副題1、『東大卒業生の、実力失墜の話』
副題2、『オリンパスのケース、と、ビジネス界』
副題3、『井上ひさしは、なぜ、最近優遇をされているのか?』
副題4、『松本清張(+田中角栄)の功罪』
~~~~~~~~~~~~~~
副題1、『東大卒業生の、実力失墜の話』
これは、書こうとして書いている問題ではなくて、ほかの方の投稿を読んでいるうちにひらめいた話題なのですが、東大というものの存在が、権威あるものとして長らく、この日本では、雲のように、人々の上を覆っていたわけです。そこに変化が見られるという話のひとつです。
最近、議員になる人に東大出身者が減っていて、それと連動して、大臣になる人の中でも、東大出身者が減っています。それと、連動してか、していないかは知りませんが、ビジネス界でも、社長になる東大卒業生の割合が、減っているのではなかろうか? これらは、すべて、受験勉強の弊害が、もたらしたものでしょう。トップレベルで、競争が激しい場所に、入って行くためには、ものすごい量の知識を詰め込まないといけませんが、それは、小学校の三年ぐらいで、都会ではどちらかに、選択すべきコースとなっていて、それ以前も、それ以降も大きく、子供の発達を左右するのです。上のはみ出しという言葉があるそうですが、上のはみ出しという程度で、規定をされるのなら、それは、まだ、かわいいぐらいであり、一種の劣等性というか、欠落まで内包した、存在として社会へ出て行くケースがあるのです。しかし、芸大も似ていますが、一種の錦の御旗を、掲げ得る存在として、非常に優遇をされます。
そこに、この現代日本が抱えている種々さまざまな、困難を生み出している可能性のひとつがあるのです。
特に官僚の質が変化しています。文部科学省、外務省、経済産業省、財務省の4つは、今では、とても、困った存在です。円高も処理できないし、イランの原油開発もあきらめさせられて、投資を無駄にさせられていて、今度は、輸入でさえ、自由にできないということらしいですが、そこには、主体性が微塵も見られません。これは、恐るべき程度で、戦後の東大卒業生にして、官僚になっていった人の、欠点の反映です。つまり、気概がない。そして、スケールが小さい。
しかし、上の所までは、本日の文章の前置きにしか過ぎません。
~~~~~~~~~~~~~
副題2、『オリンパスのケース、と、ビジネス界』
最近の芥川賞の受賞者が大学を卒業していないことにも、見られるように、受験勉強には、相当な弊害があるのですが、そういえば、作家として、大成功をしている存在(現在、50歳以上)の中で、東大卒の占める割合は、こちらもひどく減っていると思います。ただ、明治期以降から、文学の世界でも、東大卒は君臨していたのです。あの谷崎潤一郎さえも東大卒ですしね。これは、どんな弊害を生んだかというと、「宮沢賢治が、生前にベストセラーにはならなかった」というようなポイントで、地方にいる逸材を埋もれさせて行ったと考えられます。
これは、小説に限らず、俳句や短歌の世界でも、連綿として東大卒の力は強くて、俳句など大会社での、句会を通じて、発達をしてきた可能性を感じています。だから、寄らば大樹の陰といって、大学新卒生が、大きな会社へ、就職したがるのも無理はないのです。福利厚生とか、この手の文化面でも、社風が良くて伝統的に充実していますから。
だけど、大きな矛盾は、こういう大企業に入社するためには、有名大学を出ていないとダメで、そのためには、例の小学校三年生ぐらいで、進路を決めて、親子で、必死になって受験勉強に取り組まないといけないという原書が起きるわけです。そして、そういうコースに乗っかった、サラリーマンは、気概もないし、哲学もない。で、トップはあくどい人間が握るわけですが、それらが、行っている悪徳に対してストップを掛ける、気概もなければ、能力もないのです。
オリンパスのケースは、その典型でしょう。主人は東大卒ではない(横浜国大卒)ですが、長らくサラリーマンをやってきているので、「社員がかわいそうだなあ」といいました。オリンパスは、内視鏡の業界で、世界に冠たる業績を上げているそうです。となると、当然のこととして、部長クラス、課長クラスには、東大卒もいて、きちんと毎日の業務はこなしていたでしょうが、会社の根幹を揺るがす悪については、何も改善する力はなかったのです。で、一般社員は、突然の辱めを世の中から受けることとなりました。優良企業が一気にマイナスの側面を帯びたのです。
これは、氷山の一角であり、日本の大企業(・・・・・それが、新卒の進路として、もっとも、もてはやされた時期が長かった・・・・)に、その手の、偏差値的には頭脳優秀だが、本当の意味での、社会のこまとしては、欠点がある、人材が大量に就職しているということは、日本社会が衰退して行く、大きな、要因となっているような気がします。
比較して、欧米に目を向けましょう。実際に、三ヶ月ずつでも、そこ二暮らす前には、知らなかったのですが、ヨーロッパには階級制度が色濃く残っており、有名大学(たとえばソルボンヌ)などに入る、学生は数が、少ない中からの選抜となるのです。ですから、過剰な受験勉強は必要ではありません。
同じく科挙の時代からの、過酷な受験勉強の習慣のある韓国と中国との比較ですが、韓国は総人口が、日本より少ないですよね。それで、競争の深度が、ゆるいという可能性を感じます。一方中国ですが、実質上、階級社会である模様です。したがって、北京大学とか、上海大学等に、入学する競争率は、日本より緩やかである可能性を感じます。
むろんのこと、私が目指したいのは、階級社会の復活ではありません。・
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副題3、『井上ひさしは、なぜ、最近優遇をされているのか?』
文学の世界に戻ります。これは、大企業のサラリーマンと比較すると、50%は、実力主義の世界でもあり、ぐっと明快です。が、後の50%は、裏の流れ(宣伝広告が集中する、とくに、政治的に、その作家を売り出したい、企図が、例の国際的軍産共同体(核を売り込んでいる方です)のあった場合には、全マスコミを通じてサポートをされます。最近のケースでは、井上ひさしが、それにあたります。
3.11以降、テレビからもマスコミからも広告が姿を消しました。しかし、3,13に、新聞広告が、復活して、最終面に、井上ひさし本(・・・・・新潮社だったと記憶をしているが・・・・・)の大広告が載っていて、私はすぐ、その裏側の意図を察しました。これは、婉曲な手法ですが、核を売り込んでいる側の、ある種の挽回策の一手でしょう。井上ひさしが、警察と通々と結びついているとか、それこそ、ロックフェラー財団とか、小沢一郎と、裏では通々に結びついていることは、ほとんど、世に知られていないと思いますが、驚くべき真実として、私には、わかっています。
というのも、我が家と、井上邸は、直線距離にして、600メートルぐらいの距離しか離れておりません。そして、私はある事情から、共産党の研究に入っております。そして、非公開ながら、あれこれを、パソコン内で書いています。
口幅ったいいいかたで、恐れ入りますが、私は相当な大物として、注目をされているらしくて、自分があれこれ、ネットの世界で書いたことは、利用されて、応用されたり、または、否定をしたいニュースも流されます。韓国大統領、が、最近、従軍慰安婦問題を取り上げたのも、フェイスブックではない別の世界でかいているものが生起させたと考えております。
で、表社会へ、公開したもので、そのようになるのは、仕方がないことです。が、閉鎖されたメルマガしか、運営をしていないころから、あまりにも頻繁にそれが起きるので、ハッキングの恐れを感じ始めました。というのも読者(相当にハイレベルな知識人だけ)だが、それらが横流しする可能性はなかったのです。すべて顔、名前、住所を知っている人たちですから、それらの人たちが、一種の裏切り行為をすることは考えられなかったからです。
で、いろいろ調べて、XPのヴァージョンの段階ですと、今、自分のパソコンがハッキングを受けているかどうかを確かめられる方方があること案ではわかりました。
皆様にもお教えしますが、スタート → 途中で、何らかの別の、所によるかな、そして、とくべつな、検索窓が開くのですが、そこに、アルファベットで、etstat と入れるのです。そうすると、パソコンの、液晶画面内の左半分に、真っ黒い画面のウィンドーが新しく現れて、そこに、白抜きのアルファベット==いわゆるアプリケーションを、創っている言語===が現れ、すさまじいスピードで、流れていきます。このときに、あなたのパソコンはハッキングを受けているそうです。これはCCCという半官半民の組織の人が、向こうから電話で、丁寧に教えてくれて、私は二年ぐらい、それを、確認し続けました。だけど、やがて、ハッキングを防げないということもわかったので、覚悟をして、だんだんに真実を公開して行くようになったのです。恐るべき真実というのが、この日本社会の底流には隠されています。それを、ほとんどの人は貴がつかずにいます。だけど、3.11以降は普通の人も、自分たちが、大切な情報から阻害をされ炒ることに気が付き始めていますね。それは、私にとってはメルクマールでした。自分が特殊な立場にいたと思うのですが、同じことに大勢の人が気が付き始めて、それについて怒りを持ってきたことです。
で、鎌倉の特殊事情に戻ります。私が、社会分析を非公開で、PCナイで、やっていると仮定をします。すると、それを書かせないようにするために、鎌倉防犯協会から、放送があるのです。その内容が、見事に私が、非公開で、パソコン内で書いていることと反比例をするのです。つまり、井上ひさしが、この日本社会へ対して、どんな悪徳(・・・・・ただし、それはアイデアであって、それを実行するのは、NHKとか、警察とか、朝日新聞ですが・・・・・)を垂れ流しているかを、書いている最中に、それをとめるための言葉が、鎌倉市内のあっちこっちに設定をされているスピーカーを通じて、大音響で我が家まで届くわけです。
防犯協会というのは、全国的に同じだと考えていますが、警察の退職者と、地域社会の有力者が組んで運営している模様です。で、そこが放送することはすべて、警察が管理してると考える方がいいでしょう。それで、特に、2008年度と、2009年度は、何度もそういう現象を察知して、井上ひさしが、実質的に、どれほどの悪人であるかを、知り始めました。
すると、彼は2009年の6月に、クローズアップ現代に出て、国谷さんを相手に、太宰治をかいせつしました。が、その日のメインは、警察を擁護する点にあったのです。つまり、秋葉原の無差別殺傷事件ですが、あれの、犯人は、朝の五時から携帯の世界で、予告をしていたのですね。それを、どうして、警察が、11時までの、6時間に、察知できず、予防をできなかったのはなぜと、世間の大勢の人が指弾をしたと思います。その件で、警察を擁護したのです。最後の段階の捨て台詞みたいな部分であり、世間の大勢の人は見のがしたかもしれませんが、私は悪人としての彼を常に、観察し続けていますので、すぐ気が付きました。
テレビの中で、瞬間的に広告を流すとサブリミナル効果といって、それを、大衆が買うようになるそうですが、それと似ています。が、それよりも、30秒は映像が画面に音声付ではっきり出たのですから、相当に、有効な手立てとして、国民一般の思いに逆らって、警察を擁護したのです。面と向かって警察を擁護するよりもはるかに洗練をされていて有効だったと感じました。で、これらの現象から、彼が、大変に便利な道具として、核燃料を売り込んでいる側から、利用をされていて、彼の方でも見返りとして、NHKの衛星放送に特番を創ってもらったり、(これは、広告代に換算すると、数億円分のプラスでしょう。再放送も含めれば巨額になる)するような、特権を得ているわけです。
これが、3.11以降のトップの、新聞広告として、新潮社から出る新刊本の広告が載ったときには、さらに確かめられたと、感じた次第です。
ただし、読者の皆様に、申し上げたいのは、もっと別のことです。
つまり、今、現在の日本社会で、光が当たっている・・・・・特に強烈なブームが集中している、・・・・・存在が必ずしも、正しく、大衆の意向を反映してるのでは、ないと、言うことが肝心です。政治的思惑、特に強者のそれが、文化面、および芸能界にも、色濃く反映をしているのだ・・・・・ということが、この一節の結論です。
~~~~~~~~~~~~~~~
副題4、『松本清張(+田中角栄)の功罪』
東大が、文学の世界で権威を持つことに風穴を開けたのは、松本清張でしょう。
特に戦前の圧倒的な優位性が、受験勉強の弊害によって、崩れ始める時期に、台頭したことは、有意義だったと思います。ちょうどすれ違いで登場して硬直化と劣化を防いだのです。特に彼は、非・東大卒の利点を最大に利用をして、昭和史発掘と言う分野に手を染めました。
私事で、恐縮ですが、「現代日本で、ここまでのことを言う人はいない」といわれている私でさえ、テーマについては大きなストレスと制限を感じながら選んでいるのですよ。継続して頭に残っているテーマが、5,6個頭にあるのですが、その中で何を取り上げて、続きを書くかは、キーボードに向かった、その日の手先次第とか、前夜とか、その日のうちに、外部から受け刺激次第という側面があります。それでも制限はあって、ほぼ、30~40%までしか書けません
だから、東大卒という肩書きゆえに、日本の中枢と、直接につながっている人たちの自己規制の深さは、十分に想像できるのです。で、そのタブーを破った松本清張氏は大傑物なのですが、人間としては矛盾に満ちています。
ある号の月刊文春に振袖姿のお嬢さんが載っていて、その可憐さに仰天したのですが、このお嬢様は外交官へとついで、後に大使夫人となったはずです。その一事から見ても、人間とはいかに名誉とか、金銭に弱くて、上昇志向から逃れられないのかということがわかります。私は清張氏の書くものをすべて読んでいるわけではないのですが、最終段階のものでは濫作がひどくて、一巻の中で、すでに、時間の推移の矛盾とか、登場人物の行動の矛盾が発見できるものがあります。これは、本当なら担当編集者が注意しないといけないのでしょうが原稿用紙を埋めてもらうだけで、ありがたがって、そういうところまでは踏み込まなかったみたいです。へなちょこですね。だが、こちらも、人気作家が、書くだけで雑誌の売れ行きが変わってきて、一万部違うだけで、6ヶ月で、7400万円変わってくるから必死なのでしょう。つまり、人間社会とは、お金で規制をされる部分がいっぱいあるということです。
そういう意味では、弱点もいっぱいあったが、それでも、貢献もいっぱいあって、たとえば、田中角栄首相の存在を生み出したのは、松本清張氏が、赤いじゅうたんを敷いて上げたから可能になったことかもしれないのです。
で、今度は、田中角栄氏に、視点を移します。彼こそ、戦後首相で初めて、相当なレベルで、国家的な、主体性を確立した人間でしょう。経済界の繁栄を支えにして、『すでに戦後ではない』という感覚の推進です。だが、失墜しました。立花隆氏の紙爆弾でね。立ち話のいうことも一理あるが、大局観からすれば、あの失脚を起点として、日本はどんどん、decline (下降)へ、向かったのですから、そこに哲学者も、大政治家もいなかったということです。複雑化した、民主主義社会では、一人で、すべてを引っ張る存在は、なかなかいないのもわかりますが、戦後の大汚点のひとつです。それは、田中角栄氏を、塀の中に収監したり、脳梗塞をわずらった後の、病人へ対するものとしてはありえない、恐るべき人権無視のマスコミの姿勢などで、顕著になりました。
お若い方は知らないでしょうが、ある日、新聞を空けると大一面に、田中邸の庭・・・・・特に芝生の部分が俯瞰という形で、映っていて、そこを、車椅子を押す真紀子さんらしい姿が歩いていきます。田中角栄氏が、どの程度の病状にあり、どういう政局の流れになるのかは、重要なニュースといえば言えるでしょう。だが、その紙面は、大衆操作の具の誇張でもありました。つまり、底部とか、潜在意識の中で、ロッキード事件の忌まわしさを明瞭に察知している、国民と陣笠代議士たちへ、「おまえら、田中角栄の復活を期待してもダメだぞ」と、「これからは、金丸信(この人と深く連携したことが、小沢一郎台頭の、起点だと思いますが)と、竹下登の言うことを聞け」と言うメッセージを発したと感じています。
つまり、武士の世界での道徳、弱いものを最後までは追い詰めない・・・・・惻隠の情の発露・・・・・などという部分が一切ないのです。つまり、あの取材は、この日本がいわゆるグローバリズム(核を売りつけてきている側の政策や論理志向を押し付けられ、そちらに利用されることとなる)に組み込まれた象徴的な、出来事であり、そのときに、日本が被・植民地国家であることも、明らかになり、しかもその方向性が、どんどんどんどん強まるようになった、メルクマール的事件だったと考えています。
この一文は発展させようと思えば、どちらの方向でも、発展させることができますが、本日は東大出身者が、この国を空洞化させている、それが、文学界に現れるとどうなるかと言うポイントに絞りたいと感じていますので、ここで終わりたいと思います。
と、ここまで書いていったんとぎると、ちょうどすれ違いで、鎌倉市役所が放送をしたのです。スピーカーで大音量でね。
それが、例の鎌倉防犯協会と同じスピーカーを使っています。
それで、すぐ4千字に喃喃とする文章を書いたのです。が、それは、このグーブログを連続してお読みになっている方には、受け入れられたでしょうが、フェイスブックでの読者には、誰にも理解をされなかった、または、フェイスブック側が、人々に伏せるように技術的に手配をしたのかで、表には出ませんでした。で、私もここで、分割しようと考えます。この下に現れるようにしました。
副題2、『オリンパスのケース、と、ビジネス界』
副題3、『井上ひさしは、なぜ、最近優遇をされているのか?』
副題4、『松本清張(+田中角栄)の功罪』
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副題1、『東大卒業生の、実力失墜の話』
これは、書こうとして書いている問題ではなくて、ほかの方の投稿を読んでいるうちにひらめいた話題なのですが、東大というものの存在が、権威あるものとして長らく、この日本では、雲のように、人々の上を覆っていたわけです。そこに変化が見られるという話のひとつです。
最近、議員になる人に東大出身者が減っていて、それと連動して、大臣になる人の中でも、東大出身者が減っています。それと、連動してか、していないかは知りませんが、ビジネス界でも、社長になる東大卒業生の割合が、減っているのではなかろうか? これらは、すべて、受験勉強の弊害が、もたらしたものでしょう。トップレベルで、競争が激しい場所に、入って行くためには、ものすごい量の知識を詰め込まないといけませんが、それは、小学校の三年ぐらいで、都会ではどちらかに、選択すべきコースとなっていて、それ以前も、それ以降も大きく、子供の発達を左右するのです。上のはみ出しという言葉があるそうですが、上のはみ出しという程度で、規定をされるのなら、それは、まだ、かわいいぐらいであり、一種の劣等性というか、欠落まで内包した、存在として社会へ出て行くケースがあるのです。しかし、芸大も似ていますが、一種の錦の御旗を、掲げ得る存在として、非常に優遇をされます。
そこに、この現代日本が抱えている種々さまざまな、困難を生み出している可能性のひとつがあるのです。
特に官僚の質が変化しています。文部科学省、外務省、経済産業省、財務省の4つは、今では、とても、困った存在です。円高も処理できないし、イランの原油開発もあきらめさせられて、投資を無駄にさせられていて、今度は、輸入でさえ、自由にできないということらしいですが、そこには、主体性が微塵も見られません。これは、恐るべき程度で、戦後の東大卒業生にして、官僚になっていった人の、欠点の反映です。つまり、気概がない。そして、スケールが小さい。
しかし、上の所までは、本日の文章の前置きにしか過ぎません。
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副題2、『オリンパスのケース、と、ビジネス界』
最近の芥川賞の受賞者が大学を卒業していないことにも、見られるように、受験勉強には、相当な弊害があるのですが、そういえば、作家として、大成功をしている存在(現在、50歳以上)の中で、東大卒の占める割合は、こちらもひどく減っていると思います。ただ、明治期以降から、文学の世界でも、東大卒は君臨していたのです。あの谷崎潤一郎さえも東大卒ですしね。これは、どんな弊害を生んだかというと、「宮沢賢治が、生前にベストセラーにはならなかった」というようなポイントで、地方にいる逸材を埋もれさせて行ったと考えられます。
これは、小説に限らず、俳句や短歌の世界でも、連綿として東大卒の力は強くて、俳句など大会社での、句会を通じて、発達をしてきた可能性を感じています。だから、寄らば大樹の陰といって、大学新卒生が、大きな会社へ、就職したがるのも無理はないのです。福利厚生とか、この手の文化面でも、社風が良くて伝統的に充実していますから。
だけど、大きな矛盾は、こういう大企業に入社するためには、有名大学を出ていないとダメで、そのためには、例の小学校三年生ぐらいで、進路を決めて、親子で、必死になって受験勉強に取り組まないといけないという原書が起きるわけです。そして、そういうコースに乗っかった、サラリーマンは、気概もないし、哲学もない。で、トップはあくどい人間が握るわけですが、それらが、行っている悪徳に対してストップを掛ける、気概もなければ、能力もないのです。
オリンパスのケースは、その典型でしょう。主人は東大卒ではない(横浜国大卒)ですが、長らくサラリーマンをやってきているので、「社員がかわいそうだなあ」といいました。オリンパスは、内視鏡の業界で、世界に冠たる業績を上げているそうです。となると、当然のこととして、部長クラス、課長クラスには、東大卒もいて、きちんと毎日の業務はこなしていたでしょうが、会社の根幹を揺るがす悪については、何も改善する力はなかったのです。で、一般社員は、突然の辱めを世の中から受けることとなりました。優良企業が一気にマイナスの側面を帯びたのです。
これは、氷山の一角であり、日本の大企業(・・・・・それが、新卒の進路として、もっとも、もてはやされた時期が長かった・・・・)に、その手の、偏差値的には頭脳優秀だが、本当の意味での、社会のこまとしては、欠点がある、人材が大量に就職しているということは、日本社会が衰退して行く、大きな、要因となっているような気がします。
比較して、欧米に目を向けましょう。実際に、三ヶ月ずつでも、そこ二暮らす前には、知らなかったのですが、ヨーロッパには階級制度が色濃く残っており、有名大学(たとえばソルボンヌ)などに入る、学生は数が、少ない中からの選抜となるのです。ですから、過剰な受験勉強は必要ではありません。
同じく科挙の時代からの、過酷な受験勉強の習慣のある韓国と中国との比較ですが、韓国は総人口が、日本より少ないですよね。それで、競争の深度が、ゆるいという可能性を感じます。一方中国ですが、実質上、階級社会である模様です。したがって、北京大学とか、上海大学等に、入学する競争率は、日本より緩やかである可能性を感じます。
むろんのこと、私が目指したいのは、階級社会の復活ではありません。・
~~~~~~~~~~~~~~~
副題3、『井上ひさしは、なぜ、最近優遇をされているのか?』
文学の世界に戻ります。これは、大企業のサラリーマンと比較すると、50%は、実力主義の世界でもあり、ぐっと明快です。が、後の50%は、裏の流れ(宣伝広告が集中する、とくに、政治的に、その作家を売り出したい、企図が、例の国際的軍産共同体(核を売り込んでいる方です)のあった場合には、全マスコミを通じてサポートをされます。最近のケースでは、井上ひさしが、それにあたります。
3.11以降、テレビからもマスコミからも広告が姿を消しました。しかし、3,13に、新聞広告が、復活して、最終面に、井上ひさし本(・・・・・新潮社だったと記憶をしているが・・・・・)の大広告が載っていて、私はすぐ、その裏側の意図を察しました。これは、婉曲な手法ですが、核を売り込んでいる側の、ある種の挽回策の一手でしょう。井上ひさしが、警察と通々と結びついているとか、それこそ、ロックフェラー財団とか、小沢一郎と、裏では通々に結びついていることは、ほとんど、世に知られていないと思いますが、驚くべき真実として、私には、わかっています。
というのも、我が家と、井上邸は、直線距離にして、600メートルぐらいの距離しか離れておりません。そして、私はある事情から、共産党の研究に入っております。そして、非公開ながら、あれこれを、パソコン内で書いています。
口幅ったいいいかたで、恐れ入りますが、私は相当な大物として、注目をされているらしくて、自分があれこれ、ネットの世界で書いたことは、利用されて、応用されたり、または、否定をしたいニュースも流されます。韓国大統領、が、最近、従軍慰安婦問題を取り上げたのも、フェイスブックではない別の世界でかいているものが生起させたと考えております。
で、表社会へ、公開したもので、そのようになるのは、仕方がないことです。が、閉鎖されたメルマガしか、運営をしていないころから、あまりにも頻繁にそれが起きるので、ハッキングの恐れを感じ始めました。というのも読者(相当にハイレベルな知識人だけ)だが、それらが横流しする可能性はなかったのです。すべて顔、名前、住所を知っている人たちですから、それらの人たちが、一種の裏切り行為をすることは考えられなかったからです。
で、いろいろ調べて、XPのヴァージョンの段階ですと、今、自分のパソコンがハッキングを受けているかどうかを確かめられる方方があること案ではわかりました。
皆様にもお教えしますが、スタート → 途中で、何らかの別の、所によるかな、そして、とくべつな、検索窓が開くのですが、そこに、アルファベットで、etstat と入れるのです。そうすると、パソコンの、液晶画面内の左半分に、真っ黒い画面のウィンドーが新しく現れて、そこに、白抜きのアルファベット==いわゆるアプリケーションを、創っている言語===が現れ、すさまじいスピードで、流れていきます。このときに、あなたのパソコンはハッキングを受けているそうです。これはCCCという半官半民の組織の人が、向こうから電話で、丁寧に教えてくれて、私は二年ぐらい、それを、確認し続けました。だけど、やがて、ハッキングを防げないということもわかったので、覚悟をして、だんだんに真実を公開して行くようになったのです。恐るべき真実というのが、この日本社会の底流には隠されています。それを、ほとんどの人は貴がつかずにいます。だけど、3.11以降は普通の人も、自分たちが、大切な情報から阻害をされ炒ることに気が付き始めていますね。それは、私にとってはメルクマールでした。自分が特殊な立場にいたと思うのですが、同じことに大勢の人が気が付き始めて、それについて怒りを持ってきたことです。
で、鎌倉の特殊事情に戻ります。私が、社会分析を非公開で、PCナイで、やっていると仮定をします。すると、それを書かせないようにするために、鎌倉防犯協会から、放送があるのです。その内容が、見事に私が、非公開で、パソコン内で書いていることと反比例をするのです。つまり、井上ひさしが、この日本社会へ対して、どんな悪徳(・・・・・ただし、それはアイデアであって、それを実行するのは、NHKとか、警察とか、朝日新聞ですが・・・・・)を垂れ流しているかを、書いている最中に、それをとめるための言葉が、鎌倉市内のあっちこっちに設定をされているスピーカーを通じて、大音響で我が家まで届くわけです。
防犯協会というのは、全国的に同じだと考えていますが、警察の退職者と、地域社会の有力者が組んで運営している模様です。で、そこが放送することはすべて、警察が管理してると考える方がいいでしょう。それで、特に、2008年度と、2009年度は、何度もそういう現象を察知して、井上ひさしが、実質的に、どれほどの悪人であるかを、知り始めました。
すると、彼は2009年の6月に、クローズアップ現代に出て、国谷さんを相手に、太宰治をかいせつしました。が、その日のメインは、警察を擁護する点にあったのです。つまり、秋葉原の無差別殺傷事件ですが、あれの、犯人は、朝の五時から携帯の世界で、予告をしていたのですね。それを、どうして、警察が、11時までの、6時間に、察知できず、予防をできなかったのはなぜと、世間の大勢の人が指弾をしたと思います。その件で、警察を擁護したのです。最後の段階の捨て台詞みたいな部分であり、世間の大勢の人は見のがしたかもしれませんが、私は悪人としての彼を常に、観察し続けていますので、すぐ気が付きました。
テレビの中で、瞬間的に広告を流すとサブリミナル効果といって、それを、大衆が買うようになるそうですが、それと似ています。が、それよりも、30秒は映像が画面に音声付ではっきり出たのですから、相当に、有効な手立てとして、国民一般の思いに逆らって、警察を擁護したのです。面と向かって警察を擁護するよりもはるかに洗練をされていて有効だったと感じました。で、これらの現象から、彼が、大変に便利な道具として、核燃料を売り込んでいる側から、利用をされていて、彼の方でも見返りとして、NHKの衛星放送に特番を創ってもらったり、(これは、広告代に換算すると、数億円分のプラスでしょう。再放送も含めれば巨額になる)するような、特権を得ているわけです。
これが、3.11以降のトップの、新聞広告として、新潮社から出る新刊本の広告が載ったときには、さらに確かめられたと、感じた次第です。
ただし、読者の皆様に、申し上げたいのは、もっと別のことです。
つまり、今、現在の日本社会で、光が当たっている・・・・・特に強烈なブームが集中している、・・・・・存在が必ずしも、正しく、大衆の意向を反映してるのでは、ないと、言うことが肝心です。政治的思惑、特に強者のそれが、文化面、および芸能界にも、色濃く反映をしているのだ・・・・・ということが、この一節の結論です。
~~~~~~~~~~~~~~~
副題4、『松本清張(+田中角栄)の功罪』
東大が、文学の世界で権威を持つことに風穴を開けたのは、松本清張でしょう。
特に戦前の圧倒的な優位性が、受験勉強の弊害によって、崩れ始める時期に、台頭したことは、有意義だったと思います。ちょうどすれ違いで登場して硬直化と劣化を防いだのです。特に彼は、非・東大卒の利点を最大に利用をして、昭和史発掘と言う分野に手を染めました。
私事で、恐縮ですが、「現代日本で、ここまでのことを言う人はいない」といわれている私でさえ、テーマについては大きなストレスと制限を感じながら選んでいるのですよ。継続して頭に残っているテーマが、5,6個頭にあるのですが、その中で何を取り上げて、続きを書くかは、キーボードに向かった、その日の手先次第とか、前夜とか、その日のうちに、外部から受け刺激次第という側面があります。それでも制限はあって、ほぼ、30~40%までしか書けません
だから、東大卒という肩書きゆえに、日本の中枢と、直接につながっている人たちの自己規制の深さは、十分に想像できるのです。で、そのタブーを破った松本清張氏は大傑物なのですが、人間としては矛盾に満ちています。
ある号の月刊文春に振袖姿のお嬢さんが載っていて、その可憐さに仰天したのですが、このお嬢様は外交官へとついで、後に大使夫人となったはずです。その一事から見ても、人間とはいかに名誉とか、金銭に弱くて、上昇志向から逃れられないのかということがわかります。私は清張氏の書くものをすべて読んでいるわけではないのですが、最終段階のものでは濫作がひどくて、一巻の中で、すでに、時間の推移の矛盾とか、登場人物の行動の矛盾が発見できるものがあります。これは、本当なら担当編集者が注意しないといけないのでしょうが原稿用紙を埋めてもらうだけで、ありがたがって、そういうところまでは踏み込まなかったみたいです。へなちょこですね。だが、こちらも、人気作家が、書くだけで雑誌の売れ行きが変わってきて、一万部違うだけで、6ヶ月で、7400万円変わってくるから必死なのでしょう。つまり、人間社会とは、お金で規制をされる部分がいっぱいあるということです。
そういう意味では、弱点もいっぱいあったが、それでも、貢献もいっぱいあって、たとえば、田中角栄首相の存在を生み出したのは、松本清張氏が、赤いじゅうたんを敷いて上げたから可能になったことかもしれないのです。
で、今度は、田中角栄氏に、視点を移します。彼こそ、戦後首相で初めて、相当なレベルで、国家的な、主体性を確立した人間でしょう。経済界の繁栄を支えにして、『すでに戦後ではない』という感覚の推進です。だが、失墜しました。立花隆氏の紙爆弾でね。立ち話のいうことも一理あるが、大局観からすれば、あの失脚を起点として、日本はどんどん、decline (下降)へ、向かったのですから、そこに哲学者も、大政治家もいなかったということです。複雑化した、民主主義社会では、一人で、すべてを引っ張る存在は、なかなかいないのもわかりますが、戦後の大汚点のひとつです。それは、田中角栄氏を、塀の中に収監したり、脳梗塞をわずらった後の、病人へ対するものとしてはありえない、恐るべき人権無視のマスコミの姿勢などで、顕著になりました。
お若い方は知らないでしょうが、ある日、新聞を空けると大一面に、田中邸の庭・・・・・特に芝生の部分が俯瞰という形で、映っていて、そこを、車椅子を押す真紀子さんらしい姿が歩いていきます。田中角栄氏が、どの程度の病状にあり、どういう政局の流れになるのかは、重要なニュースといえば言えるでしょう。だが、その紙面は、大衆操作の具の誇張でもありました。つまり、底部とか、潜在意識の中で、ロッキード事件の忌まわしさを明瞭に察知している、国民と陣笠代議士たちへ、「おまえら、田中角栄の復活を期待してもダメだぞ」と、「これからは、金丸信(この人と深く連携したことが、小沢一郎台頭の、起点だと思いますが)と、竹下登の言うことを聞け」と言うメッセージを発したと感じています。
つまり、武士の世界での道徳、弱いものを最後までは追い詰めない・・・・・惻隠の情の発露・・・・・などという部分が一切ないのです。つまり、あの取材は、この日本がいわゆるグローバリズム(核を売りつけてきている側の政策や論理志向を押し付けられ、そちらに利用されることとなる)に組み込まれた象徴的な、出来事であり、そのときに、日本が被・植民地国家であることも、明らかになり、しかもその方向性が、どんどんどんどん強まるようになった、メルクマール的事件だったと考えています。
この一文は発展させようと思えば、どちらの方向でも、発展させることができますが、本日は東大出身者が、この国を空洞化させている、それが、文学界に現れるとどうなるかと言うポイントに絞りたいと感じていますので、ここで終わりたいと思います。
と、ここまで書いていったんとぎると、ちょうどすれ違いで、鎌倉市役所が放送をしたのです。スピーカーで大音量でね。
それが、例の鎌倉防犯協会と同じスピーカーを使っています。
それで、すぐ4千字に喃喃とする文章を書いたのです。が、それは、このグーブログを連続してお読みになっている方には、受け入れられたでしょうが、フェイスブックでの読者には、誰にも理解をされなかった、または、フェイスブック側が、人々に伏せるように技術的に手配をしたのかで、表には出ませんでした。で、私もここで、分割しようと考えます。この下に現れるようにしました。