銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

時田史郎(元・福音館・社長)君へ・・・貴君は鉄砲玉として利用されていないか?

2012-02-10 10:52:31 | Weblog

時田史郎(元福音館社長)君へ・・・・1

   私は昨日の深夜、島谷晃と言う早稲田大学出身の画家の忌まわしい性格と行動について述べています。で、彼らが一種の偉い人として、文化庁の在外研修生の同窓会展などを、その人選の際などに、私物化している恐れさえ、見つけているから、さらに深い嫌悪感を持っているものです。しかもある時期までボランティア活動、文化庁の在外研修生の同窓会ですが、秘書役をして私を使い、自分を権威付けることに散々使っておいた上で、伊豆美というコンクールで、応募表を裏返しに張るという恐るべき意地悪で、コンクールには、ほとんど落選をしたことがない、私を落選させた策略の人でもあるから、ますます、深い嫌悪感を持っています。でも、自分をマネーロンダリングするのに、早稲田大学卒という肩書きを、最大限に利用していますから、同じく早稲田大学卒の有名人である時田史郎君にもお問い合わせをします。
   「あなたは、こういう人物と同窓生であることを恥ずかしく思わないのですか?」と。特にあなたの会社は、『こどもの友』という絵本を出しておられます。それは、福音館という社名からも明らかなようにキリスト教精神に基づいています。
   ここで、新しい質問へ入ります。聖書の言葉に「時には蛇のごとく賢く、時には鳩のように従順なれ」と言う言葉があります。ある人間、この場合は私のこと。を抹殺するために、応募表を上下反対にして裏に張り、そしてともかく、御自分が審査委員長のお礼はもらえた伊豆の展覧会は開かれました。子供たち(+親たち)は、そういう忌まわしい裏のある美術展を、自分の税金を使って開き、そして、鑑賞したのです。
         ・・・・・2へ

時田史郎(元福音館社長)君へ・・・・2

   さて、私と宮島洋(現在、早稲田大学教授)、飯田隆(元週刊朝日編集長)、成岡庸司元早稲田の革丸委員長の4人は、たった100人しか同期のいない横浜国大付属中学の卒業生です。時田君を含む残りの95人を入れれば、現代の日本の文化的なトップ層を、形成しています。
   そして、私は、その100人の男女を含む生徒の中で、誰にも解けなかった数学が全問正解でそれゆえに入学式総代で、その流れのまま、中三あたりまでは、成績が良くて、卒業生総代でもあります。これがなぜ大切かというと、2009年の冬に信じがたい失礼な措置を時田君から、受けたものですから、その裏側を解くためには、それを分析しておく必要はあるのです。これは記録文学ですから、原発に反対する人間に対する弾圧がどういう風に進み、結果として、どう、効果を挙げるかは記録し続けないといけないのです。

   ところで、時田君の示した信じがたい意地悪とは、私の本と関係があります。
私はじぶんの本を出版し続けているのですが、その製作の段階で、アドビも、マイクロソフトも言うことを聞かず、しかも外部から誤変換が入れこめられたり、御近所や、山下から、騒音が送りこまれるという、おお苦労の上で、作り上げます。
   その段階で、一般の出版社が掛ける労力の1万倍の労力を掛けています。・・・・3へ。

時田史郎(元福音館社長)君へ・・・・・3

  時田君、あなたは伝統ある出版社を引き継ぎました。そしてつつがなく運営発展をさせ、無事に三代目へ譲り渡し、いまは悠々自適のみですね。そして、私が毎回、必死の思いを持って、血の涙を流しながら作り上げて、あなたに献呈した本に対して、礼状一本よこしたことも、ありません。私は直木賞受賞作家とか、大学教授とか名望ある方から、数多くの感想付き礼状をもらっていますが、あなたからは一度も來たことがありません。公的書評も,6冊のうち,三冊に来ていますが、一度も覗いたことも無いから、そのよさも一豪も感じたことは無いのでしょう。常に、それは、ごみでしかないと、・・・・・私は推察しています。
  でも、それでも、私はあなたを含む、ありとあらゆる知遇に対して、本を献呈し続けてきました。それは、必死の作業の結果の作品なのですから、見ていただく、内容を受け取っていただくことがないと、労働の完結を見ないからです。読んでもらえるかどうかは相手に任せます。が、届けるところまでは、私の作業です。

  そのようにして、すでに、6冊も作り上げているわけですから、画廊を含めて、どこの最寄り駅には誰が住んでいるかはほとんど、頭に入っています。そして、ひと晩に5、から6冊分くばるべく、主人に断って外出をします。
  というのも、昼間出かけると、泥棒が入るからです。私はひどいレベルで、弾圧を受けていますが、本を出版すると、その本がもっとも、効果が高い立派なものらしくて、それを配布させないがために、ありと、あらゆるいやみな攻撃を受けるのですが、そのひとつが、泥棒が入るということなのです。   ・・・・4へ

時田史郎(元福音館社長)君へ・・・・4

  さて、普段の銀座画廊めぐりの際にも、実印をはじめ、ありとあらゆる盗まれたら困るものをキャリーバッグに入れて、まるで横浜メリーさんみたいに、それを引きずって歩いているのですよ。それが重いし、画廊の中にはエレベーターのないところも多いし、私は大学時のトルエン系物質多量使用の卒業実験で、体を壊していますから・・・・・そのキャリーバッグを駅のロッカーに預けて、画廊めぐりを重ねていました。
  ところが、最近友達になったA子夫人も同じ経験があるそうですが、駅のロッカーを利用してもものが盗まれるのです。パソコンのバッテリーだけが盗まれるとか、驚くべき泥棒がこの世の中にいるのです。

  この泥棒ですが、そのタイミングとなぜ、それが盗まれるかを考えると、伊藤玄二郎、井上ひさし、酒井忠康、石塚雅彦などの名士と必ず、関連があるのです。それは、すでに、グーブログの方で、何十万字を費やして書いていますが、

  問題は、本日、名前を挙げている時田史郎君が、そちら側の人間であるということなのです。別に、時田君、ご自身が、私の外出を追いかけてきて、駅のロッカーをこじ開けて、PCのバッテリーを盗むわけではありません。そういう汚いブルーカラーの仕事をする人間は別同部隊があるのです。が、精神のあり方を言えば、彼は、恐るべきことに、そちら側の人間なのです。つまり、この日本に、核燃料ビジネスを持ち込み、いまだに、原発を廃棄させず、あわよくば、再開させてやろうとたくらんでいる勢力の、一人なのです。

  何度も繰り返し行っています。現代日本では、少しでも上流階級のくらしをしている人間は、ほとんど、実質的に、原発容認派なのであると。まだ、時田君など、運動をやっていないのが、誠実なほうで、反対運動をやりながら、裏では、真っ赤な舌をぺろっと出している人間モ大勢いるのですよ。 ・・・・5へ

時田史郎(元福音館社長)君へ・・・・・5

  パソコンのバッテリーは覚えているだけで、5個盗まれています。パソコンそのものが壊されているケースもれいれれば、買ってから、すでに10台は使えないようにさせられているでしょう。しかし、私はめげるということはないのです。たえに耐え、しのびにしのんでいますが、苦難が大きければ大きいほど、一方で、天の恵みもまた大きいのでした。お金がなくなったな。もう本はできないかな? と思っていたら、母が93でなくなり、遺産を残してくれました。主人が言うのですが、「お前ほど、恵まれている人間はいない」と。
  文章を書くという高等遊民の生活を続けながら、夫はいて、子供はいて、孫はいる。この世で、人間が楽しむことはほとんど経験してきた。(あ、ただし、ゴルフ、スキー、車の運転、テニス、乗馬はやっていません。スポーツ系は、スケートをやったことがあるぐらいかな?)上に、衣食住の、心配も老後の心配も無いのです。

  海外には自由にいくことができて、三回に分けて、270日も版画だけ作って暮らすことができた。
  この鎌倉の家には、夫婦二人だけで住んでいて、親の介護も、孫のお世話も必要がありません。
  しかも、もし、裏側の苦難を書かなければ、現在日本の最上級の人士とリアル友達である。それほど、恵まれています。ただ一点、24時間、神経を煩わされる、その弾圧のことさえなければね。それから、すでに、有名出版社から五冊のホンは出ていても良かったのにという逸失利益を、悔やむ気持ちも捨てればね・・・・・

時田史郎(元福音館社長)君へ・・・・・6

  時田史郎君の家を訪ねたときには、19時半を過ぎていてました。駐車場には三台の車が置かれていて、家の中はにぎやかでした。11月3日を間に挟む連休で、こどもさんが孫を連れてたずねて來ているのです。逆噴射機長が住んでいたことで有名なその住宅街は駅からは、バスで30分近くかかるので、私の体はすっかり冷えていました。
  が、出てきた奥さんは、玄関内にさえ招じ入れず、門のところで、本を(いやいやながら受け取ると)何の愛想もなしに、返ってくれという態度を示しました。私はだんなと友達であり、奥さんとは友達ではありません。だが鎌倉での、個展などには、ある種のありばい証明のように、奥さんが来てくれていましたから、すでに、顔なじみであり、会話を交わしたこともあるのです。だから、彼女のあまりにも無愛想な処遇には、ちょっと、こちらの決まりが悪すぎて、耐え切れず、「お孫さんがいらしているの?」といいました。で、奥さんは「はい」と答えました。が、状況にはなんの変化も現れず、私は負け犬中の負け犬となって、その門前から離れ、バス停に向かいました。
  このイトーピアという住宅地は、最初の販売価格も高い場所で、ほとんどの住人が時田家クラスのお金持ちで、しかも駅から歩くのは不可能なので、どこの家でも、車は二台持っていました。だから、バスは有名無実であり、使う人がおらず、ましてや休日なので、一時間に一本しかなく、私は、あと、40分も、寒い中で、待たないとダメでした。

  携帯は、GPS機能の関係から暗殺さえ恐れている私は絶対に持ち歩かない危険な道具であり、しかもたとえ、携帯を持っていて、そこにタクシー会社のナンバーが保存をされていたとしても、逗子駅からタクシーがここまで配車される可能性はありませんでした。その時間だけで、30分以上かかるでしょう。私股の間に、本を入れたキャリーバッグ(ころころ)をぬれないようにはさみながら、氷雨の中をひたすらバスの来るのを待っていました。
  すると、おしっこに行きたくなってしまったのです。

時田史郎(元福音館社長)君へ・・・・・7

   この高級住宅街の中でバス停は一種の公園になっていました。が、外部のひとなど誰も来ない場所で、もちろん公衆トイレなどありません。私は植え込みの影で、おしっこをすることを決断しました。だって、少しでももらしてしまったら、この寒さの中、風邪を引くのは確かですし、次に予定している友達の家も訪問ができません。
   しかし、植え込みにしゃがんで、実際に放つ前に、走馬灯のように過去の栄光が頭をよぎりました。学士会館で、阿刀田高さんに『あなたほど、頭の良い人はかつてであったことがない」と言われたこと、・・・・・その数年後、阿刀田さんに二冊目の本を差し上げたいが、有名人なので、積読(ツンドク)で終わると困るから、電話をかけてみたら、「ええ、もちろん、あなたのことは覚えておりますよ』といってもらったこと。その数年後阿刀田さんは、日本ペンクラブの会長になること。
   1999年のニューヨークPratt Institute という美大で、DENISSE MULLENという女性教授が私に嫉妬して意地悪の限りを尽くしたこと。ただし、次の学期に彼女の授業を取る学生が一人もおらず、彼女は大学を辞めざるを得なかったこと。
   若いころ、東大に勤めていたことがあって、当時の教授に「結婚をしても辞めない方がいい」といわれていたことと。「あんたは、東大出身じゃあないけれど、ものすごく頭がいいから、将来、必ず、東大教授になれる。やめないほうがいい』と言われていたこと。

 そして、中三のときなんか、今日いじめ切ってきて、バス停の植え込みで、おしっこをしないとならない原因を作った時田史郎君なんかより、圧倒的に優秀だったのです。時田君は単に神奈川県内の公立高校(ただし、旧制一中ではある緑ヶ丘高校だが)へ進学したのに対して、私は東京の御茶ノ水大学、付属高校へ進学したのでした。そちらの方が入学は無論難しい。神奈川県から進学できたのは、私一人だけでした。
  しかし、いま、私は彼の意地悪に負けて、屈辱的な形で、雨の中、かがんで、おしっこをしないとならないのでした。

  私はひそかに、神様に訴えかけました。「神様、時田史郎夫妻とはパリサイ人です」と。「毎週教会へ通っているそうですが、信者とは名ばかりの偽善者です」とも、訴えていてました。      ・・・・8へ

時田史郎(元福音館社長)君へ・・・・・・8

  今までお話をしたエピソードは2009年の11月のことで今から2年以上前のことです。3.11よりも前のことです。が、時田夫妻が示した強烈な悪意が、普通のものではないこと、必ず裏があることはすぐ推察できました。葉山というのは鉄道が入っていない場所なので、どこを訪ねても車を運転しない限り不便極まりない場所です。ですから、バスか、タクシーで訪れたお客は必ず、駅まで、送るのが、住民側にとっての不文律です。それを、『どういたしましょうか?』とも、質問をさえ、しない付属中学の同級生が、この世にいることはありえないのです。今は、神奈川県にも、いろいろな学校ができていますが、55年前の当時は、横浜随一のエリート校だったのです。しかも、女の子は、35人だけ・・・・・

  私は無論のこと、正しい状況は推察できています。つまり、どこやらから教唆をされていて、わざと意地悪をするように頼まれていたのです。つまり、国際的軍産共同体は、特にその中の文章解読担当エージェントたる井上ひさし(この人はまだ生きています。地下潜行しているだけです)などは、私の文章が、力があることを知っています。特にそれが、紙の本へと直っていると半永遠の命を持ちますから、脅威のマトとしています。

  それで、私に対して、紙の本を出版をさせないようにするためなら、何が何でもやるつもりになっていて、ありとあらゆるチャンスは利用するつもりになっていたのです。この2009年11月は表向きにも井上ひさしは、まだ生きていました。彼が、自分を死んだことに直したのは、2010年の4月9日です。
  で、彼本人が時田君にメールか電話で頼んだか? それとも、伊藤玄二郎か、酒井忠康氏を動かしたか? それとも、東京で、時田君に影響力を持つ人間が動いたのか?

  ともかく、私がどうどうと、タイトルに個人名を書いて、論を張って行っているのは、別にこれが、感情だけの問題ではないと信じているからです。私自身、個人的なむしろ時田君に対しては、逃げ道と、弁解の余地を残しておいてあげているのですよ。大変に、親切な人が私なのです。

  明け方五時に、「彼女はスパイだったかもしれない」とわざと書いたら、その日の夕方7時に電車に乗って、A子夫人は尋ねてきてくれました。私が横浜市営地下鉄を利用して反対ルートで彼女のお宅を訪ねたときには、2時間かかりました。彼女も二時間かかったそうです。でも、それで、誤解をとくことができました。
  今、私はカゼがひどくて、痰がうす緑色になった段階です。で、どなたにも対面で、お話をすることができません。だけど、時田君、お考えがあるのなら、私の個人的なメルアドを御存知のはずですから、どうか、一本でも、8本でも、メールをよこしてくださいませ。

  さて、一般の読者のかたに、申し上げます。この問題は,まだ、4分の1も、表現をされていないのです。あとの75%が残っております。が、私が個人的な復讐のために、この一文を書いているわけではないというところまで、書けたので、いったん、中断し、休憩を取らせてくださいませ。いまから、就寝しますが、起きたときに、この続きを書くか、別の問題へ取り組むかは、その時点で、また、新たに決めさせていただきたいと思います。

  私に文章を書かせてくださる方は、すべて、神様です。私は、自分の力で書いているわけでは無いのです。では。

復讐のためではなく、原発廃棄のためにそれを書いている
・・・・・・時田史郎君の悪意1~8までを書いて、思うこと。・・・・・・・

  私はすっす、すっす、疲れも知らず、大量の文章が書ける人間として、昔からのリアルな知り合いの間では、有名です。なぜ、それが、可能かというと、自分の意思で、文章を書いているのではなくて、神様が、書かせてくださっているからです。だから、大体疲れるということがありません。どこにも無理が無いからです。無理に背伸びをしたりすることはありません。

  ところで、時田史郎という個人名を冠した文章を、1~8まで書いたわけですが、私は早急に時田君に反省してもらいたいと思っています。彼は、こどもの成長に役立つ絵本を出版している会社の社長です。が、私になさっていることは、ほかでもない。原発推進派の、側の弾丸となって、原発反対派である私を苛め抜き、抹殺しようとする方向です。わかっていらっしゃるのかしら?

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