金田裕子と、お嬢様瓜南直子のコンビです。鎌倉銘菓のやり取りを、わざと見せ付ける二人の裏に誰がいるのか?

  それを確認するために、銀座の柴田悦子画廊に顔を出してみます。この画廊は伊藤玄二郎と、関係があります。鎌倉春秋社の本に挿絵を描いた作家のものなどを良く展示してあります。そして、そういう人に特有な意地悪な感じを表現します。それは、鎌倉の夢松洞のオーナーが一番ひどいやり方で示すものですが、こちらの柴田悦子画廊のオーナーも大体似たり寄ったりです。作品は日本画が多くて、すでに売れている作家のものが多いです。だから、勉強に役立つ画廊ではなくて、毎週は行きません。顔を出したくない画廊です。でも、金田裕子、瓜南直子・・・連合攻撃ラインに接触してはその影にある伊藤玄二郎が今どういう傾向でいて、どういう考えを持っているかを探らないといかません。そうしないと、ごく普通の生活の安全さえ守られないのです。
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副題8、『お風呂にさえ、安心しては、入れない』

  それは、どういうことかというと、ある時期、お風呂に入ると、そとで、リーんリーんと鈴が鳴ります。そんなに大きな音でもありません。だけど、なんとなくお風呂に入れば必ずなると言うのが気にかかります。そして、それは、12時過ぎであろうと、午前一時近くであろうと鳴ります。
  それで、ある日、お風呂には入らず、洋服を着たまま、お風呂場に電気をつけて、20分ぐらい待ち、鈴がリーんりーんとなり始めたのを確かめた後に、外へ南側の掃き出し窓からでて、誰がそれをやっているかを確かめました。すると夫婦そろって、この27年間すさまじい被害をこちらに与え続けた安野氏でした。この様に24時間自分の家に住んでいても攻撃をされるのですから、状況を丁寧に正しく把握しておかないと、普通にただ、すんでいることさえできないわけです。

  この安野家を用いた悪事のうち、最大のものは娘がこの山の中で、痴漢に襲われ、そのときに、夜の12時過ぎなのに、洋服をちゃんと着ている安野夫妻に助けてもらったというものなどでしょう。ここは、引っ込んでいる地域ですし、あたり一面,夜の12時過ぎになると、誰も通らないのです。この近辺に家がある人が電車から降りると、こつこつと自宅へ向かって歩いているだけです。そこに痴漢がいるなんて、もちろん諜略行為として、わざと計画されたもので、そういう計画があるから、かくかくしかじかと、行動せよと命令された安野家が、普通なら寝ている時間帯に、きちんと起きていて、夫婦で、そろって,偽の痴漢
を、追い払い、娘を助けてくれたそうです。そこまでの芝居をしてくる彼らに対して激しい怒りに震えます。

  そして、留守中に額がすべて左側に三センチ斜めにゆがんでいたり、トイレのドアに黒いマジックで、矢印が書いてあったり、パンツが移動していたり、真夜中にまるでお隣からであるように石をぶつけられたり・・・・・
  その手の異常はすべて、伊藤玄二郎と、小沢一郎氏に直結しています。
  自分の書いたもの、NHKのニュースの類、ご近居、特に安野家、前田家、石川和子プラス柳沢昇夫婦、大原家などの、家族の様子、こういうものの分析で、
  全部一点に集約していくのです。その名前は伊藤玄二郎。

  で、伊藤玄二郎が今、何を考えているかは重要です。で、柴田悦子画廊を訪問をすると、いかにもな意地悪ぶり・・・・・なるほど、これで、瓜南直子さんは、伊藤玄二郎に依頼をされて、ああいう言動を取っていると確認ができるし、それを、内包して、金田裕子さんからのいじめにも、対応をしておくわけです。そして、私は彼、彼女らの悪意が燃え盛っているときは、無視しておきます。だって、この件だって、彼、彼女らの数を合わせれば、4,5人になります。夢松洞のオーナーや、北鎌倉の小料理屋、侘び助夫婦を入れればすぐさま、10人になります。

  そして、示威行動のひとつでしょうが、北鎌倉五山のたっちゅうと、覚園寺のお坊さん瓜南さんが一緒に会合を持ち、何かを食べたと言う報告さえフェイスブックに出てきます。
  出ね、私は別に、そういうところで、買っていますというつもりはまったくないです。だが、留守の間に、パンツをいれば所を変更する。トイレのドアに、黒のマジックで、矢印を書いておく。普段人の出入りが少ない部屋のストーブのスイッチを入れておく。額をすべて、左側だけ三センチ下げておく・・・・・こういう悪さ、・・・・・そして、上のほうに言った、映画のプログラムを全部盗む・・・・・・そのことをわざと気が付かせるために、

  瓜南直子に、古い映画のプログラムを題材にした、エピソードをフェイスブックの世界に書かせる・・・・・

  そういうことがすべて、連動をしていて、伊藤玄二郎一点に、集約をするといいたいのです。
  まあ、瓜南さんについて言えば、全貌は何も知らないでしょう。そして、一種のいじめゲームの快感に酔っているだけのはずです。

  だけどね。ここでまとめますが、ともかく、伊藤玄二郎+、栗田玲子女史の結びつきは、栗田女史おかかえ作家、山本容子を、定期的にBSプレミアムに特番を、設定させるメリットを与え、

  瓜南さんにも上に上げたようなメリットを与え、・・・・・

  そして、その裏側で、必死になって原発に反対している私のブログが、閉鎖になるように、奉仕をしているわけです。
  ともかく、いじめていじめてノイローゼになるようにさせてね。

  まあ、今日はここで、やめて起きましょう。北鎌倉の侘び助と、そこから、週刊ブックレビューが終わってしまう、本当の理由など、私にわかっていることは多いのですが、自分でもうんざりしています。
  こういう汚いことを書き連ねていくことにね。

  だから、今日はこれで終わります。あと、いろいろありますけれどね。
  これでも、瓜南さんの果たした悪い役割について、40%も書いてはいませんけれど・・・・・
  でも、彼女に向かって、ここで、宣告はしておきたいですね。あなたがどんなに人気を集めるユーモアで、お料理などの安全な話題を提供して、フェイスブックの世界で、一種の星雲として、周りに人を集めようとも、私から見たら、原発核燃料をこの日本へ売り込み、

  日本人に、この国に安心して住めないようにしている悪人どもを延命させる役目を果たしているにしか過ぎないのですよ。
  それが、被、攻撃者、つまり、あなたのいじめの被害者である、私にはしっかりと見えてしまい、ここで、きちんと記録をされたというだけの話です。なんらか反応が起きてくれば、また、あらたに、それを書き抜くだけですが・・・・・
           2012年2月17日19日に推敲して一部分を足す。   雨宮舜(川崎 千恵子)
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