今、2012年2月の15日の夜10時です。足掛け三日かかった文章をやっと完成しました。どうかよろしく。
副題1、『鎌倉雪ノ下一丁目の工事』
副題2、『CDプレーヤーがだめにされること』
副題3、『高橋真樹とは、何者なのだ』
副題4、『屁がでて、ウンチがでて、げろが出るというペンネームは誰が使っているのか?』
副題5、『おためごかしの偽善者、高橋真樹、は、どうして生まれたか?』
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副題1、『鎌倉雪ノ下一丁目の工事』
さて、本日ここにアップをさせていただく文章は、高度に政治的な文章です。で、例のごとく、ツィッター方式で書かせてくださいませ。一見すると、単なる女の争いに見えるでしょうが、実情はさにあらずです。
ところで、ここで、俎上に乗る高橋真樹さんと、私を比較すると、私の方が、事実上強いのかもしれません。となると、『あなた、ここまで、お書きになって、それは、意地悪ではないですか?』といわれかねないでしょう。読者から、その様に誤解を受ける可能性はあります。で、それを避けるために、実は、この4日間ずっと、同じCDを聞き続けており、それが、どのように分断をされ、聞くことが妨害を受けているかの検証もしたと、申し上げさせてくださいませ。
それは、シューベルトの即興曲という私にとって、一番好きなピアノ曲なのですが、『それを聴いて、心を癒している』とフェイスブックのあるところで、小さく書いたとたんに、CDプレーヤーが破壊をされ始め、この四日間に、大体、80回以上は演奏を、中断されました。
このように、電気製品がうまく動かないというのは、ほかの方も一種の脅かし策として、自分にも行われていると、おっしゃっていますが、こと、私の場合は、このCDプレーヤーの破壊は特別に大きな意味を持っています。それは、2011年の9月に予定をされていた、演奏会へ、参加不可能になった経緯があって、そのときに始まった現象なので、敵様の悪意をしたたかに感じる現象なのです。だから、見逃せません。
というのも、そのときに演奏する予定の曲は、三位一体のミサ曲といって、モーツァルトの数多いミサ曲の中では、あまり、ポピュラーではなくて、しかも、練習開始時期ではなくて後で入ったというか、途中はいりの私にはCDの視聴は欠かせないものでありました、
あの頃の、敵方、特に伊藤玄二郎と、井上ひさしの頭脳レベルの幼稚さにはあきれ返るのですが、ともかくとして、伊藤玄二郎は、私のブログをつぶしたいわけで、ありと、あらゆる機会を利用するのです。この演奏会も利用をされました。思い過ごしではないことは、雪ノ下一丁目にある、あるわき道道路(地図上でいうと鏑木清方美術館の近辺です)が、2011年の6月以来、しょっちゅう道路工事の対象になっていたことからも、傍証をできます。
伊藤玄二郎は、自分の元愛人の大失敗を糊塗するがために、県や、市のお金を利用して、工事をしまくり、<<<その仰々しい騒音と、仰々しい姿のガードマンを使って、私を脅かすことができる>>>と常に考えています。最初は、私も嫌がって、文章にそれをよく書きました。つまり、いきさつを全部明かせば、あの二人が恥ずかしがって、やめるということを狙って、文章に書いたのですが、一切やめないし、さらに脅かしに利用をしてくるので、最近では、工事についてはあれこれを書かず、ただ、工事がやられる際の意味の判断に使っています。
私のブログのうちで、彼が、どれを嫌がっているかを判断するのに使っています。
で、雪ノ下一丁目の工事は、そこに脇本さんという、この時の合唱演奏会の、鎌倉側の役員が住んでいるのです。で、この演奏会向けの練習が不定期に行われるがために、私は脇本家をしょっちゅう訪ねて、練習日を質問したりしますね。だから、小町通から、脇本家へ、入る道で、工事が行われたというわけです。
そこをたずねるはずだから、そこで工事をやって脅かしてやろうと言うわけです。見え見えに単純ですが、そう出てくるのが彼らの発想です。
で、私は対抗上、自己防衛のために考察し抜いて伊藤玄二郎が最も嫌がることは、酒井忠康氏について書かれることであることを知りました。これは工事のおかげなのです。幼稚な伊藤玄二郎一派は、それによって、自分が勝てると思っていますが、工事をやられれば、やられるほどに、彼らの本心もまた、私には、読めて來るというわけですね。
で、そういう風に、事は流れすすんで、私は、酒井忠康氏の悪というものを分析し続けているわけですが、それでも、まだ、30%も、書いていないのです。これも『いつ、何を書くか』については、神様にお任せをしているところです。頭の中に文章が降りてくるのを、じっと待っているといってよいかな?
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副題2、『CDプレーヤーがだめにされること』
さて、私は繰り返し彼らの頭脳レベルが低いと皆様に申しあげているのですが、この合唱の演奏会の時も別に障害を起こさず、スムーズにやらせた方が彼らに、とってはずっと得だったのです。だって、モーツァルトのレクイエムしかも三位一体のミサ曲を演奏するような合唱団の練習についていくのはなかなかに大変で、したがって、そこの練習に頭や時間がとられれば、このブログの方も、当然にお留守になるからです。が、頭脳レベルが幼稚なので、そういう風にロングスパンで、ものを考えることができません。で、目の前のことは何でも、かんでも妨害をしてやろうと思っていますから、CDプレーヤーを動かさない方向で、意地悪を仕掛けてくるわけです。
ともかく、私の本心としては、すでに、二年前に、人生の店じまいをして、政治に関する文章を書くのを止めるつもりでした。すでに、70歳近いですね。戦いの最前線に、立って戦い続けていくのもしんどいのです。で、時間の割り振りとして、好きな音楽へ捧げる時間を増やし、パソコンで文章を書く時間を減らす方向で、検討を重ねて來ていたのです。
しかし、例のあの短絡集団は、そういう思考形態をとることができないのです。目の前にある限り、何でもかんでもやってみるというほんとうに単純な思考しかできない集団であり、この2011年9月の演奏会も、『彼女はそこにでたがっているはずだから、それをつかって、苛め抜き、それでもって、ブログをやめさせる好機だ』と、とらえた模様です。で、横浜方面の別の合唱団の役員をしている紳士加藤某氏を使ってきました。鎌倉の合唱団と、そちらの横浜の合唱団が、総勢80人ぐらいで、演奏会をするのですから迫力が出るというわけです。
で、ほとんど普段の面識がない、紳士加藤氏が、午前中はニコニコしたメールをくれたのに、銀座へ出かけている最中に突然に心変わりをした、恐ろしいメールをくれて、ブログを引っ込めろと言ってきたのでした。もちろん、引っ込めるつもりはありません。
さすがの悪人伊藤玄二郎も、
脇本夫人を鉄砲玉として使うのは遠慮をした模様です。というのも脇本夫人は、同じ鎌倉の住人です。しかも、顔がものすごく、広いです。となると、何がどう逆転をするかが読めないからです。
で、横浜側の代表という紳士が、敵対者として、突然にメールの世界に現れたので、戦ったわけです。で、かれらと同じ土俵には乗りません。全く異なった土俵で戦うつもりですから、ブログは引かず、合唱の演奏会に出ない方を選択をしました。
それは、合同で練習をした総勢7、80人に対して、恥をかくことであります。裏側を全員に説明することは不可能なので、誤解をされ切ったまま、お別れをしないとなりません。大損です。が、考えに考えた結果は、そちらをとるほかはないのでした。
そして、そこで、負けておいた方がいまでは、よかったと考えています。
人間とは、敵の攻撃よりも、自分自身に負けることが多く、自分との戦いほど、大切なものはありません。どうしてそうなるかというと、予測の不安というものに負けるケースがあるからです。実際に負けるよりも、『もしまけたらどうなるだろう』と、事前に予測を立てるときの方が、自分が相手を怖がっているものです。その予測の過剰な不安を、払拭するためには、予測よりも実行することなのです。事実上負けてみること。そこで、どれだけ、自分が、悔しいと思うか、人に会いたくないと思うかなどを、見聞しておくことが大切です。
そのときに負けてみて、わかったことは、私自身が何のダメージも受けていないということでした。もし電車の中で当事者に出会っても、ひるむことなく、「こんにちは」と言えるでしょう。実際に鎌倉で、20年前は、一緒にその合唱団に所属していた人に出会ったので、「あ、モミジ坂の演奏会どうでした?」と闊達に質問をすることができましたよ。彼女はもちろん、機器に行っていて、首尾を教えてくれました。
私は、そんな苦しい目に出会っても、何って言うこともないのです。悪巧みの裏側がわかっていますので、むしろ、「一本取ったぞ」と、思うくらいなのです。で、こちらに残るメリットは、次回以降、同じような攻撃を受けた時に、できるだけ、省エネで、戦うことができるようになるということです。
戦いを長引かせない。消耗戦に持っていかないことです。で、そのような事前の解説付きで、最近の核弾頭として、ぶつけられて来た高橋真樹(まき)という女性についてのいきさつとやり取りを、ここに書かせていただきます。
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副題3、『高橋真樹とは、何者なのだ』
私は、この4日間、高橋真樹分析に入る前に、非常に丁寧に過去の記録を確かめて板のですが、かの樹下らの攻撃は、1月28日が意識されたのの、最初のものです。で、普通なら、私はすぐさま、防衛用の分析に入るわけですが、ほぼ、18日間もほうっておいたのはなぜかというと、
彼女の普通の女性っぽいところがネックになっていて、それを、丁寧に、確認したいなあと願っていたからです。今まで、私への攻撃用弾丸として用いられてきた男女ともの人材は、必ず、欲張りであったことは確かです。欲望がとても強い人たちで、まず、女ながらに出世ということを願っている人たちです。有名じんになっていこうとする意欲がとても強いのです。だからこそ、えさに引っかかった人たちです。で、私は文章ではそれをかきませんでしたが、内心では、ふんと、鼻でせせら笑ってきた対象たちです。つまり、動物的なレベルが、強いわけで、『ふーん。まあ、おがんばり遊ばせ・・・・・だけど、死のとこで、あなたは、必ず、自分の人生を悔やむことがあるでしょう』と、思っていて、どんなに攻撃されても、「へっちゃらです」と言うところがあったのです。が、今回の高橋真樹という女性だけは、やや、大人しめに見える活動振りです。
つまり、その人生のあり方って、もしかしたら、私がたどってきた道かも知れず、となると、同類項なのです。それが、厄介で、いままで黙っていました。、ともかく、地元岩手では、小中高と、優等生でやってきて、岩手大学を出て、挫折も知らず、結婚をして子育てをしているうちに、PTAで、活躍をして、さらに余力があるので、タウン誌編集出版をはじめ、その仕事上、岩手で、大勢の女性の知遇を得ていると、言う現状の基に、生活をしている存在のようです。
いったん家庭に入った女性の理想的な、再出発のように見えます。だから、彼女に悪意があるということを証明するのが厄介なタイプです。
彼女が、地元の名士(たとえば元知事の娘)であるとするとさらに厄介ですが、それは気にしないこととして、さらに分析を重ねていくと、絶対にどこかでは挫折が訪れるはずなのです。まあ、攻撃を受けたからはっきりいいますが、この手のお母さんの場合、男の子が難しくなるのです。デモね、それは、20年後の話であって、今現在は、それはまだ目に見えておらず、かのジョは自信満々で、私をしかりつけたり、批判したりして、気分を悪くするように勤めているのですが、
1月28日の時点から、これが、自然でも素直なことでもなくて、背後から、そうするように頼まれた文章をただ、オウムのように言うなりに、こちらへ送り込んでいると感じました。
で、公にはならない形で、内々に、それを彼女に向かって問い合わせたのですが、それが、かの女には届いていなかったのか、届いても、ドウ返事をしていいのかわからなかったのか、1月の28日は、一切の否定の言葉はありませんでした。で、否定がなかったからこそ、私は彼女は伊藤玄二郎の教唆の元に動いているパペットで結局のところは、この国へ核燃料を入れ込んでいる側に奉仕をするとんでもない悪人であるとの、断定を下していたのです。28日の深夜にすでに、高橋真樹は、とんでもない悪人であるとの断定を下していたのです。
しかし、この真樹さんを動かしているほうは、何度も言うように、頭脳レベルが、超がつくほどに低くて幼稚な連中ですから、私が非公開のままで、問題を終わらせて、公開討議に入らなかったがために、『う、うまくいった。危うくだが、逃げおおせた。こいつは将来何度でも、使える玉だ』と、みなした模様です。
でも、私の方はてぐすね引いて待っているという形ですから、頭の中に、彼女が株式会社『のびあ』というのを経営していて、それは、滝沢村字鵜飼△森というところにあることはしっかりと頭に叩き込みました。これは、盛岡市の中心部からバスで、5駅ぐらい離れていて、10分ぐらいの距離でしょう。
で、伊藤玄二郎の経営するタウン誌、鎌倉春秋にあこがれていて、自分で発酵する前に、鎌倉へ研修に来たことがあったりしたとしたら、伊藤玄二郎とすでに、個人的な面識があるわけですから、私への攻撃用核ミサイルとして、彼女が使われる可能性は、十分あると考えました。
私はそれで、彼女が、もう一度、攻撃をしてくるのを楽しみに待っていたほどです。
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副題4、『屁がでて、ウンチがでて、げろが出るというペンネームは誰が使っているのか?』
で、私の方は、今度高橋真樹が、ひどいことをしてきたらそのときこそ、伊藤玄二郎のしっぽがつかめるときだわ』と、楽しみにしながら待っているわけですが、一方で、幼稚な伊藤玄二郎もわくわくしながら待っていた模様です。それは、策略のひとつである、鎌倉を世界遺産にしましょうという案が政府で、許可され、進行するという目論見が通ったこと。それによって、鎌倉市内における自分の権力がさらに、いや増しにいや増されること・・・・・そういうことによったのか、またまた、下品な尻尾をお出しくださったのですよ。
それは、2010年の7月16日アップの文章、『酒井忠康、栗田玲子、山本容子』を引っ込めさせるための薄汚いコメントをよこしたことです。
今、それをコピペして、皆さんにお見せしようとしたら、その文章そのものが開かないという形になっています。これも、伊藤玄二郎が、どれほど、悪辣にして、権力を握ったエージェントであるかを明らかにしていますが、言論弾圧のきわみが、その日付の文章が開かないということで、見事に証明をされています。
ともかく彼は勝った勝ったの大喜びをしたらしくて、『ゲロシネア、ヘーガデルン、ウンチョース』というペンネームで、またまた、汚い文章を寄せて来ました。で、こちらは無視・・・・・
それが、引っ付いていたのが酒井忠康という名前で始まるっ文章ですから、彼がどれほど、酒井忠康に気兼ねをしているかがわかります。だけど、私は引く気は一切ありません。ひどい攻撃を仕掛けてくるのは常に、そちら側です。私は常に、そういう事実を淡々と分析するだけです。やられたことを丁寧に書いていくだけなのですよ。
で、この『ゲロシネア・・・・・云々というペンネームを使って、ひどく汚い文章をコメントとして寄せる裏側に、それを書いた人間の勝ち誇った気持ちを読み取ることができるわけです。それが、ほとんど伊藤玄二郎であることは間違いがないでしょうが、それでも、一応論考いたしましょう。なぜ、彼がそれほどに、勝ち誇った気分でいるかの理由を。
いくつも、いくつも挙げられますが、ここでは、5つだけあげておきます。
一つ目は、このブログの2月4日付で挙げているように、政府が、鎌倉を世界遺産へ推薦したというニュースです。その件に関して、伊藤玄二郎は、自らの悪事の数々を一気にマネーロンダリングできると信じており、うれしくて仕方がないこと。
二つ目は、頼朝の墓を壊す人間が、包丁を持っていて、鶴岡八幡宮の境内で、逮捕されたとか、
三つ目は、福島第一原発の2号機の一つの温度計が、冷温停止状態を突破して、80度を超えた温度を示しているとか、言う、ひっかけようニュースで、こちらが間違ったことを書くだろうと、手ぐすね引いて待っていること。
四つ目は、原田あおいという、若くて独身の女性を使って、これまた、大きな攻撃を私に対して仕掛けたのですが、それを論考させないうちに、原田あおいをFBの世界から、特に私の目の前から消してしまったので、これ以上追及をされる恐れがないこと・・・・・うは、うは、しめたと、思っていること・・・・・・
そして、五つ目は、まだ、温存をしている、高橋真樹を、しかるべき時に、うまく使って、私のライターとしての人気を失わせてやれると、考えていること・・・・・これらが、あいまって、彼を、一種の有頂天状態にさせていると、私はみなしておりました。で、
すこし、横っ面を張ってやる必要があると考えて、
もと、福音館社長の時田史郎君が、失礼な挙動を取ったこと、とくに、クリスチャンにあるまじき意地悪な措置を取ったことを、書きぬいたわけです。それは、このブログの世界では、2月10日にアップされたことになっていますが、フェイスブックで、メモ程度で、書き起こした時期は、もっとさかのぼります。『げろをして、ウンチをして、屁が出る』というペンネームの人間が酒井忠康氏に関する文章へ、コメントを寄せたことに怒ったからです。
はっきり言って、伊藤玄二郎は酒井忠康氏に気兼ねをしていて、巻き込んで、自分の手下として使役したことを、申し訳ないと思っていると思いますが、その気兼ねの程度は、時田史郎君に対してはもっと、大きいはずです。酒井忠康氏とのかかわりは、鎌倉という地域社会に根差しているものですが、
時田史郎君とのかかわりは、業際、業界を同じくする世界での話です。巻き込んで、川崎千恵子をいじめるのに役立てたが、それは、あくまでも、裏がばれないという前提でやっていて、時田君の、個人的な好みの問題で、終始するはずでした。だが、私は時田君という人間をよく知っています。3年間たった100人しかいない学校で、同期生として、一日六時間以上を過ごしたのです。本当によく知っています。隅から隅まで、知っています。その彼が、お茶も出さないで、しかも玄関に顔も見せないなどということは、非常に不自然なのです。むしろ、ちゃんと知っているからこそ、それがあり得ない態度だとわかるので、裏があり、その裏とは直接であれ、間接的であれ、伊藤玄二郎が、保身のために動いたに過ぎないのです。
何の保身のためというと、昔、情をかわし、それにより、絶対に裏切らない密偵として、鎌倉の文化人の動静を探るべく各公民館の支所に陶芸教室を開かせた、石川和子女史が、ばかの極みで、警官を巻き込む大失敗をしたことを、糊塗して、世間に流さないようにするためだけに、使役をしているのでした。
酒井氏も、時田君も、その目的のために使役をされているのです。
しかし、フェイスブックで、メモ程度でも、それを書き始めたら、彼、伊藤玄二郎は焦ったのでしょう。
出版社の格と規模、知名度のすべてにおいて、鎌倉春秋社と、福音館の二つを比べたら、たとえ、こども向けの本だけを出版しているとはいえ、福音館の方が上であるのは、確かです。そこに、大ご迷惑をおかけしているということになります。
本当に私からみれば、伊藤玄二郎なんて、そこいら辺のコンビニの前に、夜中にたむろして、インスタントラーメンを食べながら情報交換をしている少年たちとなんら、変わりのないレベルのチンピラにしかすぎなくて、ただ、私の手のひらに乗っけて泳がせているにしかすぎないのに、自分の方が上だと大勘違いをして、次から次へと策略を考え出すわけです。それで、その策略を、これまた、次から次へと見破って、こうして、日本全国民の前に提示していくのが、最近の私の仕事とさえなってしまったというわけです。
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副題5、『おためごかしの偽善者、高橋真樹、は、どうして生まれたか?』
さて、私は、2012年の2月11日に延々とフェイスブックで、早稲田大学の革マルの忌まわしさについて書き続けておりました。それを、一万二千字ほど書いたところで、休憩を取りました。そして、休憩後に、フェイスブックを、開けると、高橋真樹名義で、
『被災地の方々への言葉の使い方,もう少し配慮できませんか』と、はいっておりました。グッと、冷水を浴びせかけられた気分があります。というのも彼女が岩手県に住む、人間であることは、一回目の嫌味で、意地悪なコメントの入れ方で、私の頭にしっかりと入っております。でね、こっちも少しの間はひるんでしまいました。もしかすると本日書いた文章の中のどこかに彼女の言うとおり、被災地の住民に言及しているところがあるかどうかを、心配したからです。
しかし、ほぼ、五日間かけて、丁寧に丁寧に検討しましたが、その日アップしたすべての文言、1万2千字の中に一か所も被災地に言及したところはありませんでした。
彼女に背後関係がなくて、意地悪で怜悧なコメントは、すべて、一人で考え出した文案であると仮定いたしましょう。すると、岩手大学、およびそれ以前の彼女の通った、高校の国語担当の教師、教官は、彼女に文章、一行をも読み取る力を授けなかったということとなります。
彼女の年齢から考えれば、それらの教師、教官は、そういう教育を果たしたというわけです。偉そうにして、人をけなす女性は、文章の読解力が一行もないのです。自分は被災地の人間だそうです。が、彼女の住んでいる岩手県、盛岡市の近郊は、津波の被害に出会った場所ではありません。さすれば、彼女の家、および株式会社『のびあ』が入居しているビルに、倒壊などの被害があったのでしょうか? これから、国会図書館にでも行って、岩手県の地方新聞を検討する必要があるのでしょうか?
ともかく、なぜ、彼女は間違った情報に基づいて、しかも、自分の方がまるで目上の人間であるかのごとき、文章を寄せたのでしょうか? 無論のこと、背後から教唆を受けてそれをやっているパペットに過ぎないのです。無内容な操作されたお人形に過ぎないのです。
ともかく、伊藤玄二郎に采配をされているのは確かでしょうが、それがないとして、素手で、私に立ち向かうとして、それほど、自信満々で、ご自分の方が偉いと規定できる、資格がどこにあるのかを、確かめていきましょう。
昨日14日まで、その全貌を隠していた、株式会社のびあのホーム頁は本日は全開をしています。それによると、協賛企業が、22あるそうです。つまり、それらの企業から、月に二万円の広告料が入るとすれば、まず、44万円は、確保できたといえます。もし、月に二回タウン誌を発行していて、月に一回は、二頁ぐらいの特集を入れるとすれば、月三万ぐらいの協賛金をもらえるでしょう。すると、すでに、66万円の収入になります。
長女を17年前に出産をして、第二子もいるらしい。ここまで読んで、どうして、この人がご自分を私川崎千恵子より上だと、みなしているかが理解できません。だって、私にはよそのお店の宣伝をしてあげることなんか一切興味がありませんので、彼女を私が偉いと思うどおりもありません。そんなことは、オリジナリティとも、芸術とも無関係な世界です。でも、彼女はご自分を偉いと規定して、私をしかりつけています。
もしかすると、地方の国立大学出身者特有の井の中の蛙、大海を知らずの傾向があるのかな? 都会の私学の名前も偏差値も人気も知らないのではないですか?
1962年に国際基督教大学がどれほど、人気があって入学が難しかったか?何も知らないのではありませんか?
まあ、無知による傲慢というので、突っ走ってもいいですよ。こちらは、その手の大好餌、前田清子さんがありますから、彼女の分析をあなたの代わりに行うだけのことです。
この前田清子という女性は、25年もご近所様として、悪辣ないじめを数々、やられてきていますので、すぐ大分析ができるのです。伊藤玄二郎が、『うんちが出る、屁がでる。げろが出る」というペンネームを使って、私のブログを攻撃してきたちょうど同じころ、干し物を堂々と、違法に占拠している土地に干していました。
それを、この2月5日の夕方から次の日の早朝まで、部分的に、12時間程度アップしていったん引いています。どうして引いたかというと、別の話題にエネルギーを注ぎたかったからです。が、高橋さん、あなたのこのとんでもない攻撃を受けて、それを、いつか丁寧に書き直してアップしましょう。
そうすると、お困りになるのは八幡宮様です。というのは、八幡宮様は前田清子夫人をひいきされて、国学院大学の講師に推薦されております。前田清子さんは、それに感謝して身じまいをただせばいいのに、真っ反対で増徴マンの限りをつくして、人を苛め抜きます。八幡宮の大銀杏が倒れたのには、彼女のその驚天動地の行動の影響も20%は寄与していると思います。その部分を情理を尽くして再び書くこととなるでしょう。異端引いたのは遠慮でもなんでもなく、ただただ、興味が別の主題に移っただけでありますから、いくらでもそこにエネルギーを注ぎこむことはできるのです。
で、ここで、ほとんどなにも私のことを知らないくせに、まるで欠席裁判のごとく、私を断罪して、そのコメントを呼んだ人々に、私がまるで、残酷な人間ででもあるかのように思いこませた、高橋真樹さんに、はっきりと宣告しておきます。
『あなたは、鎌倉の鶴岡八幡宮に大迷惑をかける可能性が出てきました』とね。<あなたは、私のグーブログ、『銀座のうぐいすから』を、一本も丁寧に読んだこともなく、かつ、人から命令されたあくをなす時に、その裏側を検討することもなく逡巡することもなかったので、これから、起きることには当然のごとく、責任をおとりになるのでしょうね>とも。
私は普段は、これほど、厳しい人間でもないのですよ。だけど、伊藤玄二郎は、事をやりすぎています。そして、私ほど被災地の人々に純粋な同情心を寄せている人間もいないと思うのに、私のことを何も知らない、高橋真樹という、岩手大学を出て、ずっと盛岡市周辺で生きてきたらしい井の中の蛙に断罪をされては、許せないです。
たまたま、数か月前に取り上げた日本初期洋画の研究の中に、大天使ミカエルの像というのがあったのですよ。大天使ミカエルははかりと、鎌を持っていて悪魔を狩るのです。私ね、この高橋真樹のコメントを見た時以来、自分が大天使ミカエルになった気分です。本当に、悪魔であることよ。この連中はと思っております。高橋真樹は、ふたりの子供のお母さんだそうですが、やっていることは悪魔に加担することであり流れからいうと、核燃料をこの国に入れ込める側に協力をしたというに他ならないのです。
えらそうに、しかも見当はずれに、被災者に向かって、言葉に気をつけろと言っていますが、内実、自分が悪魔の手先となって、核燃料を売りつけている側に協力をしている大、大の付く偽善者です。
久しぶりに簡単に決めつけえる相手を見つけてすっきりいたしました。笑っちゃうほど、健康に役立ちますね。長い間のインフルエンザも、ここでやっと脱出できるかな?
それから、パソコンに侵入を受けている人々にも申し上げます。高橋真樹さんが、何も私の文章を読んでいないのに、ああいうコメントを入れたのは、伊藤玄二郎に教唆をされたとして、伊藤玄二郎は、どうして、フェイスブックの私の情報を知ることができるのでしょうか?
これも大問題です。どうして、こういう特権が彼には許されているのですか? 前々から、私の個人的な情報が彼には通通であることは知っていましたが、フェイスブックは最近、おかしなことが続いていますよね。このブログの読者であり、フェイスブックの読者である方ならすぐ肯定をなさるであろう、おかしな現象が続いています。文字がダブって見えたり、情報が突然消えてしまったり、そういう忌まわしい工作をしている人物や集団から特別は優遇措置を受けている存在が、伊藤玄二郎でもあるのです。 2011年2月13日から15日へかけて書く 雨宮舜(川崎 千恵子)
副題1、『鎌倉雪ノ下一丁目の工事』
副題2、『CDプレーヤーがだめにされること』
副題3、『高橋真樹とは、何者なのだ』
副題4、『屁がでて、ウンチがでて、げろが出るというペンネームは誰が使っているのか?』
副題5、『おためごかしの偽善者、高橋真樹、は、どうして生まれたか?』
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
副題1、『鎌倉雪ノ下一丁目の工事』
さて、本日ここにアップをさせていただく文章は、高度に政治的な文章です。で、例のごとく、ツィッター方式で書かせてくださいませ。一見すると、単なる女の争いに見えるでしょうが、実情はさにあらずです。
ところで、ここで、俎上に乗る高橋真樹さんと、私を比較すると、私の方が、事実上強いのかもしれません。となると、『あなた、ここまで、お書きになって、それは、意地悪ではないですか?』といわれかねないでしょう。読者から、その様に誤解を受ける可能性はあります。で、それを避けるために、実は、この4日間ずっと、同じCDを聞き続けており、それが、どのように分断をされ、聞くことが妨害を受けているかの検証もしたと、申し上げさせてくださいませ。
それは、シューベルトの即興曲という私にとって、一番好きなピアノ曲なのですが、『それを聴いて、心を癒している』とフェイスブックのあるところで、小さく書いたとたんに、CDプレーヤーが破壊をされ始め、この四日間に、大体、80回以上は演奏を、中断されました。
このように、電気製品がうまく動かないというのは、ほかの方も一種の脅かし策として、自分にも行われていると、おっしゃっていますが、こと、私の場合は、このCDプレーヤーの破壊は特別に大きな意味を持っています。それは、2011年の9月に予定をされていた、演奏会へ、参加不可能になった経緯があって、そのときに始まった現象なので、敵様の悪意をしたたかに感じる現象なのです。だから、見逃せません。
というのも、そのときに演奏する予定の曲は、三位一体のミサ曲といって、モーツァルトの数多いミサ曲の中では、あまり、ポピュラーではなくて、しかも、練習開始時期ではなくて後で入ったというか、途中はいりの私にはCDの視聴は欠かせないものでありました、
あの頃の、敵方、特に伊藤玄二郎と、井上ひさしの頭脳レベルの幼稚さにはあきれ返るのですが、ともかくとして、伊藤玄二郎は、私のブログをつぶしたいわけで、ありと、あらゆる機会を利用するのです。この演奏会も利用をされました。思い過ごしではないことは、雪ノ下一丁目にある、あるわき道道路(地図上でいうと鏑木清方美術館の近辺です)が、2011年の6月以来、しょっちゅう道路工事の対象になっていたことからも、傍証をできます。
伊藤玄二郎は、自分の元愛人の大失敗を糊塗するがために、県や、市のお金を利用して、工事をしまくり、<<<その仰々しい騒音と、仰々しい姿のガードマンを使って、私を脅かすことができる>>>と常に考えています。最初は、私も嫌がって、文章にそれをよく書きました。つまり、いきさつを全部明かせば、あの二人が恥ずかしがって、やめるということを狙って、文章に書いたのですが、一切やめないし、さらに脅かしに利用をしてくるので、最近では、工事についてはあれこれを書かず、ただ、工事がやられる際の意味の判断に使っています。
私のブログのうちで、彼が、どれを嫌がっているかを判断するのに使っています。
で、雪ノ下一丁目の工事は、そこに脇本さんという、この時の合唱演奏会の、鎌倉側の役員が住んでいるのです。で、この演奏会向けの練習が不定期に行われるがために、私は脇本家をしょっちゅう訪ねて、練習日を質問したりしますね。だから、小町通から、脇本家へ、入る道で、工事が行われたというわけです。
そこをたずねるはずだから、そこで工事をやって脅かしてやろうと言うわけです。見え見えに単純ですが、そう出てくるのが彼らの発想です。
で、私は対抗上、自己防衛のために考察し抜いて伊藤玄二郎が最も嫌がることは、酒井忠康氏について書かれることであることを知りました。これは工事のおかげなのです。幼稚な伊藤玄二郎一派は、それによって、自分が勝てると思っていますが、工事をやられれば、やられるほどに、彼らの本心もまた、私には、読めて來るというわけですね。
で、そういう風に、事は流れすすんで、私は、酒井忠康氏の悪というものを分析し続けているわけですが、それでも、まだ、30%も、書いていないのです。これも『いつ、何を書くか』については、神様にお任せをしているところです。頭の中に文章が降りてくるのを、じっと待っているといってよいかな?
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副題2、『CDプレーヤーがだめにされること』
さて、私は繰り返し彼らの頭脳レベルが低いと皆様に申しあげているのですが、この合唱の演奏会の時も別に障害を起こさず、スムーズにやらせた方が彼らに、とってはずっと得だったのです。だって、モーツァルトのレクイエムしかも三位一体のミサ曲を演奏するような合唱団の練習についていくのはなかなかに大変で、したがって、そこの練習に頭や時間がとられれば、このブログの方も、当然にお留守になるからです。が、頭脳レベルが幼稚なので、そういう風にロングスパンで、ものを考えることができません。で、目の前のことは何でも、かんでも妨害をしてやろうと思っていますから、CDプレーヤーを動かさない方向で、意地悪を仕掛けてくるわけです。
ともかく、私の本心としては、すでに、二年前に、人生の店じまいをして、政治に関する文章を書くのを止めるつもりでした。すでに、70歳近いですね。戦いの最前線に、立って戦い続けていくのもしんどいのです。で、時間の割り振りとして、好きな音楽へ捧げる時間を増やし、パソコンで文章を書く時間を減らす方向で、検討を重ねて來ていたのです。
しかし、例のあの短絡集団は、そういう思考形態をとることができないのです。目の前にある限り、何でもかんでもやってみるというほんとうに単純な思考しかできない集団であり、この2011年9月の演奏会も、『彼女はそこにでたがっているはずだから、それをつかって、苛め抜き、それでもって、ブログをやめさせる好機だ』と、とらえた模様です。で、横浜方面の別の合唱団の役員をしている紳士加藤某氏を使ってきました。鎌倉の合唱団と、そちらの横浜の合唱団が、総勢80人ぐらいで、演奏会をするのですから迫力が出るというわけです。
で、ほとんど普段の面識がない、紳士加藤氏が、午前中はニコニコしたメールをくれたのに、銀座へ出かけている最中に突然に心変わりをした、恐ろしいメールをくれて、ブログを引っ込めろと言ってきたのでした。もちろん、引っ込めるつもりはありません。
さすがの悪人伊藤玄二郎も、
脇本夫人を鉄砲玉として使うのは遠慮をした模様です。というのも脇本夫人は、同じ鎌倉の住人です。しかも、顔がものすごく、広いです。となると、何がどう逆転をするかが読めないからです。
で、横浜側の代表という紳士が、敵対者として、突然にメールの世界に現れたので、戦ったわけです。で、かれらと同じ土俵には乗りません。全く異なった土俵で戦うつもりですから、ブログは引かず、合唱の演奏会に出ない方を選択をしました。
それは、合同で練習をした総勢7、80人に対して、恥をかくことであります。裏側を全員に説明することは不可能なので、誤解をされ切ったまま、お別れをしないとなりません。大損です。が、考えに考えた結果は、そちらをとるほかはないのでした。
そして、そこで、負けておいた方がいまでは、よかったと考えています。
人間とは、敵の攻撃よりも、自分自身に負けることが多く、自分との戦いほど、大切なものはありません。どうしてそうなるかというと、予測の不安というものに負けるケースがあるからです。実際に負けるよりも、『もしまけたらどうなるだろう』と、事前に予測を立てるときの方が、自分が相手を怖がっているものです。その予測の過剰な不安を、払拭するためには、予測よりも実行することなのです。事実上負けてみること。そこで、どれだけ、自分が、悔しいと思うか、人に会いたくないと思うかなどを、見聞しておくことが大切です。
そのときに負けてみて、わかったことは、私自身が何のダメージも受けていないということでした。もし電車の中で当事者に出会っても、ひるむことなく、「こんにちは」と言えるでしょう。実際に鎌倉で、20年前は、一緒にその合唱団に所属していた人に出会ったので、「あ、モミジ坂の演奏会どうでした?」と闊達に質問をすることができましたよ。彼女はもちろん、機器に行っていて、首尾を教えてくれました。
私は、そんな苦しい目に出会っても、何って言うこともないのです。悪巧みの裏側がわかっていますので、むしろ、「一本取ったぞ」と、思うくらいなのです。で、こちらに残るメリットは、次回以降、同じような攻撃を受けた時に、できるだけ、省エネで、戦うことができるようになるということです。
戦いを長引かせない。消耗戦に持っていかないことです。で、そのような事前の解説付きで、最近の核弾頭として、ぶつけられて来た高橋真樹(まき)という女性についてのいきさつとやり取りを、ここに書かせていただきます。
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副題3、『高橋真樹とは、何者なのだ』
私は、この4日間、高橋真樹分析に入る前に、非常に丁寧に過去の記録を確かめて板のですが、かの樹下らの攻撃は、1月28日が意識されたのの、最初のものです。で、普通なら、私はすぐさま、防衛用の分析に入るわけですが、ほぼ、18日間もほうっておいたのはなぜかというと、
彼女の普通の女性っぽいところがネックになっていて、それを、丁寧に、確認したいなあと願っていたからです。今まで、私への攻撃用弾丸として用いられてきた男女ともの人材は、必ず、欲張りであったことは確かです。欲望がとても強い人たちで、まず、女ながらに出世ということを願っている人たちです。有名じんになっていこうとする意欲がとても強いのです。だからこそ、えさに引っかかった人たちです。で、私は文章ではそれをかきませんでしたが、内心では、ふんと、鼻でせせら笑ってきた対象たちです。つまり、動物的なレベルが、強いわけで、『ふーん。まあ、おがんばり遊ばせ・・・・・だけど、死のとこで、あなたは、必ず、自分の人生を悔やむことがあるでしょう』と、思っていて、どんなに攻撃されても、「へっちゃらです」と言うところがあったのです。が、今回の高橋真樹という女性だけは、やや、大人しめに見える活動振りです。
つまり、その人生のあり方って、もしかしたら、私がたどってきた道かも知れず、となると、同類項なのです。それが、厄介で、いままで黙っていました。、ともかく、地元岩手では、小中高と、優等生でやってきて、岩手大学を出て、挫折も知らず、結婚をして子育てをしているうちに、PTAで、活躍をして、さらに余力があるので、タウン誌編集出版をはじめ、その仕事上、岩手で、大勢の女性の知遇を得ていると、言う現状の基に、生活をしている存在のようです。
いったん家庭に入った女性の理想的な、再出発のように見えます。だから、彼女に悪意があるということを証明するのが厄介なタイプです。
彼女が、地元の名士(たとえば元知事の娘)であるとするとさらに厄介ですが、それは気にしないこととして、さらに分析を重ねていくと、絶対にどこかでは挫折が訪れるはずなのです。まあ、攻撃を受けたからはっきりいいますが、この手のお母さんの場合、男の子が難しくなるのです。デモね、それは、20年後の話であって、今現在は、それはまだ目に見えておらず、かのジョは自信満々で、私をしかりつけたり、批判したりして、気分を悪くするように勤めているのですが、
1月28日の時点から、これが、自然でも素直なことでもなくて、背後から、そうするように頼まれた文章をただ、オウムのように言うなりに、こちらへ送り込んでいると感じました。
で、公にはならない形で、内々に、それを彼女に向かって問い合わせたのですが、それが、かの女には届いていなかったのか、届いても、ドウ返事をしていいのかわからなかったのか、1月の28日は、一切の否定の言葉はありませんでした。で、否定がなかったからこそ、私は彼女は伊藤玄二郎の教唆の元に動いているパペットで結局のところは、この国へ核燃料を入れ込んでいる側に奉仕をするとんでもない悪人であるとの、断定を下していたのです。28日の深夜にすでに、高橋真樹は、とんでもない悪人であるとの断定を下していたのです。
しかし、この真樹さんを動かしているほうは、何度も言うように、頭脳レベルが、超がつくほどに低くて幼稚な連中ですから、私が非公開のままで、問題を終わらせて、公開討議に入らなかったがために、『う、うまくいった。危うくだが、逃げおおせた。こいつは将来何度でも、使える玉だ』と、みなした模様です。
でも、私の方はてぐすね引いて待っているという形ですから、頭の中に、彼女が株式会社『のびあ』というのを経営していて、それは、滝沢村字鵜飼△森というところにあることはしっかりと頭に叩き込みました。これは、盛岡市の中心部からバスで、5駅ぐらい離れていて、10分ぐらいの距離でしょう。
で、伊藤玄二郎の経営するタウン誌、鎌倉春秋にあこがれていて、自分で発酵する前に、鎌倉へ研修に来たことがあったりしたとしたら、伊藤玄二郎とすでに、個人的な面識があるわけですから、私への攻撃用核ミサイルとして、彼女が使われる可能性は、十分あると考えました。
私はそれで、彼女が、もう一度、攻撃をしてくるのを楽しみに待っていたほどです。
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副題4、『屁がでて、ウンチがでて、げろが出るというペンネームは誰が使っているのか?』
で、私の方は、今度高橋真樹が、ひどいことをしてきたらそのときこそ、伊藤玄二郎のしっぽがつかめるときだわ』と、楽しみにしながら待っているわけですが、一方で、幼稚な伊藤玄二郎もわくわくしながら待っていた模様です。それは、策略のひとつである、鎌倉を世界遺産にしましょうという案が政府で、許可され、進行するという目論見が通ったこと。それによって、鎌倉市内における自分の権力がさらに、いや増しにいや増されること・・・・・そういうことによったのか、またまた、下品な尻尾をお出しくださったのですよ。
それは、2010年の7月16日アップの文章、『酒井忠康、栗田玲子、山本容子』を引っ込めさせるための薄汚いコメントをよこしたことです。
今、それをコピペして、皆さんにお見せしようとしたら、その文章そのものが開かないという形になっています。これも、伊藤玄二郎が、どれほど、悪辣にして、権力を握ったエージェントであるかを明らかにしていますが、言論弾圧のきわみが、その日付の文章が開かないということで、見事に証明をされています。
ともかく彼は勝った勝ったの大喜びをしたらしくて、『ゲロシネア、ヘーガデルン、ウンチョース』というペンネームで、またまた、汚い文章を寄せて来ました。で、こちらは無視・・・・・
それが、引っ付いていたのが酒井忠康という名前で始まるっ文章ですから、彼がどれほど、酒井忠康に気兼ねをしているかがわかります。だけど、私は引く気は一切ありません。ひどい攻撃を仕掛けてくるのは常に、そちら側です。私は常に、そういう事実を淡々と分析するだけです。やられたことを丁寧に書いていくだけなのですよ。
で、この『ゲロシネア・・・・・云々というペンネームを使って、ひどく汚い文章をコメントとして寄せる裏側に、それを書いた人間の勝ち誇った気持ちを読み取ることができるわけです。それが、ほとんど伊藤玄二郎であることは間違いがないでしょうが、それでも、一応論考いたしましょう。なぜ、彼がそれほどに、勝ち誇った気分でいるかの理由を。
いくつも、いくつも挙げられますが、ここでは、5つだけあげておきます。
一つ目は、このブログの2月4日付で挙げているように、政府が、鎌倉を世界遺産へ推薦したというニュースです。その件に関して、伊藤玄二郎は、自らの悪事の数々を一気にマネーロンダリングできると信じており、うれしくて仕方がないこと。
二つ目は、頼朝の墓を壊す人間が、包丁を持っていて、鶴岡八幡宮の境内で、逮捕されたとか、
三つ目は、福島第一原発の2号機の一つの温度計が、冷温停止状態を突破して、80度を超えた温度を示しているとか、言う、ひっかけようニュースで、こちらが間違ったことを書くだろうと、手ぐすね引いて待っていること。
四つ目は、原田あおいという、若くて独身の女性を使って、これまた、大きな攻撃を私に対して仕掛けたのですが、それを論考させないうちに、原田あおいをFBの世界から、特に私の目の前から消してしまったので、これ以上追及をされる恐れがないこと・・・・・うは、うは、しめたと、思っていること・・・・・・
そして、五つ目は、まだ、温存をしている、高橋真樹を、しかるべき時に、うまく使って、私のライターとしての人気を失わせてやれると、考えていること・・・・・これらが、あいまって、彼を、一種の有頂天状態にさせていると、私はみなしておりました。で、
すこし、横っ面を張ってやる必要があると考えて、
もと、福音館社長の時田史郎君が、失礼な挙動を取ったこと、とくに、クリスチャンにあるまじき意地悪な措置を取ったことを、書きぬいたわけです。それは、このブログの世界では、2月10日にアップされたことになっていますが、フェイスブックで、メモ程度で、書き起こした時期は、もっとさかのぼります。『げろをして、ウンチをして、屁が出る』というペンネームの人間が酒井忠康氏に関する文章へ、コメントを寄せたことに怒ったからです。
はっきり言って、伊藤玄二郎は酒井忠康氏に気兼ねをしていて、巻き込んで、自分の手下として使役したことを、申し訳ないと思っていると思いますが、その気兼ねの程度は、時田史郎君に対してはもっと、大きいはずです。酒井忠康氏とのかかわりは、鎌倉という地域社会に根差しているものですが、
時田史郎君とのかかわりは、業際、業界を同じくする世界での話です。巻き込んで、川崎千恵子をいじめるのに役立てたが、それは、あくまでも、裏がばれないという前提でやっていて、時田君の、個人的な好みの問題で、終始するはずでした。だが、私は時田君という人間をよく知っています。3年間たった100人しかいない学校で、同期生として、一日六時間以上を過ごしたのです。本当によく知っています。隅から隅まで、知っています。その彼が、お茶も出さないで、しかも玄関に顔も見せないなどということは、非常に不自然なのです。むしろ、ちゃんと知っているからこそ、それがあり得ない態度だとわかるので、裏があり、その裏とは直接であれ、間接的であれ、伊藤玄二郎が、保身のために動いたに過ぎないのです。
何の保身のためというと、昔、情をかわし、それにより、絶対に裏切らない密偵として、鎌倉の文化人の動静を探るべく各公民館の支所に陶芸教室を開かせた、石川和子女史が、ばかの極みで、警官を巻き込む大失敗をしたことを、糊塗して、世間に流さないようにするためだけに、使役をしているのでした。
酒井氏も、時田君も、その目的のために使役をされているのです。
しかし、フェイスブックで、メモ程度でも、それを書き始めたら、彼、伊藤玄二郎は焦ったのでしょう。
出版社の格と規模、知名度のすべてにおいて、鎌倉春秋社と、福音館の二つを比べたら、たとえ、こども向けの本だけを出版しているとはいえ、福音館の方が上であるのは、確かです。そこに、大ご迷惑をおかけしているということになります。
本当に私からみれば、伊藤玄二郎なんて、そこいら辺のコンビニの前に、夜中にたむろして、インスタントラーメンを食べながら情報交換をしている少年たちとなんら、変わりのないレベルのチンピラにしかすぎなくて、ただ、私の手のひらに乗っけて泳がせているにしかすぎないのに、自分の方が上だと大勘違いをして、次から次へと策略を考え出すわけです。それで、その策略を、これまた、次から次へと見破って、こうして、日本全国民の前に提示していくのが、最近の私の仕事とさえなってしまったというわけです。
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副題5、『おためごかしの偽善者、高橋真樹、は、どうして生まれたか?』
さて、私は、2012年の2月11日に延々とフェイスブックで、早稲田大学の革マルの忌まわしさについて書き続けておりました。それを、一万二千字ほど書いたところで、休憩を取りました。そして、休憩後に、フェイスブックを、開けると、高橋真樹名義で、
『被災地の方々への言葉の使い方,もう少し配慮できませんか』と、はいっておりました。グッと、冷水を浴びせかけられた気分があります。というのも彼女が岩手県に住む、人間であることは、一回目の嫌味で、意地悪なコメントの入れ方で、私の頭にしっかりと入っております。でね、こっちも少しの間はひるんでしまいました。もしかすると本日書いた文章の中のどこかに彼女の言うとおり、被災地の住民に言及しているところがあるかどうかを、心配したからです。
しかし、ほぼ、五日間かけて、丁寧に丁寧に検討しましたが、その日アップしたすべての文言、1万2千字の中に一か所も被災地に言及したところはありませんでした。
彼女に背後関係がなくて、意地悪で怜悧なコメントは、すべて、一人で考え出した文案であると仮定いたしましょう。すると、岩手大学、およびそれ以前の彼女の通った、高校の国語担当の教師、教官は、彼女に文章、一行をも読み取る力を授けなかったということとなります。
彼女の年齢から考えれば、それらの教師、教官は、そういう教育を果たしたというわけです。偉そうにして、人をけなす女性は、文章の読解力が一行もないのです。自分は被災地の人間だそうです。が、彼女の住んでいる岩手県、盛岡市の近郊は、津波の被害に出会った場所ではありません。さすれば、彼女の家、および株式会社『のびあ』が入居しているビルに、倒壊などの被害があったのでしょうか? これから、国会図書館にでも行って、岩手県の地方新聞を検討する必要があるのでしょうか?
ともかく、なぜ、彼女は間違った情報に基づいて、しかも、自分の方がまるで目上の人間であるかのごとき、文章を寄せたのでしょうか? 無論のこと、背後から教唆を受けてそれをやっているパペットに過ぎないのです。無内容な操作されたお人形に過ぎないのです。
ともかく、伊藤玄二郎に采配をされているのは確かでしょうが、それがないとして、素手で、私に立ち向かうとして、それほど、自信満々で、ご自分の方が偉いと規定できる、資格がどこにあるのかを、確かめていきましょう。
昨日14日まで、その全貌を隠していた、株式会社のびあのホーム頁は本日は全開をしています。それによると、協賛企業が、22あるそうです。つまり、それらの企業から、月に二万円の広告料が入るとすれば、まず、44万円は、確保できたといえます。もし、月に二回タウン誌を発行していて、月に一回は、二頁ぐらいの特集を入れるとすれば、月三万ぐらいの協賛金をもらえるでしょう。すると、すでに、66万円の収入になります。
長女を17年前に出産をして、第二子もいるらしい。ここまで読んで、どうして、この人がご自分を私川崎千恵子より上だと、みなしているかが理解できません。だって、私にはよそのお店の宣伝をしてあげることなんか一切興味がありませんので、彼女を私が偉いと思うどおりもありません。そんなことは、オリジナリティとも、芸術とも無関係な世界です。でも、彼女はご自分を偉いと規定して、私をしかりつけています。
もしかすると、地方の国立大学出身者特有の井の中の蛙、大海を知らずの傾向があるのかな? 都会の私学の名前も偏差値も人気も知らないのではないですか?
1962年に国際基督教大学がどれほど、人気があって入学が難しかったか?何も知らないのではありませんか?
まあ、無知による傲慢というので、突っ走ってもいいですよ。こちらは、その手の大好餌、前田清子さんがありますから、彼女の分析をあなたの代わりに行うだけのことです。
この前田清子という女性は、25年もご近所様として、悪辣ないじめを数々、やられてきていますので、すぐ大分析ができるのです。伊藤玄二郎が、『うんちが出る、屁がでる。げろが出る」というペンネームを使って、私のブログを攻撃してきたちょうど同じころ、干し物を堂々と、違法に占拠している土地に干していました。
それを、この2月5日の夕方から次の日の早朝まで、部分的に、12時間程度アップしていったん引いています。どうして引いたかというと、別の話題にエネルギーを注ぎたかったからです。が、高橋さん、あなたのこのとんでもない攻撃を受けて、それを、いつか丁寧に書き直してアップしましょう。
そうすると、お困りになるのは八幡宮様です。というのは、八幡宮様は前田清子夫人をひいきされて、国学院大学の講師に推薦されております。前田清子さんは、それに感謝して身じまいをただせばいいのに、真っ反対で増徴マンの限りをつくして、人を苛め抜きます。八幡宮の大銀杏が倒れたのには、彼女のその驚天動地の行動の影響も20%は寄与していると思います。その部分を情理を尽くして再び書くこととなるでしょう。異端引いたのは遠慮でもなんでもなく、ただただ、興味が別の主題に移っただけでありますから、いくらでもそこにエネルギーを注ぎこむことはできるのです。
で、ここで、ほとんどなにも私のことを知らないくせに、まるで欠席裁判のごとく、私を断罪して、そのコメントを呼んだ人々に、私がまるで、残酷な人間ででもあるかのように思いこませた、高橋真樹さんに、はっきりと宣告しておきます。
『あなたは、鎌倉の鶴岡八幡宮に大迷惑をかける可能性が出てきました』とね。<あなたは、私のグーブログ、『銀座のうぐいすから』を、一本も丁寧に読んだこともなく、かつ、人から命令されたあくをなす時に、その裏側を検討することもなく逡巡することもなかったので、これから、起きることには当然のごとく、責任をおとりになるのでしょうね>とも。
私は普段は、これほど、厳しい人間でもないのですよ。だけど、伊藤玄二郎は、事をやりすぎています。そして、私ほど被災地の人々に純粋な同情心を寄せている人間もいないと思うのに、私のことを何も知らない、高橋真樹という、岩手大学を出て、ずっと盛岡市周辺で生きてきたらしい井の中の蛙に断罪をされては、許せないです。
たまたま、数か月前に取り上げた日本初期洋画の研究の中に、大天使ミカエルの像というのがあったのですよ。大天使ミカエルははかりと、鎌を持っていて悪魔を狩るのです。私ね、この高橋真樹のコメントを見た時以来、自分が大天使ミカエルになった気分です。本当に、悪魔であることよ。この連中はと思っております。高橋真樹は、ふたりの子供のお母さんだそうですが、やっていることは悪魔に加担することであり流れからいうと、核燃料をこの国に入れ込める側に協力をしたというに他ならないのです。
えらそうに、しかも見当はずれに、被災者に向かって、言葉に気をつけろと言っていますが、内実、自分が悪魔の手先となって、核燃料を売りつけている側に協力をしている大、大の付く偽善者です。
久しぶりに簡単に決めつけえる相手を見つけてすっきりいたしました。笑っちゃうほど、健康に役立ちますね。長い間のインフルエンザも、ここでやっと脱出できるかな?
それから、パソコンに侵入を受けている人々にも申し上げます。高橋真樹さんが、何も私の文章を読んでいないのに、ああいうコメントを入れたのは、伊藤玄二郎に教唆をされたとして、伊藤玄二郎は、どうして、フェイスブックの私の情報を知ることができるのでしょうか?
これも大問題です。どうして、こういう特権が彼には許されているのですか? 前々から、私の個人的な情報が彼には通通であることは知っていましたが、フェイスブックは最近、おかしなことが続いていますよね。このブログの読者であり、フェイスブックの読者である方ならすぐ肯定をなさるであろう、おかしな現象が続いています。文字がダブって見えたり、情報が突然消えてしまったり、そういう忌まわしい工作をしている人物や集団から特別は優遇措置を受けている存在が、伊藤玄二郎でもあるのです。 2011年2月13日から15日へかけて書く 雨宮舜(川崎 千恵子)